三重県総合文化センター ブログ

取材ボランティアレポート「楽楽平家琵琶塾」

平家琵琶塾

毎年、楽しみにしている「楽楽シリーズ」。
今年は、800年の歴史を持つ伝統芸能、平曲。

平曲とは、盲目の琵琶法師が語る「平家物語」のことで、高校の古典の授業で、古い録音を聞かせていただいたかすかな記憶があるばかり。教科書1ページ分の文章が、平曲になると30分くらいの長い語りになっていて驚いたことを覚えている。

ライブ演奏を聴くのは初めてなので、前日に軽く、平家物語の現代語訳をパラパラめくって予習して、いざ!本番を迎えた。

平家琵琶塾

第一部は、林和利先生による解説。先生が強調されていたのは、世間では、「平家物語」の本文が先にあって、それを琵琶法師が語ったと思われているが、事実はその逆で、琵琶法師が語っていたものを書き留めたのが「平家物語」。つまり、「平家物語」は語り物としてそもそも発生、発展したものだということだ。

もう一つのポイントは、琵琶法師は僧侶だということ。つまり、平家の物語は、平家の怨霊を鎮める目的で語り始められたということだ。そう考えると、短い文を、長い節回しをつけて語る意味というのがよくわかる。魂鎮めのため、心をこめて語りかけていたのだから。

平家琵琶塾

さあ、いよいよ、第二部。今井検校のライブ演奏が始まった。

実は、もっと琵琶をかき鳴らすものだと思っていたのだが、琵琶が2、語りが8くらいの割合で、語りがメインで平曲は進んでいく。今回の演目は、平家物語で最大の山場「那須与一・扇の的」。古典の日本語で語られるので、難しいはずなのだが、音楽だと思って語りのリズムに身を任せていると、だんだんと目の前に海上の船の風景がひらけてくる。ずらりと並んだ平家と源氏の人の群れ。弓矢が見事、扇の的に当たり、扇が空に舞った瞬間、敵も味方もそろってどよめいたクライマックスのシーンは、戦というより、スポーツのようだった。日本人は、敵味方に分かれて戦うことを、「紅白〇〇合戦」という。それは、源平の合戦の色分けに由来するのですよ、と林先生がおっしゃっていたが、「紅白」といえば「合戦」を連想するほど、日本人の意識の中に源平の合戦を深く埋め込んだのは、琵琶法師にちがいない。

何しろ、800年続いてきた伝統なのだから。

しかし、今、平曲は存亡の危機に立たされている。平曲を本格的に語れるのは、今井検校ただ一人だというのだ。会場からも、「後継者問題」を危惧する質問が出ていたが、今のところ、後継者の候補すら、みつかっていない状況だという。「盲人」で「男」という条件があり、さらに、変声期より前に平曲を始めなければならないので、人材がいないのだ。幸い、今は、録音・録画の技術があるので、DVDを作ったり、楽譜に書き起こしたりして、残すための努力は続けておられるそうだが、口伝えでないと伝わらない神髄を継承してくれる誰かが、近い将来現れることを心から願う。

どんなに時代が変わっても、人が生き続ける限り、魂鎮めは必要だから。

(取材ボランティア:海住さつき)

取材したイベント

楽楽平家琵琶塾〜諸行無常の世界〜

日程 2018年2月28日(水曜日)
会場 三重県文化会館 小ホール

こいのぼりがいっぱい!★ GWはそうぶんに行こう!

チラシ上部

もうすぐ、待ちに待ったゴールデンウィーク!
皆さま、もう予定はお決まりですか?

そうぶんではこいのぼりが元気に泳いでいますよ!

今回は、12月から週に1回のペースでボランティアさんと一緒に準備を始めました。

こいのぼり修復作業

破れてしまったこいのぼりの修復の様子です。
最初は縫っていたのですが、こいのぼりはナイロン製のものが多くて、針の穴から裂けてしまうものも…。

この後、ボランティアさんの提案で、アイロンで貼れる布で修復することになりました。

こいのぼり加工作業

修復したら、口の部分を加工します。

口にロープをつけてワイヤーに引っ掛けるのですが、今年は絡まり防止の加工を追加しました。

このように一つ一つ手作業で、毎回試行錯誤しながら修復と加工作業を行っています。

いよいよ掲揚の日!
天候に恵まれ、予定通り4月10日(火曜日)に行うことができました。

掲揚作業1

ワイヤーを用意したら、サイズや彩りなど、バランスを見ながらこいのぼりを配置。

この時もボランティアさんが大活躍!

掲揚作業2

こいのぼりをつけたワイヤーを引き上げると、こいのぼりがダイナミックに泳ぎます!

掲揚作業3

メインエントランスは人通りが多く、車やバスも通るので時間との闘いです。

通行を妨げてしまった皆さま、ご協力ありがとうございました。

8本のワイヤーでこいのぼり約150匹を掲揚し終え、作業した皆で記念撮影!

集合写真

 

おさんぽマップ2018

掲揚期間に合わせて、毎年好評の「そうぶん&MieMu おさんぽマップ こいのぼり号」も配布中!
小学生以下のお子様は、ミッションをクリアするとプレゼントがもらえますよ。

おさんぽマップは、そうぶん館内、県立図書館内、県総合博物館(MieMu)館内で配布しています。

こいのぼりマグネット

今年のプレゼントはマグネットをご用意しました。
全4種類、なくなり次第終了です。早い者勝ち!

マグネットがとっても可愛くできたので、中高生さんや大人の方にもプレゼントできるようにしました!

そうぶんのこいのぼりの写真を「#三重県総合文化センター」「#こいのぼり」とつけてSNSに投稿していただいた方にもプレゼントします。
どしどしご参加くださいね。

春のそうぶんは新緑とこいのぼりが青空に映えてとってもきれいです。
そろそろサツキも満開を迎えますよ。

日々のお散歩やおでかけのついでなどにお立ち寄りくださいね。

春のそうぶんに行こうよ!こいのぼりがいっぱい!!

掲揚期間 2018年4月13日(金)から5月6日(日)まで  
     ※休館日もご覧いただけます。
会場   メインエントランス・祝祭広場・知識の広場

ボラティア募集中!

そうぶんでは、現在、約140名の方がボランティアに登録し、さまざまな分野にわたって活動・活躍しています。

こいのぼりに関する活動は「企画運営ボランティア」が行っています。
次年度に掲揚するこいのぼりの修復作業や加工作業、掲揚・撤去作業を一緒に行いませんか?

ご自分で加工したこいのぼりが空に泳ぐ姿を最初に、間近で見ていただくことができますよ!

活動日に参加できない日があっても全く問題ありません。
ご都合の良いときに、無理のない範囲でご参加ください!

お問い合わせ先:三重県総合文化センター 総務部 企画広報係 
電話番号:059-233-1105

    取材ボランティアレポート「文楽レクチャー」

    近松門左衛門の曽根崎心中については知っていた。
    たしか、国語の教科書の「文学史」のページに載っていたし、日本史の授業でも習ったはず。
    が、しかし。
    見たことはない。
    なぜだろう?名作といわれているのに。
    おそらく、「わざわざ」文楽劇場まで見に行かなければならないのと、全く何の予備知識もなく見に行ってもおそらくわからないだろうという敷居の高さがあるからだ。
    そんな私に、ついに!文楽デビューする機会がやってきた。

    チラシ画像

    なんと!

    三重県総合文化センターで、「三重公演」が行われるのだ。
    3月21日(水曜・祝日)という、桜の花もそろそろ咲こうかという春のうきうき気分でお出かけできる日取りも嬉しいし、加えて、事前に「なぜ心中しなければならないのか 文楽の『心中物語』を紐解く」という内容の「文楽レクチャー」が行われるというので、昨年暮れに申込みをした時からずっと今日を楽しみにしていた。

    講師は、三重大学人文学部准教授の田中綾乃先生。哲学がご専門だが、長年の観劇歴から歌舞伎や文楽の解説なども精力的になさっているとのこと。

    今日は淡いピンク色のお着物をお召しになり、やわらかい語り口で、難しい言葉で書かれた詞章をやさしく、おもしろく解説された。

    3月21日の文楽公演の演目は「心中二題」。昼の部が「桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)」夜の部が「曽根崎心中」。どちらも心中物なので、なぜ、心中がこんなに日本人の心を惹きつけるのか?というテーマでお話が進んだ。先生によると、男性が死ぬ理由は、必ずしも色恋沙汰だけに限ったことではなく、お金の問題など、他の理由もある。興味深いのは、男性は自分一人で死のうと決意するのだが、それを聞いて「いっしょに死にましょう」と言い出すのは必ず女性。意志を持った強い女性と、ダメな男の組み合わせが心中しているという分析に、会場からため息が。人物の相関図を見ながら、人間関係のしがらみについての解説が始まると、おもしろくて、おもしろくて、あちこちから笑いが起きた。

    なぜ、文楽がおもしろいかって?

    それは、どうにもならない人間模様が、人形を通じてデフォルメされて表現されているからだ。生身の人間が演じると生々しすぎる心中物も、人形を通じて見ると、悲劇なのにコミカルに見え、心中がいいのか悪いのか、といった一種哲学的な問いを飛び越して、よくある浮世の物語としてスーッと心に入ってくる。いわば、現代のアニメのような役割が当時の文楽だったんじゃないか、そんな気がした。

    3月21日が今からとても楽しみだ。

    (取材ボランティア:海住さつき)

    取材したイベント

    【文楽レクチャー】なぜ心中しなければならないのか?文楽の「心中物語」を紐解く

    日程 2018年2月2日(金曜日)
    会場 三重県文化会館 小ホール

    取材ボランティアレポート「第65回名盤を聴く」

    講座風景

    ショスタコーヴィチ「交響曲第5番」が終わると、自然に会場から拍手がわき起こる。
    1983年に録画された古い映像を見ていることなど、誰もが忘れていた。
    まるで、目の前で生演奏を聴き終わったかのような高揚感。
    久しぶりに鳥肌がたった。

    2002年から続いている「名盤を聴く」。第65回の今回は「エフゲニー・ムラヴィンスキー特集 第二弾」。「第二弾」とついていることからもおわかりのように、ファンからの強いリクエストに応えて、2006年の第一弾から約10年たった今年、待望の「ムラヴィンスキー特集 第二弾」が実現した。

    今回の映像は、1983年に、ミンスク・フィルハーモニー・ホールで録画されたものなのだが、ソ連時代の古い機材で録画されていたため、日本の最新の技術で変換し、ようやく日の目をみることになったそうだ。いわば、日本人のムラヴィンスキーに対する熱い思いが、幻の映像を復活させたといえる。ただ、映像の状態は極めて悪く、途中で映像が途切れたり雑音が入ったりする場面もあった。

    しかし、そういう古さがあるため、かえってライブ感があってワクワクした。なにより、指揮者のムラヴィンスキーの表情を至近距離でじっくり見ることができるのがよい。指揮者は普通、聴衆に背中を向けているので、時折ちらっと横顔が見えるくらい。ということは、指揮者自身も、曲が終わるまで、聴衆の表情を見ることはできないわけだ。しかし、背中に注がれる熱い視線を感じないわけはなく、本番中、背中に感じるプレッシャーはとてつもなく重いに違いない。

    講座風景

    今回は、演奏の映像だけでなく、リハーサルの様子やインタビューの映像もじっくり見ることができた。リハーサルは、一小節、一小節区切りながら、ていねいにすすめていく。決して妥協することなく。まるで、音楽大学の学生が譜面とにらめっこしながらピアノの練習をしているかのような細かさ。しかし、壮大な交響曲も、ひとつひとつの音符の集まりなのだから、当然のことなのだ。そうやって、ひとつひとつ、ていねいに積み上げていった音が響き合い、ひとつに溶け合った時、指揮者ムラヴィンスキー自身が言う「至福の時」が現れる。私は残念ながら、ムラヴィンスキーの演奏を生で聴くことはできなかったが、今回の「名盤を聴く」に参加させていただいて、まるで生の演奏を聴いたかのような感動を味わうことができた。

    インタビューの中でムラヴィンスキーは、演奏に求められるのは、「客観性」や「正当性」ではない。「それは正しいのか?」という問いは無用だ。重要なのは、「説得力があるかどうか」。この演奏で、聴衆を説得することができるかどうか、それだけが求められるのだと言っていた。だから、例えば、ムラヴィンスキーの十八番ともいえるショスタコーヴィチの交響曲第五番であっても、通しリハーサルは納得のいくまで、最低10回は繰り返すのだという。オーケストラは他人との共同作業で音を編み出す作業であり、指揮者には指揮者の、団員が100人いれば100人の曲に対する思い、イメージというものがあるのだから、それらをぶつけあい、新しいものを創造していく作業というのは、苦しいものなのだ。ムラヴィンスキーが指揮台のことを「処刑台」と呼んでいたのが、大変印象的だった。長身痩躯のムラヴィンスキーは、胃が悪く、少食だったためやせていたとのこと。若いころは大げさなパフォーマンスだと言われるくらいダイナミックな指揮をしていたが、晩年は、指揮棒も使わず、動きを最小限に抑え、視線を送るだけで団員と意思疎通を図っている場面も多く見られた。たとえ、リハーサルであっても、長身のムラヴィンスキーが背筋をピンと伸ばし、指揮台に立つだけで場に集中力がみなぎる。これこそ、「巨匠」の存在感なのだろう。

    講座風景

    ロシア語のインタビューを聴いていると、ムラヴィンスキーの話す言葉自体が音楽のようだった。ムダがなく、流れるように途切れなく続いていく言葉たち。言葉はわからないけれど、ずっと聴いていたい気がした。

    録音嫌いだったムラヴィンスキー。ひとつの理由は、彼は極限までピアニッシモを抑えるので、録音では音が拾えないということもあったという。しかし、現代のテクノロジーで、幻の映像が見られるようになったことは本当に嬉しい。

    帰りに、多くの方が、次回の「名盤を聴く」の申込みをしていったのが印象的だった。生演奏を聴くのと同じくらい、もしかすると、それ以上の感動をもらえる「名盤を聴く」。もちろん私も次回も参加するつもりだ。

    【取材ボランティア:海住さつき】

    取材したイベント

    第65回名盤を聴く エフゲニー・ムラヴィンスキー特集 第二弾

    日程 2017年12月16日(土曜日)
    会場 三重県生涯学習センター2階 視聴覚室

    取材ボランティアレポート「男女共同参画フォーラム みえの男女2017 減災・復興と男女共同参画」

    講演風景

    熊本地震から1年、東日本震災から6年。
    いま改めて、減災・復興と男女共同参画について考える。

    そんなテーマで行われた今年の男女共同参画フォーラム。
    会場には、「防災」「災害」「避難所」などの言葉が飛び交い、いつもの男女共同参画とはちょっと違うハードな雰囲気が漂う。

    なぜ、防災に男女共同参画?

    そんな戸惑いの声もちらほら聞かれる中、始まった基調講演。冒頭、今までは、科学が進歩すれば地震の予測が可能になるという前提で様々な防災計画を立てていたが、科学が進歩したおかげで、逆に、確度の高い予測は困難であるということがわかり、その前提で防災計画を練り直しているというショッキングなニュースがもたらされた。

    ええっ?やっぱり地震がいつ、どこで起きるかは予測できない?じゃあ、私たちはどうすれば?

    日本では、大きな災害が起きるたびに、その経験をもとに、防災計画が見直されてきた。熊本地震は、「避難者の姿が多様化しつつある」という教訓をもたらした。指定避難所に行かず、車中泊をする人。物資だけを取りに避難所に来る人。日本語のほとんどわからない外国人の方。障がいがあるため、避難所生活が特に困難な人。妊婦さん。介護が必要な人、などなど、多様な人が、多様な支援を必要としていた。実際、熊本には、指定避難所だけでなく、小さな避難所がたくさんでき、さまざまなニーズにこたえようと多くの人が関わった。この経験からわかったことは、大規模災害時に、行政にすべてを任せることは難しいということ。今までは、何もかもやろうとしていた役所が、住民のみなさんに対して「自助」「共助」をお願いしますと言い出したことは、実は画期的なことなんですと講演者の佐谷説子さんがおっしゃっていたのがとても印象的だった。

    パネルディスカッション

    パネラーの松浦信男さんは、阪神淡路大震災で工場をなくした経験から、「自助」の重要性を痛感し、現在の工場にはいざという時に困らないようにするための工夫をこらしているという。災害の記憶を風化させないためには、家族ぐるみ、会社ぐるみ、地域ぐるみの取組が必要なのだ。

    熊本地震では、役場の建物が損壊したり、データベースがなくなったりして行政機能が低下し、1日1,000人近い応援が他の自治体から入ったという。パネラーの山本康史さんが、数多くのボランティア活動に関わってきた経験から、災害の時に最も大切なのは、「受援力(じゅえんりょく)=助けてもらう力」です!と、強調されていた。「助けられ上手」になるためには、自分が今、どんな状態で、どんな助けが必要なのか、ということを、解決する力のある相手に適切に伝えること。助けてもらったら素直に「ありがとう」と感謝の気持ちを伝えること。そういう能力こそが、いざという時に命を救う。そして、そういう能力を身につけるために、平時からさまざまな訓練を積み、コミュニケーション能力を高めておくことが、助ける側にも助けられる側にも必要なのだ。防災対策というと、家具の固定をしたり、避難経路を確認したりということにばかり目が向いていたが、コミュニケーション能力を高めておくことも危機管理のひとつなんだと学んだ。

    フォーラムの様子

    東日本大震災でも、熊本地震でも、多くの避難所で女性たちが意思決定の場に関わってこなかったことが原因で、不自由を強いられ、苦しんだと報告されている。多くの家庭で、家計をはじめ様々なことをマネージメントしているのは女性なので、女性が苦しめば、子どもも苦しむし、介護をされている家族も苦しむ。つまり、弱者に大きな負担がかかるということだ。「災害現場で男女共同参画なんて!」という声も聞こえるが、決してこれは、女性のためだけではない。避難所という狭い空間に、多様な人が集まってくる以上、多様なニーズがあり、避難所運営は柔軟であるべきで、そこに女性の視点が必要なのは明らかである。まず、女性の声を聞くことから、多様性を受け入れる柔軟な対応は始まり、外国人や障がいのある方など、さまざまな弱い立場の人達の声を聞くことにつながっていき、結果として、多くの命を救えることにつながっていく。

    講演者の佐谷説子さんはまた、「数字を集めよう」ということを強調されていた。「授乳で困っている人がいます」ということを漠然と言っただけでは具体的な支援には結びつかないけれど、この避難所に授乳に困っている女性が5人います、というようにきちんとデータを示してもらえれば、ボランティアもすぐに対応できますと、パネリストの山本康史さんもおっしゃっていたように、数字は支援を呼ぶための大きな力になるのだ。ただただ、がんばろう!という根性論ではなく、科学的に解決しましょうという呼びかけに、会場中が大きくうなずいた。

    「減災・復興と男女共同参画」は、これからの防災対策に欠かせない大事な視点。
    大きな宿題をもらった気がするが、コミュニケーション能力は女性の得意分野でもある。
    みんなで力を合わせて、大きな災害時に生き抜く力につなげたい。

    【取材ボランティア:海住さつき】

    取材したイベント

    男女共同参画フォーラム 〜みえの男女(ひと)2017〜
    減災・復興と男女共同参画 地域・企業・行政がいまできること

    日程 2017年11月11日(土曜日)
    会場 三重県男女共同参画センター「フレンテみえ」多目的ホール他

    「アーティストになってみよう!」全5回終了しました。

    お絵かきが苦手な子も好きな子もみんなが参加したくなる、いろいろアーティストと繰り広げる「いろいろアーティストとアーティストになってみよう」全5回がすべて終了しました!
    全5回の様子を少しづつご紹介します。

    ◆第1回 8月6日 絵本作家 ながお たくま 

    ながおたくまWS1
    絵本作家 ながおたくま さん 
    ゴンドラ写真
    展示されていたロープウエイのゴンドラ

    三重県総合文化センターの夏のこどものお祭り「M祭!2017」サテライト会場、三重県総合博物館MieMu「みんなののりもの大集合 〜この夏、三重をのりつくそう〜」展にて、1回目を実施しました。
    ロープウエイのゴンドラの座席に座ったり、鉄道のレール、船のスクリューなど触れる展示品を学芸員と観覧し、その後、自分だけの想像
    するのりものの絵を描いていきました。「M祭!2017」終了後、三重県総合博物館MieMuで子どもたちの作品展示を実施しました。

    ◆第2回 9月10日  絵本作家 つつみ あれい

    つつみあれいさん
    絵本作家 つつみあれい さん
    つつみあれいWS3
    講師デモンストレーションの様子

    2回目は、普段は絵を描くことができない三重県立美術館の企画展示室内で実施しました。昆虫や動物のようなかたちをした、風で動く巨大な人工生命体「ストランドビースト」の制作で世界的に知られるオランダのアーティスト、テオ・ヤンセン(1948−)の展覧会で開催しました。

    学芸員から説明を聞きながら展示作品や、「ストランドビースト」が実際に動く様子(デモンストレーション)を鑑賞し、会場を回りました。その後、自分の描きたい作品の前で、スケッチを始めました。

    画用紙いっぱいに無数の線を描いたり、指を使ったり、鉛筆を傾けて線の太さを工夫したり、みんな様々なスタイルで集中して描いていました。

    ◆第3回 10月1日  画家 ユイ・ステファニー

    ユイステファニーWS
    画家 ユイ・ステファニー さん
    ユイステファニーWS2
    リラックスしたスタイルで描いています

    3回目は、講師初登場の画家のユイ・ステファニーさんと実施しました。
    子どもたちは、講師が準備したアイマスクに絵を描くことからスタートし、出来上がったアイマスクを着けて、耳をふさいで、自分の体の中の音に耳を澄ませて、集中していきます。
    この作業で、感じたイメージを絵にしていきます。最初は集中することが難しい様子でしたが、描く場所を変えたり、床に座ったり、寝転がったり、リラックスした体勢を見つけると、みんな自分のペースで描き始めることができました。

    ◆第4回 11月5日  イラストレーター たまき なお

    たまきなおWS
    イラストレーター たまきなお さん
    たまきなおWS作品写真
    版画とオブジェが完成

    前半の3回は、絵を描くことが中心でしたが、4回目は版画とオブジェを創りました。
    スチレンボードにボールペンを使って自由に描いていきます。ボールペンでできた溝に沿って色を塗り、手で刷る作業を繰り返し、出来上がった版画をフォトフレームに飾って完成です。
    次に、使用したスチレンボードに、ひもや木の実、段ボールや布の切れ端を貼り付けて、オブジェを創りました。
    子どもたちは、出来上がった2点の作品にとても満足な様子でした。

    ◆第5回 12月10日  絵本作家・イラストレーター・あそび作家 浦中 こういち

    浦中こういちWS
    ©photographer kishi
    どるぶつお面
    ©photographer kishi

    「いろいろアーティストとアーティストになってみよう」は小学生向けに実施していますが、5回目は年長から小学3年生までの子どもたちと、保護者の方も一緒に参加できる初のプレキッズクラスでした!
    まず、2種類のどうぶつを組み合わせた「どるぶつ」お面の土台となる段ボールを選び、目の位置に穴を開けます。その後は、モールや毛糸、段ボールを使ってお面を作っていきます。最後にクレヨンで色を塗り完成です。


    みんなの考えたどるぶつ達は、どれもとってもユニークでした。その中のいくつかをご紹介します。
    ・「のこぎりざめ」と「とど」がくっついた、見た目は怖いけど心がとってもやさしいどるぶつ『とどぎりざめ』
    ・「ドラゴン」と「ヒヒ」がくっついた、空も飛べる木登りも得意などるぶつ『ドラヒヒ』
    ・「カバ」と「パンダ」がくっついた、アイスクリームが大好きなどるぶつ『カパンダ』
    ・「ブタ」と「ひつじ」がくっついた、食いしん坊で癒し系のどるぶつ『ブーメー』
    お面が出来上がった時のうれしそうな笑顔が印象的なワークショップとなりました。



    いろいろアーティストとアーティストになってみよう 詳細ページへのリンク

    「そうぶんの竹あかり」開催しました!

    今回初のイベント「そうぶんの竹あかり」は、2017年11月22日(水曜日)から12月3日(日曜日)まで開催しました。
    竹あかりのあたたかな光と色づいたもみじがフレンテみえ裏の日本庭園を幻想的な世界に創り上げました。

    ◆竹あかりの搬入スタート

    準備1

    写真は、竹あかり作家の川渕皓平さん。
    慎重に作品の配置を進めていきます。
    キャンドルではなくLEDライトが竹の中で点灯する仕組みなので、配線も同時に進めていきます。
    川渕さんと職員8名が、常に作業を共にしました。

    準備3


    朝から始まった搬入と設置作業は、日が落ちて外が暗くなってからも続きます。
    少しづつ浮かび上がる全体像に、わくわくしながら作業を進めました。

    ◆来場者数、延べ4,000人を超えた「そうぶんの竹あかり」

    11月22日(水曜日)に幕開けした初開催のイベント「そうぶんの竹あかり」。開催期間11日間の来場者数は、延べ4,000人を超えました!!
    ゆっくりとカメラと向き合う方、ワンちゃんと一緒にお越しの方、当センターで実施された催しと合わせて観にいらした方、ご家族連れやまたお友達同士と、たくさんの方に足をお運びいただきました。
    寒い中お越しいただき、みなさまありがとうございました。

    竹あかりの様子
    竹あかり全体写真

    ◆竹あかり作家・演出家 川渕皓平さん

    作品制作と会場演出を手掛けたのは、竹あかり作家・演出家の川渕皓平さん。
    今回のイベントでは、夏に実施した「M祭!2017 キッズ・アート・フェスティバル」内のプログラムで、川渕さんと子どもたちが一緒に制作した竹あかり作品も展示しました。

    <アーティストプロフィール>
    川渕 皓平 
    Kohei Kawabuchi

    1985年奈良県生まれ。三重県伊賀市在住。
    canaarea代表。

    2016年三重県内で開催された5月の「伊勢志摩サミット」、9月の「みえレインボーフェスタ」、11月の「海女サミット」で会場を彩った“竹あかり”の制作・演出に関わる。
    また、2017年6月1から3日まで、伊勢市で開催した伊勢志摩サミット1周年記念イベント「わわわっしょい!in伊勢志摩」の実行委員長を務め、灯り制作指導・総合演出も手がけた。
    2017年8月6日(日曜日)に実施した「M祭!2017 キッズ・アート・フェスティバル」では、子どもたちと一緒に竹あかり作品を制作し、「そうぶんの竹あかり」でも展示した。
    また、2017年12月から台湾・台東県内に滞在して芸術交流を行う台東県政府文化処主催の「日台芸術家交流事業」として、書道家 伊藤 潤一と共に、台東県にて芸術交流活動を行う。

    ◆開催期間中のスペシャルイベントを少しご紹介!

    「そうぶんの竹あかり」開催期間中には、スペシャルイベントも実施しました。

    ◇11月24日(金曜日) 三重県総合文化センターで初開催の「M-PAD」

    M-PAD林英世さん

    [M−PADって?!]
    「おいしくてあたらしい料理と演劇の楽しみかた」として2011年から晩秋の三重の催事として始まったM-PAD。
     三重県内の「おいしい!」お店で自慢の料理を楽しむ。文学・古典作品を俳優の声や身体を通してご覧頂き楽しむ。見終わってから料理や作品を語り合って楽しむ。お店と全国から選りすぐった俳優たちのコラボレーション。素敵なお店で実施しているこの企画。

    今年は、初めて三重県総合文化センター内で開催し、カフェ・レストランCotti菜でお食事を、そして竹あかりを舞台に屋外にて上演しました。M-PADのチケットは早々に完売しました。

    ◇11月25日(土曜日) 新日本フィルハーモニー交響楽団の楽団員による弦楽四重奏のミニコンサート

    ミニコンサート写真


    この日は、大ホールで「久石譲指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団特別演奏会」の開催日でした。コンサート終了後に、新日本フィルハーモニー交響楽団の楽団員による弦楽四重奏のミニコンサートをフレンテ1階の特設会場で実施しました。

    1階は立ち見が出るほど満席に、そして2階の通路までお客様が並びました。
    フレンテ1階は、素敵な音色に包まれました。

    ◇11月25日(土曜日) お茶処なごみ 特別営業「夜なごみ」

    夜なごみ写真


    フレンテみえ1階には、御園棚や野点傘をしつらえました。
    竹あかりを窓ガラス越しに眺めながら、お菓子とお抹茶を味わっていただく、特別な夜営業となりました。

    そうぶんの竹あかり 詳細ページへのリンク

    「harunachicoさんの冬の窓アート」完成!

    2017年12月17日(日曜日)アートショップMikke(みっけ)にて「harunachicoさんの冬の窓アート」ライブペインティングを開催しました。当日の状況をお届けします。


    朝10時
    まずはヤグラに乗って右上からスタート。
    「浮かんだものを描き始めると、描きたいものがどんどん浮かんでくる。」呼吸をするように筆を運んでいくのがharunachicoスタイル。

    下絵もなければ、これを描く!という決まりはない。

    普段の作品作りでは筆を使用しないharunachicoさん。
    『筆で白一色、時間制限あり』という今までにはないスタイルでの新たな挑戦、まさに、窓アートという名の「アドベンチャー」が始まった。


    12時
    少しずつ絵が出来上がってくる。筆に加えてローラーも使い始める。ローラーで描くと、同じ白でも濃淡が出てきて面白い。
    少しずつ「harunachicoの世界」が広がっていく。


    14時
    左側の窓を描き始める。
    「今何描いてるのー?」「犬がいるー!」
    「猫!」「うさぎ!」「雪だるまだー!」
     子どもたちからの声をうっすらと耳にしながらも、筆が止まることがないharunachicoさん。
     動物好きのharunachicoさんの作品には動物がたくさん登場する。
     

    テスト

    16時
    はしごから降りて、全体を俯瞰しながら描き足していく。
    終わりの時間が近づいてくる。
    「もう少し!がんばれ harunachico さん」
    16時15分
    「完成!」harunachicoさんの優しい声が聞こえると、観客のみなさんから暖かな拍手が起こった。

    休憩もほとんどとらず6時間。「窓アート」と向き合ったharunachicoさん。小さい体から満ち溢れるエネルギー。
    その姿をずっと見ていた男の子からは、「僕も絵描きさんになるー!」という声が。大人が生き生きと絵を描いている姿は、どのように映ったのでしょうか。

    harunachicoさんの窓アート。

    タイトルは、「はしごの上の冬ごもり」

    2018年2月12日(月曜日・祝日)まで展示しています。

    日が落ちてから、白く浮かび上がる窓アートもおすすめです。

    アートショップMikkeでは、窓アート展示期間中限定で、harunachicoさんの作品の展示販売をしています。時間をかけて丁寧に作られた作品は、すべて一点もの。是非窓アートと一緒にお楽しみください。
    また、窓アートの写真をとって「#harunachico」「 #アートショップMikke」をつけてSNS投稿をしていただいたお客様には、先着200名にharunachicoオリジナル缶バッジをプレゼント。投稿画面をアートショップMikke店頭でご提示ください。

    アートショップMikke

    ●harunachicoさんの冬の窓アート

    2018年2月12日(月曜日・祝日)まで
    展示場所:文化会館1階 アートショップMikke(みっけ)

    harunachicoさんの冬の窓アート詳細ページへのリンク


     

    オイスターズ「君のそれはなんだ」稽古場レポート

    この12月、三重県文化会館小ホールに初登場する、名古屋の劇団オイスターズ。
    来年結成10周年を迎える彼らの特徴は、何と言っても会話の面白さ。 舞台セットや音響・照明を極力とっぱらって、まるで落語のように、会話だけでどんどんゆる〜い世界に引き込んでいく、脱力系演劇です。
    昨年第61回岸田國士戯曲賞の最終候補にノミネート、今年9月に行われたばかりの短編演劇の祭典「劇王?〜アジア大会〜」でも第11代劇王に輝いた、作・演出の平塚直隆さんが放つセリフは一級品。今回は、その稽古初日にお邪魔しました。
    稽古場では、台本会議が行われ、出演者のやりたい役や演じてみたい状況を聞きながら、どんどん話が展開していきます。プロット(話の展開)は決めずに、まず最初の設定ありきで、そこから何回か書き直し、しっくりきたら一気に書き進めるスタイル。特に今回は最初の設定の面白さが最大のポイントになりそうとのことで、会議の中でも最近見たコントの話題が。 また、これまでも舞台上の一人がその場を動かずに、周りの人間だけが動いて話が進んでいくなど、作品の構造の面白さにも挑戦してきたオイスターズ。今回も演劇ならではの試みが期待できます。

    オイスターズ

    作・演出の平塚直隆さんへインタビュー

    ■まず、今回のタイトル「君のそれはなんだ」について教えてください。

     最初、面白そうな言葉だけをいくつか出して劇団員に見せて投票してもらうんですよ。そうやって決まったものを僕は書くって言ってるんです、いつも。 僕の中に書きたいものは普段ないので、もう書くってならないと書けない。偶然の産物じゃないですか、皆で決めたものだから。そういう偶然のほうが自分の思ってもみない、発想にないものが書けるんじゃないかって。最初「お前の靴はどれだ」になったんです。でも、ちょっと言葉が強いな、もっと曖昧にでふわっとできないかなと思って。「お前の靴はどれだ」→「お前のそれはなんだ」→「君のそれはなんだ」…あ、これいいね!という感じで決まったんです(笑)。この前書いた「無風」というタイトルも何も起こらない作品で、どうも今年は曖昧な、不確かなものが書きたいみたいです。

    ■いつもチラシにあらすじのようなものを書かれていらっしゃいます。それは、タイトルから連想してまず書いてみるということでしょうか?

    あらすじみたいに思われたりするんですが、僕の中では練習書き。どういう肌触りなのかなということを確かめるためにつらつらと書くんです。「ここはカナダじゃない」も、全て話が終わった後のことを書いているし、きっとどっかにはつながってくるんだろうなというのはあるんですが、あらすじそのものではないですね。今回は冒険みたいなことがしたいと思っていたので、チラシのような文章になりました。

    ■昨年の岸田戯曲賞最終選考の際のように別役さんに触れて評されることが多いですが、影響を受けた人や物は?

    それはもう圧倒的に別役実さん※1と北村想さん※2ですね。学生時代に自主映画を撮っていたんですが、シナリオってどう書くのかなと思って。学校の図書館に行ったら、シナリオと戯曲の欄というのがあって、そこに別役実さんと北村想さんの本しかなかったんです。だから僕はあれがシナリオだと思っていて。それで読んだらこれは戯曲っていうんだ、演劇の本なんだとわかって。でも面白かったんですよね、最初に読んだのが。想さんの本だったと思うんですが。僕はそもそも演劇って児童劇でしか見たことなかったので、これどうやってやるんだろうって。本の巻末を見たら、北村想さんが今名古屋に在住してて、プロジェクト・ナビっていう劇団をやっているって知って。それで、大学卒業して、プロジェクト・ナビに入りました。その時に北村想さんも別役実さんも全部読みましたね。なんだ、この不思議な感じって。それがあるので、別に別役さんを真似してというわけではないんですが、僕が面白いと思うものを書いたら、自然と別役さんみたいになっちゃう。

    ■不条理劇を書いているという認識はありますか?

    ないですね、それは。長いコント書いてるみたいな。不条理劇よりナンセンス・コメディのほうがしっくりくる感じです。韓国公演をした時にも言われました。不条理劇って書くと難しいと思われるから、韓国のお客さんは来ないから、ナンセンス・コメディって書いたほうがいいよって(笑)。

    ■最初は映画を撮られていたのとことで、演劇を始めて違いはありましたか?

    映画は一人だけの作業だなって。自分が面白いと思うものに確実に自信があって、こうしたい!って思うものがあれば映画のほうが合ってると思います。でも、僕はそれよりも相談しながらが好きみたいです。だから、自分だけじゃない。こう書かれたものをそうやるんだ、みたいなのを取り入れて、一緒になって作っていくのが楽しいんですよね。

    ■最後に、三重初単独公演ということで、一言お願いします!

    ずっとやりたいなと思ってたんですよ、三重で。でもなかなか名古屋と三重で両方やるのは難しいのかなって。たた最近になって、僕らも名古屋を拠点と謳っていますが、活動をもうちょっと東海地方に広げようと思うようになって。だから、豊橋や池鯉鮒でもやっています。名古屋市内にこだわらなくてもいいんじゃないかと。それは、名古屋以外にも周りにきれいな良い劇場がたくさんできたから。そこに三重県文化会館もあって。今回(若手の劇団向けの)Mゲキネクストの募集があった時に、僕らは若手じゃないけど、やってみたいと応募したら、通ったので(笑)。過去に一度短編で他にもいくつかの劇団がやった中の一つ(C.T.T.三重/2010年2月)として出たことはあるのですが、単独では初めて。僕の中では念願叶ってようやくやれるなという思いがあるので、嬉しいです。三重でやってる劇団は面白いところが多いなっていうのがあったから、気になっちゃって。皆いい劇団は三重でやる(笑)。

    とても柔らかな表情で語ってくださった平塚さん。 実は、普段の公演では稽古期間は超短期型だそうで、2週間も劇場に滞在して作り込むのは初めてとのこと。 初めてだらけのオイスターズ最新作。どうぞお楽しみに。

    【注釈】
    ※1 別役実(べつやくみのる)…1937年満州生まれ。戦後日本を代表する不条理劇の名手。1967年「マッチ売りの少女」「赤い鳥の居る風景」で第13回岸田戯曲賞受賞。
    ※2 北村想(きたむらそう)…1952年滋賀県生まれ。高校卒業後に名古屋に住み始め、1979年劇団「TPO師★団」を旗揚げ。その後、名前を変え「プロジェクト・ナビ」として2003年まで活動。1984年には、「十一人の少年」で第28回岸田國士戯曲賞受賞。現在は伊丹市立演劇ホールにて、戯曲講座「伊丹想流私塾(いたみ・そりゅうしじゅく)」の塾長をつとめる。

    Mゲキ→ネクスト2017 オイスターズ「君のそれはなんだ」

    《出演》田内康介 川上珠来 柴原啓成  平塚直隆 鈴木亜由子[星の女子さん/FAAN]
    《日程》12月9日(土)18時00分開演・12月10日(日)14時00分開演
    《会場》三重県文化会館 小ホール
    【関連企画】平塚直隆演劇ワークショップ
    《日程》12月2日(土)15時00分〜19時00分 《会場》三重県文化会館 小ホール

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    【取材ボランティアレポート】日本人はどこから来たのか?3万年前の航海徹底再現プロジェクト

    講演風景

    「日本人は大陸からやって来た」。

     何となく、そう信じてはいた。

    マンモスも、仏教も、漢字も、豆腐も、元はといえば、み〜んな大陸からやって来たのだから、日本人も同じルートをたどったのだろうなあと思ってはいた。
    マンモスはたしか、日本列島が大陸と地続きだった時に歩いてやってきたはず。
    仏教は船に乗って中国に渡ったお坊さんたちが、必死の思いで持ち帰ったんでしょ?

    じゃあ、そもそも日本人は、いつ、どうやって来たの?

     「最初の日本人は、3万年以上前に海を越えてやってきました。その証拠に、約3万8000年前頃(後期旧石器時代)の遺跡が日本中で1万箇所みつかっているんです」。

    海部陽介さんのお話は、3万8000年以前の遺跡が日本ではみつかっていないこと、3万8000年前を境に、どっと遺跡が増えるということは、その頃に何かが起こった、つまり、誰かがどこかから来たと考えるのが自然だというところから始まり、実は、その頃というのは、ホモ・サピエンスが全世界に広がり出した時代なんですよ、とテンポよく展開していった。原人・旧人にはできなかったがホモ・サピエンスにはできたこととは何でしょう?という質問が投げかけられると、会場中から一斉に「海を越えた」「寒い地方に行った」という声が次々あがる。まるで、アクティブ・ラーニングの教室のようだ。開始5分であっという間に聴衆は海部さんの話術に引き込まれ、すっかり3万年前の航海再現プロジェクトの乗組員になったかのような気持ちになった。

    講師

    具体的には、台湾から与那国島の航海を再現するのがこのプロジェクトの目的。なぜなら、当時、大陸と日本は、少なくとも沖縄ルートは陸続きではなかったので、船に乗って渡ってきたということがわかってきたからだ。つまり、海部さんたちが取り組んでいるのは、人類が最初に作った船を再現しようという試みでもある。

    船の材料としては、草、竹、丸木の3つの可能性を考えており、まずは草で作ることに取り組んだ。材料を草にするだけではなく、道具もすべて、当時の遺跡から出たものを使うから、例えば、草を刈るのに鎌を使わず、石器を使ったり、方角を見るのに道具を使わず目視に頼るとか、すべて手探りで当時の状況を再現していく。ありとあらゆる英知を集め、成功に向けて、日本だけでなく、台湾も巻き込んだ一大プロジェクトになっている。

    第一回目の実験の様子を撮った映像を見せてもらった。ようやく船の準備が整って、海にこぎ出すのだが、たった7人の男女が、笠帽子をかぶって、波間に木の葉のように揺られながら、小さな草の船を必死で漕いでいる姿を見ていたら、思わず手に力が入ってしまった。がんばれ!負けるな!でも、無理しないで!無事で帰って来て!

    結果として、1回目の実験は失敗に終わってしまったのだけど、2019年の本番に向けて、準備は着々と進んでいるという。

    実験の様子はテレビ番組にもなっているので、ぜひご覧いただきたい。

    講演が終わるころには、すっかり海部陽介さんを始め、プロジェクトのメンバーのファンになってしまった。もしもこの航海が成功すれば、日本人のルーツに関する研究が大きく前進することは間違いない。私たちの祖先が、人類初の航海を成功させて渡ってきたなんて、何て誇らしいんだ!しかも、それを実証したのが日本人のチームだなんて、私たちにとって大きな自信になる。

    お名前に「海」の字が入っている海部さん。自ら現場に出て陣頭指揮をとっておられ、すっかり日焼けして、その横顔が精悍な正真正銘の「海の男」。きっと3万8000年前にも、海部さんのような方がいて、海を渡って新天地を切り開くというロマンを実現させたにちがいない。

    プロジェクトの成功を心から応援したい。

    (取材ボランティア:海住さつき)

    取材したイベント

    日本人はどこから来たのか?3万年前の航海徹底再現プロジェクト

    日程 2017年9月23日(土曜祝日)
    会場 三重県男女共同参画センター 多目的ホール

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