三重県総合文化センター ブログ

夏の風物詩「四谷怪談」をめぐる江戸の小旅行

日本一有名な幽霊といえば、鶴屋南北作「東海道四谷怪談」の”お岩さん”ではないでしょうか。物語は、赤穂浪士の討入劇「忠臣蔵」と同じ時代。塩治家取り潰しにより浪人生活を送っている民谷伊右衛門。己の色欲ゆえに敵方の高野家と組んで、妻のお岩を騙し毒薬を盛ります。髪は抜け落ち、醜い姿になってしまうお岩。裏切りの真実を知り、非業の死を遂げたとき、世にも恐ろしい復讐劇が始まります……。  
今回はその舞台となった四谷、そして”お岩さん”にゆかりのある地を巡りました。

「四谷怪談」誕生秘話

実はお岩さんにはモデルとなった人物がいたことをご存知ですか。江戸四谷左門町に住むお岩は、伊右衛門とは人も羨むおしどり夫婦。奉公に出て家計を支えながら、日頃から民谷家の庭にある社を信仰していたところ田宮家は栄えた、とされています。そこで社の隣に祠をつくり、やがて「於岩稲荷」として信仰されるようになったとのこと。怨霊という設定は、後から創作されたものだったのですね。また、「四谷怪談」で釣りをしていた伊右衛門のもとに1枚の戸板が流れ着き、そこには自分が殺した小仏小平が括り付けられていて戸板がひっくり返るとお岩が……という「戸板返し」のシーンにも、モデルとなる事件が。「身分違いの恋をした旗本の妾と奉公人の下男が一枚の戸板の表裏に釘付けにされて神田川に流された」、「隠亡堀に男女の死体が流れ着き、それを鰻かきが引き上げた」、「直助と権兵衛という2人の主人殺し」など、当時江戸を騒がせた様々な事件をもとに、「東海道四谷怪談」が生まれました。南北も参考にしたといわれる実録体小説「四谷雑談集」では、疱瘡を患い性格にも難のあったお岩のもとに、跡取りのために美男の伊右衛門を婿入りさせますが、伊右衛門に虐待のうえ家を乗っ取られ、お岩の祟りで一家が断絶するというエピソードも。於岩稲荷に祀られているお岩さんとはずいぶんイメージがかけ離れていますね。では、民谷伊右衛門はどうでしょう。「首が飛んでも動いてみせるわ」という歌舞伎の幕切れセリフにも象徴される民谷伊右衛門の希代の悪人像は、南北の作品の中でも「謎帯一寸徳兵衛」で平然と人殺しを行う大島団七にも見られ、その集大成ともいえます。いつの時代も、人は心のどこかで悪の美学に魅せれられてしまうものなのでしょうか。

四谷の「於岩稲荷田宮神社」。


於岩稲荷と歌舞伎役者の成功祈願

今回向かったのは、四谷の住宅街にある「於岩稲荷陽運寺」と「於岩稲荷田宮神社」。お岩さんを祀るお寺と神社が向かい合って建っています。当時、歌舞伎「東海道四谷怪談」は大変な成功をおさめ、三代目尾上菊五郎のお岩、七代目市川團十郎の伊右衛門は当たり役となりました。当初は出演した役者が参詣していたのが、お参りしないと事故が起きるなど祟りの噂にまで発展し、そこから歌舞伎俳優が興行前に必ずお参りに行くようになったそう。現在は、怨霊としてのではなく、商売繁盛、芸能上達、陽運寺のほうは縁結びのお寺としても知られています。また、「於岩稲荷田宮神社」は明治12年の火事で社殿が焼失した(現在は復活)のをきっかけに、隅田川の畔にある民谷家の敷地内(現在の越前堀)にも同じ名前の神社が建てられました(昭和20年の戦災で社殿が焼失するも現在は復活)。こちらは高層ビルの開発が進む中、その一角に緑に覆われひっそりと佇んでいます。

越前堀の「於岩稲荷田宮神社」。境内には四代目市川右団次が奉納した百度石があります。

江戸の光と闇

初演当時、「東海道四谷怪談」は「仮名手本忠臣蔵」と交互に上演する形式が注目を集めました。この2作は同じ時代を背景に、討ち入りを巡る忠義の物語と、その裏側の物語を描いています。「四谷怪談」が描かれたのは「忠臣蔵」から77年後。その頃の江戸は武士の権威が衰退し、浪人たちは日々の暮らしに困窮する始末。塩治浪人の民谷家も例外ではなく、お岩の父・四谷左門は乞食同然の生活をしながらも、塩治のお金を横領した伊右衛門の支援を受けようとはせず正義を貫きます。そんな中、左門を殺して、父の敵討ちを口実にお岩を騙して復縁、挙句の果てには彼女を捨てて、その後も次々と悪事を重ねる伊右衛門。「タテマエ」だけではない「ホンネ」の世界。「四谷怪談」はまさにそんな市井の人々の欲、愛憎が炙り出された作品なのです。

四谷の陽運寺。今は悪縁を切り良縁を結ぶ神様として人気があります。

まるで当時にタイムスリップしたかのような旅。怪談話の裏にある、幽霊よりも怖い人の世の物語。9月22日は、木ノ下歌舞伎の木ノ下裕一さん、三重大学人文学部の田中綾乃先生と共に、その奥深い世界に浸かってみませんか。

参考文献:『鶴屋南北』諏訪春雄著(ミネルヴァ書房)
     『お岩と伊右衛門 「四谷怪談」の深層』高田衛(洋泉社)

おしゃべり古典サロン

vol.3テーマ 『東海道四谷怪談(とうかいどうよつやかいだん)』 
講師     木ノ下 裕一(木ノ下歌舞伎主宰)
       田中綾乃(三重大学准教授)
日時         
2019年9月22日(日曜日) 14時00分〜16時00分
会場     
三重県文化会館 小ホール
受講料    1000円

詳細はコチラ

日本3大仇討ちのひとつ “伊賀上野の仇討ち”の舞台を巡って

古典サロン2

9月に第1弾「伊勢音頭恋寝刃」が盛況のうちに終了したおしゃべり古典サロン。 第2弾は、仇討ちに関わる人々の数奇な運命を描いた家族ドラマ「伊賀越道中双六」をご紹介します。 寛永11年、伊賀上野の鍵屋の辻で起こった実際の仇討ち事件を題材に、家族を殺された志津馬が、義弟の唐木政右衛門と共に敵役・股五郎を追って東海道をすごろくのように旅するお話。中でも“三十六人斬り”の逸話が残る仇討ちのヒーロー・荒木又右衛門(作中では唐木政右衛門)は、映画や小説でも数多く取り上げられています。 今回は、物語のクライマックスとなった地、伊賀上野の鍵屋の辻を散策!

11月7日、仇討が成就した日

伊賀を訪れたのは、奇しくも仇討ちが成就した11月7日。 色づく紅葉の中で、鍵屋の辻にある資料館では、法要が執り行われていました。 今から350年近く前のこの日、敵役・又五郎(作中では股五郎)たちが鍵屋の辻を通って江戸に向かう事を知った数馬(作中では志津馬)と又右衛門は、辻の茶屋萬屋で待ち伏せ。早朝、辻をさしかかった又五郎たちの前に立ちふさがり、斬りかかったといいます。そのときの手勢は、又五郎方11人、数馬方4人。又右衛門の活躍で優位に立ち、数馬は激闘の末に又五郎を討ち取りました。資料館のお庭には、又五郎の首を洗ったといわれる「首洗いの池」が…。

 紅葉が美しい伊賀越資料館

 首洗いの池

日本3大仇討ちのひとつに数えられるワケ

一富士、二鷹、三茄子といえば縁起物ですが、実は日本三大仇討ちが語源という説があるのをご存知ですか? “富士”山の裾野で果たされた曾我兄弟の仇討ち、主君浅野家の紋所が“鷹”の羽だった赤穂浪士の討入り、 そして、“茄子”の産地である伊賀で大願を“成す”に至った伊賀上野の仇討ち。 伊賀上野の仇討ちは、江戸時代に仇討ちが認められていたとはいえ成就が難しかった中で見事成功したのはもちろん、当時としても注目の出来事でした。というのも、仇討ちは目上の者の敵を目下の者が討つもの。親の敵を子が討つのは一般的ですが、数馬が討とうとしたのは、弟・源太夫の敵。そんな反例が認められたのは、大名と旗本の政治的な対立が絡んでいたからといわれています。


三代目豊国の錦絵
仇討ちに使用した兜や装束

仇討ちのヒーロー・荒木又右衛門

仇討ちで活躍した荒木又右衛門には数々の逸話が残っていますが、仇討ちの最中、愛刀の伊賀守金道がつば元から折れたのを、のちに藤堂藩の剣士・戸波又兵衛になじられたとのこと。普通なら怒り出しそうですが、彼は未熟を恥じて弟子入りを願い出たそう。実直な又右衛門の人柄が垣間見られますね。 資料館を出ると、鍵屋の辻のすぐそばには、仇討ちの待ち伏せに利用した茶屋を再現した「数馬茶店」が営業中。伊賀牛を使った料理から定番の甘味までメニューも豊富で、ちょっと一息にぴったりです。そこから10分ほど散策すると、仇討ちの検視にも立ち会った藤堂藩の名城・上野城がお目見え。ぜひ足を伸ばしてみては。

鍵屋の辻にある数馬茶屋
 築城の名手・藤堂高虎の上野城


クライマックスの「伊賀上野の段」に至るまでも、道中では親子や夫婦の情愛を描いた切ないエピソードが展開し、「岡崎」「沼津」の段も見逃せません。涙なしには見られない大作。年明けのおしゃべり古典サロンでじっくり解説します。

おしゃべり古典サロン

vol.2テーマ 『伊賀越道中双六(いがごえどうちゅうすごろく)』 
講師     木ノ下裕一(木ノ下歌舞伎主宰)
       田中綾乃(三重大学人文学部准教授)
日時         
2019年1月14日(月祝) 14時00分〜16時00分
会場     
生涯学習センター2階 視聴覚室
受講料    1000円

詳細はコチラ

『伊勢音頭恋寝刃』の舞台・伊勢古市へぶらり旅

歌舞伎・人形浄瑠璃の演目として人気の『伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)』。物語は寛政8年(1796年)5月、伊勢古市の遊郭・油屋で起きた実際の殺人事件を題材にしています。「古市十人斬り」といわれるこの事件は、青年医師の孫福斎と遊女・お紺が下座敷で親しくしていたところ、仲居のおまんにより強引に引き離され、他の客の相手をさせられたことから斎が激昂し、店の客や関係者を次々斬るという騒動に発展したもの。ニュースは瞬く間に全国に広がり、同年7月には、近松徳三により大坂角の芝居で初演され、大ヒットとなりました。今回は物語の舞台となった伊勢古市参宮街道をレポート!

お伊勢参りの人々で賑わった古市

外宮と内宮を繋ぐ古市参宮街道。ここはお伊勢参りを終えた人々の精進落としの場として、大変な賑わいを見せました。男性は遊郭、女性や子供は伊勢歌舞伎と、家族で楽しめる場になっていたそう。そんな当時の資料の宝庫となっているのが、近鉄五十鈴川駅から歩いて約10分、街道の入り口にある古市参宮街道資料館です。江戸の吉原、京の島原と並ぶ日本三大遊郭の一つに数えられ、その代表格であった油屋や備前屋の調度品、絵図の数々や、歌舞伎俳優の登竜門として栄えた伊勢歌舞伎の歴史も垣間見ることができます。なお8月12日まで企画展「大安(だいやす)旅館」が開催中。近くには、“芸能の神様”を祀った長峰神社や、数々の東西名優が来演した古市芝居跡も。

古市参宮街道資料館
 古市を知り尽くした館長の瀬古さん

『伊勢音頭恋寝刃』の資料も
"芸能の神様"を祀る長峰神社

当時の面影を残す麻吉旅館

伊勢自動車道沿いを一本入ると、目の前に広がるのはタイムスリップしたかのような光景。急斜面に沿って作られたその風貌は、京都の清水寺と同じ5層6階木造の懸崖造り。天明(1781〜1789年)の地図にもその名を確認できる麻吉旅館は、伊勢音頭の舞台を持ち、常時30人程度の芸妓を抱える県下第一等の大料理店として栄えました。当時の趣そのままに、現在も宿泊することができる貴重な旅館。宿泊者限定で貴重な資料を見ることもできます。

タイムスリップしたかような佇まいの外観
立派な大広間

お紺と斎を偲んで

古市郵便局手前の路地を入ったところにひっそりと佇んでいる大林寺。 事件の後、斎は自害。お紺は難を逃れて生き延び、文政12年(1829年)2月9日に享年49歳でこの世を去りました。同年5月、古市の芝居で『伊勢音頭恋寝刃』が『宝年菜種実』と外題を改め、初めて上演されます。この時、斎をモデルとした福岡貢を演じた四代目坂東彦三郎が、油屋の近くにあった大林寺にお紺の墓を建立し供養しました。その後、昭和4年(1929年)には二代目實川延若により斎の墓も寄進され、ふたつ並んだお紺と斎の墓は比翼塚と呼ばれています。

油屋跡の近くにある大林寺
ふたりを祀った比翼塚

当時の風情を味わいに、サロンの前後に「お伊勢参り」もかねて古市を訪れてみてはいかがでしょうか。

おしゃべり古典サロン

vol.1テーマ 『伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)』 
講師     木ノ下 裕一(木ノ下歌舞伎主宰)
       田中綾乃(三重大学准教授)
日時         
2018年9月9日(日曜日) 14時00分〜16時00分
会場     
生涯学習センター2階 視聴覚室
受講料    1000円

詳細はコチラ

三重のまなび 総まとめ2014

展示タイトル

2014年度もあとわずか。だんだんと春らしい季節になってきましたね。

さて、三重県生涯学習センターが今年度に実施したイベントのポスター・チラシをドドン!とすべて展示する「三重のまなび 総まとめ2014」が、本日より三重県生涯学習センター1階ロビー(三重県立図書館の入り口前)ではじまりました。

作業風景

2014年度はセンター開館から20周年ということでイベント・講座が盛りだくさんでした。

その時のことを思い出しながら、職員みんなで準備しました。

展示写真

上から見ると八角形の展示パネル。ぐるりと回って今年度の事業すべてを振り返ることが出来ます。

展示写真

作家の浅田次郎さんや、テレビでもおなじみのロバート キャンベルさんの講演会もありました。





来年度、三重県生涯学習センターでは、宇宙生命の謎に挑む国立天文台副台長の渡部潤一さんの講演会や、国宝・鳥獣戯画の舞台裏を紐解く京都国立博物館の赤尾英慶さんの講座をはじめ、様々なイベント・講座を予定しています。
刷り上がったばかりの来年度のイベントカレンダーも置いてありますのでぜひ手にお取りください!

展示期間は本日から329日(日曜日)まで。センターにお越しの際はどうぞお立ち寄りください。

三重県生涯学習センタートップページへのリンク

展示写真

「生涯学習振興に関する連携協定」調印式

もうすぐ春ですね〜。世間では次年度の取組みに向けてさまざま準備がはじまるこの季節。三重県生涯学習センターでも、新しい取組みに向けた準備が始まっています。

その一つとして、この度、学校法人皇學館 皇学館大学様と「生涯学習振興に関する連携協力協定」を締結させていただきました。その調印式の様子をレポートします。

三重県生涯学習センター(三重県文化振興事業団)が単独で締結する初めての連携協力協定です! 

3月5日(木曜日)に、三重県総合文化センターにて調印式を執り行いました。会場には、関係者のほか、たくさんのメディア関係者の方にもお越しいただき、華やかな雰囲気の中、調印式は始まりました。

協定内容について、三重県生涯学習センター河原所長から丁寧に説明した後は、いよいよ協定書への署名です。シャッターチャンス!

 皇學館大学 清水学長

 三重県文化振興事業団 飯田理事長

この協定の締結により、学生ボランティアやインターンシップ、共催事業の実施、それぞれの専門性を活かした有識者の相互派遣といった取組みが強化されます。団塊世代の大量退職や学習ニーズの多様化など、ますます注目が高まっている「生涯学習」分野を力強く推進・発展させるための枠組みができました。

調印式が無事終了し、「調印後の、最初の協働作業だね。」なんて冗談も言いながら皇學館大学の担当者さんとともに会場を片付けていきます。双方にとって大切なセレモニーではありましたが、準備から片付けまで、終始なごやかに進めることができました。私たちにとって、頼もしいパートナーを得たこの連携協定。どうぞご期待ください。

ミュージアムだより2014/石水博物館より

みなさん、こんにちは
今回は石水博物館のブログです。

秋本番と言いたいところですが、このところ急に寒くなってきて、早くも冬になってしまったような季節です。石水博物館のある千歳山の木々も、冬になる前に紅葉しなければと、このところ慌てているようで、ようやくあちらこちらが色づいてきました。

石水博物館の写真

さて、11月23日(日曜日)の「みえミュージアムセミナー」では、展覧会「川喜田半泥子物語―その芸術的生涯―」をご紹介します。同展は来年1月9日(金曜日)から石水博物館で開催しますが、開催前の予告編として展覧会の構成や見どころをお話しします。

半泥子は、百五銀行第6代頭取として大正から昭和初期の激動の時代を乗り切った銀行家でありながら、陶芸や写真、書画、俳句などに豊かな才能を発揮した趣味の人として知られています。なかでも50歳を過ぎてから本格的に打ち込んだ陶芸は、趣味の域を超えて半泥子独自の世界へと我々を誘います。

写真は、千歳山の泥仏堂で轆轤(ろくろ)を引く半泥子です。銀行の仕事を終えて家に帰るなり、上着だけ脱いでネクタイもそのままに轆轤に向かうなんて、陶芸が好きで好きでしようがなかったのでしょうね。

半泥子の写真

今回の展覧会では、江戸時代からの豪商の家に生まれたこと、幼くして両親と別れたこと、親代わりの祖母・政のこと、禅・茶の湯への傾倒、など人間・半泥子を取り巻く様々な要素を取り上げながら、半泥子の代表作、半泥子に影響を与えた作品、半泥子の影響を受けた作家の作品などを通して人間・半泥子を展観します。

粉引茶碗 銘「雪の曙」写真
粉引茶碗 銘「雪の曙」 川喜田半泥子

「川喜田半泥子物語」展にご期待ください。2015年1月9日(金曜日)からの開催です。
なお、12月28日(日)までは、石水所蔵名品展「三重ゆかりの文化財」―重要文化財《佐藤文書》修理完成を記念して―を開催しています。

こちらの展覧会もぜひご覧ください。

石水博物館写真

石水博物館 

「川喜田半泥子物語」は、2015年1月9日(金)からの開催です!

詳細は石水博物館ホームページをご覧ください。

セミナー情報

「川喜田半泥子物語―その芸術的生涯―」

日時 2014年11月23日(日曜日)13時30分から15時まで
講師 石水博物館 事務局次長 蔵前 克也 さん
会場 三重県生涯学習センター 視聴覚室

展示

「見る!石水博物館」

三重県生涯学習センター1階エントランスにて
2014年11月22日から12月7日まで

ミュージアム便り2014/本居宣長記念館より

朝、鈴屋の雨戸を開ける際の空気が、日ごとに涼しくなっていくのを感じます。
本居宣長記念館 学芸員の西山です。

すっかり行楽シーズンを迎えた本居宣長記念館では、現在、秋の企画展「こえの国、神の国 ―明和の宣長―」を開催中です。
明和町の宣長、ではございません!
明和年間(1764-1772)、35歳から43歳の宣長9年間のお話です!

宝暦13年(1763)5月25日、「松阪の一夜」で生涯の師・賀茂真淵と出会った宣長は、『古事記』研究を決意します。その翌年から本格的に始まる、真淵との『万葉集』の通信教育。両立して行われる『古事記伝』執筆の作業。松阪では宣長の講釈も継続され、「おかげ参り」も巻き起こる…。まさに、目の回るほどの忙しい日々が幕を開けます。

見学に来ていただくお客様には、よく見る宣長肖像画が、実は自画像であるということにビックリ!されます。


本居宣長自画像
本居宣長四十四歳自画自賛像
本居宣長像
本居宣長六十一歳自画自賛像

「字だけじゃなく、絵までお上手だったのねぇ〜」…なんて。

この両方で着用しているのが、宣長愛用の「鈴屋(すずのや)衣(ごろも)」。
35歳のころにはすでにあったようで、歌会や講釈などに着ていた正装のようです。
宣長のオーダーメイドで、こだわりの逸品。

宣長の正装

袖も裾も、とっても長―い!(身長153センチの私が着ると、この有様)

現在、記念館展示室で「鈴屋衣」も展示中です。
また、11月13日のセミナーでは、館長が「本居宣長四十四歳自画自賛像」についてもお話しいたします。

ぜひ聞いて、見て、「発見!」してみて下さいませ。

本居宣長記念館

本居宣長記念館
秋の企画展「こえの国、神の国 ―明和の宣長―」
12月7日まで開催中!

詳しくは本居宣長記念館のページをご覧ください。

セミナー情報

「絵解き 本居宣長四十四歳自画自賛像 

日時 2014年11月13日(木曜日)13時15分から15時まで
講師 本居宣長記念館 館長 吉田 悦之 さん
会場 三重県生涯学習センター 視聴覚室

展示

「見る!本居宣長記念館」

三重県生涯学習センター1階エントランスにて
2014年11月12日から11月21日まで15時まで


まなびぃの出張in鈴鹿高専

こんにちは。

年間を通して様々な事業を開催している三重県生涯学習センター。
今回は「まなびぃの出張」についてのご紹介です。

ご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、
三重県には大学、短期大学、高等専門学校の全14の高等教育機関がありまして、
毎年、夏に、私ども生涯学習センターと、三重県総合文化センターを会場に
「みえアカデミックセミナー」を全14日程で開催しています。

そのようなご縁から、今回は10月19日(日)に開催された「第51回鈴鹿高専祭」に、ブース出展させていただきました!!

まなびぃの出張

前日夕方から夜にかけての準備はパネルの運び入れや設営で大変でしたが、当日は天気もよく、学生たちの活気に後押しされて、奮闘しながらも頑張ってきました。

「鈴鹿高専祭」といえば、ロボコン、ウォーターボーイズなどを連想しますが、他にも魅力ある学科展示がたくさんあって、どのブースでも学生さん達が、懇切丁寧にご説明してくださってとっても感激しました。屋外の模擬店やライブも多彩でとても賑わっていて、さすがの人気に納得です。

まなびぃの出張2

こちらでは鈴鹿高専さんとの連携についてのご紹介。
アカデミックセミナーの他にも、同じく夏に総合文化センターで開催している子ども向けイベントM祭(エムさい)!!に出展してくださっているのです。
教員の方々や学生さんも立ち寄ってくださったので、鈴鹿高専の学外での取り組みを改めて知っていただく機会にもなったようでした。

まなびぃの出張3

小学校に文化体験プログラムとして提供しているプログラムの一つ、
カメラ・オブスクラの体験コーナー。

まなびぃの出張4

大人も子どもも覗き込んで、一体何が見えるのかな?
カメラでお父さんを写して画像を鉛筆でトレースしているお子さんも。

そしてこちらは、取り扱っている貸出用の視聴覚教材の紹介とミニ上映会。
当センターでは、視聴覚機材一式や教材ソフトなどを団体様向けに無料で貸出しています。
教材ソフトといっても、実用的なものから幅広いジャンルで取り揃えていますので、是非ご活用くださいね。

まなびぃの出張5

視聴覚ライブラリーの詳細についてはこちら 

今回ご紹介してきたのは事業のほんの一部ではありましたが、生涯学習センターの取り組みや活用について、
身近なものに感じていただけているといいなぁ。

最後になりますが、ご来場いただきました皆様、お世話になりました鈴鹿高専の皆様、
本当にありがとうございました。

ミュージアム便り2014/海の博物館より

元気ですかー?元気があれば魚も食べられる。
海の博物館の縣と申します。

私たちは日常生活のなかで、医療品・洗剤など、知らず知らずのうちに魚や貝、海藻のお世話になっていますが、何といっても海のといえば「食べる」ことでしょう。日本は四方を海に囲まれ、様々な海流が集まるおさかな天国です。

ところが、近年は「さかなばなれ」が進み、2006年には1人あたりの魚介消費量が肉類を下回り、その差は広がっています(魚食だけに魚(ギョ)ショック!)。

国民1人の1日当たり魚介類と肉類の摂取量

魚介類は栄養価にも優れ、日本人の生活に溶け込んだ伝統的な文化ですから、微力ながら魚食を見直す機会となればということで、企画展「海のごちそう、いただきます! 〜魚食のいま・むかし〜」を11月30日(日)まで開催しています。
 
数千年前の縄文遺跡では100種類以上の魚骨・貝殻が出土し、焼く・煮る・蒸すなど、意外と?多彩な調理方法で魚介グルメを堪能してきた私たちのご先祖様。

戦後まもなくまでは交通路も未整備でしたから、誰でもいつでも魚食を楽しむことはできませんでしたが、時折でも入ったさかなは、まさに食卓の華でした。

魚料理の番付表(江戸後期)

上の画像は、ランキング好きの日本人らしい、魚料理の番付表(江戸後期)です。

魚介類の消費量減少には様々な原因があり、魚食普及は一筋縄ではいきません。展示を見て、お話を聞いていただくことが、魚食の価値を、ひいては海と人の関係を見直す一歩となればうれしいです。

日本橋魚市繁栄図(部分)

上の絵図は、日本橋魚市繁栄図(部分)です。

海の博物館

海の博物館

企画展「海のごちそう、いただきます! 〜魚食のいま・むかし〜」
11月30日(日曜日)まで開催中!

詳しくは海の博物館ホームページをご覧ください。

セミナー情報

日時 2014年11月1日(土曜)13時30分から15時まで
講師 海の博物館 学芸員 縣 拓也さん
会場 三重県生涯学習センター 視聴覚室

展示

「見る!海の博物館」

三重県生涯学習センター1階エントランスにて
10月29日から11月9日まで

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