三重県総合文化センター ブログ

早わかりコラム「人形浄瑠璃と歌舞伎」

8月1日開催のおしゃべり古典サロン。夏芝居の代名詞「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)」を題材に、人形浄瑠璃と歌舞伎を見比べながら双方の魅力を再発見します。今回はサロンに先立ち、まずは人形浄瑠璃と歌舞伎とはなんぞや?というサクッと解説をお届け!

【人形浄瑠璃】

物語を語る「太夫」、情景を音で表現する「三味線」、一体の人形を三人で遣う「人形」―この「三業」が一つとなった人形浄瑠璃。ユネスコ無形文化遺産にも登録されている、日本を代表する古典芸能です。1684年、義太夫節の始祖である竹本義太夫が大坂・道頓堀に竹本座を創設し、作者に近松門左衛門を迎えることで、人形浄瑠璃は大流行します。その後、豊竹座をはじめとした小屋が次々と生まれますが、歌舞伎人気におされて次第に衰退。しかし時は幕末、淡路の植村文楽軒の一座によって息を吹き返し、今日では「文楽」が人形浄瑠璃の代名詞となっています。

◆近松亡き後を盛り上げた三人の作者
天才・近松門左衛門亡き後の竹本座を盛り上げたのが、今作『夏祭浪花鑑』の作者である並木千柳、三好松洛、竹田小出雲です。中でも並木千柳は、もとは竹本座のライバル豊竹座の立作者をつとめ、その後、歌舞伎作者に転身。今度は竹本座に移籍し、『菅原伝授手習鑑』『義経千本桜』『仮名手本忠臣蔵』の三大名作を生み出します。そんな千柳を、竹本座の古株・三好松洛、座本の竹田小出雲が支えました。

◆希代の人形遣い・吉田文三郎
三人の作者と併せて覚えておきたいのが、人形遣い・吉田文三郎。それまでは専門に分かれていた立役・女形を両方演じることのできる古今きっての名手で、三人遣いの人形操法も彼の功績です。一方で、演出に注文をつけ太夫が退座する事件(1748年『仮名手本忠臣蔵』初演時)を起こしたり、自ら独立を企てるなどの野心家でもありました。なお、1745年『夏祭浪花鑑』初演時の本水・本泥を使った演出も文三郎の発案とされています。


【歌舞伎】

1598年、出雲の阿国という女性が、奇抜なファッションや行動で「傾き者」と呼ばれた人々の扮装をし、京都で「かぶき踊り」を始めたのがルーツと言われています。その人気ぶりから、遊女ら女性たちの「女歌舞伎」や、元服前の少年たちの「若衆歌舞伎」が生まれますが、風紀を乱すと幕府が禁止。そこで登場したのが、現在の形にも通じる成人男性中心の「野郎歌舞伎」でした。歌舞伎は、その成り立ちから、逆境の中で世間の常識を打ち破り、常に最先端の流行を取り入れる反骨精神溢れる芸能だったのです。

◆上方の和事と江戸の荒事
京都・大坂から江戸へと広まった歌舞伎ですが、町の気質とも相まって上方と江戸でその作風も違っていました。上方では、優男による色恋沙汰を柔らかく情感豊かに演じてみせる「和事」が人気を博し、坂田藤十郎が活躍。江戸では、市川團十郎を創始者として、勇壮な豪傑たちによるいわゆるヒーローものの「荒事」が好まれました。

◆人気となった団七もの
1698年初演、大坂で三人の侠客が活躍する歌舞伎『宿無団七』が大当たりしたことから派生作品が多数作られ、今作『夏祭浪花鑑』もその系譜を受け継いでいます。まずは人形浄瑠璃で上演され、翌月には歌舞伎化。更に、今度は『夏祭浪花鑑』に影響を受けた並木正三が歌舞伎『宿無団七時雨傘』を執筆しました。なお並木は、廻り舞台を考案した江戸中期を代表する歌舞伎作者でありながら、一時は並木千柳の師弟として人形浄瑠璃の作者も務めていました。こうして、人形浄瑠璃と歌舞伎は時に同じ演目を上演し、あるいは改良を加え、互いに切磋琢磨してきたのです。

おしゃべり古典サロンvol.5

テーマ 「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)」
講師 木ノ下裕一さん(木ノ下歌舞伎主宰)
   田中綾乃さん(三重大学人文学部准教授)
日程 2020年8月1日(土)14時00分〜16時00分
会場 フレンテみえ 多目的ホール
料金 1,000円

イベント詳細はコチラ

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