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早わかりコラム「人形浄瑠璃と歌舞伎」

8月1日開催のおしゃべり古典サロン。夏芝居の代名詞「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)」を題材に、人形浄瑠璃と歌舞伎を見比べながら双方の魅力を再発見します。今回はサロンに先立ち、まずは人形浄瑠璃と歌舞伎とはなんぞや?というサクッと解説をお届け!

【人形浄瑠璃】

物語を語る「太夫」、情景を音で表現する「三味線」、一体の人形を三人で遣う「人形」―この「三業」が一つとなった人形浄瑠璃。ユネスコ無形文化遺産にも登録されている、日本を代表する古典芸能です。1684年、義太夫節の始祖である竹本義太夫が大坂・道頓堀に竹本座を創設し、作者に近松門左衛門を迎えることで、人形浄瑠璃は大流行します。その後、豊竹座をはじめとした小屋が次々と生まれますが、歌舞伎人気におされて次第に衰退。しかし時は幕末、淡路の植村文楽軒の一座によって息を吹き返し、今日では「文楽」が人形浄瑠璃の代名詞となっています。

◆近松亡き後を盛り上げた三人の作者
天才・近松門左衛門亡き後の竹本座を盛り上げたのが、今作『夏祭浪花鑑』の作者である並木千柳、三好松洛、竹田小出雲です。中でも並木千柳は、もとは竹本座のライバル豊竹座の立作者をつとめ、その後、歌舞伎作者に転身。今度は竹本座に移籍し、『菅原伝授手習鑑』『義経千本桜』『仮名手本忠臣蔵』の三大名作を生み出します。そんな千柳を、竹本座の古株・三好松洛、座本の竹田小出雲が支えました。

◆希代の人形遣い・吉田文三郎
三人の作者と併せて覚えておきたいのが、人形遣い・吉田文三郎。それまでは専門に分かれていた立役・女形を両方演じることのできる古今きっての名手で、三人遣いの人形操法も彼の功績です。一方で、演出に注文をつけ太夫が退座する事件(1748年『仮名手本忠臣蔵』初演時)を起こしたり、自ら独立を企てるなどの野心家でもありました。なお、1745年『夏祭浪花鑑』初演時の本水・本泥を使った演出も文三郎の発案とされています。


【歌舞伎】

1598年、出雲の阿国という女性が、奇抜なファッションや行動で「傾き者」と呼ばれた人々の扮装をし、京都で「かぶき踊り」を始めたのがルーツと言われています。その人気ぶりから、遊女ら女性たちの「女歌舞伎」や、元服前の少年たちの「若衆歌舞伎」が生まれますが、風紀を乱すと幕府が禁止。そこで登場したのが、現在の形にも通じる成人男性中心の「野郎歌舞伎」でした。歌舞伎は、その成り立ちから、逆境の中で世間の常識を打ち破り、常に最先端の流行を取り入れる反骨精神溢れる芸能だったのです。

◆上方の和事と江戸の荒事
京都・大坂から江戸へと広まった歌舞伎ですが、町の気質とも相まって上方と江戸でその作風も違っていました。上方では、優男による色恋沙汰を柔らかく情感豊かに演じてみせる「和事」が人気を博し、坂田藤十郎が活躍。江戸では、市川團十郎を創始者として、勇壮な豪傑たちによるいわゆるヒーローものの「荒事」が好まれました。

◆人気となった団七もの
1698年初演、大坂で三人の侠客が活躍する歌舞伎『宿無団七』が大当たりしたことから派生作品が多数作られ、今作『夏祭浪花鑑』もその系譜を受け継いでいます。まずは人形浄瑠璃で上演され、翌月には歌舞伎化。更に、今度は『夏祭浪花鑑』に影響を受けた並木正三が歌舞伎『宿無団七時雨傘』を執筆しました。なお並木は、廻り舞台を考案した江戸中期を代表する歌舞伎作者でありながら、一時は並木千柳の師弟として人形浄瑠璃の作者も務めていました。こうして、人形浄瑠璃と歌舞伎は時に同じ演目を上演し、あるいは改良を加え、互いに切磋琢磨してきたのです。

おしゃべり古典サロンvol.5

テーマ 「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)」
講師 木ノ下裕一さん(木ノ下歌舞伎主宰)
   田中綾乃さん(三重大学人文学部准教授)
日程 2020年8月1日(土)14時00分〜16時00分
会場 フレンテみえ 多目的ホール
料金 1,000円

イベント詳細はコチラ

取材ボランティアレポート「源氏物語に埋め込まれた真意を読む」

講師

会場に入ると、ステージの上には大きなグランドピアノが暗めの照明の下でぴかぴか輝いていた。通路には紫式部という名前の花が飾られ、源氏物語好きの人たちの気分を盛り上げてくれている。受付が始まるとあっという間に席が埋まり、開演を今か今かと待ちわびた。

この日の会場の雰囲気は、「朗読会」というより「演奏会」。
もちろん、私たちが待っていたのは、河原徳子さんというスーパースター。
そう、あの日、会場にいた私たちの目の前に現れたのは、紫式部その人。
河原徳子さんは、見事に紫式部に成り代わって私たちに源氏物語の世界を再現してくれた。

演奏

今回は、「朗読とピアノ」のコラボレーションで、ピアニストの西野愛さんが河原徳子さんの朗読に合わせて演奏。あまりにも朗読にぴったりで感動したのだけど、全曲、この日のために作られたオリジナル曲だということだった。

ああ、そんな貴重な演奏が、たった一日で終わってしまうなんて!これはぜひ、CDにしてほしいし、テレビ番組で「源氏物語特集」として再現してほしいと心から思う。

瀬戸内寂聴訳の源氏物語は、実は全巻買ってある。瀬戸内寂聴さん渾身の力作だから、まよわず全巻注文して買ったのだった。しかし、まだ全然読んでない。ひとたび、ページを開き、源氏の世界に没入してしまうと、俗世に戻ってこれない気がして怖いのだ。だから、ゆっくりお茶でも飲みながら、読書を楽しむ生活ができるようになった時のために、本棚の一番奥にしまってあるのだけれど、河原徳子さんの朗読を聞いたら、我慢できなくなってきた。源氏物語を持って喫茶店に行き、モーニングをいただくっていうのはどうかな。できれば、クラシック音楽がBGMにかかっているお店がよい。和服を着ながら読むとさらに雰囲気が出るかもしれない。

会場の様子

ピアノの伴奏で朗読を聞くという優雅な設定はとてもロマンチックなのだが、紫式部が源氏物語で訴えたかったことはそんなロマンチックなことではなかった。光源氏という一人のモテ男を中心に繰り広げられる恋の物語には違いないが、そこには、主体的に人生を選ぶことのできない女の悲哀がつまっていた。

源氏物語の前半は昼ドラの世界だけど、後半はまさに現代社会に生きる私たち女性が抱える問題そのもの。女性の自立がかなわず、自分の意思で人生を選ぶことのできなかった時代ではなく、がんばれば自分で人生設計ができるようになった今だからこその苦悩があの時代にここまで具体的に書かれていたとは驚きである。紫式部の生きていた時代にできた女性の唯一の自立は「出家」。出家することでしか、女性は男から自由になることができず、心の平安を保つことができなかった。だからこそ、紫の上は死ぬ直前に「出家させてくれ」と光源氏に必死に頼んだ。

そんな世界をステージ上で繰り広げてくれた河原徳子さんに感謝です。

(取材ボランティア:海住さつき)

取材したイベント

源氏物語に埋め込まれた真意を読む

開催日:2019年9月22日
会場:三重県男女共同参画センター「フレンテみえ」多目的ホール
講師:河原徳子さん(朗読文学サークルパティオ主宰、日本文学研究家)

取材ボランティアレポート「M祭!2019」

エムコレ

台風の心配もありましたが予定どおり『M祭!』を開催すると言うことで行って来ました。
『M祭!』はご存じのとおり三重県立総合博物館、図書館、文化会館、生涯学習センター、男女共同参画センターが一体となって行う子どもたちの好奇心を刺激し、楽しく学んで体験できる県内最大級のイベント、子どものためのお祭りです。

開始30分前、スタッフは準備に大忙し。
「おはようございます。台風、逸れてよかったですね」
「でも暑さが心配なんですよ」
連日の猛暑に運営スタッフは気が抜けません。何が起こるかわからないのが子どもの世界。さて、どんな一日が始まるのでしょうか。
開始時間10時、大人たちの心配をよそに我先にと子ども達は駆けてお目当てのイベントに滑り込みます。

「やったー、一番!」
「元気いいね、このイベントが最初なの?」
「お茶を飲んで2つめ」
「お茶?」
後ろからゆっくりと歩いてくるお母さんたちが恥ずかしそうに、
「抹茶を飲んでました・・」

「冷たいお抹茶を飲んでみよう」は、大人も子どもも参加できるイベント。なるほど、親の愉しみも入っていて両得です。そうしている間にも、幼児から小学生、外国に由来のある子どもたちまで、どんどんと子どもの列は伸びていきます。朝一番からこんなにもたくさんの子どもたちが集まって来るなんてM祭の浸透率に驚かされます。
そんな子どもたちの興味をひこうとイベントスタッフは一生懸命。

「これ作って行かない、楽しいよ!」

2つの絵をくるくる回すとパラパラマンガになる「ぶんぶんゴマ」に子どもたちは興味津々。
うれしそうに大きく頷いて駆け出す子、恥ずかしそうに小さく頷いて親と一緒に歩いて行く子、子どもたちの表情は多様で本当にほほえましいものです。

お昼前、午後に向かって子どもたちがどんどんと増えていく中、祝祭広場では暑さ対策にスタッフがビニールプールで水風船をせっせと膨らましていました。子どもたちが絶対的に大好きな風船で誘って涼をとろうなんて素晴らしいアイデアです。

ゴミラー
ゴミで作ったゴミラー
ゴミラー
OHPを使って天井に映し出します
ゴミラー

祝祭広場をぐるっと回って、フレンテみえの生活工房へ。
ゴミを使ってアート作品を作るイベントでは子どもの意外な才能に触れることができます。

「これはとても素敵ですね、見本ですか?」
「いいえ、全部子どもたちが作ったものなんです」

昔は手先の器用な子どもが図画工作の優等生でしたが、今の子どもたちはいろんな情報があふれている環境から好きなものを取り出すことができるので、ゲームクリエーターかキャラクターデザイナーかのような完成された未知なる創造物が作られているのです。ただただ、子どもたる才能の爆発した世界に大人は感服するのみです。

風車
八重のかざぐるま作り体験
ぶんぶんゴマ
ぶんぶんゴマ作り体験

とは言え、単純明快な遊びも子どもは本来的に好きなもの。
塗り絵や、竹とんぼならぬ「ストロートンボ」、草笛、昔懐かしい缶バッチ、走って走って風とひとつになれる風車・・・宝物を抱えて親子で笑う帰り道。

そんな中、いつの間にかシルバーカーを押した女性が同じように親子の背を目で追っていることに気がつきました。たくさんの子どもたちをいとおしそうに眺めるその姿は温かさと優しさに溢れています。

ここに文化施設があることが、M祭の開催が、今日と明日の元気が生まれるひとときになるのだと、その背中が伝えてくれます。子どもたちのためにすることはすべての大人たちに還ってくるものなんだよと、目にはみえない素敵なコミュニケーションをもM祭は作っているようでした。

(取材ボランティア:鈴木ゆかり)

取材したイベント

M祭!2019 キッズ・アート・フェスティバル

開催日:2019年8月4日
場所:三重県総合文化センター、三重県総合博物館

インターン取材レポート@〜「見る・知る・感じる、認知症ケアの知恵ぶくろ」〜

こんにちは。 インターンシップ生の中村と高野です。

今回は「見る・知る・感じる、認知症ケアの知恵ぶくろ」に参加させていただきました。認知症についてあまり知識がなかった私たちですが、このイベントを通じて認知症についての理解が深まりました。 

まず、講演会1の「認知症とともに生きる」では自身も認知症である渡辺康平さんに当事者の視点から見える社会を教えていただきました。つぎに、講演会2の「安心して老いるために」は介護の現場からの視点でどのように老いを生き、どのように死を迎えることが幸せなのかを考えさせられました。最後に、体験講座の菅原直樹さんによる「介護する“わたし”、認知症の“わたし”」はジェスチャーゲームや老いのプレーパークの方々による寸劇を見て、認知症の方への対応の改善を考えました。 

    このイベントを通して次のことを学びました。認知症の方の言っていることが例え間違っていても、頭ごなしに否定するのではなく相手の言っていることにまずは乗ってみる。否定しても関係を悪化させるだけだからこのことが大切だそうです。ですが、頭ごなしに否定しないことは認知症の方相手だからではなく、どのような人との関係でも大切といえると思います。菅原さんのおっしゃっていた「相手の物語に寄り添っていくことでお互いもっとラクに過ごせるかもしれない」という意味が分かりました。

    認知症の方を責めてしまいがちですが、そうではなく認知症の方を支え、理解すること、心のサポートをすることが大切だと学びました。 認知症だと言うのが恥ずかしいから周りに隠すのではなく近所の人へ伝え、地域で協力して認知症の方もその家族も住みやすい環境を作っていくことが大切だと思いました。

     【文】インターン生 高田短期大学 中村、高野
      【写真】松原豊

    取材したイベント

    見る・知る・感じる、認知症ケアの知恵ぶくろ

    開催日 2019年8月28日(水曜日)
    場所  三重県総合文化センター内 レセプションルーム

    取材ボランティアレポート「漂流民 大黒屋光太夫の地を歩くー光太夫の白子・若松を訪ねてー」

    伊勢若松駅

    本日の講座は伊勢若松駅から始まります。
    大黒屋光太夫―
    鈴鹿市白子から出航した船頭が巡り巡ってロシア皇帝エカテリーナ二世と謁見し10年の歳月を経て日本に帰港した、この歴史上の人物のことを三重県民はどのくらいの人が知っているのでしょうか。
    名前は知っていても簡易な概要しか知らなかったところ、鈴鹿市学芸員の方の説明は非常にわかりやすく、すんなりと頭に入り、帰国までの長い行程も映画のようにリアルに浮かび上がります。

    心海寺
    書物『極珍書』の実物

    地元の大黒屋光太夫顕彰会のみなさんには、1798年に心海寺の住職が生存者の1人である磯吉から話を聴き留めた書物『極珍書』の実物を見せていただきました。参加者全員がどよめき、「政府の役人がまとめたものなら重要文化財の価値がある代物なのですが、一介の住職がまとめたものなのでこれは何ものでもないんですよー」なんて自虐ネタで笑わせていましたが、年代を感じさせない装丁は代々大切に保管してきた証。郷里の人々の大黒屋光太夫たちへの愛情が窺えます。
     河原徳子先生の講義は井上靖『おろしや国酔夢譚』と吉村昭『大黒屋光太夫』を朗読により比較するもので、巧みな語りがBGMの太鼓の生演奏と相まって、遠州灘の暴風雨、極寒ロシアでの凍傷による脚の切断シーンは息詰まる緊張場面の物語性をより高めて臨場感あふれるすばらしいものでした。
    歩く距離もほどよく、頭も使い、郷土の歴史を深く学べ、良いこと尽くしなのですが、さらに歴史講座だからか1人で参加されている方もおり、こちらも気が楽になる講座となりました。

    快晴で波穏やかな港

    さらに、一足伸ばして町中をぶらり。
    せっかく講座を聴いたのだからより大黒屋光太夫たちを知りたく、港までふらりと歩いてみました。快晴の波穏やかな浜。光太夫たちは何の不安もなく江戸まで5日程度の旅をここから出航したのでしょう。
    それから日本の地を踏んだのは10年後、さらに郷里の地を踏んだのは20年後。1986年に発見された『大黒屋光太夫らの帰郷の文書』には存命であった母親と逢い、伊勢へお礼参りに行ったことが記述されているそうです。これは幕府から軟禁され罪人のように扱われ寂しい晩年であったとする説を覆す新しい発見であるとともに明るい歴史を光太夫に与えたものでした。
    しかし、若松東墓地には消息を絶って2年後の三回忌に荷主が建立した光太夫たち「神昌丸」乗組員の供養塔があります。帰省した光太夫は自分の法名と亡くなった乗組員の名前を見て何を思ったのでしょうか。出航時17歳だった1番若い磯吉はさておいても、船頭の自分だけが生き延びて帰国した現実。さらに英雄であるかのように扱われ請われるままにロシア語を書いてみせる日々。光太夫の真の心境は明確にはされていないのですが、影は確かに光太夫の中に存在したのだろうと想像を巡らせてしまいます。
    記念館のロシア語の展示物は影なのか、光なのか。

    大黒屋光太夫は単なる歴史上だけの人物ではなく、現代の社会人と同じく管理者としての責務や困難を生き抜く力を教えてくれる良き先人であるのだと強く実感し、伊勢若松駅へと向かいました。

     (取材ボランティア 鈴木ゆかり)

    取材したイベント

    漂流民 大黒屋光太夫の地を歩くー光太夫の白子・若松を訪ねてー

    開催日 2019年5月8日(水曜日)
    場所  大黒屋光太夫記念館、若松公民館(鈴鹿市若松)とその周辺

    夏の風物詩「四谷怪談」をめぐる江戸の小旅行

    日本一有名な幽霊といえば、鶴屋南北作「東海道四谷怪談」の”お岩さん”ではないでしょうか。物語は、赤穂浪士の討入劇「忠臣蔵」と同じ時代。塩治家取り潰しにより浪人生活を送っている民谷伊右衛門。己の色欲ゆえに敵方の高野家と組んで、妻のお岩を騙し毒薬を盛ります。髪は抜け落ち、醜い姿になってしまうお岩。裏切りの真実を知り、非業の死を遂げたとき、世にも恐ろしい復讐劇が始まります……。  
    今回はその舞台となった四谷、そして”お岩さん”にゆかりのある地を巡りました。

    「四谷怪談」誕生秘話

    実はお岩さんにはモデルとなった人物がいたことをご存知ですか。江戸四谷左門町に住むお岩は、伊右衛門とは人も羨むおしどり夫婦。奉公に出て家計を支えながら、日頃から民谷家の庭にある社を信仰していたところ田宮家は栄えた、とされています。そこで社の隣に祠をつくり、やがて「於岩稲荷」として信仰されるようになったとのこと。怨霊という設定は、後から創作されたものだったのですね。また、「四谷怪談」で釣りをしていた伊右衛門のもとに1枚の戸板が流れ着き、そこには自分が殺した小仏小平が括り付けられていて戸板がひっくり返るとお岩が……という「戸板返し」のシーンにも、モデルとなる事件が。「身分違いの恋をした旗本の妾と奉公人の下男が一枚の戸板の表裏に釘付けにされて神田川に流された」、「隠亡堀に男女の死体が流れ着き、それを鰻かきが引き上げた」、「直助と権兵衛という2人の主人殺し」など、当時江戸を騒がせた様々な事件をもとに、「東海道四谷怪談」が生まれました。南北も参考にしたといわれる実録体小説「四谷雑談集」では、疱瘡を患い性格にも難のあったお岩のもとに、跡取りのために美男の伊右衛門を婿入りさせますが、伊右衛門に虐待のうえ家を乗っ取られ、お岩の祟りで一家が断絶するというエピソードも。於岩稲荷に祀られているお岩さんとはずいぶんイメージがかけ離れていますね。では、民谷伊右衛門はどうでしょう。「首が飛んでも動いてみせるわ」という歌舞伎の幕切れセリフにも象徴される民谷伊右衛門の希代の悪人像は、南北の作品の中でも「謎帯一寸徳兵衛」で平然と人殺しを行う大島団七にも見られ、その集大成ともいえます。いつの時代も、人は心のどこかで悪の美学に魅せれられてしまうものなのでしょうか。

    四谷の「於岩稲荷田宮神社」。


    於岩稲荷と歌舞伎役者の成功祈願

    今回向かったのは、四谷の住宅街にある「於岩稲荷陽運寺」と「於岩稲荷田宮神社」。お岩さんを祀るお寺と神社が向かい合って建っています。当時、歌舞伎「東海道四谷怪談」は大変な成功をおさめ、三代目尾上菊五郎のお岩、七代目市川團十郎の伊右衛門は当たり役となりました。当初は出演した役者が参詣していたのが、お参りしないと事故が起きるなど祟りの噂にまで発展し、そこから歌舞伎俳優が興行前に必ずお参りに行くようになったそう。現在は、怨霊としてのではなく、商売繁盛、芸能上達、陽運寺のほうは縁結びのお寺としても知られています。また、「於岩稲荷田宮神社」は明治12年の火事で社殿が焼失した(現在は復活)のをきっかけに、隅田川の畔にある民谷家の敷地内(現在の越前堀)にも同じ名前の神社が建てられました(昭和20年の戦災で社殿が焼失するも現在は復活)。こちらは高層ビルの開発が進む中、その一角に緑に覆われひっそりと佇んでいます。

    越前堀の「於岩稲荷田宮神社」。境内には四代目市川右団次が奉納した百度石があります。

    江戸の光と闇

    初演当時、「東海道四谷怪談」は「仮名手本忠臣蔵」と交互に上演する形式が注目を集めました。この2作は同じ時代を背景に、討ち入りを巡る忠義の物語と、その裏側の物語を描いています。「四谷怪談」が描かれたのは「忠臣蔵」から77年後。その頃の江戸は武士の権威が衰退し、浪人たちは日々の暮らしに困窮する始末。塩治浪人の民谷家も例外ではなく、お岩の父・四谷左門は乞食同然の生活をしながらも、塩治のお金を横領した伊右衛門の支援を受けようとはせず正義を貫きます。そんな中、左門を殺して、父の敵討ちを口実にお岩を騙して復縁、挙句の果てには彼女を捨てて、その後も次々と悪事を重ねる伊右衛門。「タテマエ」だけではない「ホンネ」の世界。「四谷怪談」はまさにそんな市井の人々の欲、愛憎が炙り出された作品なのです。

    四谷の陽運寺。今は悪縁を切り良縁を結ぶ神様として人気があります。

    まるで当時にタイムスリップしたかのような旅。怪談話の裏にある、幽霊よりも怖い人の世の物語。9月22日は、木ノ下歌舞伎の木ノ下裕一さん、三重大学人文学部の田中綾乃先生と共に、その奥深い世界に浸かってみませんか。

    参考文献:『鶴屋南北』諏訪春雄著(ミネルヴァ書房)
         『お岩と伊右衛門 「四谷怪談」の深層』高田衛(洋泉社)

    おしゃべり古典サロン

    vol.3テーマ 『東海道四谷怪談(とうかいどうよつやかいだん)』 
    講師     木ノ下 裕一(木ノ下歌舞伎主宰)
           田中綾乃(三重大学准教授)
    日時         
    2019年9月22日(日曜日) 14時00分〜16時00分
    会場     
    三重県文化会館 小ホール
    受講料    1000円

    詳細はコチラ

    取材ボランティアレポート「ワンコインコンサートvol.97 ピアノ ジャン・チャクムル」

    ジャン・チャクムル

    新年度初のワンコインコンサート。
    本日のコンサートは第10回浜松国際ピアノコンクールの優勝者ジャン・チャクムルさんです。昨年の同コンクールは直木賞『蜂蜜と遠雷』の影響もあってか1次予選から大変賑わったとか。

    と、言うことで本日も大盛況。開場30分前なのに長蛇の列。振り返っても最後尾が見えません!

    本日のプログラムは本人の強い希望により決まったそう。当コンサートは浜松国際ピアノコンクール優勝者の凱旋ツアー。そして光栄にも本日はツアーの初日!

     

    そんなジャン・チャクムルさんの様子はと言うと・・ふわふわとした長髪を掻き上げ、1曲1曲を丁寧に、愛着を持って弾いてる姿はとても好感が持てます。それはまるで放課後に男子学生が音楽室で弾いているような。女子人気がUPしそうな予感。

    そして観客のみなさんは・・気持ちよさそうに寝ておられます。
    前説で「クラシックあるあるなので寝てもいいですよ〜」と言われていたのですが、おそらくは不可抗力でしょう。それも仕方ありません。ピアノは本人持ち込みの「Kawai SK-EX」。チャクムルさんが自分の演奏に最も適しているとコンクールで選んだピアノなのです。低音は柔らかく、でも重厚に、高音は優しくそして軽やかに。音楽が優しく優しく耳から入り込み穏やかで温かい音色となって身体中を満たしていきます・・。

    軽やかな指さばきで、まるで連弾しているかのような重音がホールに響いていきます。
    反面、チャクムルさんは休憩も取らずに引き続け、その集中力と表現力には感嘆させられました。

     

    注目は、最後に演奏した自国トルコのピアニスト作曲の曲。トルコの伝統楽器『サズ』を弾いているようだと聞いていたのですが、演奏姿を観るのは初めてです。
    不意に演奏中に立ち上がり、左手をピアノの中に突っ込んでワイヤー(と思われる)をはじき出したチャクムルさん。同時に右手で鍵盤を叩きます。その奇妙な姿に観客は度肝を抜かれ息をのみ、声にならない驚きがホールを走り抜けます。それまでの心地よい音色とは一転し、演奏姿は音色に身を任せトランスしながら弾いている弦楽器奏者のよう。確かに自分を魅せる曲目を上手く選んだものだと感心させられました。


    アンコールは、シューベルト(リスト編曲)「美しき水車小屋の娘」。静かで暗く悲しい歌曲をなぜアンコール曲に選んだのでしょうか。
    なるほど、内向的な片恋の旋律もリストの複雑な運指によって華やかに立体化され、若い男の恋慕の苦しい内情がリアルに響いてきます。そういえば若い恋とはこういった一途で激しいものであったものであったな・・と、突如として感慨深く思い起こされ。ピアノを一心に弾いている若いチャクムルさんと水車小屋の若い男とが重なって見えて短い物語の中に引きずり込まれたかのような錯覚が起こってきます。またいい曲を選んだなーーと、感心しきり。


    演奏後、満場の拍手に身体をちょっと傾けて「テヘッ」とはにかんで笑った青年は、昨日とは大きく違う世界へ一歩を踏み出しました。この凱旋ツアーが終わる頃にはもうはにかんだ「テヘッ」は観られないんだな・・と、少し寂しくもあり。でも、名のある交響楽団を後ろに堂々とそして深々とお辞儀をするチャクムルさんの姿がふと目に浮かんできて「またどこかで観てみたいな」なんて、訪れた観客も夢をみることができた、幸せなワンコインコンサートでした。

     (取材ボランティア 鈴木ゆかり)

    取材したイベント

    ワンコインコンサートvol.97 ピアノ ジャン・チャクムル

    開催日 2019年4月16日(火曜日)
    場所  三重県文化会館大ホール

    わたしたちが次の世代に残せるもの ― 第七劇場設立20周年を飾る最新作「ワーニャ伯父さん」

    1999年、早稲田大学在学中に演出家の鳴海康平さんによって結成、2014年に東京から三重県津市美里町へ拠点を移し活動する劇団「第七劇場」が、今年設立 20 周年を迎えます。節目となる2019年は、静岡県舞台芸術センター(SPAC)の俳優をはじめ、東海地域に縁のあるゲストメンバーとともに、ロシアの文豪アントン・チェーホフの名作「ワーニャ伯父さん」の三重・韓国ツアーを開催。三重公演は三重県文化会館、そして韓国公演は鳴海さんと交遊のある現地舞台人の協力を得て、京畿道安山市の公立劇場「安山文化芸術の家」で上演を行います。


    ◆ものがたり◆

     アントン・チェーホフ   (1860-1904)

    1899年にモスクワ芸術座で初演されたチェーホフ四大戯曲のひとつ。大学教授夫妻が前妻が残した領地を訪れ、立ち去るまでの物語。人生の半分以上を姪ソーニャとともに領地を管理し、教授に奉仕してきたワーニャは、教授への失望とともに自分の人生の浪費に絶望します。そのワーニャを慰めるソーニャの言葉は、チェーホフ戯曲の中でもっとも美しい台詞として知られています。


    ◆なぜ今ワーニャ伯父さんなのか? ◆

    これまで第七劇場では、チェーホフの四大戯曲のうち、「かもめ」と「三人姉妹」を製作しました。「かもめ」は2007年に初演し、その後、2010年のリクリエイション版はこれまでに国内7都市、海外3都市(フランス、韓国、台湾)で上演されました。「三人姉妹」は私がポーラ美術振興財団の在外研修員として1年間フランスで活動した直後、2013年に日仏俳優の協働作品として新国立劇場小劇場で上演されました。

    このチェーホフ原作の2つの作品の上演は、期せずして、第七劇場にとって、大きな節目となりました。

    2019年、今年は私が劇団を設立して20年という節目となります。その節目に、何を製作しようか考えたとき、やはりチェーホフ戯曲が浮かびました。 

    いわゆるチェーホフ四大戯曲で、まだ第七劇場で製作していないのは「ワーニャ伯父さん」と「桜の園」です。この二つを読み返したとき、「ワーニャ伯父さん」の4幕の終わりで流されるワーニャの涙の意味が、以前読んだ記憶とずいぶん変わったことに驚きました。それは私自身も歳を重ねたからだとは思いますが、そのワーニャを巡る風景は、今の私、そして平成が終わる日本、さまざまな課題を解決できぬままの世界と多くの点で共通するものだと感じ、今回「ワーニャ伯父さん」を製作することに決めました。 

    私たち生きているものは、誰一人としてワーニャの涙と無関係ではいられません。人ひとりの時間は有限であるという当然の事実は、不安定ながら未来あるソーニャに対照されて、よりはっきりと浮かび上がります。しかし、そのソーニャでさえ、ワーニャと同様に有限であり、ワーニャよりも豊かな人生を送れるとは限りません。それどころか「ワーニャ伯父さん」に登場する人物は皆、ほしいものが得られず、求めているひとから認められていません。その背後で時間だけは刻々と過ぎていきます。これはまさに私たち一人ひとりの物語であり、私たちの社会/世界の物語だと、私は感じています。
            ― 鳴海康平(第七劇場 代表 演出家、Théâtre de Belleville 芸術監督)



    ◆登場人物の名前に隠されたキャラクター像◆

    ロシア文学では、登場人物たちの名前を覚えるのに一苦労ですが、実はこの名前に物語の手がかりが隠されています。名前そのものがキャラクターの役割を表しているのです。

    ワーニャ

    日本名では太郎のように、ロシアで最もポピュラーな名前。亡き妹の残した領地を管理し、妹の夫である教授を崇拝して、平凡な人生を送ってきた。イワン。キリスト教の聖人イオアン=聖ヨハネが由来。

    ソーニャ

    ワーニャの亡き妹とセレブリャーコーフの娘。ワーニャの姪。勤勉で聡明。ソフィア。「智慧」「叡智」を象徴している。
    エレーナ セレブリャーコーフの若く美しい後妻。27歳。学者としての才能に惹かれ、セレブリャーコーフと結婚する。作中では、自身を“添え物みたいな女”と称している。「光」「輝き」を象徴している。
    セレブリャーコーフ 退職した大学教授。ウラジーミル・アレクサンドル。皇帝の名にも用いられ、「威光」「権威」を象徴する。


    アーストロフ

    医者・自然保護活動家。ワーニャの友人であり、セレブリャーコーフの診察をしている。ミハイル。旧約聖書に登場する大天使ミカエル(人々を病から救い、正しい方向に導く七大天使の一人)に由来。
    ヴォイニーツカヤ夫人 ワーニャの母。信心深い。マリヤ。聖母マリア。

     


    ◆報われない人たちへのレクイエムとしての演出◆

    原作では、ソーニャが絶望したワーニャを慰める美しい台詞で幕を閉じます。しかし、もしも仮に、救われると信じて誰よりも耐え続けていたソーニャが若くして亡くなってしまったとしたら…。今作では、そんな仮定のもと、ソーニャの墓標の前で登場人物たちが花を手向けるところから、物語を回想していきます。歴史を振り返ると、私たちは往々にして失って初めて、犠牲となった人々の声なき声を、そして自分たちの過ちを知ります。けれども、そうなる前に、報われない人々の声を聴き、未来に何を残せるかを考えなければなりません。今作で使用されるパニヒダ(ロシア正教で使用される死者のための祈りの音楽)は、厳かにそのことを私たちに教えてくれます。


    稽古風景より

    劇団設立20周年公演
    第七劇場「ワーニャ伯父さん」

    原作 A・チェーホフ
    構成・演出・美術 鳴海康平
    出演  木母千尋 小菅紘史 獅子見琵琶 藤村昇太郎 諏訪七海 
        牧山祐大(SPAC-静岡県舞台芸術センター)
    日時      7月14日(日曜日) 14時/18時    
        7月15日(月曜祝日)14時    
        上演予定時間|約100分  ※各回終了後、トーク有
    会場  三重県文化会館 小ホール
    料金  《整理番号付き自由席》一般2,500円(当日3,000円)
        25歳以下1,000円 18歳以下500円
        ★三重県文化会館、エムズネットにて販売中。

    詳細はコチラ

    取材ボランティアレポート「こいのぼりがいっぱい!」

    こいのぼり2019

    寒のもどりで関東に雪が降った翌日。
    まだ冷たい強風の中、企画運営ボランティアとそうぶんスタッフが150匹ものこいのぼりを揚げると言うので写真撮影がてらお手伝いに行ってきました。

    ボランティア初日の朝9時。
    雨天順延のお天気を気にしながら祝祭広場に到着です。広場にはもう数人のボランティアらしき人たちが集まってきています。
    「さあ始めましょうか!ワイヤーを伸ばしますよー」とスタッフがニコニコと威勢良く開始を告げる。

    伸ばしたワイヤーに等間隔でついているフックにこいのぼりのロープを掛けていきます。
    フックが硬くてちょっと手強い。
    しばし広場は無言となります。
    でも、みんなが真剣になるのはそれだけが理由ではありません。
    時々強風が吹く広場では、きちんと留めておかないとロープが切れてこいのぼりが飛んでいってしまうのです。
    ロープが掛かったらフックの上からさらに結束バンドで固定します。

    「この固定の仕方は間違ってるよ、ここを留めないとね。ここだと風で引っ張られてフックが開くかもしれないからね」
    ちゃっちゃっと手際よく固定していくボランティアのY氏は立ち姿も力強い・・・って、あれ?さっき居ませんでしたよね。
    「途中抜けてプールに泳ぎに行ってきた」
    元気だ。そして、自由だ!
    自分の好きな時間に無理なく活動ができる。それがそうぶんのボランティアの良さなんでしょうね。

    こいのぼりを並べて、色をそろえて長さをそろえて。
    パッと散った色とりどりのこいのぼりたちで広場はお花畑のよう。

    「さあ、ワイヤーを上げますよー!お願いしまーーす!」

    カーゴパンツに黒いスタッフジャケット、ヘルメットにトランシーバーを携えて屋上のスタッフと連絡を取る女子スタッフたちはガテン系の現場監督のよう。なんとも頼もしい。

    作業風景
    作業風景


    連絡をもらって左右の建物の屋上で待機していたスタッフがグングンっと力強くワイヤーを引っ張っていく。
    メザシのように吊されていたこいのぼりたちがズンっズンっと静かに空へ上がっていく・・・。
    まだまだ、どんどん、どんどんと引っ張られ、みんなの目線も上へ上へと上がっていき総長7メートルのこいのぼりがあんなに高く。

    「第一弾完了ですっ」
    ワイヤーにずらりと並んだ色とりどりのこいのぼりたちが一斉に風を受けて空に泳ぎ出す。

    こいのぼり

    「いいわねぇ、こんなに大きなこいのぼりは最近見ないものねぇ」
    「はい。それにこれだけたくさん並んでいると壮観ですよね」
    日本にこいのぼりがあって良かった!どこかで聞いたことがあるフレーズをかみしめて、みんな青空を見つめる。

    「あ、飛行機雲!」
    「あっちにもあります!」

    ガテン系だった女子たちが急にフツーの女子に返ってスマホを空に向ける。
    春の偏西風に乗った飛行機にこいのぼり。
    そうぶんの満開の桜にこいのぼり。

    「明日は雨になるそうなのでこの景色はとりあえず今日だけですね」
    そっか、残念。
    けど、どんなことでも一番が見られるのは頑張った者の特権。ちょっとお得な気分。

    「あ、でも明日はそこの廊下に小さいですけどこいのぼりを揚げるんですよ」
    え、室内にこいのぼり?
    「そうぶん25周年のイベントなのです」
    ふふ、と自慢そうに笑うスタッフ。

    そうか−−−
    じゃあ、『あしたもそうぶん!』。

    (文と写真/取材ボランティア:鈴木ゆかり)

    春のそうぶんに行こうよ!こいのぼりがいっぱい!!

    開催期間 2019年4月12日から5月6日まで
    場所   三重県総合文化センターエントランス・広場

    イベント詳細ページへのリンク

    取材ボランティアレポート「おしゃべり古典サロン−vol.2『伊賀越道中双六』」

    講座の様子

    最初はおっとりとした話しぶりだった田中綾乃先生が、だんだん早口になっていき、最後は、木ノ下裕一さんとのバトルトークに!お二人の本気の掛け合いに観客は魅了され、あっという間に二時間終了。

    えーーーーっ?もう終わっちゃうの?

     と思ったら、今回は「サロン」が準備されていた。お二人のおしゃべり終了後、場所を移して、お茶とお菓子をいただきながらの歓談タイムが設けられているという演出に、お客さんから「また、来年もやってほしい」という熱いラブコールが。ぜひ、第3弾もよろしく!

    会場の様子

    「おしゃべり古典サロン」は、木ノ下歌舞伎主宰の木ノ下裕一さんと、三重大学人文学部准教授、カントの哲学がご専門の田中綾乃先生のお二人が、大好きな古典芸能について自由におしゃべりするという企画。テーマは決まっているものの、どんなお話が出るかは当日のお楽しみ。おそらくお二人も、その場の流れに身をまかせていらっしゃるのではないでしょうか。いわば、お二人のおしゃべりそのものが、舞台芸術の魅力である「即興性」に満ちていて、おそらく再現不可能。こんな楽しい授業が聞けるのなら、また、大学生になってもいいなあとちょっと本気で考えてしまった。

    帰宅してからノートを開いてびっくり。たった二時間のレクチャーだったのに、ノートをほぼ三分の二使い切っていた。お二人のお話はおもしろかっただけでなく、覚えておきたい内容満載だったので、ドキドキしながらおしゃべりを聞きつつ、手は忙しく動いていたらしい。実は私、伊賀上野の生まれ。しかし、「伊賀越」といわれて思い出すのは、お漬物。自分の生まれ故郷が、こんな有名な仇討の舞台だったなんて全然知らなかった。人形浄瑠璃も歌舞伎も、古典に詳しくない私にとっては敷居が高く、予備知識なしで見たらたぶん全然内容わからないはず。トークの合間に、お芝居の最も感動的な場面の映像が流れた時、びっくりするくらいセリフが聞き取れて、まるで、外国語の映画を見て内容が理解できた時のような感動。これは、人形浄瑠璃バージョンも歌舞伎バージョンも全部見るぞ、絶対!

    古典芸能は、最初はこんな風に入っていくのが正解なんだと思う。高校の古典の授業では、動詞の活用や単語の暗記など、細かいところにばかり目が行ってしまい、物語全体を楽しむゆとりがあまりない。ただ、一度だけ平家物語を琵琶法師の語りで聞いたことがあり、そのテンポのゆっくりさに心底驚き、時の流れるスピードが昔は全然違ったのだということがストンと落ちたことがある。もし、「伊賀越物」のように、ドラマとして最もドロドロしていて、悲劇もありつつ喜劇的要素もあり、笑いと涙の両方を誘う作品を、最高の役者の演技で見せたら、絶対に、日本人の「古典偏差値」は上がるはず。「おしゃべり古典サロン」は、ぜひ、高校生の前でやっていただきたいなあ。

    あと、トークというのは、好きなものについておしゃべりする時に最もヒートアップするということがよくわかった。初対面の人と、おしゃべりで盛り上がりたければ、相手と自分が共通して好きなものを探して、それについて話せばいいことを学びました。
    木ノ下さん、田中先生、本当にありがとうございました。

    (取材ボランティア:海住さつき)

    取材したイベント

    おしゃべり古典サロン「伊賀越道中双六」

    日程 2019年1月14日(月曜祝日)
    講師 田中綾乃さん(三重大学人文学部准教授)、木ノ下裕一さん(木ノ下歌舞伎主宰)
    場所 三重県生涯学習センター 視聴覚室

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