三重県総合文化センター ブログ

取材ボランティアレポート「漂流民 大黒屋光太夫の地を歩くー光太夫の白子・若松を訪ねてー」

伊勢若松駅

本日の講座は伊勢若松駅から始まります。
大黒屋光太夫―
鈴鹿市白子から出航した船頭が巡り巡ってロシア皇帝エカテリーナ二世と謁見し10年の歳月を経て日本に帰港した、この歴史上の人物のことを三重県民はどのくらいの人が知っているのでしょうか。
名前は知っていても簡易な概要しか知らなかったところ、鈴鹿市学芸員の方の説明は非常にわかりやすく、すんなりと頭に入り、帰国までの長い行程も映画のようにリアルに浮かび上がります。

心海寺
書物『極珍書』の実物

地元の大黒屋光太夫顕彰会のみなさんには、1798年に心海寺の住職が生存者の1人である磯吉から話を聴き留めた書物『極珍書』の実物を見せていただきました。参加者全員がどよめき、「政府の役人がまとめたものなら重要文化財の価値がある代物なのですが、一介の住職がまとめたものなのでこれは何ものでもないんですよー」なんて自虐ネタで笑わせていましたが、年代を感じさせない装丁は代々大切に保管してきた証。郷里の人々の大黒屋光太夫たちへの愛情が窺えます。
 河原徳子先生の講義は井上靖『おろしや国酔夢譚』と吉村昭『大黒屋光太夫』を朗読により比較するもので、巧みな語りがBGMの太鼓の生演奏と相まって、遠州灘の暴風雨、極寒ロシアでの凍傷による脚の切断シーンは息詰まる緊張場面の物語性をより高めて臨場感あふれるすばらしいものでした。
歩く距離もほどよく、頭も使い、郷土の歴史を深く学べ、良いこと尽くしなのですが、さらに歴史講座だからか1人で参加されている方もおり、こちらも気が楽になる講座となりました。

快晴で波穏やかな港

さらに、一足伸ばして町中をぶらり。
せっかく講座を聴いたのだからより大黒屋光太夫たちを知りたく、港までふらりと歩いてみました。快晴の波穏やかな浜。光太夫たちは何の不安もなく江戸まで5日程度の旅をここから出航したのでしょう。
それから日本の地を踏んだのは10年後、さらに郷里の地を踏んだのは20年後。1986年に発見された『大黒屋光太夫らの帰郷の文書』には存命であった母親と逢い、伊勢へお礼参りに行ったことが記述されているそうです。これは幕府から軟禁され罪人のように扱われ寂しい晩年であったとする説を覆す新しい発見であるとともに明るい歴史を光太夫に与えたものでした。
しかし、若松東墓地には消息を絶って2年後の三回忌に荷主が建立した光太夫たち「神昌丸」乗組員の供養塔があります。帰省した光太夫は自分の法名と亡くなった乗組員の名前を見て何を思ったのでしょうか。出航時17歳だった1番若い磯吉はさておいても、船頭の自分だけが生き延びて帰国した現実。さらに英雄であるかのように扱われ請われるままにロシア語を書いてみせる日々。光太夫の真の心境は明確にはされていないのですが、影は確かに光太夫の中に存在したのだろうと想像を巡らせてしまいます。
記念館のロシア語の展示物は影なのか、光なのか。

大黒屋光太夫は単なる歴史上だけの人物ではなく、現代の社会人と同じく管理者としての責務や困難を生き抜く力を教えてくれる良き先人であるのだと強く実感し、伊勢若松駅へと向かいました。

 (取材ボランティア 鈴木ゆかり)

取材したイベント

漂流民 大黒屋光太夫の地を歩くー光太夫の白子・若松を訪ねてー

開催日 2019年5月8日(水曜日)
場所  大黒屋光太夫記念館、若松公民館(鈴鹿市若松)とその周辺

取材ボランティアレポート「ワンコインコンサートvol.97 ピアノ ジャン・チャクムル」

ジャン・チャクムル

新年度初のワンコインコンサート。
本日のコンサートは第10回浜松国際ピアノコンクールの優勝者ジャン・チャクムルさんです。昨年の同コンクールは直木賞『蜂蜜と遠雷』の影響もあってか1次予選から大変賑わったとか。

と、言うことで本日も大盛況。開場30分前なのに長蛇の列。振り返っても最後尾が見えません!

本日のプログラムは本人の強い希望により決まったそう。当コンサートは浜松国際ピアノコンクール優勝者の凱旋ツアー。そして光栄にも本日はツアーの初日!

 

そんなジャン・チャクムルさんの様子はと言うと・・ふわふわとした長髪を掻き上げ、1曲1曲を丁寧に、愛着を持って弾いてる姿はとても好感が持てます。それはまるで放課後に男子学生が音楽室で弾いているような。女子人気がUPしそうな予感。

そして観客のみなさんは・・気持ちよさそうに寝ておられます。
前説で「クラシックあるあるなので寝てもいいですよ〜」と言われていたのですが、おそらくは不可抗力でしょう。それも仕方ありません。ピアノは本人持ち込みの「Kawai SK-EX」。チャクムルさんが自分の演奏に最も適しているとコンクールで選んだピアノなのです。低音は柔らかく、でも重厚に、高音は優しくそして軽やかに。音楽が優しく優しく耳から入り込み穏やかで温かい音色となって身体中を満たしていきます・・。

軽やかな指さばきで、まるで連弾しているかのような重音がホールに響いていきます。
反面、チャクムルさんは休憩も取らずに引き続け、その集中力と表現力には感嘆させられました。

 

注目は、最後に演奏した自国トルコのピアニスト作曲の曲。トルコの伝統楽器『サズ』を弾いているようだと聞いていたのですが、演奏姿を観るのは初めてです。
不意に演奏中に立ち上がり、左手をピアノの中に突っ込んでワイヤー(と思われる)をはじき出したチャクムルさん。同時に右手で鍵盤を叩きます。その奇妙な姿に観客は度肝を抜かれ息をのみ、声にならない驚きがホールを走り抜けます。それまでの心地よい音色とは一転し、演奏姿は音色に身を任せトランスしながら弾いている弦楽器奏者のよう。確かに自分を魅せる曲目を上手く選んだものだと感心させられました。


アンコールは、シューベルト(リスト編曲)「美しき水車小屋の娘」。静かで暗く悲しい歌曲をなぜアンコール曲に選んだのでしょうか。
なるほど、内向的な片恋の旋律もリストの複雑な運指によって華やかに立体化され、若い男の恋慕の苦しい内情がリアルに響いてきます。そういえば若い恋とはこういった一途で激しいものであったものであったな・・と、突如として感慨深く思い起こされ。ピアノを一心に弾いている若いチャクムルさんと水車小屋の若い男とが重なって見えて短い物語の中に引きずり込まれたかのような錯覚が起こってきます。またいい曲を選んだなーーと、感心しきり。


演奏後、満場の拍手に身体をちょっと傾けて「テヘッ」とはにかんで笑った青年は、昨日とは大きく違う世界へ一歩を踏み出しました。この凱旋ツアーが終わる頃にはもうはにかんだ「テヘッ」は観られないんだな・・と、少し寂しくもあり。でも、名のある交響楽団を後ろに堂々とそして深々とお辞儀をするチャクムルさんの姿がふと目に浮かんできて「またどこかで観てみたいな」なんて、訪れた観客も夢をみることができた、幸せなワンコインコンサートでした。

 (取材ボランティア 鈴木ゆかり)

取材したイベント

ワンコインコンサートvol.97 ピアノ ジャン・チャクムル

開催日 2019年4月16日(火曜日)
場所  三重県文化会館大ホール

取材ボランティアレポート「こいのぼりがいっぱい!」

こいのぼり2019

寒のもどりで関東に雪が降った翌日。
まだ冷たい強風の中、企画運営ボランティアとそうぶんスタッフが150匹ものこいのぼりを揚げると言うので写真撮影がてらお手伝いに行ってきました。

ボランティア初日の朝9時。
雨天順延のお天気を気にしながら祝祭広場に到着です。広場にはもう数人のボランティアらしき人たちが集まってきています。
「さあ始めましょうか!ワイヤーを伸ばしますよー」とスタッフがニコニコと威勢良く開始を告げる。

伸ばしたワイヤーに等間隔でついているフックにこいのぼりのロープを掛けていきます。
フックが硬くてちょっと手強い。
しばし広場は無言となります。
でも、みんなが真剣になるのはそれだけが理由ではありません。
時々強風が吹く広場では、きちんと留めておかないとロープが切れてこいのぼりが飛んでいってしまうのです。
ロープが掛かったらフックの上からさらに結束バンドで固定します。

「この固定の仕方は間違ってるよ、ここを留めないとね。ここだと風で引っ張られてフックが開くかもしれないからね」
ちゃっちゃっと手際よく固定していくボランティアのY氏は立ち姿も力強い・・・って、あれ?さっき居ませんでしたよね。
「途中抜けてプールに泳ぎに行ってきた」
元気だ。そして、自由だ!
自分の好きな時間に無理なく活動ができる。それがそうぶんのボランティアの良さなんでしょうね。

こいのぼりを並べて、色をそろえて長さをそろえて。
パッと散った色とりどりのこいのぼりたちで広場はお花畑のよう。

「さあ、ワイヤーを上げますよー!お願いしまーーす!」

カーゴパンツに黒いスタッフジャケット、ヘルメットにトランシーバーを携えて屋上のスタッフと連絡を取る女子スタッフたちはガテン系の現場監督のよう。なんとも頼もしい。

作業風景
作業風景


連絡をもらって左右の建物の屋上で待機していたスタッフがグングンっと力強くワイヤーを引っ張っていく。
メザシのように吊されていたこいのぼりたちがズンっズンっと静かに空へ上がっていく・・・。
まだまだ、どんどん、どんどんと引っ張られ、みんなの目線も上へ上へと上がっていき総長7メートルのこいのぼりがあんなに高く。

「第一弾完了ですっ」
ワイヤーにずらりと並んだ色とりどりのこいのぼりたちが一斉に風を受けて空に泳ぎ出す。

こいのぼり

「いいわねぇ、こんなに大きなこいのぼりは最近見ないものねぇ」
「はい。それにこれだけたくさん並んでいると壮観ですよね」
日本にこいのぼりがあって良かった!どこかで聞いたことがあるフレーズをかみしめて、みんな青空を見つめる。

「あ、飛行機雲!」
「あっちにもあります!」

ガテン系だった女子たちが急にフツーの女子に返ってスマホを空に向ける。
春の偏西風に乗った飛行機にこいのぼり。
そうぶんの満開の桜にこいのぼり。

「明日は雨になるそうなのでこの景色はとりあえず今日だけですね」
そっか、残念。
けど、どんなことでも一番が見られるのは頑張った者の特権。ちょっとお得な気分。

「あ、でも明日はそこの廊下に小さいですけどこいのぼりを揚げるんですよ」
え、室内にこいのぼり?
「そうぶん25周年のイベントなのです」
ふふ、と自慢そうに笑うスタッフ。

そうか−−−
じゃあ、『あしたもそうぶん!』。

(文と写真/取材ボランティア:鈴木ゆかり)

春のそうぶんに行こうよ!こいのぼりがいっぱい!!

開催期間 2019年4月12日から5月6日まで
場所   三重県総合文化センターエントランス・広場

イベント詳細ページへのリンク

取材ボランティアレポート「おしゃべり古典サロン−vol.2『伊賀越道中双六』」

講座の様子

最初はおっとりとした話しぶりだった田中綾乃先生が、だんだん早口になっていき、最後は、木ノ下裕一さんとのバトルトークに!お二人の本気の掛け合いに観客は魅了され、あっという間に二時間終了。

えーーーーっ?もう終わっちゃうの?

 と思ったら、今回は「サロン」が準備されていた。お二人のおしゃべり終了後、場所を移して、お茶とお菓子をいただきながらの歓談タイムが設けられているという演出に、お客さんから「また、来年もやってほしい」という熱いラブコールが。ぜひ、第3弾もよろしく!

会場の様子

「おしゃべり古典サロン」は、木ノ下歌舞伎主宰の木ノ下裕一さんと、三重大学人文学部准教授、カントの哲学がご専門の田中綾乃先生のお二人が、大好きな古典芸能について自由におしゃべりするという企画。テーマは決まっているものの、どんなお話が出るかは当日のお楽しみ。おそらくお二人も、その場の流れに身をまかせていらっしゃるのではないでしょうか。いわば、お二人のおしゃべりそのものが、舞台芸術の魅力である「即興性」に満ちていて、おそらく再現不可能。こんな楽しい授業が聞けるのなら、また、大学生になってもいいなあとちょっと本気で考えてしまった。

帰宅してからノートを開いてびっくり。たった二時間のレクチャーだったのに、ノートをほぼ三分の二使い切っていた。お二人のお話はおもしろかっただけでなく、覚えておきたい内容満載だったので、ドキドキしながらおしゃべりを聞きつつ、手は忙しく動いていたらしい。実は私、伊賀上野の生まれ。しかし、「伊賀越」といわれて思い出すのは、お漬物。自分の生まれ故郷が、こんな有名な仇討の舞台だったなんて全然知らなかった。人形浄瑠璃も歌舞伎も、古典に詳しくない私にとっては敷居が高く、予備知識なしで見たらたぶん全然内容わからないはず。トークの合間に、お芝居の最も感動的な場面の映像が流れた時、びっくりするくらいセリフが聞き取れて、まるで、外国語の映画を見て内容が理解できた時のような感動。これは、人形浄瑠璃バージョンも歌舞伎バージョンも全部見るぞ、絶対!

古典芸能は、最初はこんな風に入っていくのが正解なんだと思う。高校の古典の授業では、動詞の活用や単語の暗記など、細かいところにばかり目が行ってしまい、物語全体を楽しむゆとりがあまりない。ただ、一度だけ平家物語を琵琶法師の語りで聞いたことがあり、そのテンポのゆっくりさに心底驚き、時の流れるスピードが昔は全然違ったのだということがストンと落ちたことがある。もし、「伊賀越物」のように、ドラマとして最もドロドロしていて、悲劇もありつつ喜劇的要素もあり、笑いと涙の両方を誘う作品を、最高の役者の演技で見せたら、絶対に、日本人の「古典偏差値」は上がるはず。「おしゃべり古典サロン」は、ぜひ、高校生の前でやっていただきたいなあ。

あと、トークというのは、好きなものについておしゃべりする時に最もヒートアップするということがよくわかった。初対面の人と、おしゃべりで盛り上がりたければ、相手と自分が共通して好きなものを探して、それについて話せばいいことを学びました。
木ノ下さん、田中先生、本当にありがとうございました。

(取材ボランティア:海住さつき)

取材したイベント

おしゃべり古典サロン「伊賀越道中双六」

日程 2019年1月14日(月曜祝日)
講師 田中綾乃さん(三重大学人文学部准教授)、木ノ下裕一さん(木ノ下歌舞伎主宰)
場所 三重県生涯学習センター 視聴覚室

取材ボランティアレポート みえアカデミックセミナー2018「「障害」表記の問題―障害、障碍、障がい、しょうがい―」

講演写真

私は、以前ある文章に「障害」と書いたとき、「障がい」であるとして校正を受けたことがありました。「障害」は今では「障がい」と書くとその時初めて知りました。以前は普通に使われていたものが、今では差別用語とされているものがいくつかあります。文を書くからには、常に言葉の変遷に敏感でなければならないとつくづく思います。「障害」についてもきちんと学べば、きちんとした記憶が残り、以降間違えることはないとの思いから今回この講座を受けることにしました。

「障害」表記は、これまで様々な検討がなされてきました。
内閣府による検討委員会において、見直しに賛成の人から「障害」表記がなぜ悪いといわれるようになったかというと、「障害」という表記では、日常生活や社会生活上の支障・困難の原因が本人にあると思わせる、あるいは障害者があたかも他人を「害」する人であるかのように思えて不快な思いをしている人がいるという意見が出るようになったからです。「障害」表記の見直しに反対の人たちもいます。理由は、「『障害』は、個人の持つ否定的な特性ではなく、社会が持つ障壁によってうみだされている不利益や抑圧である」というのです。

「『害』を『がい』や『碍』に変えることだけでは問題の解決にならない、『障害』の表記よりも具体的な政策の内容が重要」という人もいます。「障害者が害を及ぼすというようなイメージがあるというのであれば、むしろそのイメージの方が間違った障害理解であるということを、何度でも繰り返すべき」と主張して、「障害」表記の見直しに反対する人もいます。内閣府ホームページ上の意見募集でも、「障害」支持4割、「障碍」支持4割、「障がい」または「しょうがい」支持1割、その他1割と意見は分かれているそうです。

講師

そこで最終的な政府の見解として、国としては、当面「障害」表記とするということでした。都道府県別に見てみると、「障がい」表記を用いている都道府県が16道府県あり、三重県もその中に入っています。さらに三重県では29市町のうち、「障がい」表記をとっているところが20市町もあります。三重県に住む私としては、「障がい」表記を今後も使っていこうと思います。

一つの言葉をとってみても、どう考えるかは千差万別であり、非常に難しいものがあります。今後もまだまだこうした言葉の表記の問題は出てくるのかもしれません。講師は、「どのような表記をするかは個人の判断に委ねられるべきであり、どのような表記を使うにしても特定の表記を強要し、単なる言葉狩りに終わって、真の問題解決から遠ざかることにだけはなってはならない」と話されました。今回この講座に参加したことで、「障害」表記の問題を少しでも理解でき、自分の選ぶべき表記について考えることができたことに感謝します。

なお、公開セミナーの後半は、「介護予防は日本を救うキーワード 〜縮む・ゆがむ・かわく〜」をテーマに講演がありました。

(取材ボランティア:興味津々子)

取材したイベント

みえアカデミックセミナー2018高田短期大学公開セミナー

演題 「障害」表記の問題―障害、障碍、障がい、しょうがいー
講師 高田短期大学子ども学科・介護福祉研究センター教授・センター長 千草篤麿さん
日程 2018年8月18日(土曜日)
場所 三重県文化会館 レセプションルーム

取材ボランティアレポート みえアカデミックセミナー2018「我が国の西洋音楽が辿った道」

講座の様子

音楽療法という言葉に魅せられて、この講座に参加をしてみました。小さいころに自分の中に刷り込まれた童謡・唱歌は、年を取って来るにつれ懐かしさが増し、曲が流れていたりすると一緒に口ずさみたくなってしまいます。今まで私は、童謡は子どもたちのための歌、唱歌は小学校で習った歌と大雑把に思っていました。この講座では特に唱歌に対して、その定義から変遷について教えていただきました。

講師

文部省唱歌というものは正式には存在しないというものの、共通認識として、明治43年の「尋常小学読本唱歌」から昭和22年の「国定教科書」までのものをいうそうで、作詞者作曲者が一切公表されなかったのだそうです。 

唱歌にもいろいろ変遷があったようです。明治当初に西洋音楽が導入され、讃美歌を訳した「蛍の光」や「あふげば尊し」が作られました。そうして、明治20年代には唱歌教育が本格化し、「君が代」や「一月一日」が作られました。日清・日露戦争がはじまると、国威高揚のために軍歌も唱歌の一種として作られたそうです。やがて、「言文一致唱歌」運動がおこり、「モモタロウ」や「キンタロウ」が作られました。さらに時代が進むと、滝廉太郎や山田耕筰などの芸術性の高い歌の作曲者たちが現れました。大正デモクラシーの時代には、子どもの歌の創出と普及を目指した童謡運動が起こり、北原白秋、野口雨情、西條八十といった詩人があらわれ、童謡運動はクライマックスに達していきました。しかし、昭和に入ると時代の流れにより唱歌・童謡は衰退していきますが、ラジオやレコードが普及することでまた新しい流れがうみだされました。

講師

「歌うことは生きる力をはぐくむ」(堀準一氏)ということで、講座の中では、歌の名前が出てくると、そのたびに皆で声をそろえて歌いました。「故郷の空」などは手拍子足拍子まで入れての大合唱でした。「浜辺の歌」では、ハンドベルを1人、1つから2つずつ持って、歌いながら番号に合わせて振っていったのですが、間違わないかと緊張しながらも、自ら体を動かすことがとても楽しかったです。やはり実習を伴う講座は飽きることがありません。知らない間に時間が過ぎていきます。また来年が楽しみです。

(取材ボランティア:興味津々子)

取材したイベント

みえアカデミックセミナー2018鈴鹿大学短期大学部公開セミナー
我が国の西洋音楽が辿った道〜童謡・唱歌・歌謡曲を歌う音楽療法の現場から振り返る〜

日程 2018年7月21日(土曜日)
場所 三重県文化会館1階 レセプションルーム

取材ボランティアレポート 山本博文講演会「福沢諭吉の明治維新」

講演会の様子

山本博文先生といえば
NHKラジオ深夜便で
落ち着いた語り口ながら
新しい切り口で歴史をひもとき
毎回、目から鱗が落ちる講義をしてくださるので
何年も前からずっとファン。

今回のテーマは、「福澤諭吉の明治維新」。
NHK大河ドラマの舞台が明治維新なので
これは申し込みが殺到するだろうと
受付開始と同時に申し込みを済ませておいて正解。
当日は中ホールが歴史好きの三重県民で埋め尽くされました。

山本博文先生

先生が準備してくださったレジメは
まるで大学の講義のように細かくていねいで、おかげさまで、メモを取る必要がほとんどなく、先生のお話に集中することができ、最後まで楽しめました。

福沢諭吉の三冊の著作を読みながら
諭吉の思想を読み解くという流れで講義はすすんでいきますが
途中、山本博文先生の大河ドラマに対する感想がつぶやかれると会場がドッと沸き、
ああ、みんな同じようなことを感じていたんだなと、不思議な一体感が生まれたり

 レジメには載っていない「ウラ話」「小ばなし」がポロっと出ると、お客さんが一斉に身を乗り出したり

歴史の勉強って
どうしてこんなに楽しいんだろう?

ぜひ、続編が聞きたいと思います。
ありがとうございました。

(取材ボランティア:海住さつき)

取材したイベント

みえアカデミックセミナー2018オープニング
山本博文講演会「福沢諭吉の明治維新」

開催日 2018年7月7日(土曜日)
場所  三重県文化会館 中ホール

取材ボランティアレポート 名作映画会「禁じられた遊び」

名作映画会の様子

私の好きな映画音楽の中で、一番と言っても過言ではないのがこの「禁じられた遊び」。ギター演奏のみで奏でられるこの曲はどことなく哀愁がただよい、いつ聴いてもうっとりとした気分になります。

今回、「名作映画会」で上映されると知り、真っ先に申し込みました。実はこの映画のテーマ曲は何度も聞いていながら、映画はまだ観ていなかったのです。

この映画を昔、観たけれどもう一度みたいという人や、初めて観るという人などで客席は満席で、上映と共にこの曲が静かに流れる中、ストーリーが展開していきました。

ポスター

時は、第二次世界大戦最中のフランス。ドイツ軍の空襲に逃げ惑う群衆の姿が映し出されます。その中に両親と愛犬と共に逃げる少女、ポーレットがいました。爆撃の音に逃げ出した愛犬を追うポーレット、それを追う両親。

容赦なく降り注ぐ爆撃に両親と愛犬を亡くしたポーレットは、農家の少年ミシェルと出会い、家に連れて行かれます。優しい家族に迎えられたポーレットはそこで生活することになります。

愛犬の墓をポーレットとミシェルは人の来ない水車小屋へ作りますが、愛犬がひとりぼっちでかわいそうだと言うポーレットに、ミシェルはヒヨコやもぐらなど様々な動物の墓を作ります。しかし、だんだんと墓を作る遊びがエスカレートし、十字架を墓に立てようと思い立ちます。その頃、馬に蹴られて寝込んでいたミシェルの兄が亡くなり、父が手配した霊柩車の十字架をミシェルは盗みます。父に問い詰められたミシェルは隣人が盗んだと嘘を言います。

また、教会の十字架をミシェルは盗もうとしますが、神父に見つかって追い返されてしまいます。それを聞いたポーレットは墓場にも沢山の十字架があると言い出し、二人で墓場の十字架を盗み出します。その後、墓参りに行ったミシェルの家族は、息子の十字架が引き抜かれて無くなっているのに激高し、隣人のせいだと思い込み取っ組み合いの喧嘩をします。それを見た神父が犯人はミシェルであろうと父親に言うのを聞き、ミシェルは家出をします。    

水車小屋の墓を十字架できれいに飾りつけたミシェルは、ポーレットと翌朝見に行こうと約束をします。しかし翌朝、戦災孤児と申告してあったポーレットを孤児院へ入れるために警官がミシェルの家へ来ます。

慌てたミシェルは十字架の場所を言うからポーレットを家においてくれと懇願し、場所を白状しますが、父親は孤児院へ入れる書類にサインをしてしまいます。怒ったミシェルは水車小屋の十字架を引き抜いて、すべて川へ投げ捨てます。

駅に連れて来られたポーレットは、修道女にこの場所を動かず待っているように言われて、その場に残されますが、人ごみの中から「ミシェル」と呼ぶ声を聞き、探しに行きます。しかし人違いでミシェルは居ず、名を呼んで泣きながら雑踏の中へと消えていきます。

この映画を見て「禁じられた遊び」とはこの事だったのかーと初めて知り、長年の疑問が解けてこの映画を観て良かったと思いました。また、雑踏の中へ消えたポーレットは修道女と巡り会えて孤児院で大きくなったのであろうか、それとも運良く子供のない人に育てられて美しく成長したのであろうかーと想像の翼を拡げながら帰宅しました。

(取材ボランティア:葛山 則子)

取材したイベント

6月名作映画会「禁じられた遊び」

開催日 2018年6月9日(土曜日)
場所  三重県生涯学習センター視聴覚室

取材ボランティアレポート「ワンコインコンサートvol.87ミュージカル 未来優希&毬乃ゆい」

ワンコインvol.87

5月16日(水曜日)、元宝塚歌劇団の二人の歌声を聴きに、多くの観客が三重県総合文化センター大ホールにつめかけた。

出演者の一人は未来優希さん。宝塚歌劇団月組の男役、そして雪組の副組長も務めた。
もう一人は毬乃ゆいさん。宝塚歌劇団宙組の娘役だった。
人とも宝塚歌劇団で20年近くのキャリアがある大ベテランだ。

未来さんの豊かで力強い歌声と、毬さんの繊細で美しい歌声のデュエットは、宝塚の世界観そのものだった。演目には宝塚の往年のヒット曲が選ばれ、観客も手拍子を加えながら二人の歌声に酔いしれた。

注目は歌声だけじゃない。二人の人となりが見える、曲の合間のトークだ。

未来さんはトークの時、男役時代の低い声ではなかったことに親しみを感じた。二人は宝塚音楽学校時代や宝塚時代の話、津市で食べたグルメの話などをして観客を盛り上げた。

この他、観客からの質問も受け付けた。二人の宝塚時代の接点について聞かれると、毬さんの姉・悠なお輝さんが未来さんと同じ元宝塚の雪組で、悠さんの手料理を食べに毬さんの家によく集まったエピソードを話した。

また、退団後の出演作での変化を聞かれると、未来さんは「共演者に男性がいたこと」だと話す。リフト(女性を持ち上げる)役も、在団時代は自分が持ち上げる方だったので、リフトされる側になった時の戸惑いなどを話した。

あっという間の1時間が過ぎ、アンコールでは観客席側から登場した。観客と握手を交わしながら「すみれの花咲く頃」を歌い、大歓声の中、幕を閉じた。

実は二人は宝塚の現役中も、全国ツアーで三重県総合文化センターを訪れたことがあるのだという。(未来さんは2005年の「銀の狼」、毬さんは2001年「風と共に去りぬ」。)また二人に三重県総合文化センターの舞台で会えることを楽しみにしている。

披露曲

  • ベルサイユのばらメドレー
  • ハロー・タカラヅカ
  • 白い花がほほえむ 「ラ・ムール・ア・パリ」より
  • セ・マニフィーク
  • はじめての恋
  • 私が踊る時 「エリザベート」より
  • 私だけに 「エリザベート」より
  • あの子はあなたを愛してる 「ロミオ&ジュリエット」より
  • この愛よ永遠に -TAKARAZUKA FOREVER-

(取材ボランティア:バゼミニエクス睦子)

取材したイベント

ワンコインコンサートvol.87ミュージカル 未来優希&毬乃ゆい

開催日 2018年5月16日(水曜日)
場所  三重県文化会館大ホール

取材ボランティアレポート「狂言師・野村万作講演会」

野村万作講演会

狂言師・野村万作講演会は、弟子でもある林和利さんがご自身の著書を用いながら師匠の紹介をするところから始まった。
なにしろ、師匠のことを知り尽くした方が聞き手として進行していくのだから、面白いことこの上ない。
テンポよくプロフィールの紹介が進むと、早速、映像が流れた。
演目は、野村万作さんの代表作「釣狐」。
お坊さんに化けた狐が、油揚げのワナを見つけ、いったんは理性で抑えて通り過ぎるのだが、生き物としての狐の本能(食欲)が勝って我慢ができなくなってしまい、油揚げを取りに戻ってしまう。
言葉で説明すると、たったそれだけのことなのだが、きつねの内心の「理性」と「本能」の葛藤を、舞台上を行きつ戻りつする演技だけで表現していく。

 もちろん野村万作さんご自身も観客と一緒に映像を見ていらっしゃったのだが、見終わって開口一番、

「自分の演技、うまくないなあ」。

今年8月に東京の国立能楽堂で「釣狐」の公演が決まっているとのこと。
「まだ、練習していないんですが、今日は、いい刺激になりました」。

昔は、「釣狐」の公演の前は、縄跳び300回したり、マンションの15階まで階段を一気に駆け上ったりして体力づくりをされたそうだ。86歳の今は、そこまではしないとおっしゃっていたが、おそらく、ストイックに準備されるはずだ。

狂言は、500から600年の歴史があり、型通りに演じるのが基本ではあるが、その中でも常に工夫をこらし、特に師匠であったお父様がなくなった後、ご自身の創意工夫を盛り込むようにし、野村万作さんの演技は進化し続けているという。

「川上」という演目がある。
目が見えない主人公が、お地蔵さんに願掛けをしたところ、奥さんと別れることを条件に眼が開いた。
ところが、喜びも束の間、それを知った奥さんが怒り心頭、絶対に別れないと言い張るので、元のさやに戻ることにしたとたん、また目がつぶれてしまう。
再び目が見えなくなった主人公は、最後に奥さんに手を引かれて舞台を去っていく。
年老いた二人がとぼとぼと歩いていくシーンは、本来は悲しみを誘う場面である。
しかし、野村万作さんは、このシーンを「幸せな老後が始まるハッピーエンド」として演技することにしたのだという。
目が見えるようになったけれども一人孤独に生きていくより、たとえ目が見えなくても、長年連れ添った妻に介護してもらうほうがいい。

「お地蔵さんの託宣よりも夫婦の愛の勝利」。
古典芸能を、現代の世相に合わせて解釈していく凄み。
それが、86歳の今なお、進化しつづける野村万作・狂言道の秘密なのだ。

 

野村万作講演会

息子の野村萬斎さんに関しては、「ライバル」だと断言。

あらゆる分野で活躍し、父を超えるくらい有名な息子に、
「新しいこととオーソドックスな演技の仕分けが足りない。あまり古典をいじってほしくない。おのずと新しいものがにじみ出てくる演技を目指すべき。自分が父親の教えを離れて創意工夫を始めたのは父が亡くなってからだった。自分はまだ生きているのだから(笑)、息子が自分の世界を作るのは早すぎる」
と、愛情たっぷりの本音と建て前を述べられた。
野村家は、芸の道を究めることと、親子の愛情を深めることを見事に両立させているようだ。

野村万作講演会

最後に「鐘の音」を生で演じてくださった。

主人公が鎌倉のお寺を訪問し、鐘をついてその音を聴き比べるというだけの筋書きなのだが、鐘の音をすべて声で表現する迫力に、狂言のおもしろさが凝縮されていた。

深い哲学を表現するのも芸術、
日常のたわいない笑いを表現するのもまた芸術、
一人の人間が、生涯かけて磨いた芸でそれを表現する狂言は、
まぎれもなく、日本が世界に誇る芸術だ。

(取材ボランティア:海住さつき)

取材したイベント

狂言師・野村万作 講演会「人間国宝が語る86歳の狂言道」

開催日 2018年4月30日(月曜振休)
場所  三重県文化会館中ホール

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