三重県総合文化センター ブログ

【インターンシップは見た!】北条さん編1

三重県総合文化センターでは毎年数多くのインターンシップ生を受け入れています。
8月21日から三重県文化会館にインターンシップに来ている、
北条さんにその様子を綴っていただきます。

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こんにちは。インターン生の北条です。

今日は初めて文化会館でインターンシップをさせていただきました。

午前は文化に関する新聞記事を探しました。それを文化会館の方でまわしていくことをしており、全員が今どのようなことが開催されているのかなどを知るためだとわかりました。私はあまり新聞を読まないのですが、今日このような作業をさせていただいて新聞を読むことの楽しさを知ることができ、また、今、日本では何が行われているのかなども知ることができました。

午後にはワンコインコンサートの準備をしました。私は中学・高校の時に部活動でお世話になり、その時に舞台に立つ方の役に立てるようなことがしたいと思っていました。そのため今日ワンコインコンサートの準備をさせていただいて、出演者様の役に立つことができたのではないかと思いました。

また、ユーフォニアム奏者の佐藤さんを迎えに行き、FMラジオの場所に行かせていただきました。初めてFMラジオの場所に行かせていただき、ラジオがどのように進行されているか、どのような場所でしているのかを知ることができました。そして、初めて佐藤さんにお会いしました。ユーフォ二アムは人の声に近くトロンボーンと同じ音域だけれど音が柔らかくトロンボーンより人の声に近いという説明を聞き、このようにユーフォ二アムを説明する人は初めてだったため驚きました。しかし、とてもわかりやすい説明だと思いました。残りの3日も頑張りますのでよろしくお願いいたします。
インターン生事務作業
文:インターン 北条

【インターンシップは見た!】三重大学松永さん編2

三重県文化会館にインターンシップに来ている、
三重大学人文学部の松永萌さんによるインターンシップブログ第二弾です

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こんにちは。インターン生の松永です。
本日は2日目としてインターンシップ活動をさせていただきました。

 はじめに文化会館では毎朝、この地域で読まれている数種類の新聞をすべてチェックして、文化に関連する記事を収集しているというお話を伺いました。現在どのような文化活動が行われているのか、今注目されるべき作品は何なのかなどを全職員が確認をするために、私も記事の収集作業をさせていただきました。最近では新聞を家で取る人が少なくなってきていますが、こうした記事をチェックすることで、日々変わっていく芸術の情報を素早くキャッチできるメリットを体感しました。このような意識は仕事上だけでなく、個人活動の中でもとても重要であると思います。

 そして前回に引き続き、1011日に公演を控えているブルガリア国立歌劇場オペラ「トゥーランドット」の宣伝について、SNSを利用する活動の計画をしました。先日三重大学で、アートマネジメントに関する講座を拝聴したのですが、その中にSNSを利用したビジネスについての講義もありましたので、今回はその内容等も計画を考えるうえでのヒントにさせていただきました。若年層を中心に広く利用されているTwitter,Instagramを軸に、それぞれの機能と特色に合わせた方法で宣伝をしていく予定です。また双方で使うための写真データのサムネイル案を作成中ですので、今後はより効果的なデザインについても計画していきます。
作成中のサムネイル画像

 SNSの手段だけでなく、地域に焦点をおいた他の手段でも効果的な宣伝をすることができないか考えていきたいと思っております。今後もどうぞよろしくお願いいたします!

文:インターン 三重大学 松永萌

取材ボランティアレポート みえアカデミックセミナー2018「我が国の西洋音楽が辿った道」

講座の様子

音楽療法という言葉に魅せられて、この講座に参加をしてみました。小さいころに自分の中に刷り込まれた童謡・唱歌は、年を取って来るにつれ懐かしさが増し、曲が流れていたりすると一緒に口ずさみたくなってしまいます。今まで私は、童謡は子どもたちのための歌、唱歌は小学校で習った歌と大雑把に思っていました。この講座では特に唱歌に対して、その定義から変遷について教えていただきました。

講師

文部省唱歌というものは正式には存在しないというものの、共通認識として、明治43年の「尋常小学読本唱歌」から昭和22年の「国定教科書」までのものをいうそうで、作詞者作曲者が一切公表されなかったのだそうです。 

唱歌にもいろいろ変遷があったようです。明治当初に西洋音楽が導入され、讃美歌を訳した「蛍の光」や「あふげば尊し」が作られました。そうして、明治20年代には唱歌教育が本格化し、「君が代」や「一月一日」が作られました。日清・日露戦争がはじまると、国威高揚のために軍歌も唱歌の一種として作られたそうです。やがて、「言文一致唱歌」運動がおこり、「モモタロウ」や「キンタロウ」が作られました。さらに時代が進むと、滝廉太郎や山田耕筰などの芸術性の高い歌の作曲者たちが現れました。大正デモクラシーの時代には、子どもの歌の創出と普及を目指した童謡運動が起こり、北原白秋、野口雨情、西條八十といった詩人があらわれ、童謡運動はクライマックスに達していきました。しかし、昭和に入ると時代の流れにより唱歌・童謡は衰退していきますが、ラジオやレコードが普及することでまた新しい流れがうみだされました。

講師

「歌うことは生きる力をはぐくむ」(堀準一氏)ということで、講座の中では、歌の名前が出てくると、そのたびに皆で声をそろえて歌いました。「故郷の空」などは手拍子足拍子まで入れての大合唱でした。「浜辺の歌」では、ハンドベルを1人、1つから2つずつ持って、歌いながら番号に合わせて振っていったのですが、間違わないかと緊張しながらも、自ら体を動かすことがとても楽しかったです。やはり実習を伴う講座は飽きることがありません。知らない間に時間が過ぎていきます。また来年が楽しみです。

(取材ボランティア:興味津々子)

取材したイベント

みえアカデミックセミナー2018鈴鹿大学短期大学部公開セミナー
我が国の西洋音楽が辿った道〜童謡・唱歌・歌謡曲を歌う音楽療法の現場から振り返る〜

日程 2018年7月21日(土曜日)
場所 三重県文化会館1階 レセプションルーム

【インターンシップは見た!】三重大学松永さん編1

三重県総合文化センターでは毎年数多くのインターンシップ生を受け入れています。
8月14日から三重県文化会館にインターンシップに来ている、
三重大学人文学部の松永萌さんにその様子を綴っていただきます。

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 本日から三重県文化会館で、インターンシップをさせていただきます、三重大学の松永萌です。
私は1011日に開催される、ブルガリア国立歌劇場による「トゥーランドット」公演、および学生限定キャンパスシートの宣伝活動を中心に業務へ携わらせていただく予定でおります。どうぞよろしくお願いいたします。

 本日は事業課の鈴木さんから三重県文化会館の設立や事業概要を学び、後半は宣伝活動の方向性や手段等について話し合いました。事業を行うにあたって、かなり早い時期から計画を進めていくということや、それぞれの項目での期限や達成規準が設けられていることなど、実際の現場にある実態をお聞きすることができました。また指定管理者制度によって課せられる責任があるということも拝聴いたしました。

宣伝活動の話し合いについては、不特定多数の人に見せられるSNSをツールとする案を挙げました。キャンパスシートの宣伝ではより若者を対象にするという理由で、テキストよりも写真やイラストなど一目で見てわかるビジュアルを軸に広報活動をすることで、より高い効果を見込む期待をしています。今後はもっとこれらの案を具体化し、実行に移せるような形に進めていきたいと思っております。

自身の力が少しでも事業に貢献できるように尽力しますが、同時にこの貴重な機会を通して、より多くのことを多角度から吸収できるように精一杯努めてまいります。

文:インターン 三重大学 松永萌

取材ボランティアレポート 山本博文講演会「福沢諭吉の明治維新」

講演会の様子

山本博文先生といえば
NHKラジオ深夜便で
落ち着いた語り口ながら
新しい切り口で歴史をひもとき
毎回、目から鱗が落ちる講義をしてくださるので
何年も前からずっとファン。

今回のテーマは、「福澤諭吉の明治維新」。
NHK大河ドラマの舞台が明治維新なので
これは申し込みが殺到するだろうと
受付開始と同時に申し込みを済ませておいて正解。
当日は中ホールが歴史好きの三重県民で埋め尽くされました。

山本博文先生

先生が準備してくださったレジメは
まるで大学の講義のように細かくていねいで、おかげさまで、メモを取る必要がほとんどなく、先生のお話に集中することができ、最後まで楽しめました。

福沢諭吉の三冊の著作を読みながら
諭吉の思想を読み解くという流れで講義はすすんでいきますが
途中、山本博文先生の大河ドラマに対する感想がつぶやかれると会場がドッと沸き、
ああ、みんな同じようなことを感じていたんだなと、不思議な一体感が生まれたり

 レジメには載っていない「ウラ話」「小ばなし」がポロっと出ると、お客さんが一斉に身を乗り出したり

歴史の勉強って
どうしてこんなに楽しいんだろう?

ぜひ、続編が聞きたいと思います。
ありがとうございました。

(取材ボランティア:海住さつき)

取材したイベント

みえアカデミックセミナー2018オープニング
山本博文講演会「福沢諭吉の明治維新」

開催日 2018年7月7日(土曜日)
場所  三重県文化会館 中ホール

取材ボランティアレポート 名作映画会「禁じられた遊び」

名作映画会の様子

私の好きな映画音楽の中で、一番と言っても過言ではないのがこの「禁じられた遊び」。ギター演奏のみで奏でられるこの曲はどことなく哀愁がただよい、いつ聴いてもうっとりとした気分になります。

今回、「名作映画会」で上映されると知り、真っ先に申し込みました。実はこの映画のテーマ曲は何度も聞いていながら、映画はまだ観ていなかったのです。

この映画を昔、観たけれどもう一度みたいという人や、初めて観るという人などで客席は満席で、上映と共にこの曲が静かに流れる中、ストーリーが展開していきました。

ポスター

時は、第二次世界大戦最中のフランス。ドイツ軍の空襲に逃げ惑う群衆の姿が映し出されます。その中に両親と愛犬と共に逃げる少女、ポーレットがいました。爆撃の音に逃げ出した愛犬を追うポーレット、それを追う両親。

容赦なく降り注ぐ爆撃に両親と愛犬を亡くしたポーレットは、農家の少年ミシェルと出会い、家に連れて行かれます。優しい家族に迎えられたポーレットはそこで生活することになります。

愛犬の墓をポーレットとミシェルは人の来ない水車小屋へ作りますが、愛犬がひとりぼっちでかわいそうだと言うポーレットに、ミシェルはヒヨコやもぐらなど様々な動物の墓を作ります。しかし、だんだんと墓を作る遊びがエスカレートし、十字架を墓に立てようと思い立ちます。その頃、馬に蹴られて寝込んでいたミシェルの兄が亡くなり、父が手配した霊柩車の十字架をミシェルは盗みます。父に問い詰められたミシェルは隣人が盗んだと嘘を言います。

また、教会の十字架をミシェルは盗もうとしますが、神父に見つかって追い返されてしまいます。それを聞いたポーレットは墓場にも沢山の十字架があると言い出し、二人で墓場の十字架を盗み出します。その後、墓参りに行ったミシェルの家族は、息子の十字架が引き抜かれて無くなっているのに激高し、隣人のせいだと思い込み取っ組み合いの喧嘩をします。それを見た神父が犯人はミシェルであろうと父親に言うのを聞き、ミシェルは家出をします。    

水車小屋の墓を十字架できれいに飾りつけたミシェルは、ポーレットと翌朝見に行こうと約束をします。しかし翌朝、戦災孤児と申告してあったポーレットを孤児院へ入れるために警官がミシェルの家へ来ます。

慌てたミシェルは十字架の場所を言うからポーレットを家においてくれと懇願し、場所を白状しますが、父親は孤児院へ入れる書類にサインをしてしまいます。怒ったミシェルは水車小屋の十字架を引き抜いて、すべて川へ投げ捨てます。

駅に連れて来られたポーレットは、修道女にこの場所を動かず待っているように言われて、その場に残されますが、人ごみの中から「ミシェル」と呼ぶ声を聞き、探しに行きます。しかし人違いでミシェルは居ず、名を呼んで泣きながら雑踏の中へと消えていきます。

この映画を見て「禁じられた遊び」とはこの事だったのかーと初めて知り、長年の疑問が解けてこの映画を観て良かったと思いました。また、雑踏の中へ消えたポーレットは修道女と巡り会えて孤児院で大きくなったのであろうか、それとも運良く子供のない人に育てられて美しく成長したのであろうかーと想像の翼を拡げながら帰宅しました。

(取材ボランティア:葛山 則子)

取材したイベント

6月名作映画会「禁じられた遊び」

開催日 2018年6月9日(土曜日)
場所  三重県生涯学習センター視聴覚室

『伊勢音頭恋寝刃』の舞台・伊勢古市へぶらり旅

歌舞伎・人形浄瑠璃の演目として人気の『伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)』。物語は寛政8年(1796年)5月、伊勢古市の遊郭・油屋で起きた実際の殺人事件を題材にしています。「古市十人斬り」といわれるこの事件は、青年医師の孫福斎と遊女・お紺が下座敷で親しくしていたところ、仲居のおまんにより強引に引き離され、他の客の相手をさせられたことから斎が激昂し、店の客や関係者を次々斬るという騒動に発展したもの。ニュースは瞬く間に全国に広がり、同年7月には、近松徳三により大坂角の芝居で初演され、大ヒットとなりました。今回は物語の舞台となった伊勢古市参宮街道をレポート!

お伊勢参りの人々で賑わった古市

外宮と内宮を繋ぐ古市参宮街道。ここはお伊勢参りを終えた人々の精進落としの場として、大変な賑わいを見せました。男性は遊郭、女性や子供は伊勢歌舞伎と、家族で楽しめる場になっていたそう。そんな当時の資料の宝庫となっているのが、近鉄五十鈴川駅から歩いて約10分、街道の入り口にある古市参宮街道資料館です。江戸の吉原、京の島原と並ぶ日本三大遊郭の一つに数えられ、その代表格であった油屋や備前屋の調度品、絵図の数々や、歌舞伎俳優の登竜門として栄えた伊勢歌舞伎の歴史も垣間見ることができます。なお8月12日まで企画展「大安(だいやす)旅館」が開催中。近くには、“芸能の神様”を祀った長峰神社や、数々の東西名優が来演した古市芝居跡も。

古市参宮街道資料館
 古市を知り尽くした館長の瀬古さん

『伊勢音頭恋寝刃』の資料も
"芸能の神様"を祀る長峰神社

当時の面影を残す麻吉旅館

伊勢自動車道沿いを一本入ると、目の前に広がるのはタイムスリップしたかのような光景。急斜面に沿って作られたその風貌は、京都の清水寺と同じ5層6階木造の懸崖造り。天明(1781〜1789年)の地図にもその名を確認できる麻吉旅館は、伊勢音頭の舞台を持ち、常時30人程度の芸妓を抱える県下第一等の大料理店として栄えました。当時の趣そのままに、現在も宿泊することができる貴重な旅館。宿泊者限定で貴重な資料を見ることもできます。

タイムスリップしたかような佇まいの外観
立派な大広間

お紺と斎を偲んで

古市郵便局手前の路地を入ったところにひっそりと佇んでいる大林寺。 事件の後、斎は自害。お紺は難を逃れて生き延び、文政12年(1829年)2月9日に享年49歳でこの世を去りました。同年5月、古市の芝居で『伊勢音頭恋寝刃』が『宝年菜種実』と外題を改め、初めて上演されます。この時、斎をモデルとした福岡貢を演じた四代目坂東彦三郎が、油屋の近くにあった大林寺にお紺の墓を建立し供養しました。その後、昭和4年(1929年)には二代目實川延若により斎の墓も寄進され、ふたつ並んだお紺と斎の墓は比翼塚と呼ばれています。

油屋跡の近くにある大林寺
ふたりを祀った比翼塚

当時の風情を味わいに、サロンの前後に「お伊勢参り」もかねて古市を訪れてみてはいかがでしょうか。

おしゃべり古典サロン

vol.1テーマ 『伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)』 
講師     木ノ下 裕一(木ノ下歌舞伎主宰)
       田中綾乃(三重大学准教授)
日時         
2018年9月9日(日曜日) 14時00分〜16時00分
会場     
生涯学習センター2階 視聴覚室
受講料    1000円

詳細はコチラ

取材ボランティアレポート「ワンコインコンサートvol.87ミュージカル 未来優希&毬乃ゆい」

ワンコインvol.87

5月16日(水曜日)、元宝塚歌劇団の二人の歌声を聴きに、多くの観客が三重県総合文化センター大ホールにつめかけた。

出演者の一人は未来優希さん。宝塚歌劇団月組の男役、そして雪組の副組長も務めた。
もう一人は毬乃ゆいさん。宝塚歌劇団宙組の娘役だった。
人とも宝塚歌劇団で20年近くのキャリアがある大ベテランだ。

未来さんの豊かで力強い歌声と、毬さんの繊細で美しい歌声のデュエットは、宝塚の世界観そのものだった。演目には宝塚の往年のヒット曲が選ばれ、観客も手拍子を加えながら二人の歌声に酔いしれた。

注目は歌声だけじゃない。二人の人となりが見える、曲の合間のトークだ。

未来さんはトークの時、男役時代の低い声ではなかったことに親しみを感じた。二人は宝塚音楽学校時代や宝塚時代の話、津市で食べたグルメの話などをして観客を盛り上げた。

この他、観客からの質問も受け付けた。二人の宝塚時代の接点について聞かれると、毬さんの姉・悠なお輝さんが未来さんと同じ元宝塚の雪組で、悠さんの手料理を食べに毬さんの家によく集まったエピソードを話した。

また、退団後の出演作での変化を聞かれると、未来さんは「共演者に男性がいたこと」だと話す。リフト(女性を持ち上げる)役も、在団時代は自分が持ち上げる方だったので、リフトされる側になった時の戸惑いなどを話した。

あっという間の1時間が過ぎ、アンコールでは観客席側から登場した。観客と握手を交わしながら「すみれの花咲く頃」を歌い、大歓声の中、幕を閉じた。

実は二人は宝塚の現役中も、全国ツアーで三重県総合文化センターを訪れたことがあるのだという。(未来さんは2005年の「銀の狼」、毬さんは2001年「風と共に去りぬ」。)また二人に三重県総合文化センターの舞台で会えることを楽しみにしている。

披露曲

  • ベルサイユのばらメドレー
  • ハロー・タカラヅカ
  • 白い花がほほえむ 「ラ・ムール・ア・パリ」より
  • セ・マニフィーク
  • はじめての恋
  • 私が踊る時 「エリザベート」より
  • 私だけに 「エリザベート」より
  • あの子はあなたを愛してる 「ロミオ&ジュリエット」より
  • この愛よ永遠に -TAKARAZUKA FOREVER-

(取材ボランティア:バゼミニエクス睦子)

取材したイベント

ワンコインコンサートvol.87ミュージカル 未来優希&毬乃ゆい

開催日 2018年5月16日(水曜日)
場所  三重県文化会館大ホール

取材ボランティアレポート「狂言師・野村万作講演会」

野村万作講演会

狂言師・野村万作講演会は、弟子でもある林和利さんがご自身の著書を用いながら師匠の紹介をするところから始まった。
なにしろ、師匠のことを知り尽くした方が聞き手として進行していくのだから、面白いことこの上ない。
テンポよくプロフィールの紹介が進むと、早速、映像が流れた。
演目は、野村万作さんの代表作「釣狐」。
お坊さんに化けた狐が、油揚げのワナを見つけ、いったんは理性で抑えて通り過ぎるのだが、生き物としての狐の本能(食欲)が勝って我慢ができなくなってしまい、油揚げを取りに戻ってしまう。
言葉で説明すると、たったそれだけのことなのだが、きつねの内心の「理性」と「本能」の葛藤を、舞台上を行きつ戻りつする演技だけで表現していく。

 もちろん野村万作さんご自身も観客と一緒に映像を見ていらっしゃったのだが、見終わって開口一番、

「自分の演技、うまくないなあ」。

今年8月に東京の国立能楽堂で「釣狐」の公演が決まっているとのこと。
「まだ、練習していないんですが、今日は、いい刺激になりました」。

昔は、「釣狐」の公演の前は、縄跳び300回したり、マンションの15階まで階段を一気に駆け上ったりして体力づくりをされたそうだ。86歳の今は、そこまではしないとおっしゃっていたが、おそらく、ストイックに準備されるはずだ。

狂言は、500から600年の歴史があり、型通りに演じるのが基本ではあるが、その中でも常に工夫をこらし、特に師匠であったお父様がなくなった後、ご自身の創意工夫を盛り込むようにし、野村万作さんの演技は進化し続けているという。

「川上」という演目がある。
目が見えない主人公が、お地蔵さんに願掛けをしたところ、奥さんと別れることを条件に眼が開いた。
ところが、喜びも束の間、それを知った奥さんが怒り心頭、絶対に別れないと言い張るので、元のさやに戻ることにしたとたん、また目がつぶれてしまう。
再び目が見えなくなった主人公は、最後に奥さんに手を引かれて舞台を去っていく。
年老いた二人がとぼとぼと歩いていくシーンは、本来は悲しみを誘う場面である。
しかし、野村万作さんは、このシーンを「幸せな老後が始まるハッピーエンド」として演技することにしたのだという。
目が見えるようになったけれども一人孤独に生きていくより、たとえ目が見えなくても、長年連れ添った妻に介護してもらうほうがいい。

「お地蔵さんの託宣よりも夫婦の愛の勝利」。
古典芸能を、現代の世相に合わせて解釈していく凄み。
それが、86歳の今なお、進化しつづける野村万作・狂言道の秘密なのだ。

 

野村万作講演会

息子の野村萬斎さんに関しては、「ライバル」だと断言。

あらゆる分野で活躍し、父を超えるくらい有名な息子に、
「新しいこととオーソドックスな演技の仕分けが足りない。あまり古典をいじってほしくない。おのずと新しいものがにじみ出てくる演技を目指すべき。自分が父親の教えを離れて創意工夫を始めたのは父が亡くなってからだった。自分はまだ生きているのだから(笑)、息子が自分の世界を作るのは早すぎる」
と、愛情たっぷりの本音と建て前を述べられた。
野村家は、芸の道を究めることと、親子の愛情を深めることを見事に両立させているようだ。

野村万作講演会

最後に「鐘の音」を生で演じてくださった。

主人公が鎌倉のお寺を訪問し、鐘をついてその音を聴き比べるというだけの筋書きなのだが、鐘の音をすべて声で表現する迫力に、狂言のおもしろさが凝縮されていた。

深い哲学を表現するのも芸術、
日常のたわいない笑いを表現するのもまた芸術、
一人の人間が、生涯かけて磨いた芸でそれを表現する狂言は、
まぎれもなく、日本が世界に誇る芸術だ。

(取材ボランティア:海住さつき)

取材したイベント

狂言師・野村万作 講演会「人間国宝が語る86歳の狂言道」

開催日 2018年4月30日(月曜振休)
場所  三重県文化会館中ホール

取材ボランティアレポート「楽楽浪曲塾」

楽楽浪曲塾

小さいころ、つけっ放しのラジオからよく浪曲が流れていたのを覚えています。
「旅ゆけば駿河の国に茶の香り、ここは名に負う東海道・・・」
「佐渡へ佐渡へと草木もなびく、佐渡は居よいか住みよいか・・・」
「妻は夫をいたわりつ、夫は妻に慕いつつ、頃は六月中のころ・・・」
などなど、出始めの文句は今も覚えています。どの曲も私の心の奥深くにあり、聞けばともに口ずさめて、とても懐かしい思いに駆られます。それがどうしてなのか、今日この浪曲塾に参加させていただいてよく理解できた気がします。

楽楽浪曲塾

まず、浪曲は七五調でできていて調子が良いということがあるのです。私が覚えている上記の浪曲の出だし部分も、よく数えてみると七と五の音のつながりでできています。これに節をつけて三味線を伴奏として歌うのです。歌う声に裏声は使わないと春野恵子さんは言われましたが、低い声、中くらいの声、とても高い声まで、すべて自分の表の声で歌いきるというのですから、たいへんな修行がいったことと思います。そういえば、昔ひしゃげた声で浪曲をうなっているのを聞いた覚えがありますが、そうした独特の声になる程まで激しい練習を積んだということでしょうか。

浪曲には、節をつけて歌う部分のほかに、「啖呵(たんか)」といわれる、一人で登場人物のセリフを言う部分があります。この「節」と「啖呵」が交互にうまく配されていて、聴衆はどんどんと浪曲の世界の中に引き込まれていってしまいます。

楽楽浪曲塾

浪曲は、一人一節と言われるように、伝統に増して創造が重んじられ、先人と違った語り口や演出が期待される世界なのだということでした。絶えず自己研鑽を重ね、自分独自の芸風をこしらえあげていかなければならないということは、とても大変なことである反面、ゾクゾクするほど楽しいことでもあるのかもしれません。三味線の方と二人三脚でどん欲に新しいものを求めて努力研鑽を重ねていかれる素晴らしい人生の在り方をそこに見させていただいた気がします。 

今日は真山隼人さんと春野恵子さんの浪曲を聞かせていただきました。高低自在に変化する「節」と「三味線」と「啖呵」が聴衆の心を鷲掴みにし、知らないうちに私は物語の中へと引き込まれていきました。そして山場になると多くの人が涙を流していたようです。私も例外ではありません。浪曲の在り方全てが、人の心を揺さぶって来るのです。久しぶりに聞いた浪曲でしたが、こんなに素晴らしい芸能が日本にはあったのだと再認識することが出来ました。会場で買い求めたCDをかけて今も余韻に浸っています。これからも大いにご活躍され、何年か後にはまた更に新しい名調子を開花されていかれることを期待しています。

(取材ボランティア:興味津々子)

取材したイベント

楽楽浪曲塾〜浪曲の世界へようこそ〜

日程 2018年5月4日(金曜祝日)
会場 三重県文化会館 小ホール
講師 前田憲司さん
出演 浪曲師 春野恵子さん 曲師 一風亭初月さん
   浪曲師 真山隼人さん 曲師 沢村さくらさん

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