三重県総合文化センター ブログ

日本3大仇討ちのひとつ “伊賀上野の仇討ち”の舞台を巡って

古典サロン2

9月に第1弾「伊勢音頭恋寝刃」が盛況のうちに終了したおしゃべり古典サロン。 第2弾は、仇討ちに関わる人々の数奇な運命を描いた家族ドラマ「伊賀越道中双六」をご紹介します。 寛永11年、伊賀上野の鍵屋の辻で起こった実際の仇討ち事件を題材に、家族を殺された志津馬が、義弟の唐木政右衛門と共に敵役・股五郎を追って東海道をすごろくのように旅するお話。中でも“三十六人斬り”の逸話が残る仇討ちのヒーロー・荒木又右衛門(作中では唐木政右衛門)は、映画や小説でも数多く取り上げられています。 今回は、物語のクライマックスとなった地、伊賀上野の鍵屋の辻を散策!

11月7日、仇討が成就した日

伊賀を訪れたのは、奇しくも仇討ちが成就した11月7日。 色づく紅葉の中で、鍵屋の辻にある資料館では、法要が執り行われていました。 今から350年近く前のこの日、敵役・又五郎(作中では股五郎)たちが鍵屋の辻を通って江戸に向かう事を知った数馬(作中では志津馬)と又右衛門は、辻の茶屋萬屋で待ち伏せ。早朝、辻をさしかかった又五郎たちの前に立ちふさがり、斬りかかったといいます。そのときの手勢は、又五郎方11人、数馬方4人。又右衛門の活躍で優位に立ち、数馬は激闘の末に又五郎を討ち取りました。資料館のお庭には、又五郎の首を洗ったといわれる「首洗いの池」が…。

 紅葉が美しい伊賀越資料館

 首洗いの池

日本3大仇討ちのひとつに数えられるワケ

一富士、二鷹、三茄子といえば縁起物ですが、実は日本三大仇討ちが語源という説があるのをご存知ですか? “富士”山の裾野で果たされた曾我兄弟の仇討ち、主君浅野家の紋所が“鷹”の羽だった赤穂浪士の討入り、 そして、“茄子”の産地である伊賀で大願を“成す”に至った伊賀上野の仇討ち。 伊賀上野の仇討ちは、江戸時代に仇討ちが認められていたとはいえ成就が難しかった中で見事成功したのはもちろん、当時としても注目の出来事でした。というのも、仇討ちは目上の者の敵を目下の者が討つもの。親の敵を子が討つのは一般的ですが、数馬が討とうとしたのは、弟・源太夫の敵。そんな反例が認められたのは、大名と旗本の政治的な対立が絡んでいたからといわれています。


三代目豊国の錦絵
仇討ちに使用した兜や装束

仇討ちのヒーロー・荒木又右衛門

仇討ちで活躍した荒木又右衛門には数々の逸話が残っていますが、仇討ちの最中、愛刀の伊賀守金道がつば元から折れたのを、のちに藤堂藩の剣士・戸波又兵衛になじられたとのこと。普通なら怒り出しそうですが、彼は未熟を恥じて弟子入りを願い出たそう。実直な又右衛門の人柄が垣間見られますね。 資料館を出ると、鍵屋の辻のすぐそばには、仇討ちの待ち伏せに利用した茶屋を再現した「数馬茶店」が営業中。伊賀牛を使った料理から定番の甘味までメニューも豊富で、ちょっと一息にぴったりです。そこから10分ほど散策すると、仇討ちの検視にも立ち会った藤堂藩の名城・上野城がお目見え。ぜひ足を伸ばしてみては。

鍵屋の辻にある数馬茶屋
 築城の名手・藤堂高虎の上野城


クライマックスの「伊賀上野の段」に至るまでも、道中では親子や夫婦の情愛を描いた切ないエピソードが展開し、「岡崎」「沼津」の段も見逃せません。涙なしには見られない大作。年明けのおしゃべり古典サロンでじっくり解説します。

おしゃべり古典サロン

vol.2テーマ 『伊賀越道中双六(いがごえどうちゅうすごろく)』 
講師     木ノ下裕一(木ノ下歌舞伎主宰)
       田中綾乃(三重大学人文学部准教授)
日時         
2019年1月14日(月祝) 14時00分〜16時00分
会場     
生涯学習センター2階 視聴覚室
受講料    1000円

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