取材ボランティアレポート「関ヶ原の戦と三重の城郭」
三重県埋蔵文化センターの竹田憲治さんを講師としてお招きし、関ヶ原の戦いと三重の城郭についてお話いただきました。
関ヶ原の戦いの前と後で三重県の様子はどうであったか、またその後、三重県の様子はどのように変わったのかをポイントに講演が進んでいきました。
関ヶ原の戦いは慶長五年(1600年)9月15日に、徳川家康率いる東軍と石田三成率いる西軍が美濃国 関ケ原にて争った大合戦であり、「天下分け目の戦い」としても知られています。その大合戦の前に東北から九州にかけて全国的に戦が起こり、三重県でも各地で戦(いくさ)が起こりました。
津城や松坂城、鳥羽城、桑名城など各地で戦が起こり、東軍と西軍に分かれて戦いが繰り広げられました。関ヶ原の戦い後はその土地の大名である領主や石高(こくだか)が変わったり、城の形が変わったりと戦の前と後で状況が大きく変化していったのだと伺いました。
その中でも現在まで残っている変化が石垣です。関ヶ原の戦いの前後で石垣の造りがどんどんと進歩していったそうです。石垣の隅部(すみぶ)に長い石と短い石を交互に組み合わせて積み重ねていく算木(さんぎ)積みと呼ばれる構法が用いられた石垣や、矢穴と呼ばれる大きな石を割るために楔(くさび)を入れた穴の跡がある石垣は、関ヶ原の戦い後に造られた石垣ではないかといわれているそうです。
また津城では城を拡大するため、かつて本丸があった場所に継ぎ足すように石垣が造られたであろう跡が残っているそうです。訪れた際に探してみると面白いかもしれません。
現在城に残る石垣や発掘調査の成果で、改修の時期や改修前の様子が少しずつ解明されてきています。そのため石垣の詳細や新たな発見があるかもしれません。
石垣は当時のものが残っており、400年前の石垣の造りや技術を今でも見ることが出来ます。
もし津城や松坂城などを訪れた際には当時の状況を思い描きながら、また関ヶ原の戦い後の石垣の特徴などを思い出していただけたらより一層、理解が深まり面白いものになると思います。
(取材ボランティア:ymk)
取材したイベント
まなびぃすとセミナー・三重県埋蔵文化財センター共催講座
関ヶ原の戦と三重の城郭
2022年11月19日(土曜日)13時30分開講
講師 三重県埋蔵文化財センター 竹田憲治