三重県総合文化センター ブログ

取材ボランティアレポート「男女共同参画フォーラム みえの男女(ひと)2016」

チラシの、「介護離職ゼロへ!」という大きな文字を見た瞬間、これは絶対に行かなければ!と思い、受講を申し込みました。現在、年間10万人が介護のために離職・転職しているというデータがあり、その数字は今後、減るどころか増えるのではないかと言われているのに、ゼロにできるの???

午前中の分科会は「どう活かす?伊勢志摩サミット どう活かす!女性の能力」に参加。女性の地位が低い日本だが、現状を嘆いていても始まらない。サミット開催県として、先頭を切ってがんばっていこうというポジティブな意見でまとまりました。わりと少人数で、お茶とお菓子のサービスもあり、和気あいあいとしていてとても楽しかったです。

フォーラム写真

午後は、基調講演とパネルディスカッション。大きな会場が満席で、始まる前から熱気にあふれていました。介護は、する側、される側のいずれか、あるいは両方の立場で、すべての人にふりかかってくる問題。介護保険や介護休業制度など、いろいろ整備はされているけれど、結局、当事者になってみないと、自分にとって何が必要で、どう利用すればいいのかわからない。やっとわかったと思ったら今度は制度が変わっていた・・・みたいなことの繰り返しで、本当に難しい。

それに、どこまでやっても、もっとできることがあるんじゃないか、このやり方でいいのだろうか・・・と迷うことばかり。誰かに相談するといっても、具体的なことは、家族の個人情報に触れるから、なかなか難しい。

そんなもやもやした気持ちが、パネリストの方たちのお話を聞いているうちに、どんどん軽くなっていって、ああ、やっぱり、専門家の方のお話を聞くべきなんだなあと実感。

フォーラム写真

特に、
「介護する権利」には、介護する人自身の就労の権利も含まれている。なぜなら、仕事をやめてまで介護するということになると、その人の生活が成りたたない。同時に「介護される権利」もあって、仕事をやめてまで介護するということになると、介護される人の側に、申し訳ないという心理的負担が生じるから。

という言葉は身にしみました。そうだよね、介護する人、される人がお互いに申し訳ないと思いながら、本音が言えないで苦しむなんて、絶対長続きしない。じゃあ、そうならないために、どうすればいの?
答えは、

介護は、「いかに一人で看ないか」が重要。
自分だけで看ないというケア責任を果たそう!

なんだそうです。自分だけで看ないということは、家族全員が交替で看るということももちろんあるけれど、それ以上に、いろいろ整備されつつある制度をうまく使っていってほしいということを、パネリストの皆さんが強調されていました。たしかに、お話を聞いていると、介護に関する制度はとてもよくできている。だけど、当事者になるまで無関心でいるために、いざという時、どういう制度があって、どういうふうに活用すればいいのかがわからないから、うまく使うことができず、介護する人に負担がかかり、そのせいで介護される人にも疲労がたまっていく。

フォーラム写真

介護を取り巻く環境はひとりひとり違うので、「こうすればいい!という唯一の解答はありません」というのが今日の結論だったけれど、介護地獄に陥らない方法はあるんじゃないか、それには、まず、「介護離職ゼロ」をめざし、あきらめずによりよい明日を信じてがんばろうという前向きな気持ちで会場を後にすることができました。

介護は介護だけの問題ではなく、働き方や家族のあり方、そして、幸せって何なの?という、人として生きていく上での大きな課題すべてとリンクしているからこそ、一人では解決できない難しさがあるけれど、みんなで知恵を出し合えばきっといい方向へと進んでいくに違いない。本当にいい勉強をさせていただきました。ありがとうございました。

(取材ボランティア:海住さつき)

レポートしたイベント

男女共同参画フォーラム〜みえの男女(ひと)201〜
企業も人も幸せになる、これからのWork & Life Style 仕事と介護の両立編

日時 2016年11月6日(日曜日)10時から16時まで
会場 三重県男女共同参画センター セミナー室A、B、Cほか
講師 【基調講演】土堤内昭雄さん(ニッセイ基礎研究所主任研究員)
【パネルディスカッション】
コーディネーター:土堤内昭雄さん
パネリスト:平山亮さん(東京都健康長寿医療センター研究所 研究員)、平井千恵子さん(三重労働局雇用環境・均等室 室長)、久保田久美さん((一社)三重県介護支援専門員協会 理事 主任介護支援専門員)

取材ボランティアレポート みえミュージアムセミナー 松浦武四郎記念館「世にも稀なる蝦夷屏風」

三重県生涯学習センター3階 まなびぃ場情報コーナー「みるシル」で、松浦武四郎記念館主任学芸員山本命さんによるセミナーが開催されました。

山本学芸員

松浦武四郎の実家には、高さが約180センチ、幅が約370センチという巨大な屏風があり、「蝦夷屏風」と呼ばれてきたそうですが、平成25年度から26年度にかけて2年がかりで行った保存修理がようやく終了し、現在、松浦武四郎記念館で公開中。今回のセミナーでは、武四郎さんについて初めてわかったおもしろいエピソードなどが聞けるにちがいないと思い、わくわくしながら参加しました。

会場の様子

特に知りたかったのは、なぜ、武四郎さんは、書簡や領収書類を、わざわざ屏風に貼って保存させたのか?ということ。
武四郎さんは、実家に書簡類を送るに際して、甥っ子に細かく指示を出し、絶対屏風にするように、しかも、表裏両面に貼るようにと命じています。

なぜ?

だって、お手紙とか領収書って、小さいでしょ?
普通は、ノートみたいなものに貼って保管するんじゃないの?

その疑問に、山本学芸員はたちどころに答えてくれました。

【答】だって、巻物にしたら、ポータブルでしょ?持ち運びに便利でしょ?松浦家に見に来た近所の人が、「ちょっと貸してよ…」って言って来たら断れないじゃない?
そしたら、後から返してって言った時「ごめん!なくしちゃった…」と言われて散逸するよね?だから絶対ぜーったいに!巨大屏風でなくちゃダメ!

・・・というような内容のお手紙も残っているとかで、武四郎さんってすごいね。

そこまで見通して、きちんと史料を残し、しかも、屏風にすることで、結果的に松浦家ではずーっと八畳間に出しっぱなしだったわけだから、たくさんの人の目に触れることができて、歴史的価値に気づいた人がどれだけいたかはわからないけれども、貴重な歴史が埋もれずに現代まで受け継がれてきたわけです。

歴史を風化させないためには、”後世の人間に絶対に守るんだ!”という気合いがないといけない!ということを武四郎さんに教えられたセミナーでした。

(取材ボランティア:海住さつき)

取材ボランティアレポート「わたしはマララ」

2016年10月1日(土曜日)に開催された「わたしはマララ」の上映会に参加させていただきました。上映に先立ち、三重の女性史研究会所属の佐藤ゆかりさんから、三重県内男女共同参画連携映画祭の発展的な歴史経過を伺いました。次いで、ジョイセフの小野美智代さんからは、発展途上国における女性の妊娠・出産・中絶による死亡率の高さ、また彼女らのおかれた苦しみの連鎖のお話を伺いました。マララは、苦しい立場におかれている女性がいる国の中で、大きく声を上げた勇気ある女性でした。

会場の様子

マララの名前は、彼女が2014年に史上最年少でノーベル平和賞を受賞したことでメディアが連日彼女の報道を繰り返して以来、私の耳に強く残っていました。タリバンの放った銃弾で瀕死の重体に陥りながら奇跡的な回復ができたのは、彼女でなければ成せない使命があったからなのだと思わずにはおれません。今回マララの映画を見て、さらにこの気持ちを強くしました。

マララの父親は教育者でした。父親はマララが生まれたとき、300年も続く家族の男ばかりの家系図の中へマララの名前を書き込んだのです。“マララ”とは“勇気“という意味でした。マララは幼い頃から一日中学校で時を過ごしました。父親が語る言葉の一つ一つが地肌からマララの中に染み入っていったに違いありません。父親は吃音がありましたが、それに負けず、自分を懸命に語り、炎のような演説をしたそうです。その熱情がマララに受け継がれていったのです。

プレトーク

マララは、自分の人生は父親が与えたものではない、自分が選んだものだと語っていました。しかし、地肌から染みた父親の教育の力があったからこそ、父親から学び取ったものへの深い感謝の思いが、マララを強い行動へと駆り立てていったのだと思えます。マララは、これからも人権を侵害されたままの状況にある全世界の女性たちのために歩み続けると強く断言しています。まだ10代のマララがこれからどんな活動をしていくのかとても期待が膨らみます。幼少時代に親から受けた十二分の愛情・教育への感謝の気持ちを病む人のために使い切っていったナイチンゲールのように、マララもまた深い感謝を持って世界の女性を救う大きな存在になっていくに違いありません。今回は良い講演と映画を本当にありがとうございました。

(取材ボランティア:ペンネーム興味津々子)

レポートした講座

三重県内男女共同参画連携映画祭2016 10周年記念上映「わたしはマララ」

日時 2016年10月1日 13時30分開演
会場 三重県男女共同参画センター「フレンテみえ」多目的ホール
講師 佐藤ゆかりさん(三重の女性史研究会 事務局長)
小野美智代さん(公益財団法人ジョイセフ 市民社会連携グループディレクター)

取材ボランティアレポート「楽楽文楽塾〜人形編〜」

実は、大人になってから、「文楽」を観たことがない私。
今回、タイトルが「楽楽文楽塾」となっていて
「塾?ということは、文楽初心者の私でも大丈夫かな?」とおそるおそる参加してみて、大正解。

文楽塾講師

最初に、上方伝統芸能がご専門の森西真弓先生の講演があり、数々の名作を残した浄瑠璃界の巨人、近松門左衛門についてみっちり教えていただきました。
続いて、数々の賞を受賞されている人形浄瑠璃文楽座の吉田一輔さんによる人形の操作方法の解説と実演。
途中で、観客の中から3名の方に実際に人形を触って動かす体験をしてもらうというサプライズがあって、最後に短い舞台鑑賞をして終わるという、本当に盛りだくさんな内容で、あっという間に2時間が過ぎていきました。

文楽塾

森西先生のお話は本当におもしろく、もともと士族の生まれであった近松門左衛門が人形浄瑠璃に惹かれていき、周囲の猛反対を押し切って芸能の世界に身を投じる覚悟を決めた経緯や、紆余曲折あり、一時浄瑠璃の世界を離れ、歌舞伎の世界で仕事をしていたが、50歳で再び浄瑠璃の世界に戻り、「世話物」という町人を主人公とした人間の弱さや情を描く新しいジャンルを確立していったという話が様々なエピソードと共に語られていき、ぐいぐい引き込まれていきました。
中学生か高校生の時に、森西先生の講義を聞きたかったなあ、そうすれば、もっと伝統文芸に親しむことができたのに。

今回、舞台は本当に短い演目だけだったので、ぜひ、本物を文楽劇場に行って観てみたい。吉田一輔さんは、お姫様役がピカイチだと森西先生がおっしゃっていましたが、本当に人形の仕草のひとつひとつが色っぽく、ゾクゾクしました。和服を着た女性の色気は、自然ににじみ出てくるものではなく、姿勢から立ち方、座り方、手の使い方まで、ひとつひとつ厳しい鍛錬の結果身につくものなんですね。勉強になりました。

(取材ボランティア:海住さつき)

レポートした講座

楽楽文楽塾〜人形編〜

日時 2016年9月30日(金曜日)13時30分開講
会場 三重県文化会館小ホール
講師 森西真弓さん(大阪樟蔭女子大学 学芸学部 国文学科教授)
ゲスト 吉田 一輔さん 吉田 簑太郎さん 吉田 簑悠さん(人形浄瑠璃文楽座 人形)

取材ボランティアレポート「見る・知る・巡る!みえミュージアムセミナーの先ドリ!セミナー」

9月から11月にかけて、三重県内のミュージアム6館が三重県総合文化センターを会場に行うセミナーのスタートとして、記念講演会が開催されました。
講師は、今年の4月から三重県立美術館の館長としてご活躍の速水豊さん。

講師

「幻のミュージアム」と題して、構想はされたけれども実在しなかった(つまり実際に建築にはいたらなかった)美術館を3つ紹介。西洋美術が日本に紹介されたばかりのころ、日本画とは全然違うコンセプトの油絵や彫刻などを見てワクワクドキドキした人があちこちにいて、その感動を多くの人に味わってもらいたい!という熱意が「美術館構想」になったのだということが伝わってくるエピソードで、明治・大正期にタイムスリップしてみたくなりました。自分がロダンの彫刻を生で見た最初の日本人だぜ!なんて、かっこいいよなあ・・・

シンポジウム

2部は、シンポジウムミュージアムトーク!「私のイチオシ」と題して、県内6つのミュージアムの学芸員さんが、自館のイチオシを紹介。たくさんある「イチオシ」の中から選ばれたひとつだから、学芸員さんたちの愛があふれていて、続きが聞きたくなりました。
・・・と思ったら、何と!続きが聞けるらしい。9月7日から、各ミュージアムの学芸員さんを講師にお招きしたセミナーが始まるそうで、全制覇するぞ〜!
芸術の秋がやってきた!今年は、みえミュージアムセミナーで、どっぷり!アートにつかろうと思っています。

(取材ボランティア:海住さつき)

全体

レポートした講座

見る・知る・巡る!みえミュージアムセミナーの先ドリ!セミナー

日時 2016年9月3日(日曜日)
会場 三重県文化会館 レセプションルーム
講師 速水 豊さん(三重県立美術館 館長)ほか

取材ボランティアレポート「藤堂高虎像 異能の武将の肖像」

講師写真

2016年8月6日にみえアカデミックセミナー2016に参加しました。三重大学の山口泰弘教授による、「藤堂高虎像 異能の武将の肖像」という講座でした。地元の大名の話ということで、満員状態であり、レセプションルームは机が取り除かれ、部屋いっぱいに椅子が並べられてありました。私は、高虎像ということなので、どういう英雄であったかという話があるものとばかり思っていたのですが、題名通り肖像画そのものの話でしたので、いささか意外でした。しかし、肖像画の見方について深く学んだことがなかったので、とても興味深く聞かせていただきました。

講座の様子

神として描かれるときには、「束帯」を着け、「上畳」に座して、頭上には「あげ幕」が描かれているということで、菅原道真(天神)、豊臣秀吉(豊国大明神)、徳川家康(東照大権現)をあげられました。その3人については、歴史を学ぶ中でよく耳にし、神としての肖像画にも見覚えがありました。しかし、高虎にも同じ形式で、神として描かれた像があったのです。「束帯」「上畳」「あげ幕」の中で端座する高虎の顔は、人生を戦いきって造り上げてきた深みのある人間高虎の表情をそぎ落とし、理知的で引き締まった表情をしているように見えました。
肖像画には「紙形」と言われる頭から首までのスケッチが元になっているのだそうです。
当時の服装はほとんど同じなので、紙形が一枚あれば、何枚でも肖像画が書けたのだと聞いて驚きました。高虎には、人としての紙形と、神としての紙形の2つをもとにした何枚もの肖像画が残っています。それだけ慕われた武将だったということでしょうか。

講座の様子

最後に、いままで歴史教科書に掲載されてきた肖像画についてのお話がありました。その中のいくつかは、近年の詳細な研究の結果、違う人のものであると判明し、今では、「伝※※像」などのように書かれているということでした。これからも研究が進めば、また新しい疑いのものが浮上してくるかもしれません。画かれた当時には明確な事実が伝えられていたであろうものが、どの時点で間違っていったのか、とても不思議に思います。長い歴史の中で、肖像画もさまざまな浮き沈みを経験していくことがあるのかと思うと、画中の人物の心の痛みが伝わってくるように感じました。

今回は耳新しいお話を聞くことができ、肖像画を見る新しい目が開かれた気がいたします。本当にありがとうございました。

(取材ボランティア:興味津々子)

レポートした講座

みえアカデミックセミナー2016・三重大学公開セミナー

日時 2016年8月6日(土曜日)13時30分開講
会場 三重県文化会館 レセプションルーム
講師 三重大学 教育学部 教授 山口 泰弘さん

取材ボランティアレポート「女性のための防災講座」

防災講座

2016年7月9日(土曜日)、10日(日曜日)、18日(月曜日)の三日間にわたって開催された、三重県男女共同参画センターフレンテみえ主催「女性のための防災講座 入門編」に参加しました。

 のべ10時間の長丁場、しかも、全員参加型のワークショップ形式だったので、終わった時、まるで夏期講習を修了した受験生のような心地よい達成感に包まれました。「入門編」と書いてあるけど、全然、入門編じゃない、実践編といっていいくらい、レベルの高い講座でした。

講師の丹羽麻子さんは、東日本大震災後すぐに福島に引っ越し、相談室で多くの女性の生の声を聴いてこられた経験から、男性目線の運営がされている避難所で、多くの女性が苦労しているのは、声をあげることができないからだ。だったら、勇気をもって伝えられる私になる訓練をしよう!という信念で、講義を引き受けられたそうです。

講師写真

例えば、避難所についたてを立てようとしたら、「避難所は家族のようなものなのだから、ついたてで仕切るなんて必要はない」と言って許可してくれないリーダーがいたとしたらどうする?

何も反論しなければ、ついたては永遠に立てられることはないよね?
だけど、角の立つ言い方をしたら、人間関係が壊れてしまうし、相手も態度を硬化させるかもしれない。自分だって後味が悪い。
そんな時に役立つ自己主張のコツとは・・・???

このような、実際にありそうな課題に全員が取り組み、声に出して練習してみることによって、最初はぎこちなかった私たちが、だんだん自信をもって意見を伝えられるようになり、ああ、これだったらできるかも?そんなパワーをもらって終了。

講座の様子

  

第2回目ではフレンテみえ 事業課 課長 長谷川峰子さんがファシリテーターをつとめ、避難所運営ワークショップを行いました。

災害現場で捜索やがれき撤去などの力仕事に従事するのは男性なので、避難所での炊き出し当番などは、当然のように女性に任されてしまうことが多いけれども、それでいいのだろうか?避難所では、プライバシーがないので、女性には男性以上にストレスがかかってしまう、せめて女性専用スペースを作ってもらえないだろうか?受付に男性しかいないと、女性用品を下さいと言いたくても言えない女性も多いのでは?そんな、女性なら誰でも抱く疑問を、深くつっこんでみんなで議論しあう場なんて、今までなかったけれど、やってみたら、すごく必要だということがよくわかりました。うん、これは絶対、地元でやろう!

避難所運営は、ひとつひとつの避難所によって状況が違うので、地域住民が日頃から話し合いを重ね、訓練を積んでおくことが必要だけど、男性任せにするのではなく、女性が積極的に声をあげていかなければいけない。でも、防災の知識が全然なかったら話合いに参加できないし、自分の意見を主張するテクニックがなかったら、声をあげることすらできないかもしれない。

そんな不安を感じていらっしゃる女性は、次の機会を見つけたらぜひ参加してみてください。いざという時に、地域のリーダーとして、防災にかかわることのできる自信がきっと身につきます。

 今回は「入門編」でしたが、「応用編」とか「実践編」があれば、ぜひ受講してみたいです。

(取材ボランティア:海住さつき)

レポートした講座

女性のための防災講座

日時 2016年7月9日(土曜日)、10日(日曜日)、18日(月曜日)
会場 三重県生涯学習センター 中研修室
講師 丹羽 麻子さん(NPO法人日本フェミニストカウンセリング学会認定フェミニストカウンセラー)ほか

取材ボランティアレポート「IVANTITY[アイバンティティ]〜これが私の生きるRUNWAY(みち)〜」

平成28年5月1日、総合文化センターに於いて開かれた、「IVANTITY」という講演会に参加しました。国連の場で、潘基文国連事務総長やヒラリー・クリントン氏がLGBT(性的少数者)の人権保護について演説をして以来、特にここ2、3年、LGBTについての報道番組をよくテレビで見かけるようになりました。一部の自治体などではカップルとしての権利を認める証明書を出すようになり、カミングアウト(自ら性的少数者であることを表明)する人たちも増えてきました。

そんな中、私もLGBTについて正しい認識を得たいと思い参加することにしました。私は、テレビで活躍するLGBTの方たちの存在は、各人の個性として平気で受け入れることができていたのに、実際に自分の身近にそういう人が現われたとき、違和感を感じる自分を発見したのです。古い慣習のように男女をきちんと区別しようとする自分がいました。LGBTの方たちを自然なかたちで受け入れていけるようになるためには、彼らの心情について、また彼らの味わってきた悲しみや苦しみについて学ぶことしかありません。学びが理解を深めて、いつか何の隔てもなく交わり合えるようになれるのだと信じます。

講師

IVANさんも、やはり苦しい体験をしてきてみえました。心は女性であるのに男性として生きなければならない苦痛は、本人にしかわからないことでしょう。特に、パリコレまで行くほどの一流のメンズファッションモデルの地位をかなぐり捨てて、一時ホームレスになっていたというのには驚きです。外見の男性であることよりも内面の女性であることの方がずっと大切であり、地位やお金では贖えないものなのだと私は知らされました。こうした体験を経て、IVANさんは心身ともに女性として生きることを選んで行くのです。

トランスジェンダーであることを公表し、今また芸能界に戻り、ファッションモデル、ミュージシャン、タレントと、幅広く活躍してみえます。自分が今こうして女性として本当に幸せだと言えるのは、理解ある家族がいてくれたお陰だとIVANさんは語っていました。特に、人生のどんなときにもIVANさんを肯定的に受け入れてくれた母親の存在が大きいということで、いくつか耳に残った言葉として、「あなたは特別な女の子なの」、「私は13人に1人しか生まれない天使を授かった」(※とある調査によると13人に1人がLGBT当事者という結果がある)というものがありました。

講演会風景

どんなときにも存在そのものをありのままに受け入れ愛してくれる大きな母の愛に包まれて、IVANさんはここまでやり抜いてこられました。さらにまたこれからも大きく活躍の場を広げていかれることを祈念いたします。この講演で、私もさらに一歩LGBTの方々に近づくことができた気がします。良き学びの機会を与えてくださり、ありがとうございました。

(興味津津子書く)

レポートした講演会

IVANTITY[アイバンティティ]
〜これが私の生きるRUNWAY(みち)〜

日時 2016年5月1日(日曜日)13時30分開演
会場 三重県文化会館 中ホール
講師 IVAN(アイバン)さん

取材ボランティアレポート「ユネスコ無形文化遺産―世界が認めた和食文化―」

講師写真
講師:静岡文化芸術大学学長 熊倉功夫さん

平成28年2月21日に、三重のまなび2015まなびぃすとセミナーにおいて、「ユネスコ無形文化遺産―世界が認めた和食文化―」について静岡文化芸術大学学長 熊倉功夫先生から貴重なお話をうかがいました。先生は和食の世界遺産登録に関して当初から関わってこられました。

最初は、日本料理を広めたい、日本の料理人の地位の低さをなんとかしたいということで世界遺産申請への検討が始まったのだそうです。しかし、同じ頃、韓国も自国の宮廷料理を世界遺産にしたいと申請をしていたのですが、許可が下りませんでした。宮廷料理を提供する一部の人たちの儲けにつながるということが不許可の理由だったようです。そこで、日本においても検討をし直し、日本料理をとりやめて、庶民の中に伝わっている食文化としての和食という事で申請をし、2013年12月に世界文化遺産として登録がかなったのです。

講座風景

日頃、私も食に関心があり勉強する機会も多いのですが、日本人の伝統的な食文化が遺産として登録されたと聞いたとき、具体的にどういうものを指すのかと疑問を持ちました。日本人の伝統的な食文化と言われても、漠として捉え難い気がしたのです。案の定、登録後、先生方は「和食とは何か」という多くの取材合戦にさらされました。登録前からも、「和食とは何か」「年中行事としきたり」「もてなしとマナー」「和食と健康」というテーマで先生はたくさんの本を刊行されてきましたが、「和食」とは、食だけではない、食にまつわる様々な文化や精神まで、全てを包括したものだったのです。

今、世界では空前の日本食ブームといいながら、当の日本では和食が危機的な状況に陥っています。特に若い人たちの間においては深刻です。「味噌汁は絶滅危惧種だ」と言われた先生の言葉は笑いを誘いましたが、確かに日本の食が様変わりしてきていることを象徴するものだと思います。この日本の食の危機的状況の中で認められた和食文化。日本の明るい未来を築くためにも、今こそ私たちは、世界に誇るべき和食文化をもう一度見直し、自身の食のあり方を本格的に立て直していくべき時に来ているのではないでしょうか。今回、食についてさらに深く考えてみるキッカケを与えてくださったことに感謝致します。

(興味津津子書く)

レポートした講座情報

「ユネスコ無形文化遺産―世界が認めた和食文化―」

日時 2016年2月21日(日曜日)13時30分から15時まで
会場 三重県文化会館 レセプションルーム
講師 静岡文化芸術大学学長 熊倉功夫 さん

取材ボランティアレポート「正倉院の響き8」

そうぶんの主催イベントを取材ボランティアがお伝えします。

2015年12月13日(日曜日)13時30分から、三重県文化会館中ホールで、「正倉院の響き[」を聴きました。講師は野原耕二音楽プロデューサーでした。私は6回目の時初めて、この講座に参加したのですが、その時「声明」を聴かせていただき、お経を読む声がこのように素晴らしい音楽として世界の人々の心にまで届けられるのかと驚いたのを覚えています。今回もとても楽しみでした。

公演の様子

野原さんの解説のあと、宇治平等院の壁に描かれた雲中供養菩薩の持つ楽器を再現した箜篌(クゴ)と四絃琵琶の音色を聴かせていただきました。現代音楽とは程遠く、その音色は暗く重苦しいものに聞こえました。この世の動きも人の心も目に見えない大きな力に支配され、その中で蠢く人の姿が見えるように感じたのです。これらの楽器だけで時代を推し量ることは正しいことではないでしょうが、音楽とはその時代の人々の心の表現ではないかと考えるとき、やはりこうした楽器がよく使われていた時代は、人々が見えぬ力の重圧の中に生きた時代ではなかったかと思えるのです。

客席の様子

序破急の構成の中にもそれを感じました。この序破急が目で確認出来るところとして、野原さんは長谷寺の登廊をあげておられました。ゆったりとした長い下廊(序)、リズム感良く進めるがあっという間の中廊(破)、そして最後にくる勾配のきつい高い階段(急)。人は人生の中で延々と続く長い準備の時を過ごし、それが花咲く短い時を楽しみ、そして自己を超える大きな力に抱かれて終末を生きる。それが古の人々の生きる道であり、いつか形而上学の世界に導かれてこの世を去っていくのです。現代のようにあらゆるものが満ち溢れ細部まで解明し尽くされたかの如くに見える世の中をやりたい放題で生きていく姿と、どちらが人の幸せであるのかと私は音楽に浸りながら考え込んでしまいました。

雅楽について難しいことは私にはわかりませんが、何か大きなものが私の心を掴み、揺さぶっていったと感じています。立ち止まって思索する貴重な時を与えて下さり、ありがとうございました。

(興味津津子書く)

レポートした講座情報

「日本文化」再発見シリーズ「正倉院の響き8」

日時 2015年12月13日(日曜日)13時30分開演
会場 三重県文化会館 中ホール
講師 野原耕二(音楽プロデューサー)

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