三重県総合文化センター ブログ

【取材ボランティアレポート】見る知る巡る!みえミュージアムセミナーの先ドリセミナー

大野館長

みえミュージアムセミナーの先ドリセミナー

基調講演 博物館で若返る? あなたの脳年齢
講師 三重県総合博物館館長 大野照文さん

第2部 ミュージアムトーク
パネリスト 桑名市博物館:杉本竜さん、パラミタミュージアム:湯浅英雄さん、松浦武四郎記念館:山本命さん、斎宮歴史博物館:船越重伸さん、海の博物館:縣拓也さん
進行 大野照文さん

「博物館で若返る?あなたの脳年齢」という講座のチラシを見たとき、いったい何が語られるのかと大いに期待を抱き、すぐさま参加の申込みをしました。講座を聞いて、衰えかかってきた自分の脳が再び活性化できるヒントを得られるなら、これほどうれしいことはありません。

第一部の冒頭で大野照文さんが語られたゾウの歴史は、私の知的好奇心を刺激してくれました。約5000万年位前に初めてゾウがアフリカに出現し、各地へと移動しました。その頃日本は大陸と陸続きであったため、日本へもゾウはやってきており、化石がよく出てくるのだそうです。しかし1500万年位前に大陸の移動が起こり、日本は大陸から切り離されました。200万年前からは氷河期が始まり、またゾウが渡ってくるようになりましたが、1500万年前〜200万年前の間、海の中の孤島であった日本には本来ゾウはいないはずです。しかし、ミエゾウは500万年前〜300万年前に日本にやってきました。かれらはどのようにして日本にやってきたのか、これは今も謎だといわれました。

一体どのような方法で来たのかと考えると興味が湧いてきて、帰りにミエゾウの復元模型を見に行ってみました。なんという巨大さだろう。なるほどこれほど大きければ浮力も大きく、泳いで来られないわけがない。小さな人間でもドーバー海峡を泳いで渡るという快挙を成し遂げたという話をきいたことがありますが、この巨大さなら、朝鮮半島の先端から島伝いに九州へ、あるいは樺太から北海道へなら渡れたはずだと確信しました。一つの話から「好奇心が刺激され、観察、推理、そして確かめの連鎖が生まれます」という大野館長の言葉の通り、この日私は家に帰っても、次々と湧き起こる疑問(なぜ海を渡ったのだろう、なぜ多くのミエゾウが来たのかなど)解明の糸口を探して、インターネットに向かい合っておりました。

第2部

第二部では三重県内にある5つのミュージアムの学芸員さんから、学芸員になったきっかけや各ミュージアムの紹介をお聞きしました。その中で、私が特に興味を覚えたのは桑名市博物館です。市の博物館であるにもかかわらず、桑名藩や松平定信の関係資料・古万古焼・万古焼・浮世絵・刀(村正)など上質な収蔵品があり、展示会を自館の収蔵品でやれるということでした。これは、桑名に住んでいた人たちがお金持ちであっただけではなく文化への意識が高かったため、博物館へたくさん寄贈をされて貴重な文化財の散逸を逃れたことによります。ぜひ一度訪れて素晴らしい作品群を見てみたいものだと思いました。
「ここがすごいぞ」という松浦武四郎記念館、「祟り、祟られ、化け、化かされ」の斎宮歴史博物館、「骨まで愛して」と訴える海の博物館など、多くの博物館が魅惑的な言葉で私を誘っていて、今年の秋もまたとても忙しくなりそうです。

(取材ボランティア:興味津々子)

取材したイベント

見る知る巡る!みえミュージアムセミナーの先ドリセミナー

日程 2017年9月9日(土曜日)
会場 三重県文化会館 レセプションルーム

【取材ボランティアレポート】見る知る巡る!みえミュージアムセミナーの先ドリセミナー

講演風景

秋です。
秋といえば、「芸術の秋」。
三重県生涯学習センターでも、毎週のようにワクワクするイベントが目白押し。

どれに参加しようかなあ・・・とスケジュール帳とにらめっこしながら計画たてるのも、秋の楽しみのひとつ。たくさんあるイベントの中で、毎年、特に楽しみにしているのが「みえミュージアムセミナー」。

歴史の宝庫である三重県には、北から南まで様々な個性派の博物館・美術館があり、全部を回るのはなかなか大変なのだが、何と!「みえミュージアムセミナーの先ドリセミナー」では、各地の博物館の館長さん・学芸員さんたちが一堂に会し、それぞれの博物館のおすすめポイントを熱く語ってくれるのだ。

第一部は、三重県総合博物館の大野館長が「博物館で若返る?あなたの脳年齢」と題して、好奇心の起源が、人類発祥の地、アフリカで生き延びるために必要な能力だったというお話から。ライオンなどの猛獣に襲われないようにするために、当時の人類は、周りをよく見て、少しでも怪しいことがあれば「あれは何だろう?」と興味を持って探求することが必要だったそうです。襲われそうになるという怖い体験をし、それを何とか乗り切ることができると「あ〜よかった!助かった!」という幸福感で満たされる。それが快感になって、人類は好奇心を持つようになったという。現代社会では、猛獣に襲われることはあまりないけれど、急速な環境変化に適応するために、今、また、好奇心が問われている。大人も子どもも、もっと博物館に行って、好奇心を刺激されたほうがいい。

第2部シンポジウム

第二部は、桑名市博物館、パラミタミュージアム、松浦武四郎記念館、斎宮歴史博物館、海の博物館から、館長さんや学芸員さんが集まり、「私が学芸員になったきっかけ〜学芸員が紡ぐ三重の夢〜」と題して、熱いトークが繰り広げられた。

みなさん、決して恵まれた環境ではない中で、できる限り、多くの人に来てもらいたいという思いで日々、奮闘していらっしゃる。驚いたのは、三重県には、先祖から伝わる家宝を、公共性の高いものだからと、博物館に寄贈する篤志家の方が多くいらっしゃるということ。おかげで、予算が限られている中、所蔵品は充実しており、他県から貸し出し依頼が絶えない館があるとか。

また、なるべく多くの方に見ていただきたいという思いから、例えば、NHKの大河ドラマのテーマに合わせた企画展をしたり、参加型のイベントを開催するなど工夫をこらしているとのこと。博物館の学芸員さんは、実は想像よりもアクティブな方たちなのだというのが、今日、一番の発見だったかもしれない。

実は、今日のシンポジウムに参加していた博物館の中で、地理的に遠いためまだ行ったことがない場所が一か所あるので、この機会にぜひ行こうと心に決めた。

館長さんや学芸員さんのお話を直接聞くと、親近感がわいて、何となくとっつきにくかった博物館が身近に感じられるようになったのも今日の収穫。

芸術の秋はまだまだこれから。

三重県内の博物館周りをして、秋を満喫したいと思う。

(取材ボランティア:海住さつき)

取材したイベント

見る知る巡る!みえミュージアムセミナーの先ドリセミナー

日程 2017年9月9日(土曜日)
会場 三重県文化会館 レセプションルーム

取材ボランティアレポートみえアカデミックセミナー2017「他者にひらかれたからだつくり 〜運動と身体機能の視点から〜」

講座の様子

みえアカデミック公開セミナー2017に参加しました。8月23日に開催されました高田短期大学の二つの講演のうち・柳瀬恵子准教授の講座を報告をさせていただきます。先生は小学校に10年間勤めてみえたということで、聞く人たちへの話しかけがとても上手でした。一人一人の目を見るようにして、笑みを見せながら、大きな声でゆっくり話して下さり、時々実習もあって、楽しく講座が聞けました。

「他者にひらかれたからだつくり」ということで、まず隣の人と自己紹介をしながら握手です。隣に姿を見ているだけの時と違って、実際に触れてみると、相手への警戒心が吹き飛んで親近感が湧いてきます。握手は融合したような感覚を生じさせる行為だそうです。心理的に言えば共感と同じということで、なるほどと納得です。

講師

次に相手の背中に両手の平を当てました。目を閉じて背中に意識を集中し、ゆっくりと手を放すと、温かい気持ちよさが広がり、前から知っていた人のような安心感を覚えました。ふれあい寄り添うことで、人も動物も、生命維持のための消費エネルギーを最小限にとどめることができるのだそうです。

人の身体機能は、ふれあいから進化が始まり、平衡感覚が育ち、距離感(嗅覚・視覚・聴覚)が発達するそうですが、老化するときにはこれが真逆になって、ふれあいの感覚が最後まで残るのだと言われました。人は温かい安心感に包まれたことにより、人として育ち、安心感に包まれながらこの世を終えていく、それが一番幸せなことなのだなあと痛感しました。

最近、若者の中には人との触れ合いが苦手な人が多いと聞きます。多くの方がこのような実習を体験することで、ふれあいの大切さを学んでほしいと感じました。今回は、実習があると理論が生きてくることを実感した講義となりました。本当にありがとうございました。

【取材ボランティア:興味津々子】

取材したイベント

みえアカデミックセミナー2017高田短期大学公開セミナー「他者にひらかれたからだつくり〜運動と身体機能の視点から〜

日程 2017年8月23日(水曜日)
会場 三重県文化会館 1階レセプションルーム

取材ボランティアレポートみえアカデミックセミナー2017「マティマティクスは数学か?」

講座の様子

小学校から中学校に上がる時、一番の衝撃は、「算数」の授業がなくなって、「数学」になることだった。何だ、何だ?どうして「算数」じゃいけないの?「算数」の範疇にあてはまらない、とんでもない難しい世界が開けてくるのか?そんな不安と期待で、最初の「数学」の授業にのぞんだ私を待っていたのは、xだのyだのといった、英語の授業でしかお目にかからないと信じていたアルファベットが数式に出てくること。ええー?どういうこと?むずかしくて、わけわかんないよ・・・

今回のみえアカデミックセミナーのお題は、「マテマティクスは数学か?」
マテマティクスという学問の名前が正式に「数学」と決められたのは、明治15年。そのことに、三重県がかかわっているという。

講師

お話は、鳥羽商船高等専門学校の佐波学教授。実は、鳥羽商船高等専門学校の前身は「攻玉社」という塾。幕末維新期に、慶應義塾・同人社と並び、三大義塾と称された名門塾で、主に、理工系を目指す塾生が通っていた。明治7年に、351名の塾生が所属したという記録が残っている。攻玉社の創設者は近藤真琴。近藤真琴は、帝国六大教育家の一人と称された。ちなみに六大教育家には、福沢諭吉、新島襄らが名を連ねる。攻玉社は、東京にあったのだが、なぜそれが鳥羽に?

実は、近藤真琴は鳥羽藩主だったのだ。海軍、海運、土木などを教える研究所を作り、鳥羽にはよい港があったことから、分校を鳥羽に作った。それが後に、鳥羽商船高等専門学校になったというわけだ。

攻玉社は数学の授業に定評があり、この時代の中等学校の数学の先生は、攻玉社で学んだか、攻玉社で学んだ先生について学んだか、あるいは、攻玉社で学んだ先生が書いた教科書で学んだかのいずれかだと言われたという。

明治10年、日本数学西洋数学を問わず、互いに気脈を通じさせようとの目的で、東京数学会社が結成された。そして、「西洋数学の術語の訳語を決定する」という目的のために、訳語会を作り、ひとつひとつの専門用語について、どんな訳語をあてるか、議論をした。時には訳語が決まらず、ひとつの単語をめぐって何時間も議論したという。そんな、「紛糾した用語」のひとつが「マテマティクス」。「算学」「数学」「数理学」という3つの候補が上がり、どれにするか、真剣な議論が展開されたという。最終的に「数学」が選ばれ、今日に至るわけだが、国の要職につき、多忙を極めていた人たちが、ひとつの単語の訳をめぐって、何度も会議を開き、侃侃諤諤と議論をしたなんて、やはり、明治時代の人たちの国造りにかける情熱は熱かったのだ。

日本の数学界の基礎を作った人物が三重県出身で、その精神が脈々と受け継がれた学校が今もあるなんて、なんだか嬉しくないだろうか?苦手な数学がちょっぴり好きになった一日だった。

【取材ボランティア:海住さつき】

取材したイベント

みえアカデミックセミナー2017マテマティクスは数学か?〜 攻玉社と幕末維新期の「数学」〜

日程 2017年8月20日(日曜日)
会場 三重県文化会館 レセプションルーム

取材ボランティアレポートみえアカデミックセミナー2017「本能寺の変」

講座の様子

毎回、参加者が多く、空いた席を探すのに一苦労するみえアカデミックセミナーの中でも人気の「本能寺の変」。何と、募集を始めてすぐ満席になり、応募を締め切ったため、「何とか入れてくれないか」という問い合わせが殺到したそうだ。

それもそのはず、NHKの大河ドラマで最大の見せ場といえば、「本能寺の変」。日本史の中で最もダイナミックに歴史が動いた瞬間が題材となれば、それだけでお客さんは集まるというのに、さらに、講師の藤田達生教授は、新史料でわかった「本能寺の変」の新しい解釈をここで披露されるらしい。つまり、参加できた私たちは歴史的瞬間に立ち会ったと言っても過言ではないのだ。

さて、詳しい内容はというと、実はとても難しかった。それは、歴史的史料を一つ一つ、ていねいにひもといて話がすすんでいくからで、具体的に歴史的史料とは何かというと、昔の言葉で書かれた書簡だったり日記だったり。古文を読むのは、高校生の国語の授業以来だから、一体何が書いてあるのやら全くわからず、ひたすら、現代語訳に頼って読み進めていくしかない。実は、セミナー開始前、いただいた資料をちらっと読んでみたのだが、ちんぷんかんぷんだった。それが、藤田達生教授が朗読されると、あら不思議!言葉一つひとつに魂が宿っているのか、まるで現代語であるかのように、スーッと頭にしみこんでいく。先生は偉大なり。

講師

ということで、詳しい内容は、藤田達生教授がお書きになった著書を読んでいただくといいと思う。(『謎解き本能寺の変』『証言 本能寺の変』など多数出ている)。ここでは、藤田達生教授がお話しになった「本能寺の変」のポイントを、簡単にまとめてみたい。

1.「本能寺の変」は、明智光秀による単独謀反ではない。光秀自身が天下を狙っていたわけではないし、華麗なる家柄の出である光秀は、主従関係、姻戚関係などさまざまな人脈で支えられた組織人であったので、お家の運命を決めるような大事なことは、合議制で決めていた。「敵は本能寺にあり」という光秀の言葉だけで盲目的についていくような組織ではなかったはずなので、信長を討つということは、組織の意思で事前に決めていたと考えられる。

2.「本能寺の変」直前は、信長の天下統一がほぼ達成にさしかかっていた時期。信長の統一国家構想は、自分の子どもや、自分が手塩にかけて育てた近習などを重用し、世代交代を図るという大胆なもの。そのため、明智光秀自身も国替えを余儀なくされ、政権から追われることがわかっていた。左遷され、社会的に抹殺されるくらいなら、組織のためにも、信長を討つというイチかバチかの勝負を選んだのではないかと考えられる。

3.明智光秀には、信長を討つ行為が、決して謀反ではないという大義名分が必要だった。そのために、室町幕府を復活させ、足利義昭の上洛を画策し、信長こそが逆臣であり、自分たちは物事をあるべき姿に戻しただけなのだという正当性を主張したと考えられる。

今回、藤田達生教授が紹介された新史料には、足利義昭と明智光秀が「本能寺の変」の前から通じていたことを示すものもあり、会場からは「おーーー!」「ほーーー!」という悲鳴に近い喚声が上がっていた。おそらく、会場にいらっしゃったみなさんの8月19日の夕食の話題は、「本能寺の変」一色だったにちがいない。

近い将来、新史料にもとづいた、新しい解釈の「本能寺の変」が、大河ドラマで放映されるのを楽しみに待ちたい。

(取材ボランティア:海住さつき)

取材したイベント

みえアカデミックセミナー2017三重大学公開セミナー「本能寺の変 〜新史料でなにがわかったのか〜」

日程 8月19日(土曜日)
会場 三重県文化会館1階 レセプションルーム

取材ボランティアレポートみえアカデミックセミナー2017「くだもの秘話」

講座の様子

果物は大好きで、毎朝、必ずいただくのが日課。
夏は、ナシとかスイカとか、みずみずしい果物がたくさん店頭に並んでいて嬉しい。
今回、お話してくださった平塚伸教授は、二ホンナシの自家不和合性に関する研究がご専門とのこと。セミナーを聞いたら、私もナシ博士になれるかな?

「日本原産の果物はどれくらいあるかご存知ですか?」
平塚伸教授のセミナーは、そんな問いから始まった。
日本原産?
カキとか、日本っぽいよね?日本原産じゃないの?

答えはノー。
意外にも、果物はほぼ、すべてが外国から日本に来たもので、カキは奈良時代、ダイダイは1世紀ごろ、中国から来たのだそう。
日本原産といえるのは、二ホンナシとクリの二つで、その他の果樹はほとんど明治以降、日本に来たそうだ。

つまり、江戸時代まで、日本人は、ほとんど果物を食べてなかったということになる。

かんきつ類に関する記述は、かなり古く、平安時代の書物にも出てくるけど、すっぱくてとても食べられたものじゃなかったらしい。冬、こたつに入ってテレビを見ながら皮をむいて食べるミカンが、甘くおいしくなったのは、比較的新しく、人工交雑や突然変異を繰り返しながら今もなお進化し続けているとのこと。特にかんきつ類に関しては、まだまだ研究途上で、知られていないことも多い。毎日、当たり前のように食べているくだものは、まだまだ謎に満ちた作物なのだ。そういえば、毎年のように、甘くて、皮がむきやすく、種のない新しい品種の果物が店頭に並んでいるのを思い出した。今年も、どんな新しい品種のくだものが売られるのか、今から楽しみになってきた。

講師

さて、平塚伸教授がご専門の「自家不和合性」。これは、リンゴやナシなどかなり多くの果物にみられる性質で、簡単に言うと、自家受粉では受精しない現象のことを言う。植物は動物と違って、住む場所を選べないので、生き残るためには、違う遺伝子を取り込んで強い種になる必要がある。だから、他から飛んできた、あるいは、運ばれてきた花粉では受粉するが、自分自身の花粉では受粉しないようにプログラミングされているのだ。そういえば、梨農家の人は、受粉の時期が一番忙しいという話を聞いたことがある。それは、人工的に他家受粉しているからなのだ。

その他にも、三重の「幸水」と千葉の「幸水」は同一個体であるとか、「幸水」の種をまいても「幸水」の実はならないとか、いろいろおもしろいくだもの独特の性質を知って、ますますくだものに興味がわいた。三重県には、たくさん梨園があって、梨狩りができるので、一度、梨農家の人に、直接お話を聞いてみよう。

(取材ボランティア:海住さつき)

取材したイベント

みえアカデミックセミナー2017「くだもの秘話」

日程 2017年8月17日(木曜日)
会場 三重県文化会館1階 レセプションルーム

取材ボランティアレポートみえアカデミックセミナー2017「おもてなし経営とは」

講座の様子

四日市大学経済学部の岡 良浩(おか・よしひろ)准教授を講師に迎えた「みえアカデミックセミナー2017・おもてなし経営とは何か〜科学と実践の最前線〜」を受講したので、その内容や感想についてレポートします。

 【おもてなし経営】とはまだまだ一般には耳慣れない言葉であり、私も、『観光客や企業・学術イベントなどを現場誘致して、継続的な事業を通じて地域の発展や活性化を進める』というようなイメージを抱いていました。
同じような感覚で受講された方もいるかもしれません。

セミナーは国内のGDPや各業種の生産性(労働生産性)など、構造的な話からはじまったのですが、私が一番印象に残った、おもてなし経営とは、という点をレポートしたいと思います。

ここでの「おもてなし」とはサービス産業に関わる事であり、飲食店や小売店、娯楽・観光施設などはもとより、電気・ガス・水道の供給などを含めた「大変広い意味でのサービス供給事業」とします。

もともとは経済産業省が推奨しているスタイルで、少子高齢化や国際化、情報や価値観の急速なグローバル化に伴い必然的に発生する価格競争に陥ることなく

1 サービス事業者の社員の意欲と能力を最大限に引き出し
2 地域や社会との関りを大切にしながら
3 顧客に対して高い付加価値と差別化したサービスを提供する

経営をおもてなし経営としています。

経産省では平成24年度からそのような経営を目指し、実績を上げている全国の企業を100社程度選定しています。三重県内では 伊賀市の自動車販売・サービス業者と鳥羽市の海女小屋体験事業者、多気町の製薬会社の3社が選定されています。

講師の四日市大学経済学部・岡 良浩准教授は、もともと四日市地域で中小企業の研究をされていたそうで、セミナーでは

  • 日本のGDPのうち、4分の3がサービス産業(広義)で占められる。
    「製造業、建設業、農林水産業、鉱業を除く」すべての業種が広義のサービス産業である。1980年以降をとっても、国内GDPに占める製造業の割合が15年間で15%も下がっている一方で、広義のサービス産業は10%近く伸びている。
  • 労働生産性は従業員1人の就労時間あたりの、事業者がつくりだす付加価値
  • 運輸、卸小売、宿泊、飲食、医療、介護・保育などのサービス産業は、製造業に比べ労働生産性が低い。 とくに宿泊業・飲食業の労働生産性が低くなっている。
  • 政府は2020年をめどに国内GDPを現在の500兆円から600兆円に増やすという目標を設定し、増加分100兆円のうち90兆円の伸びしろをサービス産業で占めたいと考えている。

などの説明がありました。

講師

【おもてなし経営】を実践するために、サービス事業者が教育訓練の一環で、大学などと連携する例が増えています。四日市大学経済学部では「産学連携による伊勢志摩『おもてなし経営』のための人材育成事業」というプロジェクト(要するに大学のカリキュラム)を立ち上げ、【観光業における経営をになう中核人材の育成】を目的とし、接客技術やインバウンド、経営力の向上などの実践教育を行っているという事です。

「現地演習は伊勢志摩鳥羽地域をフィールドとした12日 を想定し、学生が企業または観光者に対する取材を行い、取材結果を一定のシナリオに基づいて、広告媒体(映像)として制作することを目標とする。」という四日市大学の取り組みについてご説明がありました。

今回のセミナーでは、サービス産業の労働生産性の実態や、国の取り組み、企業の収益を上げるためのモデリングなどを中心に1時間強の話が進められました。

おもてなしといえば、私も父方の故郷に近い熊野が好きで、よく熊野古道に出かけますが、道中で会う人はヨーロッパや英語圏の人が日本人よりも多くなっています。古道沿いの英語などで書かれた道路標示や洋式トイレ(シャワー付きもある!)が急速に普及している他、個人経営の宿でも改築に余念がありません。訪れる彼らは当然ながら外国語(英語)がホテルや駅、観光地で通じるかどうかを再来の重要ポイントに挙げています。大抵の人は畳に布団敷きでも問題はなく、和食にも慣れているようです。そしてゲストルームが狭いというような苦情もあまりないようです。そして、彼らは日本人よりかなり長いバケーションを楽しんでいます。

今回は【おもてなし経営】についてのセミナーでしたが、「需要を掘り起こす」ための努力が一番大切な事だと感じました。労働生産性が低いからと言って、客単価を上げるわけには行きませんし、サービス産業にとってそれは永遠のテーマかもしれません。

(取材ボランティア:中村充)

取材したイベント

みえアカデミックセミナー2017「おもてなし経営とは何か〜科学と実践の最前線〜」

日時 2017年7月15日(土曜日)
会場 三重県文化会館1階 レセプションルーム

取材ボランティアレポート「M祭!2017 アーティストになってみよう!」

ながおさんを囲んで

夏です!
M祭です!
三重県総合文化センターに子どもたちが集まって、広場が子どもたちの作品で埋め尽くされると、
「ああ、夏が来たなあ、夏休みが始まったなあ」と実感します。

今年も、24種類ものイベントが同時に行われ、集まった子どもたちは大忙し。
子どもたちに楽しんでもらおうという大人たちの熱意と、イマジネーションを炸裂させた子どもたちの熱気で、三重県総合文化センター全体が、夢の国に変身!

わくわくするなあ。

絵を描く子ども

三重県総合博物館では、「アーティストになってみよう」と題して、絵本作家ながおたくまさんといっしょに夢ののりものを描こうというイベントが行われました。

三重県総合文化センターでは、ふだんから、「絵かきのコばっぐ」の貸し出しを行っています。
これは、画用紙やクーピーを貸し出し、センター内で自由に絵を描いてくださいというシステムで、お絵描きセットを忘れても、いつでもお絵描きができるという夢のような制度。

それだけでもありがたいのに、
何と!2017年は、アーティストの方といっしょに「アーティストになってみよう」というイベントが5回もあって、M祭はその1回目でした。

1978年生まれのながおたくまさんは、名古屋を拠点に活動している絵本作家。
今年から絵本読み聞かせの活動もされているそうで、子どもたちの世界にスーッと入っていって、おしゃべりしながら自然に子どものイマジネーションを呼び覚ます天才。

この日のために準備した夢ののりものパレードの4メートルある大作を披露すると、子どもたちから、「あ!恐竜だ!」などと喚声が。さすが、こどもたちが好きなものをご存知です。

ながおたくまさんが描いたパレードの中に、子どもたちが描いた絵を切り抜いて並べていき、ひとつの大きな作品にするそうで、これは、ぜひ見に行かなければ!

8月いっぱい三重県総合博物館で展示されるそうです。

子どもたち、夏休みのいい思い出になっただろうなあ。

この中から、きっと、将来のながおたくまさんが生まれるんだろうなと思うと、
今からとても楽しみ。

お絵描き好きの子どもたち、三重県総合文化センターへ行って、ぜひ、お絵描きしよう!

今から、来年のM祭が待ち遠しくてたまらない!

展示

取材したイベント

M祭!2017 キッズ・アート・フェスティバル
いろいろアーティストとアーティストになってみよう in MieMu
絵本作家 ながおたくま
夢ののりものパレード! 自分だけののりものを描いて、パレードをしよう!

日時 2017年8月6日(日曜日)
会場 三重県総合博物館

取材ボランティアレポート みえアカデミックセミナー2017 オープニング 「生命を捉えなおす―動的平衡の視点から―」

講演風景

会場となった三重県文化会館中ホールは全く空き席が見当たらない満席状態であり、この講演を多くの人が待ち焦がれていたのだと強く感じました。私自身も、福岡さんが生物学者だと言いながら、フェルメールの絵について熱く語っておられるのを春頃テレビでみました。その方が講演に来られるということをチラシで知って、ぜひお話を聞いてみたいと思っていたのです。

福岡さん

福岡さんは小さいころから昆虫が大好きで、昆虫を追いかけ、その世界に魅せられていました。両親が顕微鏡を買ってくれたことは、友だちを作ってほしいという親の願いに反して、彼をますます生命の微小世界にひきつけていったのです。

大学に入り、細胞の遺伝子研究に興味を惹かれ、GP2という新種の遺伝子を発見されました。そのGP2の働きを確認しようとする長い過程の中で壁にぶつかったことが、ルドルフ・シェーンハイマーの「生命は機械ではない、生命は流れだ」という言葉を思い出したきっかけであると福岡さんは語っておられました。この考えが「動的平衡」であり、機械論的メカニズムではなく、一定の形を保ちながら動いていく生命をできるだけ長い時間軸の中で捉えようとする視点でした。福岡さんは今、ニューヨークのロックフェラー大学で客員教授を務めながら、「動的平衡」の考え方を推し進めていらっしゃいます。

会場の様子

福岡さんは、顕微鏡を初めて作ったアントニー・レーウエンフックと同じ年に同じオランダの町で生まれた画家フェルメールに興味を抱きました。さらに大学院卒業後、働いていたニューヨーク市でたまたまFrick Collection(個人美術館)をみつけ、そこでフェルメールの絵3枚に出会い、フェルメールの36作品(全37枚中1枚は盗まれている)をデジタルでリ・クリエイト※していくことになるという福岡さんの一連の歩みは、すべてが運命の糸でつながっていたかのようで感動せざるをえません。福岡さんがリ・クリエイトしたフェルメールの36作品をいつかぜひ見てみたいものだと思いました。微小世界をのぞきながら雄大な生命の流れを見つめ、夢をはせる福岡さんの魂のわくわく感を追体験させていただいたようで、とても楽しく夢のあるひと時でした。本当にありがとうございました。

【取材ボランティア 興味津々子】

※リ・クリエイト 絵画を最新のデジタルリマスタリング技術によって、描かれた当時の色調やテクスチャーを求めて再創造したもの

取材したイベント

みえアカデミックセミナー2017オープニング「生命を捉えなおす―動的平衡の視点から―」

講師 福岡伸一さん(青山学院大学 教授)
日時 2017年7月1日(土曜日)
会場 三重県文化会館 中ホール

取材ボランティアレポート 妖怪の誕生―「百鬼夜行絵巻」の謎を解く

講演風景

「妖怪」は、日本人にとってなじみの深い存在。
だから、大昔から日本文化に根付いていたと思われがちだけれど、実は、現代の私たちがなじんでいる「キャラクターとしての妖怪」は、水木しげるさんが作り上げたものなのですよ。
そんな衝撃的な言葉から、西山克(まさる)教授の講演は始まった。

関西学院大学で日本史を教えていらっしゃるという西山教授
軽妙な語り口と、本当に面白い核心部分は、引っ張って最後の最後まで種明かししないという絶妙な間の取り方で、聞くものを飽きさせないテクニックはさすが。講演が進むにつれて、「へえ〜!」「えっ?そうなんですか?」などという会場からの声が合いの手のように入り、まさに、会場を巻き込んでの大講演会となった。

講演風景

題材となった「百鬼夜行絵巻」について、いくつかのスライドを見せていただいたが、「いやあ、この妖怪、好きなんですよ〜」「これ、部屋の壁に貼って毎日眺めています」などと言いながら、本当に楽しそうに語る教授に感化され、いっぺんに妖怪好きになってしまった。絵巻自体は、ただただ、さまざまな妖怪が描かれており、言葉を使った詳しい説明がついているわけではないので、西山教授という先導者なしでは、何が面白いのか、よくわからなかったのだけれど、絵巻が描かれた時代背景や、所蔵されていた場所など、さまざまな状況証拠をひとつひとつひも解いていき、最後に、「これだ!」という真相を教授がお示しになった時の衝撃は忘れられない。えっ?もう講演会終わっちゃうの?もっと続きが聞きたいのに。

講師

私自身は、西山教授の講演を聞くまでは、「百鬼夜行絵巻」は、民間伝承であちこちに散らばって語り伝えられていた妖怪たちを一堂に集めた、いわば、妖怪の集合写真のようなものだと漠然と考えていた。しかし、西山教授によると、この絵巻には時の政権、室町幕府に対する強い怒りが込められているという。例えば、絵巻に描かれている真っ赤な太陽。これは、室町時代にあった皆既日食ではないか?皆既日食はよくないことの予兆だといわれるが、事実、日食の後、3年にわたって自然災害が続き、日本中で大量の餓死者を出した「寛正の飢饉」があった。京都で10万人が死に、街中に死体が折り重なって倒れていたという大惨事となり、炊き出しするなどして、一度は人々の救助に乗り出した幕府だが、あまりにも災害の規模が大きく、途中で打つ手なく救助から手を引いてしまった。目の前で人々が日々、死んでいく中、驚くべきことに、御所では将軍たちが、人々の苦しみをよそに、相変わらず、遊び惚けていた。それを見ていたのが、一休宗純。表立って将軍を批判することはできないので、その怒りを込めて描かせたのが「百鬼夜行絵巻」だというのが、西山教授の種明かしだった。

まさか、まさか、そんな政治的なメッセージが妖怪に込められていたとは!

しかし、そう思って見てみると、絵巻の随所にさまざまなメッセージが込められているように思えてくる。妖怪は、後世の私たちに、大災害の記憶を伝える媒介者だったのだ。

ちなみに、数ある「百鬼夜行絵巻」の中で、最も重要だとされるのは、大徳寺真珠庵蔵のものだが、大徳寺こそ、一休さんがいたお寺であるという。頓智で有名な一休さんだからこそ、壮大な絵巻にメッセージを込めることができたのではないか。そう思うと、妖怪の謎解きが楽しくなってきた。

まだまだ知りたい「百鬼夜行絵巻」。
西山教授、ぜひ、続編をお願いします!

【取材ボランティア:海住さつき】

取材したイベント

妖怪の誕生「百鬼夜行絵巻」の謎を解く

日時 2017年6月17日(土曜日)
会場 三重県文化会館レセプションルーム

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