三重県総合文化センター ブログ

取材ボランティアレポート 山本博文講演会「福沢諭吉の明治維新」

講演会の様子

山本博文先生といえば
NHKラジオ深夜便で
落ち着いた語り口ながら
新しい切り口で歴史をひもとき
毎回、目から鱗が落ちる講義をしてくださるので
何年も前からずっとファン。

今回のテーマは、「福澤諭吉の明治維新」。
NHK大河ドラマの舞台が明治維新なので
これは申し込みが殺到するだろうと
受付開始と同時に申し込みを済ませておいて正解。
当日は中ホールが歴史好きの三重県民で埋め尽くされました。

山本博文先生

先生が準備してくださったレジメは
まるで大学の講義のように細かくていねいで、おかげさまで、メモを取る必要がほとんどなく、先生のお話に集中することができ、最後まで楽しめました。

福沢諭吉の三冊の著作を読みながら
諭吉の思想を読み解くという流れで講義はすすんでいきますが
途中、山本博文先生の大河ドラマに対する感想がつぶやかれると会場がドッと沸き、
ああ、みんな同じようなことを感じていたんだなと、不思議な一体感が生まれたり

 レジメには載っていない「ウラ話」「小ばなし」がポロっと出ると、お客さんが一斉に身を乗り出したり

歴史の勉強って
どうしてこんなに楽しいんだろう?

ぜひ、続編が聞きたいと思います。
ありがとうございました。

(取材ボランティア:海住さつき)

取材したイベント

みえアカデミックセミナー2018オープニング
山本博文講演会「福沢諭吉の明治維新」

開催日 2018年7月7日(土曜日)
場所  三重県文化会館 中ホール

取材ボランティアレポート 名作映画会「禁じられた遊び」

名作映画会の様子

私の好きな映画音楽の中で、一番と言っても過言ではないのがこの「禁じられた遊び」。ギター演奏のみで奏でられるこの曲はどことなく哀愁がただよい、いつ聴いてもうっとりとした気分になります。

今回、「名作映画会」で上映されると知り、真っ先に申し込みました。実はこの映画のテーマ曲は何度も聞いていながら、映画はまだ観ていなかったのです。

この映画を昔、観たけれどもう一度みたいという人や、初めて観るという人などで客席は満席で、上映と共にこの曲が静かに流れる中、ストーリーが展開していきました。

ポスター

時は、第二次世界大戦最中のフランス。ドイツ軍の空襲に逃げ惑う群衆の姿が映し出されます。その中に両親と愛犬と共に逃げる少女、ポーレットがいました。爆撃の音に逃げ出した愛犬を追うポーレット、それを追う両親。

容赦なく降り注ぐ爆撃に両親と愛犬を亡くしたポーレットは、農家の少年ミシェルと出会い、家に連れて行かれます。優しい家族に迎えられたポーレットはそこで生活することになります。

愛犬の墓をポーレットとミシェルは人の来ない水車小屋へ作りますが、愛犬がひとりぼっちでかわいそうだと言うポーレットに、ミシェルはヒヨコやもぐらなど様々な動物の墓を作ります。しかし、だんだんと墓を作る遊びがエスカレートし、十字架を墓に立てようと思い立ちます。その頃、馬に蹴られて寝込んでいたミシェルの兄が亡くなり、父が手配した霊柩車の十字架をミシェルは盗みます。父に問い詰められたミシェルは隣人が盗んだと嘘を言います。

また、教会の十字架をミシェルは盗もうとしますが、神父に見つかって追い返されてしまいます。それを聞いたポーレットは墓場にも沢山の十字架があると言い出し、二人で墓場の十字架を盗み出します。その後、墓参りに行ったミシェルの家族は、息子の十字架が引き抜かれて無くなっているのに激高し、隣人のせいだと思い込み取っ組み合いの喧嘩をします。それを見た神父が犯人はミシェルであろうと父親に言うのを聞き、ミシェルは家出をします。    

水車小屋の墓を十字架できれいに飾りつけたミシェルは、ポーレットと翌朝見に行こうと約束をします。しかし翌朝、戦災孤児と申告してあったポーレットを孤児院へ入れるために警官がミシェルの家へ来ます。

慌てたミシェルは十字架の場所を言うからポーレットを家においてくれと懇願し、場所を白状しますが、父親は孤児院へ入れる書類にサインをしてしまいます。怒ったミシェルは水車小屋の十字架を引き抜いて、すべて川へ投げ捨てます。

駅に連れて来られたポーレットは、修道女にこの場所を動かず待っているように言われて、その場に残されますが、人ごみの中から「ミシェル」と呼ぶ声を聞き、探しに行きます。しかし人違いでミシェルは居ず、名を呼んで泣きながら雑踏の中へと消えていきます。

この映画を見て「禁じられた遊び」とはこの事だったのかーと初めて知り、長年の疑問が解けてこの映画を観て良かったと思いました。また、雑踏の中へ消えたポーレットは修道女と巡り会えて孤児院で大きくなったのであろうか、それとも運良く子供のない人に育てられて美しく成長したのであろうかーと想像の翼を拡げながら帰宅しました。

(取材ボランティア:葛山 則子)

取材したイベント

6月名作映画会「禁じられた遊び」

開催日 2018年6月9日(土曜日)
場所  三重県生涯学習センター視聴覚室

取材ボランティアレポート「ワンコインコンサートvol.87ミュージカル 未来優希&毬乃ゆい」

ワンコインvol.87

5月16日(水曜日)、元宝塚歌劇団の二人の歌声を聴きに、多くの観客が三重県総合文化センター大ホールにつめかけた。

出演者の一人は未来優希さん。宝塚歌劇団月組の男役、そして雪組の副組長も務めた。
もう一人は毬乃ゆいさん。宝塚歌劇団宙組の娘役だった。
人とも宝塚歌劇団で20年近くのキャリアがある大ベテランだ。

未来さんの豊かで力強い歌声と、毬さんの繊細で美しい歌声のデュエットは、宝塚の世界観そのものだった。演目には宝塚の往年のヒット曲が選ばれ、観客も手拍子を加えながら二人の歌声に酔いしれた。

注目は歌声だけじゃない。二人の人となりが見える、曲の合間のトークだ。

未来さんはトークの時、男役時代の低い声ではなかったことに親しみを感じた。二人は宝塚音楽学校時代や宝塚時代の話、津市で食べたグルメの話などをして観客を盛り上げた。

この他、観客からの質問も受け付けた。二人の宝塚時代の接点について聞かれると、毬さんの姉・悠なお輝さんが未来さんと同じ元宝塚の雪組で、悠さんの手料理を食べに毬さんの家によく集まったエピソードを話した。

また、退団後の出演作での変化を聞かれると、未来さんは「共演者に男性がいたこと」だと話す。リフト(女性を持ち上げる)役も、在団時代は自分が持ち上げる方だったので、リフトされる側になった時の戸惑いなどを話した。

あっという間の1時間が過ぎ、アンコールでは観客席側から登場した。観客と握手を交わしながら「すみれの花咲く頃」を歌い、大歓声の中、幕を閉じた。

実は二人は宝塚の現役中も、全国ツアーで三重県総合文化センターを訪れたことがあるのだという。(未来さんは2005年の「銀の狼」、毬さんは2001年「風と共に去りぬ」。)また二人に三重県総合文化センターの舞台で会えることを楽しみにしている。

披露曲

  • ベルサイユのばらメドレー
  • ハロー・タカラヅカ
  • 白い花がほほえむ 「ラ・ムール・ア・パリ」より
  • セ・マニフィーク
  • はじめての恋
  • 私が踊る時 「エリザベート」より
  • 私だけに 「エリザベート」より
  • あの子はあなたを愛してる 「ロミオ&ジュリエット」より
  • この愛よ永遠に -TAKARAZUKA FOREVER-

(取材ボランティア:バゼミニエクス睦子)

取材したイベント

ワンコインコンサートvol.87ミュージカル 未来優希&毬乃ゆい

開催日 2018年5月16日(水曜日)
場所  三重県文化会館大ホール

取材ボランティアレポート「狂言師・野村万作講演会」

野村万作講演会

狂言師・野村万作講演会は、弟子でもある林和利さんがご自身の著書を用いながら師匠の紹介をするところから始まった。
なにしろ、師匠のことを知り尽くした方が聞き手として進行していくのだから、面白いことこの上ない。
テンポよくプロフィールの紹介が進むと、早速、映像が流れた。
演目は、野村万作さんの代表作「釣狐」。
お坊さんに化けた狐が、油揚げのワナを見つけ、いったんは理性で抑えて通り過ぎるのだが、生き物としての狐の本能(食欲)が勝って我慢ができなくなってしまい、油揚げを取りに戻ってしまう。
言葉で説明すると、たったそれだけのことなのだが、きつねの内心の「理性」と「本能」の葛藤を、舞台上を行きつ戻りつする演技だけで表現していく。

 もちろん野村万作さんご自身も観客と一緒に映像を見ていらっしゃったのだが、見終わって開口一番、

「自分の演技、うまくないなあ」。

今年8月に東京の国立能楽堂で「釣狐」の公演が決まっているとのこと。
「まだ、練習していないんですが、今日は、いい刺激になりました」。

昔は、「釣狐」の公演の前は、縄跳び300回したり、マンションの15階まで階段を一気に駆け上ったりして体力づくりをされたそうだ。86歳の今は、そこまではしないとおっしゃっていたが、おそらく、ストイックに準備されるはずだ。

狂言は、500から600年の歴史があり、型通りに演じるのが基本ではあるが、その中でも常に工夫をこらし、特に師匠であったお父様がなくなった後、ご自身の創意工夫を盛り込むようにし、野村万作さんの演技は進化し続けているという。

「川上」という演目がある。
目が見えない主人公が、お地蔵さんに願掛けをしたところ、奥さんと別れることを条件に眼が開いた。
ところが、喜びも束の間、それを知った奥さんが怒り心頭、絶対に別れないと言い張るので、元のさやに戻ることにしたとたん、また目がつぶれてしまう。
再び目が見えなくなった主人公は、最後に奥さんに手を引かれて舞台を去っていく。
年老いた二人がとぼとぼと歩いていくシーンは、本来は悲しみを誘う場面である。
しかし、野村万作さんは、このシーンを「幸せな老後が始まるハッピーエンド」として演技することにしたのだという。
目が見えるようになったけれども一人孤独に生きていくより、たとえ目が見えなくても、長年連れ添った妻に介護してもらうほうがいい。

「お地蔵さんの託宣よりも夫婦の愛の勝利」。
古典芸能を、現代の世相に合わせて解釈していく凄み。
それが、86歳の今なお、進化しつづける野村万作・狂言道の秘密なのだ。

 

野村万作講演会

息子の野村萬斎さんに関しては、「ライバル」だと断言。

あらゆる分野で活躍し、父を超えるくらい有名な息子に、
「新しいこととオーソドックスな演技の仕分けが足りない。あまり古典をいじってほしくない。おのずと新しいものがにじみ出てくる演技を目指すべき。自分が父親の教えを離れて創意工夫を始めたのは父が亡くなってからだった。自分はまだ生きているのだから(笑)、息子が自分の世界を作るのは早すぎる」
と、愛情たっぷりの本音と建て前を述べられた。
野村家は、芸の道を究めることと、親子の愛情を深めることを見事に両立させているようだ。

野村万作講演会

最後に「鐘の音」を生で演じてくださった。

主人公が鎌倉のお寺を訪問し、鐘をついてその音を聴き比べるというだけの筋書きなのだが、鐘の音をすべて声で表現する迫力に、狂言のおもしろさが凝縮されていた。

深い哲学を表現するのも芸術、
日常のたわいない笑いを表現するのもまた芸術、
一人の人間が、生涯かけて磨いた芸でそれを表現する狂言は、
まぎれもなく、日本が世界に誇る芸術だ。

(取材ボランティア:海住さつき)

取材したイベント

狂言師・野村万作 講演会「人間国宝が語る86歳の狂言道」

開催日 2018年4月30日(月曜振休)
場所  三重県文化会館中ホール

取材ボランティアレポート「楽楽浪曲塾」

楽楽浪曲塾

小さいころ、つけっ放しのラジオからよく浪曲が流れていたのを覚えています。
「旅ゆけば駿河の国に茶の香り、ここは名に負う東海道・・・」
「佐渡へ佐渡へと草木もなびく、佐渡は居よいか住みよいか・・・」
「妻は夫をいたわりつ、夫は妻に慕いつつ、頃は六月中のころ・・・」
などなど、出始めの文句は今も覚えています。どの曲も私の心の奥深くにあり、聞けばともに口ずさめて、とても懐かしい思いに駆られます。それがどうしてなのか、今日この浪曲塾に参加させていただいてよく理解できた気がします。

楽楽浪曲塾

まず、浪曲は七五調でできていて調子が良いということがあるのです。私が覚えている上記の浪曲の出だし部分も、よく数えてみると七と五の音のつながりでできています。これに節をつけて三味線を伴奏として歌うのです。歌う声に裏声は使わないと春野恵子さんは言われましたが、低い声、中くらいの声、とても高い声まで、すべて自分の表の声で歌いきるというのですから、たいへんな修行がいったことと思います。そういえば、昔ひしゃげた声で浪曲をうなっているのを聞いた覚えがありますが、そうした独特の声になる程まで激しい練習を積んだということでしょうか。

浪曲には、節をつけて歌う部分のほかに、「啖呵(たんか)」といわれる、一人で登場人物のセリフを言う部分があります。この「節」と「啖呵」が交互にうまく配されていて、聴衆はどんどんと浪曲の世界の中に引き込まれていってしまいます。

楽楽浪曲塾

浪曲は、一人一節と言われるように、伝統に増して創造が重んじられ、先人と違った語り口や演出が期待される世界なのだということでした。絶えず自己研鑽を重ね、自分独自の芸風をこしらえあげていかなければならないということは、とても大変なことである反面、ゾクゾクするほど楽しいことでもあるのかもしれません。三味線の方と二人三脚でどん欲に新しいものを求めて努力研鑽を重ねていかれる素晴らしい人生の在り方をそこに見させていただいた気がします。 

今日は真山隼人さんと春野恵子さんの浪曲を聞かせていただきました。高低自在に変化する「節」と「三味線」と「啖呵」が聴衆の心を鷲掴みにし、知らないうちに私は物語の中へと引き込まれていきました。そして山場になると多くの人が涙を流していたようです。私も例外ではありません。浪曲の在り方全てが、人の心を揺さぶって来るのです。久しぶりに聞いた浪曲でしたが、こんなに素晴らしい芸能が日本にはあったのだと再認識することが出来ました。会場で買い求めたCDをかけて今も余韻に浸っています。これからも大いにご活躍され、何年か後にはまた更に新しい名調子を開花されていかれることを期待しています。

(取材ボランティア:興味津々子)

取材したイベント

楽楽浪曲塾〜浪曲の世界へようこそ〜

日程 2018年5月4日(金曜祝日)
会場 三重県文化会館 小ホール
講師 前田憲司さん
出演 浪曲師 春野恵子さん 曲師 一風亭初月さん
   浪曲師 真山隼人さん 曲師 沢村さくらさん

取材ボランティアレポート「楽楽平家琵琶塾」

平家琵琶塾

毎年、楽しみにしている「楽楽シリーズ」。
今年は、800年の歴史を持つ伝統芸能、平曲。

平曲とは、盲目の琵琶法師が語る「平家物語」のことで、高校の古典の授業で、古い録音を聞かせていただいたかすかな記憶があるばかり。教科書1ページ分の文章が、平曲になると30分くらいの長い語りになっていて驚いたことを覚えている。

ライブ演奏を聴くのは初めてなので、前日に軽く、平家物語の現代語訳をパラパラめくって予習して、いざ!本番を迎えた。

平家琵琶塾

第一部は、林和利先生による解説。先生が強調されていたのは、世間では、「平家物語」の本文が先にあって、それを琵琶法師が語ったと思われているが、事実はその逆で、琵琶法師が語っていたものを書き留めたのが「平家物語」。つまり、「平家物語」は語り物としてそもそも発生、発展したものだということだ。

もう一つのポイントは、琵琶法師は僧侶だということ。つまり、平家の物語は、平家の怨霊を鎮める目的で語り始められたということだ。そう考えると、短い文を、長い節回しをつけて語る意味というのがよくわかる。魂鎮めのため、心をこめて語りかけていたのだから。

平家琵琶塾

さあ、いよいよ、第二部。今井検校のライブ演奏が始まった。

実は、もっと琵琶をかき鳴らすものだと思っていたのだが、琵琶が2、語りが8くらいの割合で、語りがメインで平曲は進んでいく。今回の演目は、平家物語で最大の山場「那須与一・扇の的」。古典の日本語で語られるので、難しいはずなのだが、音楽だと思って語りのリズムに身を任せていると、だんだんと目の前に海上の船の風景がひらけてくる。ずらりと並んだ平家と源氏の人の群れ。弓矢が見事、扇の的に当たり、扇が空に舞った瞬間、敵も味方もそろってどよめいたクライマックスのシーンは、戦というより、スポーツのようだった。日本人は、敵味方に分かれて戦うことを、「紅白〇〇合戦」という。それは、源平の合戦の色分けに由来するのですよ、と林先生がおっしゃっていたが、「紅白」といえば「合戦」を連想するほど、日本人の意識の中に源平の合戦を深く埋め込んだのは、琵琶法師にちがいない。

何しろ、800年続いてきた伝統なのだから。

しかし、今、平曲は存亡の危機に立たされている。平曲を本格的に語れるのは、今井検校ただ一人だというのだ。会場からも、「後継者問題」を危惧する質問が出ていたが、今のところ、後継者の候補すら、みつかっていない状況だという。「盲人」で「男」という条件があり、さらに、変声期より前に平曲を始めなければならないので、人材がいないのだ。幸い、今は、録音・録画の技術があるので、DVDを作ったり、楽譜に書き起こしたりして、残すための努力は続けておられるそうだが、口伝えでないと伝わらない神髄を継承してくれる誰かが、近い将来現れることを心から願う。

どんなに時代が変わっても、人が生き続ける限り、魂鎮めは必要だから。

(取材ボランティア:海住さつき)

取材したイベント

楽楽平家琵琶塾〜諸行無常の世界〜

日程 2018年2月28日(水曜日)
会場 三重県文化会館 小ホール

取材ボランティアレポート「文楽レクチャー」

近松門左衛門の曽根崎心中については知っていた。
たしか、国語の教科書の「文学史」のページに載っていたし、日本史の授業でも習ったはず。
が、しかし。
見たことはない。
なぜだろう?名作といわれているのに。
おそらく、「わざわざ」文楽劇場まで見に行かなければならないのと、全く何の予備知識もなく見に行ってもおそらくわからないだろうという敷居の高さがあるからだ。
そんな私に、ついに!文楽デビューする機会がやってきた。

チラシ画像

なんと!

三重県総合文化センターで、「三重公演」が行われるのだ。
3月21日(水曜・祝日)という、桜の花もそろそろ咲こうかという春のうきうき気分でお出かけできる日取りも嬉しいし、加えて、事前に「なぜ心中しなければならないのか 文楽の『心中物語』を紐解く」という内容の「文楽レクチャー」が行われるというので、昨年暮れに申込みをした時からずっと今日を楽しみにしていた。

講師は、三重大学人文学部准教授の田中綾乃先生。哲学がご専門だが、長年の観劇歴から歌舞伎や文楽の解説なども精力的になさっているとのこと。

今日は淡いピンク色のお着物をお召しになり、やわらかい語り口で、難しい言葉で書かれた詞章をやさしく、おもしろく解説された。

3月21日の文楽公演の演目は「心中二題」。昼の部が「桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)」夜の部が「曽根崎心中」。どちらも心中物なので、なぜ、心中がこんなに日本人の心を惹きつけるのか?というテーマでお話が進んだ。先生によると、男性が死ぬ理由は、必ずしも色恋沙汰だけに限ったことではなく、お金の問題など、他の理由もある。興味深いのは、男性は自分一人で死のうと決意するのだが、それを聞いて「いっしょに死にましょう」と言い出すのは必ず女性。意志を持った強い女性と、ダメな男の組み合わせが心中しているという分析に、会場からため息が。人物の相関図を見ながら、人間関係のしがらみについての解説が始まると、おもしろくて、おもしろくて、あちこちから笑いが起きた。

なぜ、文楽がおもしろいかって?

それは、どうにもならない人間模様が、人形を通じてデフォルメされて表現されているからだ。生身の人間が演じると生々しすぎる心中物も、人形を通じて見ると、悲劇なのにコミカルに見え、心中がいいのか悪いのか、といった一種哲学的な問いを飛び越して、よくある浮世の物語としてスーッと心に入ってくる。いわば、現代のアニメのような役割が当時の文楽だったんじゃないか、そんな気がした。

3月21日が今からとても楽しみだ。

(取材ボランティア:海住さつき)

取材したイベント

【文楽レクチャー】なぜ心中しなければならないのか?文楽の「心中物語」を紐解く

日程 2018年2月2日(金曜日)
会場 三重県文化会館 小ホール

取材ボランティアレポート「第65回名盤を聴く」

講座風景

ショスタコーヴィチ「交響曲第5番」が終わると、自然に会場から拍手がわき起こる。
1983年に録画された古い映像を見ていることなど、誰もが忘れていた。
まるで、目の前で生演奏を聴き終わったかのような高揚感。
久しぶりに鳥肌がたった。

2002年から続いている「名盤を聴く」。第65回の今回は「エフゲニー・ムラヴィンスキー特集 第二弾」。「第二弾」とついていることからもおわかりのように、ファンからの強いリクエストに応えて、2006年の第一弾から約10年たった今年、待望の「ムラヴィンスキー特集 第二弾」が実現した。

今回の映像は、1983年に、ミンスク・フィルハーモニー・ホールで録画されたものなのだが、ソ連時代の古い機材で録画されていたため、日本の最新の技術で変換し、ようやく日の目をみることになったそうだ。いわば、日本人のムラヴィンスキーに対する熱い思いが、幻の映像を復活させたといえる。ただ、映像の状態は極めて悪く、途中で映像が途切れたり雑音が入ったりする場面もあった。

しかし、そういう古さがあるため、かえってライブ感があってワクワクした。なにより、指揮者のムラヴィンスキーの表情を至近距離でじっくり見ることができるのがよい。指揮者は普通、聴衆に背中を向けているので、時折ちらっと横顔が見えるくらい。ということは、指揮者自身も、曲が終わるまで、聴衆の表情を見ることはできないわけだ。しかし、背中に注がれる熱い視線を感じないわけはなく、本番中、背中に感じるプレッシャーはとてつもなく重いに違いない。

講座風景

今回は、演奏の映像だけでなく、リハーサルの様子やインタビューの映像もじっくり見ることができた。リハーサルは、一小節、一小節区切りながら、ていねいにすすめていく。決して妥協することなく。まるで、音楽大学の学生が譜面とにらめっこしながらピアノの練習をしているかのような細かさ。しかし、壮大な交響曲も、ひとつひとつの音符の集まりなのだから、当然のことなのだ。そうやって、ひとつひとつ、ていねいに積み上げていった音が響き合い、ひとつに溶け合った時、指揮者ムラヴィンスキー自身が言う「至福の時」が現れる。私は残念ながら、ムラヴィンスキーの演奏を生で聴くことはできなかったが、今回の「名盤を聴く」に参加させていただいて、まるで生の演奏を聴いたかのような感動を味わうことができた。

インタビューの中でムラヴィンスキーは、演奏に求められるのは、「客観性」や「正当性」ではない。「それは正しいのか?」という問いは無用だ。重要なのは、「説得力があるかどうか」。この演奏で、聴衆を説得することができるかどうか、それだけが求められるのだと言っていた。だから、例えば、ムラヴィンスキーの十八番ともいえるショスタコーヴィチの交響曲第五番であっても、通しリハーサルは納得のいくまで、最低10回は繰り返すのだという。オーケストラは他人との共同作業で音を編み出す作業であり、指揮者には指揮者の、団員が100人いれば100人の曲に対する思い、イメージというものがあるのだから、それらをぶつけあい、新しいものを創造していく作業というのは、苦しいものなのだ。ムラヴィンスキーが指揮台のことを「処刑台」と呼んでいたのが、大変印象的だった。長身痩躯のムラヴィンスキーは、胃が悪く、少食だったためやせていたとのこと。若いころは大げさなパフォーマンスだと言われるくらいダイナミックな指揮をしていたが、晩年は、指揮棒も使わず、動きを最小限に抑え、視線を送るだけで団員と意思疎通を図っている場面も多く見られた。たとえ、リハーサルであっても、長身のムラヴィンスキーが背筋をピンと伸ばし、指揮台に立つだけで場に集中力がみなぎる。これこそ、「巨匠」の存在感なのだろう。

講座風景

ロシア語のインタビューを聴いていると、ムラヴィンスキーの話す言葉自体が音楽のようだった。ムダがなく、流れるように途切れなく続いていく言葉たち。言葉はわからないけれど、ずっと聴いていたい気がした。

録音嫌いだったムラヴィンスキー。ひとつの理由は、彼は極限までピアニッシモを抑えるので、録音では音が拾えないということもあったという。しかし、現代のテクノロジーで、幻の映像が見られるようになったことは本当に嬉しい。

帰りに、多くの方が、次回の「名盤を聴く」の申込みをしていったのが印象的だった。生演奏を聴くのと同じくらい、もしかすると、それ以上の感動をもらえる「名盤を聴く」。もちろん私も次回も参加するつもりだ。

【取材ボランティア:海住さつき】

取材したイベント

第65回名盤を聴く エフゲニー・ムラヴィンスキー特集 第二弾

日程 2017年12月16日(土曜日)
会場 三重県生涯学習センター2階 視聴覚室

取材ボランティアレポート「男女共同参画フォーラム みえの男女2017 減災・復興と男女共同参画」

講演風景

熊本地震から1年、東日本震災から6年。
いま改めて、減災・復興と男女共同参画について考える。

そんなテーマで行われた今年の男女共同参画フォーラム。
会場には、「防災」「災害」「避難所」などの言葉が飛び交い、いつもの男女共同参画とはちょっと違うハードな雰囲気が漂う。

なぜ、防災に男女共同参画?

そんな戸惑いの声もちらほら聞かれる中、始まった基調講演。冒頭、今までは、科学が進歩すれば地震の予測が可能になるという前提で様々な防災計画を立てていたが、科学が進歩したおかげで、逆に、確度の高い予測は困難であるということがわかり、その前提で防災計画を練り直しているというショッキングなニュースがもたらされた。

ええっ?やっぱり地震がいつ、どこで起きるかは予測できない?じゃあ、私たちはどうすれば?

日本では、大きな災害が起きるたびに、その経験をもとに、防災計画が見直されてきた。熊本地震は、「避難者の姿が多様化しつつある」という教訓をもたらした。指定避難所に行かず、車中泊をする人。物資だけを取りに避難所に来る人。日本語のほとんどわからない外国人の方。障がいがあるため、避難所生活が特に困難な人。妊婦さん。介護が必要な人、などなど、多様な人が、多様な支援を必要としていた。実際、熊本には、指定避難所だけでなく、小さな避難所がたくさんでき、さまざまなニーズにこたえようと多くの人が関わった。この経験からわかったことは、大規模災害時に、行政にすべてを任せることは難しいということ。今までは、何もかもやろうとしていた役所が、住民のみなさんに対して「自助」「共助」をお願いしますと言い出したことは、実は画期的なことなんですと講演者の佐谷説子さんがおっしゃっていたのがとても印象的だった。

パネルディスカッション

パネラーの松浦信男さんは、阪神淡路大震災で工場をなくした経験から、「自助」の重要性を痛感し、現在の工場にはいざという時に困らないようにするための工夫をこらしているという。災害の記憶を風化させないためには、家族ぐるみ、会社ぐるみ、地域ぐるみの取組が必要なのだ。

熊本地震では、役場の建物が損壊したり、データベースがなくなったりして行政機能が低下し、1日1,000人近い応援が他の自治体から入ったという。パネラーの山本康史さんが、数多くのボランティア活動に関わってきた経験から、災害の時に最も大切なのは、「受援力(じゅえんりょく)=助けてもらう力」です!と、強調されていた。「助けられ上手」になるためには、自分が今、どんな状態で、どんな助けが必要なのか、ということを、解決する力のある相手に適切に伝えること。助けてもらったら素直に「ありがとう」と感謝の気持ちを伝えること。そういう能力こそが、いざという時に命を救う。そして、そういう能力を身につけるために、平時からさまざまな訓練を積み、コミュニケーション能力を高めておくことが、助ける側にも助けられる側にも必要なのだ。防災対策というと、家具の固定をしたり、避難経路を確認したりということにばかり目が向いていたが、コミュニケーション能力を高めておくことも危機管理のひとつなんだと学んだ。

フォーラムの様子

東日本大震災でも、熊本地震でも、多くの避難所で女性たちが意思決定の場に関わってこなかったことが原因で、不自由を強いられ、苦しんだと報告されている。多くの家庭で、家計をはじめ様々なことをマネージメントしているのは女性なので、女性が苦しめば、子どもも苦しむし、介護をされている家族も苦しむ。つまり、弱者に大きな負担がかかるということだ。「災害現場で男女共同参画なんて!」という声も聞こえるが、決してこれは、女性のためだけではない。避難所という狭い空間に、多様な人が集まってくる以上、多様なニーズがあり、避難所運営は柔軟であるべきで、そこに女性の視点が必要なのは明らかである。まず、女性の声を聞くことから、多様性を受け入れる柔軟な対応は始まり、外国人や障がいのある方など、さまざまな弱い立場の人達の声を聞くことにつながっていき、結果として、多くの命を救えることにつながっていく。

講演者の佐谷説子さんはまた、「数字を集めよう」ということを強調されていた。「授乳で困っている人がいます」ということを漠然と言っただけでは具体的な支援には結びつかないけれど、この避難所に授乳に困っている女性が5人います、というようにきちんとデータを示してもらえれば、ボランティアもすぐに対応できますと、パネリストの山本康史さんもおっしゃっていたように、数字は支援を呼ぶための大きな力になるのだ。ただただ、がんばろう!という根性論ではなく、科学的に解決しましょうという呼びかけに、会場中が大きくうなずいた。

「減災・復興と男女共同参画」は、これからの防災対策に欠かせない大事な視点。
大きな宿題をもらった気がするが、コミュニケーション能力は女性の得意分野でもある。
みんなで力を合わせて、大きな災害時に生き抜く力につなげたい。

【取材ボランティア:海住さつき】

取材したイベント

男女共同参画フォーラム 〜みえの男女(ひと)2017〜
減災・復興と男女共同参画 地域・企業・行政がいまできること

日程 2017年11月11日(土曜日)
会場 三重県男女共同参画センター「フレンテみえ」多目的ホール他

【取材ボランティアレポート】日本人はどこから来たのか?3万年前の航海徹底再現プロジェクト

講演風景

「日本人は大陸からやって来た」。

 何となく、そう信じてはいた。

マンモスも、仏教も、漢字も、豆腐も、元はといえば、み〜んな大陸からやって来たのだから、日本人も同じルートをたどったのだろうなあと思ってはいた。
マンモスはたしか、日本列島が大陸と地続きだった時に歩いてやってきたはず。
仏教は船に乗って中国に渡ったお坊さんたちが、必死の思いで持ち帰ったんでしょ?

じゃあ、そもそも日本人は、いつ、どうやって来たの?

 「最初の日本人は、3万年以上前に海を越えてやってきました。その証拠に、約3万8000年前頃(後期旧石器時代)の遺跡が日本中で1万箇所みつかっているんです」。

海部陽介さんのお話は、3万8000年以前の遺跡が日本ではみつかっていないこと、3万8000年前を境に、どっと遺跡が増えるということは、その頃に何かが起こった、つまり、誰かがどこかから来たと考えるのが自然だというところから始まり、実は、その頃というのは、ホモ・サピエンスが全世界に広がり出した時代なんですよ、とテンポよく展開していった。原人・旧人にはできなかったがホモ・サピエンスにはできたこととは何でしょう?という質問が投げかけられると、会場中から一斉に「海を越えた」「寒い地方に行った」という声が次々あがる。まるで、アクティブ・ラーニングの教室のようだ。開始5分であっという間に聴衆は海部さんの話術に引き込まれ、すっかり3万年前の航海再現プロジェクトの乗組員になったかのような気持ちになった。

講師

具体的には、台湾から与那国島の航海を再現するのがこのプロジェクトの目的。なぜなら、当時、大陸と日本は、少なくとも沖縄ルートは陸続きではなかったので、船に乗って渡ってきたということがわかってきたからだ。つまり、海部さんたちが取り組んでいるのは、人類が最初に作った船を再現しようという試みでもある。

船の材料としては、草、竹、丸木の3つの可能性を考えており、まずは草で作ることに取り組んだ。材料を草にするだけではなく、道具もすべて、当時の遺跡から出たものを使うから、例えば、草を刈るのに鎌を使わず、石器を使ったり、方角を見るのに道具を使わず目視に頼るとか、すべて手探りで当時の状況を再現していく。ありとあらゆる英知を集め、成功に向けて、日本だけでなく、台湾も巻き込んだ一大プロジェクトになっている。

第一回目の実験の様子を撮った映像を見せてもらった。ようやく船の準備が整って、海にこぎ出すのだが、たった7人の男女が、笠帽子をかぶって、波間に木の葉のように揺られながら、小さな草の船を必死で漕いでいる姿を見ていたら、思わず手に力が入ってしまった。がんばれ!負けるな!でも、無理しないで!無事で帰って来て!

結果として、1回目の実験は失敗に終わってしまったのだけど、2019年の本番に向けて、準備は着々と進んでいるという。

実験の様子はテレビ番組にもなっているので、ぜひご覧いただきたい。

講演が終わるころには、すっかり海部陽介さんを始め、プロジェクトのメンバーのファンになってしまった。もしもこの航海が成功すれば、日本人のルーツに関する研究が大きく前進することは間違いない。私たちの祖先が、人類初の航海を成功させて渡ってきたなんて、何て誇らしいんだ!しかも、それを実証したのが日本人のチームだなんて、私たちにとって大きな自信になる。

お名前に「海」の字が入っている海部さん。自ら現場に出て陣頭指揮をとっておられ、すっかり日焼けして、その横顔が精悍な正真正銘の「海の男」。きっと3万8000年前にも、海部さんのような方がいて、海を渡って新天地を切り開くというロマンを実現させたにちがいない。

プロジェクトの成功を心から応援したい。

(取材ボランティア:海住さつき)

取材したイベント

日本人はどこから来たのか?3万年前の航海徹底再現プロジェクト

日程 2017年9月23日(土曜祝日)
会場 三重県男女共同参画センター 多目的ホール

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