取材ボランティアレポート「わたしはマララ」
2016年10月1日(土曜日)に開催された「わたしはマララ」の上映会に参加させていただきました。上映に先立ち、三重の女性史研究会所属の佐藤ゆかりさんから、三重県内男女共同参画連携映画祭の発展的な歴史経過を伺いました。次いで、ジョイセフの小野美智代さんからは、発展途上国における女性の妊娠・出産・中絶による死亡率の高さ、また彼女らのおかれた苦しみの連鎖のお話を伺いました。マララは、苦しい立場におかれている女性がいる国の中で、大きく声を上げた勇気ある女性でした。
マララの名前は、彼女が2014年に史上最年少でノーベル平和賞を受賞したことでメディアが連日彼女の報道を繰り返して以来、私の耳に強く残っていました。タリバンの放った銃弾で瀕死の重体に陥りながら奇跡的な回復ができたのは、彼女でなければ成せない使命があったからなのだと思わずにはおれません。今回マララの映画を見て、さらにこの気持ちを強くしました。
マララの父親は教育者でした。父親はマララが生まれたとき、300年も続く家族の男ばかりの家系図の中へマララの名前を書き込んだのです。“マララ”とは“勇気“という意味でした。マララは幼い頃から一日中学校で時を過ごしました。父親が語る言葉の一つ一つが地肌からマララの中に染み入っていったに違いありません。父親は吃音がありましたが、それに負けず、自分を懸命に語り、炎のような演説をしたそうです。その熱情がマララに受け継がれていったのです。
マララは、自分の人生は父親が与えたものではない、自分が選んだものだと語っていました。しかし、地肌から染みた父親の教育の力があったからこそ、父親から学び取ったものへの深い感謝の思いが、マララを強い行動へと駆り立てていったのだと思えます。マララは、これからも人権を侵害されたままの状況にある全世界の女性たちのために歩み続けると強く断言しています。まだ10代のマララがこれからどんな活動をしていくのかとても期待が膨らみます。幼少時代に親から受けた十二分の愛情・教育への感謝の気持ちを病む人のために使い切っていったナイチンゲールのように、マララもまた深い感謝を持って世界の女性を救う大きな存在になっていくに違いありません。今回は良い講演と映画を本当にありがとうございました。
(取材ボランティア:ペンネーム興味津々子)
レポートした講座
三重県内男女共同参画連携映画祭2016 10周年記念上映「わたしはマララ」
日時 2016年10月1日 13時30分開演
会場 三重県男女共同参画センター「フレンテみえ」多目的ホール
講師 佐藤ゆかりさん(三重の女性史研究会 事務局長)
小野美智代さん(公益財団法人ジョイセフ 市民社会連携グループディレクター)