三重県総合文化センター ブログ

取材ボランティアレポート みえアカデミックセミナー2017 オープニング 「生命を捉えなおす―動的平衡の視点から―」

講演風景

会場となった三重県文化会館中ホールは全く空き席が見当たらない満席状態であり、この講演を多くの人が待ち焦がれていたのだと強く感じました。私自身も、福岡さんが生物学者だと言いながら、フェルメールの絵について熱く語っておられるのを春頃テレビでみました。その方が講演に来られるということをチラシで知って、ぜひお話を聞いてみたいと思っていたのです。

福岡さん

福岡さんは小さいころから昆虫が大好きで、昆虫を追いかけ、その世界に魅せられていました。両親が顕微鏡を買ってくれたことは、友だちを作ってほしいという親の願いに反して、彼をますます生命の微小世界にひきつけていったのです。

大学に入り、細胞の遺伝子研究に興味を惹かれ、GP2という新種の遺伝子を発見されました。そのGP2の働きを確認しようとする長い過程の中で壁にぶつかったことが、ルドルフ・シェーンハイマーの「生命は機械ではない、生命は流れだ」という言葉を思い出したきっかけであると福岡さんは語っておられました。この考えが「動的平衡」であり、機械論的メカニズムではなく、一定の形を保ちながら動いていく生命をできるだけ長い時間軸の中で捉えようとする視点でした。福岡さんは今、ニューヨークのロックフェラー大学で客員教授を務めながら、「動的平衡」の考え方を推し進めていらっしゃいます。

会場の様子

福岡さんは、顕微鏡を初めて作ったアントニー・レーウエンフックと同じ年に同じオランダの町で生まれた画家フェルメールに興味を抱きました。さらに大学院卒業後、働いていたニューヨーク市でたまたまFrick Collection(個人美術館)をみつけ、そこでフェルメールの絵3枚に出会い、フェルメールの36作品(全37枚中1枚は盗まれている)をデジタルでリ・クリエイト※していくことになるという福岡さんの一連の歩みは、すべてが運命の糸でつながっていたかのようで感動せざるをえません。福岡さんがリ・クリエイトしたフェルメールの36作品をいつかぜひ見てみたいものだと思いました。微小世界をのぞきながら雄大な生命の流れを見つめ、夢をはせる福岡さんの魂のわくわく感を追体験させていただいたようで、とても楽しく夢のあるひと時でした。本当にありがとうございました。

【取材ボランティア 興味津々子】

※リ・クリエイト 絵画を最新のデジタルリマスタリング技術によって、描かれた当時の色調やテクスチャーを求めて再創造したもの

取材したイベント

みえアカデミックセミナー2017オープニング「生命を捉えなおす―動的平衡の視点から―」

講師 福岡伸一さん(青山学院大学 教授)
日時 2017年7月1日(土曜日)
会場 三重県文化会館 中ホール

取材ボランティアレポート 妖怪の誕生―「百鬼夜行絵巻」の謎を解く

講演風景

「妖怪」は、日本人にとってなじみの深い存在。
だから、大昔から日本文化に根付いていたと思われがちだけれど、実は、現代の私たちがなじんでいる「キャラクターとしての妖怪」は、水木しげるさんが作り上げたものなのですよ。
そんな衝撃的な言葉から、西山克(まさる)教授の講演は始まった。

関西学院大学で日本史を教えていらっしゃるという西山教授
軽妙な語り口と、本当に面白い核心部分は、引っ張って最後の最後まで種明かししないという絶妙な間の取り方で、聞くものを飽きさせないテクニックはさすが。講演が進むにつれて、「へえ〜!」「えっ?そうなんですか?」などという会場からの声が合いの手のように入り、まさに、会場を巻き込んでの大講演会となった。

講演風景

題材となった「百鬼夜行絵巻」について、いくつかのスライドを見せていただいたが、「いやあ、この妖怪、好きなんですよ〜」「これ、部屋の壁に貼って毎日眺めています」などと言いながら、本当に楽しそうに語る教授に感化され、いっぺんに妖怪好きになってしまった。絵巻自体は、ただただ、さまざまな妖怪が描かれており、言葉を使った詳しい説明がついているわけではないので、西山教授という先導者なしでは、何が面白いのか、よくわからなかったのだけれど、絵巻が描かれた時代背景や、所蔵されていた場所など、さまざまな状況証拠をひとつひとつひも解いていき、最後に、「これだ!」という真相を教授がお示しになった時の衝撃は忘れられない。えっ?もう講演会終わっちゃうの?もっと続きが聞きたいのに。

講師

私自身は、西山教授の講演を聞くまでは、「百鬼夜行絵巻」は、民間伝承であちこちに散らばって語り伝えられていた妖怪たちを一堂に集めた、いわば、妖怪の集合写真のようなものだと漠然と考えていた。しかし、西山教授によると、この絵巻には時の政権、室町幕府に対する強い怒りが込められているという。例えば、絵巻に描かれている真っ赤な太陽。これは、室町時代にあった皆既日食ではないか?皆既日食はよくないことの予兆だといわれるが、事実、日食の後、3年にわたって自然災害が続き、日本中で大量の餓死者を出した「寛正の飢饉」があった。京都で10万人が死に、街中に死体が折り重なって倒れていたという大惨事となり、炊き出しするなどして、一度は人々の救助に乗り出した幕府だが、あまりにも災害の規模が大きく、途中で打つ手なく救助から手を引いてしまった。目の前で人々が日々、死んでいく中、驚くべきことに、御所では将軍たちが、人々の苦しみをよそに、相変わらず、遊び惚けていた。それを見ていたのが、一休宗純。表立って将軍を批判することはできないので、その怒りを込めて描かせたのが「百鬼夜行絵巻」だというのが、西山教授の種明かしだった。

まさか、まさか、そんな政治的なメッセージが妖怪に込められていたとは!

しかし、そう思って見てみると、絵巻の随所にさまざまなメッセージが込められているように思えてくる。妖怪は、後世の私たちに、大災害の記憶を伝える媒介者だったのだ。

ちなみに、数ある「百鬼夜行絵巻」の中で、最も重要だとされるのは、大徳寺真珠庵蔵のものだが、大徳寺こそ、一休さんがいたお寺であるという。頓智で有名な一休さんだからこそ、壮大な絵巻にメッセージを込めることができたのではないか。そう思うと、妖怪の謎解きが楽しくなってきた。

まだまだ知りたい「百鬼夜行絵巻」。
西山教授、ぜひ、続編をお願いします!

【取材ボランティア:海住さつき】

取材したイベント

妖怪の誕生「百鬼夜行絵巻」の謎を解く

日時 2017年6月17日(土曜日)
会場 三重県文化会館レセプションルーム

取材ボランティアレポート「平成29年度ファンファーレ事業 海野つなみ×ドラマ「逃げ恥」プロデューサー トークセッション」

舞台イメージ

2017年5月6日土曜日、三重県文化会館中ホールにて、大ヒットした「逃げ恥」の原作者海野つなみさんと、TVドラマのプロデューサーのお二人のトークセッションが開催されました。日本中の悩める女性や男性をくぎ付けにした、あの「逃げ恥」を産んだお二人の生の声が聴ける!ということで、かなり早い段階に受付は終了したとか。ロビーでは原作本の販売に長蛇の列。

TVドラマ化されたきっかけは、プロデューサーご自身が、原作を読んで「ムズムズ、キュンキュン」したからで、かなり早い段階で、ストーリーがどう展開するかまだわからない時にすでにドラマ化しようと決めていたとのこと。原作は読者の心をわしづかみにするキーワード満載で、マンガの読者はそれらの言葉から様々な妄想をふくらませ、まるで自分のことのようにリアリティーをもって読むことができたが、TVドラマは、マンガでは読者の妄想に任せていた部分を、時間の流れとともに物語がどんどん展開していく映像という形式で見せていくので、ある意味、マンガよりもていねいに描いた部分があった、などという裏話が次から次へと繰り出され、満員の聴衆はお二人の言葉を一言も聞き漏らすまいと、身を乗り出して聞き入った。

講演風景

主役の二人をどうやって決めたのか、というお話では、プロデューサーさんが、実はガッキー(新垣結衣さん)が18歳の頃からずっと継続して一緒にお仕事されているそうで、人間として、そして、俳優として成長を続けるガッキーに、その年代その時代にぴったりくる役柄を考えていたらこうなった。相手役には、大好きなガッキーを安心して任せられるイメージをもった俳優を、とちょっと父親目線で考えたところ、星野源さんがぴったりだったと言われ、聴衆が深くうなずき、会場全体が「近所のおばさん」目線で一体となった瞬間でありました。

「契約結婚」という、伝統的な結婚制度に問題提起がされているドラマなので、視聴者から反発を受ける可能性もあったはずなのに、ここまで人気が出たのは、喜劇役者としてのガッキーの才能や、コミカルな脚本など、作り手側の数々の仕掛けが成功したということももちろんあるけれども、多様な生き方が浸透しつつあるという社会背景も大きい。結婚は、する、しないを含めて、当事者同士が納得して、幸せだと思えればいろんなカタチがあっていいんじゃない?そんなメッセージが、視聴者にストレートに届いたということだ。このドラマを見て、家事の分担をどうする?どうしたい?という話合いを、初めて夫婦で真剣にすることができたという声が多数あるそうで、プロデューサーさん自身も「ボクが結婚した当初、このドラマがあれば妻ともっとうまくやれただろうなあ」とおっしゃっていたのがとても印象的。「逃げ恥」は、現代版結婚のバイブルなのかも?

会場の風景

トークは「恋ダンス」の話題で興奮が最高潮に。「逃げ恥」といえば「恋ダンス」。番組放映中、ドラマを見ていない人達ですら、「恋ダンス」は踊っていたものね。原作者の海野さんも、ドラマのヒットの要因として、「恋ダンス」の幸福感が大きいとおっしゃっていた。ドラマの最後にいっしょに恋ダンスを歌って踊っていたら、なんだか、私も幸せになれそうな気がする、そんな風に思わせる力が、あのテンポのいいダンスにはみなぎっていた。誰でも真似できそうな簡単なダンスに見えるけど、実際踊ってみると難しいというのも大事なポイントなのだそうで、だから、みんながわれもわれもと競って踊ったのですね。ヒット作というのは、偶然生まれるわけではなく、様々な仕掛けがかみ合って初めて売れるのだなあと勉強になった。海野さんは恋ダンスが相当お気に入りのようで、最後に退場される時に恋ダンスを自ら踊りながら立ち去るパフォーマンスを見せてくれ、「かわいい〜」という歓声が会場から飛んでいました。

トークセッションの最後に、司会の方がお二人に「続編はありますか?」という、みんなが聞きたかったことをズバリ!聞いてくださった。

お二人の回答?

「私たちも、続編があればいいなと妄想しています」

 ぜひ、妄想を現実にしてください!続編、待っています!

【取材ボランティア 海住さつき】

取材したイベント

平成29年度ファンファーレ事業
海野つなみ×ドラマ「逃げ恥」プロデューサー トークセッション
逃げるは恥だが役に立つ―さまざまな幸せのカタチ

日時 2017年5月6日(土曜日)
会場 三重県文化会館 中ホール

取材ボランティアレポート「植木等主演映画上映会『本日ただいま誕生』」3月18日

三重県総合博物館で開催される企画展「植木等と昭和の時代」に併せて開催された上映会。
この作品は、1979年に制作・上映されて以来、フィルムが行方不明となり、「植木等幻の主演作」と言われていたとか。しかも、主演の植木等はお坊さん役。実家がお寺で、小学校卒業後、しばらく、お寺の小僧さんとして修行に出されていた植木等が演ずるのだから、きっと、迫真の演技が見られるにちがいない。そんな期待でワクワクして見始めたが、出だしでいきなりめまいが。

学芸員宇河さん
宇河 雅之さん(三重県総合博物館 学芸員)
植木さんの付き人
藤元 康史さん(植木等さんの最期の付き人)

第二次世界大戦で、シベリアに抑留されていた日本兵が引き揚げる時、植木等演じる主人公が凍傷にかかり、両足切断することに。麻酔もなければ専門の外科医もいない中で行われた、大変な手術のシーンがリアルに映し出され、血に弱い私はしばらく画面が直視できず。最近、テレビドラマなどで血の出るシーンを見ることが少なくなったけれど、昭和の映画では普通に出てきたということを思い出し、生きることが闘いだった時代は、そんなに昔ではないということを改めて実感した。

映画のタイトル「本日ただいま誕生」というのは、足もない、お金もない、身寄りもない植木等が、苦難に耐えながら歩み続ける中、最後の最後に観音様の前で「これからは自分の安住の地を求めることなく生きていきます」と誓うシーンで発する言葉。苦難に直面するたび、人間としての欲をひとつずつ手放してきたけれど、最後まで捨てきれずに心の中にあった様々な思い。それらに別れを告げ、まっさらな人間、まるで、生まれたばかりの赤ちゃんのような、何も背負っていない素直な人間として、仏様の御心のままに生きる決心をした時の言葉を聞いた時、ああ、この映画は、植木等の遺書なのだと思った。

お寺に人間としての原点があった植木等が、仕事としてではなく、自分の生きた軌跡を書き留めておきたくて作ったのがこの映画なのだろう。もしも、植木等が作家だったら小説を書いただろうけど、俳優だったから映画の形をとっただけで、積極的に上映していきたいとは、当初から考えていなかったのではないか。だから、ずっと行方不明になり誰の目にも触れずにいたけれど、没後10年という節目の年に、そろそろ世に出していいという植木等のお許しが出て、今回、私たちの目にふれたのではないか、そんな気がした。

まさしく、お寺に生まれた植木等だからこそ撮れた、こん身の映画。今後、上映の糸が切れることなく、じわじわと広まることを心から期待する。

(取材ボランティア:海住さつき)

取材したイベント

植木等主演映画上映会「本日ただいま誕生」

日時 2017年3月18日(土曜日)13時15分開演
会場 三重県男女共同参画センター1階 多目的ホール

取材ボランティアレポート「植木等主演映画上映会『本日ただいま誕生』」1月22日

映画タイトル

わが三重県出身の植木等の幻の主演作、それも30数年も行方不明になっていた幻の作品が上映されるというチラシを見てすぐに申し込みをしました。当日、会場へ行き席へ着くと上映前には満席になり、この映画を見たいという人の多さに驚きました。

この映画は、三重県総合博物館の「植木等と昭和の時代展」との連携事業なので上映前に博物館の学芸員と植木さんの付き人だった方の2名から植木等についての話がありました。

テレビがお茶間に置かれるようになった頃にスーダラ節で登場して「無責任シリーズ」や「日本一シリーズ」など30本以上の映画に出演し、昭和と共に生きた植木等の人となりなどを紹介されました。

上映前の解説

映画の内容を紹介しますと、植木等扮する大沢雄平がシベリア抑留中、零下40度を超える極寒の中で凍傷にかかり麻酔薬のない中で両足切断の手術を受け、その後帰国するときに満州の荒野へ置き去りにされるも運良く現地の人に助けられ帰国を果たします。

義足を作ってもらいますが、両足のないことで数々の苦難に遭います。ある時、偶然にも満州の荒野へ大沢を置き去りにした横田と坂本に会いますが、詫びる二人を結局許します。その二人と共に会社を設立して商売を始めますが、一時は景気が良かったものの落ち目となり、最後は横田に会社の資金をすべて持ち逃げされてしまい、潰れてしまいます。

その後、空襲でひとりぼっちになり水商売をしている高子と同居し、養ってもらいますがどん底の生活の中、高子が出て行ってしまいます。

会場の様子

ひとりになった大沢は放浪の果てに頭を剃って托鉢行脚をし、様々な人たちと出会う中で両足のない事を恨んでいた自分を見つめ直します。自分には最初から足がなかったのだという悟りを得、本日生まれ変わって新しい自分が誕生したのだという境地に達し、その後僧侶として生きる大沢の半生を描いたものでした。

喜劇俳優としてのイメージが強い植木等の渾身の演技を見て物語に引き込まれ、彼の別の顔を見た思いがして感動しました。

また、この映画を見て「生命」というものを考えなおす機会を与えていただいたことに、感謝します。

(取材ボランティア:葛山 則子)

取材したイベント

植木等主演映画上映会「本日ただいま誕生」

日時 2017年1月22日(日曜日)13時15分開演
会場 三重県男女共同参画センター1階 多目的ホール

取材ボランティアレポート「名作映画会『シャーロック ピンク色の研究』」

名作映画会

「シャーロック・ホームズ」の映画が生涯学習センターで上映されるのを知って是非観たいと申し込みました。
本好きだった学生時代に読んだ記憶があって、面白かったことは覚えているけれど内容はすっかり忘れている自分に、遠い昔の事だから覚えていなくても仕方ないわと納得しながら視聴覚室へと向かいました。
143席の会場はほぼ満席でこの映画への関心の高さがよく分かり、無料で名作を観ることのできるこの名作映画会を運営してくださっている上映ボランティアの方々に感謝の念で一杯になりました。

さて、内容を少し紹介しますと……。

ポスター

アフガニスタン紛争に軍医として従軍したジョン・ワトスンは負傷して帰国し、戦争による心的外傷後ストレス障害(PTSD)に悩まされています。ジョンがルームシェアの相手をさがしていると、同じくルームシェアの相手をさがしているシャーロックに会います。そして会った時にジョンはシャーロックに軍歴や家族構成など当てられてしまい驚きます。
その頃、ロンドンでは3名の連続服毒自殺事件が発生していました。ジョンとシャーロックが共同で住むベーカー街221Bへ下見に来たところへ、レストレード警部が4人目の自殺者が出たと言ってシャーロックの元へやって来ます。

シャーロックはジョンと一緒に現場へ行きピンク色の洋服を着た女性の遺体を確認しますが、女性のスーツケースがないことに気付くと一人で探しに行ってしまいます。ジョンがベーカー街へ帰ろうとするとある男に廃倉庫に連れ出され、シャーロックを監視するように頼まれるが断ります・・・

犯人を追うシャーロックの正確な推理と頭脳の明晰さ。犯人の車を追跡する時に杖をついて歩いていたはずのジョンが、シャーロックに続いてビルからビルへ飛び移るシーンに「あれっ、足が治ったのかしら」などと息もつかせないストーリーの展開に目はスクリーンに釘付けに。

シャーロックが、携帯電話で呼び出した犯人と、毒入りカプセルをあわや飲もうとするときに、後を追ってきたジョンが犯人を銃で射殺するところでこの事件は解決するのですが、事件現場に現れた「ある男」がシャーロックの兄のマイクロフトだと知り、またまたビックリ。マイクロフトはシャーロックの事を心配して監視をしていたのです。

この映画をワクワクドキドキで見終わってからまた次のシリーズを見たくなり、すっかりシャーロック・ホームズにはまってしまった私に気づいたのでした。

(取材ボランティア:葛山 則子)

レポートしたイベント

名作映画会「シャーロック ピンク色の研究」

日時 2017年2月11日(土曜日)13時30分から15時まで
会場 三重県生涯学習センター2階 視聴覚室

取材ボランティア「三重そうぶんキッズ・シネマスクエア」

2016年12月4日(日曜日)、三重県総合文化センターにおきまして、「キネコ国際映画祭PRESENTS 三重そうぶんキッズ・シネマスクエア2016」が開催されました。

全景

これは、世界中から集めた子どものための映画を上映するイベントで、3歳以上対象の午前のAプログラム、5歳以上対象の午後のBプログラムの2つがあります。

みんな大好き「きかんしゃトーマス」や「しまじろう」といったおなじみのキャラクターだけでなく、「おんなのこの誘い方」なんていう、パパも夢中になれそうな内容もあって、大人もしっかり楽しめる。一つひとつの映画が3分から10分くらいの短いもので、映画の他にも、ステージ上でピエロの演技があったり、弦楽器の生演奏があったり。一番驚いたのは、「ライブ・シネマ」といって、声優さんが目の前で生吹き替えしてくれるもの。え?たった4人しか声優さんいないのに、まるで100人いるみたいだよ?プロの声優さんの声の技ってすばらしいね!

ダンス

声優体験
声優体験の子どもたち

それだけでもびっくりなのに、なんと、なんと!「声優体験ワークショップ」というのがあって、これは、事前に申し込みをした小・中学生が、当日、プロの声優さんによるレッスンを受け、お客様の前で生吹き替えしちゃうという驚きのプログラム!会場には、本格的なマイクが並んでいて、これを体験した子どもたちの中から将来、声優さんを目指す人が出てきても不思議じゃないよ。

読み聞かせ
パパたちによる絵本よみきかせ

他に、「プログラミング・プロジェクションマッピング」といって、自分たちでアニメーションを作ろうというプログラムや、パパによる絵本の読み聞かせなど、わくわくするイベントがいっぱい。ランチマーケットには、人気のカフェが出店しており、おしゃれなサンドイッチなどを売っていて、ついつい、買いすぎちゃったりして。

三重そうぶんキッズシネマスクエア。小さなお子様がいらっしゃるファミリーの方に、ぜひおすすめしたい楽しい、楽しいイベントでした。

(取材ボランティア:海住さつき)

レポートしたイベント

三重そうぶんキッズ・シネマスクエア

日時 2016年12月4日(日曜日)
会場 三重県男女共同参画センター「フレンテみえ」多目的ホールほか

人形劇
人形劇団やっほ〜さん
ランチマーケット
ランチマーケット
ヴァイオリン
ヴァイオリンの生演奏
まなびぃシアター
まなびぃシアター
プログラミング
プログラミングワークショップ
会場
会場の様子

取材ボランティアレポート「男女共同参画フォーラム みえの男女(ひと)2016」

チラシの、「介護離職ゼロへ!」という大きな文字を見た瞬間、これは絶対に行かなければ!と思い、受講を申し込みました。現在、年間10万人が介護のために離職・転職しているというデータがあり、その数字は今後、減るどころか増えるのではないかと言われているのに、ゼロにできるの???

午前中の分科会は「どう活かす?伊勢志摩サミット どう活かす!女性の能力」に参加。女性の地位が低い日本だが、現状を嘆いていても始まらない。サミット開催県として、先頭を切ってがんばっていこうというポジティブな意見でまとまりました。わりと少人数で、お茶とお菓子のサービスもあり、和気あいあいとしていてとても楽しかったです。

フォーラム写真

午後は、基調講演とパネルディスカッション。大きな会場が満席で、始まる前から熱気にあふれていました。介護は、する側、される側のいずれか、あるいは両方の立場で、すべての人にふりかかってくる問題。介護保険や介護休業制度など、いろいろ整備はされているけれど、結局、当事者になってみないと、自分にとって何が必要で、どう利用すればいいのかわからない。やっとわかったと思ったら今度は制度が変わっていた・・・みたいなことの繰り返しで、本当に難しい。

それに、どこまでやっても、もっとできることがあるんじゃないか、このやり方でいいのだろうか・・・と迷うことばかり。誰かに相談するといっても、具体的なことは、家族の個人情報に触れるから、なかなか難しい。

そんなもやもやした気持ちが、パネリストの方たちのお話を聞いているうちに、どんどん軽くなっていって、ああ、やっぱり、専門家の方のお話を聞くべきなんだなあと実感。

フォーラム写真

特に、
「介護する権利」には、介護する人自身の就労の権利も含まれている。なぜなら、仕事をやめてまで介護するということになると、その人の生活が成りたたない。同時に「介護される権利」もあって、仕事をやめてまで介護するということになると、介護される人の側に、申し訳ないという心理的負担が生じるから。

という言葉は身にしみました。そうだよね、介護する人、される人がお互いに申し訳ないと思いながら、本音が言えないで苦しむなんて、絶対長続きしない。じゃあ、そうならないために、どうすればいの?
答えは、

介護は、「いかに一人で看ないか」が重要。
自分だけで看ないというケア責任を果たそう!

なんだそうです。自分だけで看ないということは、家族全員が交替で看るということももちろんあるけれど、それ以上に、いろいろ整備されつつある制度をうまく使っていってほしいということを、パネリストの皆さんが強調されていました。たしかに、お話を聞いていると、介護に関する制度はとてもよくできている。だけど、当事者になるまで無関心でいるために、いざという時、どういう制度があって、どういうふうに活用すればいいのかがわからないから、うまく使うことができず、介護する人に負担がかかり、そのせいで介護される人にも疲労がたまっていく。

フォーラム写真

介護を取り巻く環境はひとりひとり違うので、「こうすればいい!という唯一の解答はありません」というのが今日の結論だったけれど、介護地獄に陥らない方法はあるんじゃないか、それには、まず、「介護離職ゼロ」をめざし、あきらめずによりよい明日を信じてがんばろうという前向きな気持ちで会場を後にすることができました。

介護は介護だけの問題ではなく、働き方や家族のあり方、そして、幸せって何なの?という、人として生きていく上での大きな課題すべてとリンクしているからこそ、一人では解決できない難しさがあるけれど、みんなで知恵を出し合えばきっといい方向へと進んでいくに違いない。本当にいい勉強をさせていただきました。ありがとうございました。

(取材ボランティア:海住さつき)

レポートしたイベント

男女共同参画フォーラム〜みえの男女(ひと)201〜
企業も人も幸せになる、これからのWork & Life Style 仕事と介護の両立編

日時 2016年11月6日(日曜日)10時から16時まで
会場 三重県男女共同参画センター セミナー室A、B、Cほか
講師 【基調講演】土堤内昭雄さん(ニッセイ基礎研究所主任研究員)
【パネルディスカッション】
コーディネーター:土堤内昭雄さん
パネリスト:平山亮さん(東京都健康長寿医療センター研究所 研究員)、平井千恵子さん(三重労働局雇用環境・均等室 室長)、久保田久美さん((一社)三重県介護支援専門員協会 理事 主任介護支援専門員)

取材ボランティアレポート みえミュージアムセミナー 松浦武四郎記念館「世にも稀なる蝦夷屏風」

三重県生涯学習センター3階 まなびぃ場情報コーナー「みるシル」で、松浦武四郎記念館主任学芸員山本命さんによるセミナーが開催されました。

山本学芸員

松浦武四郎の実家には、高さが約180センチ、幅が約370センチという巨大な屏風があり、「蝦夷屏風」と呼ばれてきたそうですが、平成25年度から26年度にかけて2年がかりで行った保存修理がようやく終了し、現在、松浦武四郎記念館で公開中。今回のセミナーでは、武四郎さんについて初めてわかったおもしろいエピソードなどが聞けるにちがいないと思い、わくわくしながら参加しました。

会場の様子

特に知りたかったのは、なぜ、武四郎さんは、書簡や領収書類を、わざわざ屏風に貼って保存させたのか?ということ。
武四郎さんは、実家に書簡類を送るに際して、甥っ子に細かく指示を出し、絶対屏風にするように、しかも、表裏両面に貼るようにと命じています。

なぜ?

だって、お手紙とか領収書って、小さいでしょ?
普通は、ノートみたいなものに貼って保管するんじゃないの?

その疑問に、山本学芸員はたちどころに答えてくれました。

【答】だって、巻物にしたら、ポータブルでしょ?持ち運びに便利でしょ?松浦家に見に来た近所の人が、「ちょっと貸してよ…」って言って来たら断れないじゃない?
そしたら、後から返してって言った時「ごめん!なくしちゃった…」と言われて散逸するよね?だから絶対ぜーったいに!巨大屏風でなくちゃダメ!

・・・というような内容のお手紙も残っているとかで、武四郎さんってすごいね。

そこまで見通して、きちんと史料を残し、しかも、屏風にすることで、結果的に松浦家ではずーっと八畳間に出しっぱなしだったわけだから、たくさんの人の目に触れることができて、歴史的価値に気づいた人がどれだけいたかはわからないけれども、貴重な歴史が埋もれずに現代まで受け継がれてきたわけです。

歴史を風化させないためには、”後世の人間に絶対に守るんだ!”という気合いがないといけない!ということを武四郎さんに教えられたセミナーでした。

(取材ボランティア:海住さつき)

取材ボランティアレポート「わたしはマララ」

2016年10月1日(土曜日)に開催された「わたしはマララ」の上映会に参加させていただきました。上映に先立ち、三重の女性史研究会所属の佐藤ゆかりさんから、三重県内男女共同参画連携映画祭の発展的な歴史経過を伺いました。次いで、ジョイセフの小野美智代さんからは、発展途上国における女性の妊娠・出産・中絶による死亡率の高さ、また彼女らのおかれた苦しみの連鎖のお話を伺いました。マララは、苦しい立場におかれている女性がいる国の中で、大きく声を上げた勇気ある女性でした。

会場の様子

マララの名前は、彼女が2014年に史上最年少でノーベル平和賞を受賞したことでメディアが連日彼女の報道を繰り返して以来、私の耳に強く残っていました。タリバンの放った銃弾で瀕死の重体に陥りながら奇跡的な回復ができたのは、彼女でなければ成せない使命があったからなのだと思わずにはおれません。今回マララの映画を見て、さらにこの気持ちを強くしました。

マララの父親は教育者でした。父親はマララが生まれたとき、300年も続く家族の男ばかりの家系図の中へマララの名前を書き込んだのです。“マララ”とは“勇気“という意味でした。マララは幼い頃から一日中学校で時を過ごしました。父親が語る言葉の一つ一つが地肌からマララの中に染み入っていったに違いありません。父親は吃音がありましたが、それに負けず、自分を懸命に語り、炎のような演説をしたそうです。その熱情がマララに受け継がれていったのです。

プレトーク

マララは、自分の人生は父親が与えたものではない、自分が選んだものだと語っていました。しかし、地肌から染みた父親の教育の力があったからこそ、父親から学び取ったものへの深い感謝の思いが、マララを強い行動へと駆り立てていったのだと思えます。マララは、これからも人権を侵害されたままの状況にある全世界の女性たちのために歩み続けると強く断言しています。まだ10代のマララがこれからどんな活動をしていくのかとても期待が膨らみます。幼少時代に親から受けた十二分の愛情・教育への感謝の気持ちを病む人のために使い切っていったナイチンゲールのように、マララもまた深い感謝を持って世界の女性を救う大きな存在になっていくに違いありません。今回は良い講演と映画を本当にありがとうございました。

(取材ボランティア:ペンネーム興味津々子)

レポートした講座

三重県内男女共同参画連携映画祭2016 10周年記念上映「わたしはマララ」

日時 2016年10月1日 13時30分開演
会場 三重県男女共同参画センター「フレンテみえ」多目的ホール
講師 佐藤ゆかりさん(三重の女性史研究会 事務局長)
小野美智代さん(公益財団法人ジョイセフ 市民社会連携グループディレクター)

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