三重県総合文化センター ブログ

取材ボランティアレポートみえアカデミックセミナー2017「他者にひらかれたからだつくり 〜運動と身体機能の視点から〜」

講座の様子

みえアカデミック公開セミナー2017に参加しました。8月23日に開催されました高田短期大学の二つの講演のうち・柳瀬恵子准教授の講座を報告をさせていただきます。先生は小学校に10年間勤めてみえたということで、聞く人たちへの話しかけがとても上手でした。一人一人の目を見るようにして、笑みを見せながら、大きな声でゆっくり話して下さり、時々実習もあって、楽しく講座が聞けました。

「他者にひらかれたからだつくり」ということで、まず隣の人と自己紹介をしながら握手です。隣に姿を見ているだけの時と違って、実際に触れてみると、相手への警戒心が吹き飛んで親近感が湧いてきます。握手は融合したような感覚を生じさせる行為だそうです。心理的に言えば共感と同じということで、なるほどと納得です。

講師

次に相手の背中に両手の平を当てました。目を閉じて背中に意識を集中し、ゆっくりと手を放すと、温かい気持ちよさが広がり、前から知っていた人のような安心感を覚えました。ふれあい寄り添うことで、人も動物も、生命維持のための消費エネルギーを最小限にとどめることができるのだそうです。

人の身体機能は、ふれあいから進化が始まり、平衡感覚が育ち、距離感(嗅覚・視覚・聴覚)が発達するそうですが、老化するときにはこれが真逆になって、ふれあいの感覚が最後まで残るのだと言われました。人は温かい安心感に包まれたことにより、人として育ち、安心感に包まれながらこの世を終えていく、それが一番幸せなことなのだなあと痛感しました。

最近、若者の中には人との触れ合いが苦手な人が多いと聞きます。多くの方がこのような実習を体験することで、ふれあいの大切さを学んでほしいと感じました。今回は、実習があると理論が生きてくることを実感した講義となりました。本当にありがとうございました。

【取材ボランティア:興味津々子】

取材したイベント

みえアカデミックセミナー2017高田短期大学公開セミナー「他者にひらかれたからだつくり〜運動と身体機能の視点から〜

日程 2017年8月23日(水曜日)
会場 三重県文化会館 1階レセプションルーム

取材ボランティアレポートみえアカデミックセミナー2017「マティマティクスは数学か?」

講座の様子

小学校から中学校に上がる時、一番の衝撃は、「算数」の授業がなくなって、「数学」になることだった。何だ、何だ?どうして「算数」じゃいけないの?「算数」の範疇にあてはまらない、とんでもない難しい世界が開けてくるのか?そんな不安と期待で、最初の「数学」の授業にのぞんだ私を待っていたのは、xだのyだのといった、英語の授業でしかお目にかからないと信じていたアルファベットが数式に出てくること。ええー?どういうこと?むずかしくて、わけわかんないよ・・・

今回のみえアカデミックセミナーのお題は、「マテマティクスは数学か?」
マテマティクスという学問の名前が正式に「数学」と決められたのは、明治15年。そのことに、三重県がかかわっているという。

講師

お話は、鳥羽商船高等専門学校の佐波学教授。実は、鳥羽商船高等専門学校の前身は「攻玉社」という塾。幕末維新期に、慶應義塾・同人社と並び、三大義塾と称された名門塾で、主に、理工系を目指す塾生が通っていた。明治7年に、351名の塾生が所属したという記録が残っている。攻玉社の創設者は近藤真琴。近藤真琴は、帝国六大教育家の一人と称された。ちなみに六大教育家には、福沢諭吉、新島襄らが名を連ねる。攻玉社は、東京にあったのだが、なぜそれが鳥羽に?

実は、近藤真琴は鳥羽藩主だったのだ。海軍、海運、土木などを教える研究所を作り、鳥羽にはよい港があったことから、分校を鳥羽に作った。それが後に、鳥羽商船高等専門学校になったというわけだ。

攻玉社は数学の授業に定評があり、この時代の中等学校の数学の先生は、攻玉社で学んだか、攻玉社で学んだ先生について学んだか、あるいは、攻玉社で学んだ先生が書いた教科書で学んだかのいずれかだと言われたという。

明治10年、日本数学西洋数学を問わず、互いに気脈を通じさせようとの目的で、東京数学会社が結成された。そして、「西洋数学の術語の訳語を決定する」という目的のために、訳語会を作り、ひとつひとつの専門用語について、どんな訳語をあてるか、議論をした。時には訳語が決まらず、ひとつの単語をめぐって何時間も議論したという。そんな、「紛糾した用語」のひとつが「マテマティクス」。「算学」「数学」「数理学」という3つの候補が上がり、どれにするか、真剣な議論が展開されたという。最終的に「数学」が選ばれ、今日に至るわけだが、国の要職につき、多忙を極めていた人たちが、ひとつの単語の訳をめぐって、何度も会議を開き、侃侃諤諤と議論をしたなんて、やはり、明治時代の人たちの国造りにかける情熱は熱かったのだ。

日本の数学界の基礎を作った人物が三重県出身で、その精神が脈々と受け継がれた学校が今もあるなんて、なんだか嬉しくないだろうか?苦手な数学がちょっぴり好きになった一日だった。

【取材ボランティア:海住さつき】

取材したイベント

みえアカデミックセミナー2017マテマティクスは数学か?〜 攻玉社と幕末維新期の「数学」〜

日程 2017年8月20日(日曜日)
会場 三重県文化会館 レセプションルーム

取材ボランティアレポートみえアカデミックセミナー2017「本能寺の変」

講座の様子

毎回、参加者が多く、空いた席を探すのに一苦労するみえアカデミックセミナーの中でも人気の「本能寺の変」。何と、募集を始めてすぐ満席になり、応募を締め切ったため、「何とか入れてくれないか」という問い合わせが殺到したそうだ。

それもそのはず、NHKの大河ドラマで最大の見せ場といえば、「本能寺の変」。日本史の中で最もダイナミックに歴史が動いた瞬間が題材となれば、それだけでお客さんは集まるというのに、さらに、講師の藤田達生教授は、新史料でわかった「本能寺の変」の新しい解釈をここで披露されるらしい。つまり、参加できた私たちは歴史的瞬間に立ち会ったと言っても過言ではないのだ。

さて、詳しい内容はというと、実はとても難しかった。それは、歴史的史料を一つ一つ、ていねいにひもといて話がすすんでいくからで、具体的に歴史的史料とは何かというと、昔の言葉で書かれた書簡だったり日記だったり。古文を読むのは、高校生の国語の授業以来だから、一体何が書いてあるのやら全くわからず、ひたすら、現代語訳に頼って読み進めていくしかない。実は、セミナー開始前、いただいた資料をちらっと読んでみたのだが、ちんぷんかんぷんだった。それが、藤田達生教授が朗読されると、あら不思議!言葉一つひとつに魂が宿っているのか、まるで現代語であるかのように、スーッと頭にしみこんでいく。先生は偉大なり。

講師

ということで、詳しい内容は、藤田達生教授がお書きになった著書を読んでいただくといいと思う。(『謎解き本能寺の変』『証言 本能寺の変』など多数出ている)。ここでは、藤田達生教授がお話しになった「本能寺の変」のポイントを、簡単にまとめてみたい。

1.「本能寺の変」は、明智光秀による単独謀反ではない。光秀自身が天下を狙っていたわけではないし、華麗なる家柄の出である光秀は、主従関係、姻戚関係などさまざまな人脈で支えられた組織人であったので、お家の運命を決めるような大事なことは、合議制で決めていた。「敵は本能寺にあり」という光秀の言葉だけで盲目的についていくような組織ではなかったはずなので、信長を討つということは、組織の意思で事前に決めていたと考えられる。

2.「本能寺の変」直前は、信長の天下統一がほぼ達成にさしかかっていた時期。信長の統一国家構想は、自分の子どもや、自分が手塩にかけて育てた近習などを重用し、世代交代を図るという大胆なもの。そのため、明智光秀自身も国替えを余儀なくされ、政権から追われることがわかっていた。左遷され、社会的に抹殺されるくらいなら、組織のためにも、信長を討つというイチかバチかの勝負を選んだのではないかと考えられる。

3.明智光秀には、信長を討つ行為が、決して謀反ではないという大義名分が必要だった。そのために、室町幕府を復活させ、足利義昭の上洛を画策し、信長こそが逆臣であり、自分たちは物事をあるべき姿に戻しただけなのだという正当性を主張したと考えられる。

今回、藤田達生教授が紹介された新史料には、足利義昭と明智光秀が「本能寺の変」の前から通じていたことを示すものもあり、会場からは「おーーー!」「ほーーー!」という悲鳴に近い喚声が上がっていた。おそらく、会場にいらっしゃったみなさんの8月19日の夕食の話題は、「本能寺の変」一色だったにちがいない。

近い将来、新史料にもとづいた、新しい解釈の「本能寺の変」が、大河ドラマで放映されるのを楽しみに待ちたい。

(取材ボランティア:海住さつき)

取材したイベント

みえアカデミックセミナー2017三重大学公開セミナー「本能寺の変 〜新史料でなにがわかったのか〜」

日程 8月19日(土曜日)
会場 三重県文化会館1階 レセプションルーム

取材ボランティアレポートみえアカデミックセミナー2017「くだもの秘話」

講座の様子

果物は大好きで、毎朝、必ずいただくのが日課。
夏は、ナシとかスイカとか、みずみずしい果物がたくさん店頭に並んでいて嬉しい。
今回、お話してくださった平塚伸教授は、二ホンナシの自家不和合性に関する研究がご専門とのこと。セミナーを聞いたら、私もナシ博士になれるかな?

「日本原産の果物はどれくらいあるかご存知ですか?」
平塚伸教授のセミナーは、そんな問いから始まった。
日本原産?
カキとか、日本っぽいよね?日本原産じゃないの?

答えはノー。
意外にも、果物はほぼ、すべてが外国から日本に来たもので、カキは奈良時代、ダイダイは1世紀ごろ、中国から来たのだそう。
日本原産といえるのは、二ホンナシとクリの二つで、その他の果樹はほとんど明治以降、日本に来たそうだ。

つまり、江戸時代まで、日本人は、ほとんど果物を食べてなかったということになる。

かんきつ類に関する記述は、かなり古く、平安時代の書物にも出てくるけど、すっぱくてとても食べられたものじゃなかったらしい。冬、こたつに入ってテレビを見ながら皮をむいて食べるミカンが、甘くおいしくなったのは、比較的新しく、人工交雑や突然変異を繰り返しながら今もなお進化し続けているとのこと。特にかんきつ類に関しては、まだまだ研究途上で、知られていないことも多い。毎日、当たり前のように食べているくだものは、まだまだ謎に満ちた作物なのだ。そういえば、毎年のように、甘くて、皮がむきやすく、種のない新しい品種の果物が店頭に並んでいるのを思い出した。今年も、どんな新しい品種のくだものが売られるのか、今から楽しみになってきた。

講師

さて、平塚伸教授がご専門の「自家不和合性」。これは、リンゴやナシなどかなり多くの果物にみられる性質で、簡単に言うと、自家受粉では受精しない現象のことを言う。植物は動物と違って、住む場所を選べないので、生き残るためには、違う遺伝子を取り込んで強い種になる必要がある。だから、他から飛んできた、あるいは、運ばれてきた花粉では受粉するが、自分自身の花粉では受粉しないようにプログラミングされているのだ。そういえば、梨農家の人は、受粉の時期が一番忙しいという話を聞いたことがある。それは、人工的に他家受粉しているからなのだ。

その他にも、三重の「幸水」と千葉の「幸水」は同一個体であるとか、「幸水」の種をまいても「幸水」の実はならないとか、いろいろおもしろいくだもの独特の性質を知って、ますますくだものに興味がわいた。三重県には、たくさん梨園があって、梨狩りができるので、一度、梨農家の人に、直接お話を聞いてみよう。

(取材ボランティア:海住さつき)

取材したイベント

みえアカデミックセミナー2017「くだもの秘話」

日程 2017年8月17日(木曜日)
会場 三重県文化会館1階 レセプションルーム

1

最近のブログ

カレンダー

<<2017年09月>>
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930 

カテゴリ

アーカイブ

このページの先頭へ

メニュー