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第七劇場「人形の家」スペシャルインタビュー

7月16、17日に小ホールで上演予定の第七劇場「人形の家」。
第七劇場主宰の鳴海康平さんにお話を伺いました。

ベルヴィル
第七劇場主宰・鳴海康平さん
(津市美里町にある劇場「テアトル・ドゥ・ベルヴィル」にて)

百年の時を越える戯曲

―これまでルイス・キャロルやドストエフスキーなど、海外の作家の名作を舞台化されてきた第七劇場ですが、今回はノルウェーの巨人ヘンリック・イプセンに初めて挑戦されます。イプセン作品を選ばれたきっかけは何だったのでしょうか。

鳴海:私自身は作家ではないので、自分で戯曲を書きません。そのため、上演する戯曲を選ぶときはいつも悩むんですが、いくつかの指針があって、ひとつは日本だけではなく世界中で知られている戯曲であること、もうひとつは(これはひとつ目ともやや関係するんですが)、戯曲が書かれてからある程度の年月が経過していることです。
三重県文化会館さんで上演させていただいた「Alice in Wonderland」(2015年上演)や「罪と罰」(2016年上演)は約150年前、「かもめ」(2010年上演)は約120年前に原作が書かれています。昨年国内ツアーをした「オイディプス」はギリシア悲劇と呼ばれる原作で約2500年前くらいに書かれています。
昔の戯曲というのは、確かに現代とは状況設定が大きく違っていたりもするのですが、視点を変えて考えると、これだけの年月が経っているのに世界中で読まれ続け、劇場で上演され続けているということは、時代を超えて観客に訴える力をその戯曲が持っていることの証明だともいえると思うんです。時代を超えて、国や地域を越えて響く力を持つ戯曲を上演することに、私たちは魅力を感じています。
そこでイプセンの話になるのですが、イプセンは今でもヨーロッパでは上演されることがとても多く、「近代演劇の父」ともいわれています。それもやはりイプセンの作品には現代にも通じるテーマが描かれているからだと思います。ギリシア悲劇、イギリスのシェイクスピア、ノルウェーのイプセン、ロシアのチェーホフ、この4つは西洋の演出家であれば誰しも取り組む巨人たちです。この中で、私たちはまだイプセンには向き合ってなかったので、いつかイプセン作品に取り組みたいと以前から考えていました。
実は、今年2017年は、1917年にロシアで起きた二月革命からちょうど100年が経ちます。国際女性デーに起きた女性を中心にしたデモが、ほかの男性労働者や兵士にまで拡大し、ロシア帝政が崩壊する革命にまで発展した大きな事件でした。今年はこの意味で記念すべき年でもあるんです。
そしてイプセンは、中期から後期にかけて「女性の自立や権利」をテーマに作品を書いていることもあり、そのイプセン中期の代表作「人形の家」を上演しようと考えました。

名作はいつだって懐が深い

―イプセンの「人形の家」といえば、これまで世界中の演出家によって上演されてきました。鳴海さん流の「人形の家」はどのようになるのでしょうか? 例えば海外と日本の劇団での上演される際の描かれ方の違いなどもあれば、是非教えてください。

鳴海: そうですね、「自由」や「自立」「平等」「法」というモチーフが、特に女性についてのそれらが描かれる「人形の家」は、これらのモチーフを好むヨーロッパではたくさんの演出家によって上演されています。時代や社会状況によって演出は変わってきたと思いますが、私が知る範囲で特徴的な作品を2つ紹介しておきたいと思います。
ひとつはドイツの演出家 トーマス・オスターマイアー Thomas Ostermeier が演出した作品です。彼はイプセン作品をよく演出しています。「人形の家」は主人公である妻の名前「ノラ Nora」という作品として演出しています(ドイツでは「ノラ」というタイトルの方がポピュラーでもあります)。とてもモダンで豪華な部屋を舞台美術に、とても強いノラを描きました。どこが強いかというと、原作ではノラは夫との関係に不信を抱き、自分自身の力で社会を知るために子どもを置いて家を出るのですが、オスターマイアーの「ノラ」のラストではノラは夫を殺してしまうんです。原作が初演された1879年当時、妻が夫と子どもを置いて家を出るというラストは衝撃的すぎて大きな社会問題となりましたが(たった140年前でもそういう時代だったのです)、21世紀ではそれほどの衝撃ではないことをふまえて、ラストを変更した意図があったようです。
もうひとつは、ノーベル文学賞を受賞しているオーストリアの女性作家 エルフリーデ・イェリネク Elfriede Jelinek が「人形の家」をもとに書いた「ノラが夫を捨てた後なにが起こったか」という作品です(1977年発表)。タイトルからもわかるように「人形の家」の後日談です。「人形の家」は妻でもあり母でもある女性の自立や権利を描いていることから、フェミニズムの分野でも語られることがある作品です。しかしイェリネクは、そこに描かれている女性像に対して、そして初演から100年くらい経った後で主張されているフェミニズム、つまり女性に限らず不平等や抑圧に苦しむ弱者の叫びの一部に、この作品をとおして建設的な批判を加えました。同時に現代でも、女性の権利の歪みや、男女の不平等、女性に限らない社会的マイノリティの生産が依然として続いていて、ある部分で大きくなっていることを描きました。
極端な作品を2つご紹介したので「人形の家」が、なんだか怖い作品のように感じられるかもしれませんね(笑) でも、名作と呼ばれる古典戯曲というのは、時代によって、国や地域によって、さまざまに演出を変えて社会に訴えかけてくる懐の深さがあることを知ってもらえたらと思います。
今年、私たちが上演する「人形の家」は、妻が夫を殺したり、娼婦になったりはしません(イェリネクの作品だとノラは家を出た後、生きるために娼婦になります)。ただ、私たちも「人形の家」の懐の深さを少しばかり拝借して、現代における「男女の平等」が抱えている課題や、私たちが当たり前だと思っている「家族」の別の顔を描きたいと思っています。
第七劇場の作品ではよく使われる手法なのですが、今回の作品はイプセンの「人形の家」のテキスト以外にも、たくさんのテキストをコラージュして構成しています。簡単にご紹介すると、「人形の家」が日本で初演された同じ年に創刊され、日本における女性運動に大きな影響を与えた女性による文芸誌があります。「青鞜」という雑誌ですが、そこに名を連ねた与謝野晶子、伊藤野枝、岡本かの子などのテキスト、そして「青鞜」でも評論が掲載されたノーベル賞受賞作家バーナード・ショーの戯曲「ウォレン夫人の職業」のテキストもコラージュしています。本筋のテキストと外部のテキストを並べることで、現代の私たちにとってより身近な問題として「人形の家」が現れてきます。
鳴海康平                            

移ろいゆく家族のカタチ

―フライヤーには「家族」というキーワードが出てきますね。

鳴海: 今や合計特殊出生率は低下し、日本の人口減少は避けられません。核家族や単身者も増加し、家族の形はさまざまです。一部から「古き良き一家団欒が失われてしまった」とか「日本の伝統が消えつつある」という言葉を見聞きしますが、実のところ、この私たちが思い描く「家族」という絵は明治民法の制定によるもので、「つい最近」において政府に主導され思いのほか強引につくられた絵だということは、あまり知られていないようです。
「人形の家」は、19世紀末当時、世間では当たり前だと多くのひとが考えていた家族像や女性の立場に疑問を投げかけました。デンマークでの初演のときには、かなり批判も多かったようです。それから140年くらい経った今、「人形の家」で描かれる家族像もすでに古くなっている部分は否めません。しかし、その家族像は変わっても、家族や男性が女性に対して無意識に押し付けている役割はあまり大きくは変わっていないとも感じます。
家族という形ですら、時代や場所によって変わります。女性や男性に対する、いわゆるジェンダー意識も少しずつ変わってきました。ただ、家族の中の女性の立場、社会の中の女性の立場は、男性のそれと比べると、まだまだいびつであるのは事実です。
私たちにとって、変わっていく家族とは何なのか。その変化し続ける家族を構成する個人の自立とは何なのか。そしてその個人が自立するために、家族が家族であるために/家族になるために/家族をするために、今の社会や、私たち世間もどう変わっていかなくてはいけないのか。こういうことを「人形の家」は現代の私たちに問うているように、私は感じています。

―「人形の家」の主人公ノラといえば、明治を代表する女優・松井須磨子をはじめ、昨今では大竹しのぶや宮沢りえなど名立たる女優が演じていますね。鳴海さんの描く「ノラ」像は?

鳴海:そうですね、松井須磨子はこのノラ役の好演をきっかけに新劇を代表する女優になりましたし、これまでも名立たる名女優がノラを演じてきました。
さきほど少し触れましたが、今回の第七劇場版「人形の家」は家族がテーマのひとつであるといえます。原作3幕でのノラの台詞「私は何よりもまず人間です」にも表れているように、第七劇場版「人形の家」に登場するノラは妻であること、母であることよりも、ひとりの人間であることを選びます。ただ、ひとりの女性が家族を捨てて、社会の中でひとりで生活していくこと、いや、女性に限らず、この現代社会の中で人間がひとりで生きていくためには、家族内で女性がぶつかっている壁と似たような壁にぶつかるのではないかと思うのです。その見えない暴力のようなものをあぶりだす存在として、ノラを描きたいと考えています。

二人のノラ

―今回、公募で出演者オーディションを実施されましたが、キャストの顔ぶれについて教えてください。

鳴海:オーディションには三重県内外から15名ほどのご応募をいただき、今回は松阪を中心に活動されている成川ちほさん、名古屋在住の秋葉由麻さんにご出演いただくことになりました。この二人を迎え、そして今年広島から三重県に移住し第七劇場に所属した新人・三浦真樹を加えた第七劇場の俳優陣6名の、計8名で上演します。
ノラを第七劇場・木母、その夫ヘルメルを第七劇場・小菅、ノラを脅迫するクロクスタを第七劇場・伊吹、ノラの古い友人リンデ夫人を成川さん、ヘルメルの友人ランク医師を第七劇場・三浦、女中を第七劇場・菊原、二人目のノラを秋葉さん、調査員を第七劇場・佐直が演じます。
調査員という役は原作には登場しません。そしてなぜノラが二人いるのかは観てのお楽しみ、ということで(笑)

―鳴海さんのいちばん好きな場面は?

鳴海:場面ではないのですが、さきほども出てきた「二人のノラ」が見どころです。ちょっとだけ秘密を明かすと、フェミニズム文学批評の中で、「家を出て行ったノラ」と「家を出て行かなかったノラ」の二つの視点で女性の立場を考察されることがあります。それをヒントに、ノラを二人登場させることで「人形の家」を、現代に対して有効なドラマとして鮮明にしたいと思っています。

劇場で海外旅行体験を

―今年は7月の「人形の家」、11月の日台国際共同プロジェクト「1984」と、三重県文化会館での公演が続きます。最後に意気込みをお願いします。

鳴海:劇場での体験というのは、海外旅行に似ていると私は感じています。海外に行かれたことがある方はよくわかると思うのですが、渡航前には本やネットでいろいろ調べることや思いをはせることはできても、やはり行ってみないとわからないことだらけです。そして歴史や文化、価値観が異なる世界を体験することで、自分自身が確実に変化します。そして自分の人生をより豊かにする視点を手に入れることができます。それは劇場体験もまったく同じだと思うのです。
加えて「人形の家」は約140年前、北欧で書かれた作品ですし、今年2年目となる台湾カンパニーとのプロジェクト・日台国際共同プロジェクトの「1984」は、約70年前にイギリスで書かれたSF小説の金字塔を台湾人作家/演出家が演劇に翻案します。そして日本と台湾の俳優が共演します。この直接的な意味でも、まるで県文で海外旅行ができます(笑)
私たちは自分自身の人生を豊かにしたいと願い、そのための生活をした方が良いと考えるのと同時に、次の世代に、私たちの想像以上のスピードで変わっていく今の世界や社会の中で豊かに生きる知恵を伝えていくことも大事なことだと思います。 ぜひ劇場体験を、劇場での海外旅行体験を、人生を楽しむツールとして活用してほしいと願っています。

―ありがとうございました。今後の活躍にますます期待が高まります。
6月20日には、鳴海さんの解説付きで関連企画「人形の家を読んでみよう!」も開催予定。
作品をより楽しむ手引きとして是非ご参加ください。

第七劇場「人形の家」

 原作:ヘンリック・イプセン 構成・演出・美術:鳴海康平
《日程》7月16日(日)14時00分開演/18時00分開演
    7月17日(月祝)14時00分開演
《会場》三重県文化会館 小ホール

【関連企画】「人形の家を読んでみよう!」 ナビゲーター:鳴海康平
《日程》6月20日(火)18時30分〜20時30分
《会場》三重県総合文化センター 生涯学習センター2階 小研修室

第七劇場主宰 鳴海康平さん インタビュー(後編)

11月22日(日曜日)、23日(月曜祝日)小ホールで開催の第七劇場「Alice in Wonderland」について、2回にわたり、第七劇場主宰の鳴海康平さんに作品の特徴や演出についてお伺いしました。今回はその後編をお届けします。

鳴海康平さん

第七劇場代表 鳴海さん 津市美里の劇場 Théâtre de Belleville テアトル ドゥ ベルヴィル にて

2 舞台について

舞台についてお伺いします。この「不思議の国のアリス」と「鏡の国のアリス」をどう舞台化しますか?全編やるとか?

鳴海康平さん(以下すべて):児童文学としての側面があるとはいえ、2つの原作は声に出して読むと合計で約5時間くらいかかりますし、主だったものでさえ合わせて20以上のキャラクターが出てきます。オールスターのキャラクターにしたいのはやまやまなのですが、キャラクターを厳選して、2つの「アリス」をミックスして約75分に再構成しています。構成上、登場させられなかったキャラクターもたくさんいます。物語は実在のアリス・リデルがハーグリーヴズ家に嫁いだ後の設定です。そしてキャロルが亡くなったことを契機に、キャロルとの思い出として読み直される「アリス」と、アリス・リデルやキャロルが書いた手紙などの引用を挟みながら進行していきます。

原作の挿絵だったり、ディズニーだったり、観る方も頭の中にキャラクターのビジュアルがあると思うんですが、舞台上どういう演出になりますか?

現実の舞台では、登場人物が物理的に大きくなったり小さくなったり、消えたりは難しいですよね。でもそこが舞台体験の醍醐味でもあって、観ているひとは想像力で参加することで非現実感を味わってもらえたらと思っています。衣装は日常的な服に、非日常的なアクセントを付け加えることで、キャラクターの外見を特徴的に表現しています。

猫の着ぐるみとかが出てくると変ですしね。

ミュージカルとか子どもだけのための作品とかだと、着ぐるみもフィットすると思うんですが、そうじゃないと私としてはちょっと醒めてしまうんです(笑)。子どもだけではなく、研究者や文学者、ほかの分野の多くの表現者など、これまでたくさんの大人を惹きつけてきた側面も大事にしたいと考えています。ハンプティ・ダンプティとか帽子屋とか三月ウサギとか、原作を読むと荒唐無稽なキャラクターに思えるのですが、ひとが目の前で演じてみると、こういう変わったひとって結構身近にいるんじゃないかと思えるのが不思議です。そういう現実感が「ただのファンタジー」で括られないためにも、日常感がある衣装で造形しています。

今回の作品は原作を元に再構築した作品という事ですが、鳴海さんは台本があるより自分で再構成した方が作りやすいですか?

画像 

私は今までの演出作品のほとんどを自分で原作を構成していますので、舞台空間をイメージしやすいのは確かですが、昨年の「シンデレラ」は津あけぼの座・劇 団Hi!Position!!の油田晃さんの台本でしたし、東京でアトリエを共有していたユニークポイントの山田裕幸さんの「水の中のプール」、ほかには 別役実さんの「マッチ売りの少女」を上演したときなど、自分で台本を構成しないときは、そこに書かれていることを形にしてみて見えてくる劇構造があるの で、使う頭の回路や演出作業のおもしろさの種類が違いますね。

作品のテーマとしては?

チラシのコピーにもある「わたしは、だれなの?」がメインのテーマです。「不思議の国のアリス」では、いろんなキャラクターがアリスに「おまえは誰?」と聞くんですね。そして勝手に決めつける。「鏡の国のアリス」にいたっては、誰?とも聞かずに勝手に決めつける(笑)。アリスの主張はほとんどの場合は理解してもらえません。研究者の間ではアリスという一人の女の子が自分がいったい何なのかを考える視点で捉えられることがあるんです。つまり、アイデンティティがテーマというわけです。

自我の確立のようなテーマがあるんですね。

物語のアリスは6〜7歳のままですが、実際のアリス・リデルは成長するわけで、そのギャップがモチーフになります。物語の中のアリスは周囲から自分が誰であるか理解されないままですし、物語の中で永遠に少女として時間を止められてしまうわけで、その不可思議な寂しさや苦しさにも興味を持ちました。面白いのは、ヴィクトリア朝では少女の成長を年齢ではっきり区切る考え方もあったようで、つまり何歳までが少女で何歳から少女ではなくなるというような。「鏡の国のアリス」でハンプティ・ダンプティが言う「7歳でやめておけばよかったのに」という台詞には、アリスが7歳のままなら少女なのにそれ以上になると、思春期に入り、大人の女性へと成長し変化してしまうことへの、皮肉や抵抗が込められているとも考えられます。物語の中のアリスは、永遠にその年齢で止められたままなのが幸福かどうかの問題がありますが。

確かに子どもでも8歳を超えてくると固有の人格を持ってくるイメージがありますね。

アリスは「不思議の国」や「鏡の国」に迷い込むのですが、その中でもその向こう側の不思議な世界事体は否定しません。7歳ぐらいの少女ならではの世界観だと思います。大人になれば、自分や世界に対して好きや嫌い、正しいや間違いなどを判断してしまいますが、少女にとって自分をとりまく世界は興味の対象であると同時に、未知の世界です。少女自身も、言葉で自分を表現することもできますが、自分についてわからないことも多い。大人でも多いですが(笑)。自分の中にも外にも、どんな変なことが起きても受け入れる余地がたくさんある。そういう変幻自在というか柔軟な年齢なんだと思います。そこにキャロルが抱いた関心のひとつがあるように思います。しかし、現実のアリスは大きくなっていく。キャロルにとってはアリスだったはずなのに年齢が変わると「アリス」じゃなくなる。産まれてから死ぬまで、そのひとは、そのひとのままで別のひとになるわけではない。それなのに、少女、思春期、女性などのように成長に合わせての変化に加えて、子ども、姉、妹、母、祖母、などの家族関係の中で立ち位置が変わっていきますし、現在で言えば仕事をしていれば、バイト、社員、部署、役職などのステータスで自分を外側から判断されてしまうことも多い。じゃあ、自分って何なの?というのが、今回「アリス」を読み解く上で大きなテーマになりました。大きくなってもあなたはあなたなのですか、それとも違う何かなのですか、違う何かというのは誰なのですか、もし大きくなっても同じなら何が同じなのですか?という禅問答のような問いですね(笑)。

舞台美術も鳴海さん自身がプランしてますね。

はい。舞台美術や照明、音響についてもマスタープランは私が考えます。そのマスターを元に照明や音響の担当からの提案や意見をもらって具体化していきます。原作ではアリスはいろんな場所を移動して変なキャラクターに出会います。今回の舞台作品では回る舞台を作って表現しようと思っています。大がかりな舞台構造なので大変ですが、アリスの世界観には重要だと考えました。劇中の音楽は「シンデレラ」でも劇中歌を作曲してくださった金沢在住の作曲家、浅井暁子さんに担当していただいています。キャロルがパロディの元にした曲を編曲してもらったり、イメージやモチーフを伝えて曲を新たに作ってもらったりしています。それらの曲は主に舞台上で出演者がピアノで生演奏します。

配役など伺ってもよろしいですか?

 「鏡の国のアリス」挿絵(絵 ジョン・テニエル)
今回、出演者を公募してオーディションを行い、1人が採用になりました。アリスはそのオーディションを通過した佐々木舞さんが演じます。ピュアなたたずま いや瑞々しさがアリスにしっくりくるし、ダンスもされているので体も利く方です。また原作には出てこないルイス・キャロルを第七劇場の小菅紘史が、アリス・リデルを佐直由佳子が演じます。「鏡の国のアリス」で出版前に削除された「スズメバチ」が登場しますが、ほかにどのキャラクターが出てくるかはお楽し み、ということで(笑)。あと、チラシには掲載できなかったのですが、三重県内の俳優のためのトレーニングプログラムを実施していて、そのプログラムに参 加している三重の若い2人も出演します。

最後に劇団の話を。もともと年1回新作公演をお願いしているのは、第七劇場の新たなレパートリーを作ってもらおうと思っていて。忙しく公演活動していると昔の作品をやってしまいがちだけど、レパートリーを増やしてもらいたくてその手助けを私達がしたいと思っています。第七劇場としては今後どういう作品を作っていきたいと思っていますか?

そう言ってくださるのはとてもありがたいことです。私たちは国境を越えられる作品づくりをポリシーのひとつにしています。これまで海外4ヶ国、国内15都市で公演してきました。これからも昨年美里に開設された新拠点 Théâtre de Belleville を基盤に、国内外で作品を発表していきます。そのとき実は大切なのは新作の存在です。手間も時間も費用も大きくかかる新作ばかり量産していても行き詰まりますが、再演ばかりでも表現の発展性がありません。そのバランスが肝になるわけです。その意味で年に1度その機会をいただけることは大きな軸になります。その新作を県内の別の場所や、県外、海外へと巣立たせていきたいですね。そして、私たちが三重県に拠点を移して感じることがあります。たとえば東京のような地域ではエッジの効いた前衛的な表現の作品でも人口の0.01%が劇場に来るだけでも1000人以上になりますし、自分が演劇をやっているまたは関わっている人口自体が多いので、ほかの地域とは劇場体験と親しみがある人口絶対数が違います。でもほかの地域では単にエッジが効いている、ある意味で限られた観客のためだけの志向性ではだめで、同時に普遍的な要素を持っていないといけない。見たことないようなスタイルの演劇でも、劇場で客席にいるみなさん一人ひとりにとって劇的な体験をしてもらうことが重要で、エッジが効いている、つまり表現の可能性を探りつつ普遍的な要素を持ちながら国境を越えられる作品という、より私たちの目標に対して明確にシビアな作品製作になってくると思います。お芝居好きのひとにも、そうでないひとにも、個々それぞれに刺激的な劇場体験をしてもらいたいわけです。その意味では今回の原作「アリス」は子どもから大人まで広く知られているタイトルですし、劇場体験に親しみが薄いひとも、現代演劇にアレンジされた「アリス」を体験しにぜひ劇場に来てほしいと思います。

普遍性や強度があれば地方でも伝わると?

はい。それを信じて活動していくのが重要だと思います。絵画でいえばピカソの「ゲルニカ」やモネの「睡蓮」など、当時の表現の可能性を拡げた革新的で強烈な作品には、見るひとが絵画に明るくなくても、目の前で見ると訴えかける強い何かがあります。好き嫌いや相性があるの当然ですが、劇場に行くことがわくわくするような作品づくりをしていきたいですね。

「Alice in Wonderland」楽しみにしています。ありがとうございました。

日曜14時・月曜14時公演の販売終了と追加公演のお知らせ

11月22日(日曜日)14時の回と11月23日(月曜日)14:00の回につきまして、好評につき前売販売を終了いたしました。これに伴い、追加公演を実施します。

追加公演:11月22日(日曜日)18時開演

詳細は公演詳細ページをご確認ください。

公演詳細ページ

第七劇場主宰 鳴海康平さん インタビュー(前編)

11月22日(日曜日)、23日(月曜祝日)小ホールで開催の第七劇場「Alice in Wonderland」について、2回にわたり、第七劇場主宰の鳴海康平さんに作品の特徴や演出についてお伺いしました。

鳴海康平さん

第七劇場代表 鳴海さん 津市美里の劇場 Théâtre de Belleville テアトル ドゥ ベルヴィル にて

1 原作について

そもそも「不思議の国のアリス」を題材に選んだ理由は?

第七劇場代表 鳴海さん

鳴海さん(以下 すべて):ひとつは、昨年ベルヴィルのこけら落とし公演で「シンデレラ」を上演しまして、本当に幅広い年代の方に劇場に来ていただきました。今回の公演もたくさんの方に気軽に足を運んでいただきたくて、老若男女に知られている題材にしたいと思いました。もうひとつは「不思議の国のアリス」と「鏡の国のアリス」は多くの方がディズニーの映画などでご存知かと思いますけど、意外と原作は読んでいなかったり忘れていたりするので、改めて原作の世界感を楽しんでもらう機会になればと思いました。

原作についてお伺いします。「不思議の国のアリス」はアリスがウサギを追って穴に落ちる所から始まって、不思議の国でいろんな生き物たちと出会ったり、アリス自身が大きくなったり小さくなったり、で最後は夢でしたという「夢オチ」話でしたね。

そうですね、チョッキを着て、時計を持った白いウサギが走っていくシーンは有名ですね。「不思議の国のアリス」も「鏡の国のアリス」も、ロードムービーのようにアリスがいろんなキャラクターに出会っていく話ですが、いろんな場面が切り替わっていくだけで物語らしい物語は実はないんですね。児童文学でよくある勧善懲悪話でもイソップ寓話のようにわかりやすい教訓話でもなく、ナンセンスでバカバカしい話によって構成されています。出てくるキャラクターはとっても特徴的で面白いですね。この作品は150年前に英国で出版されたのですが、作者のルイス・キャロルが数学教師をしていたオックスフォード大学の学寮長であるヘンリー・リデルの娘たちに即興で語った話が元になっています。その娘たちの中に、キャロルの一番のお気に入りだったアリス・リデルがいます。キャロルは数学者であり論理学者でもあって、とっても緻密にバカバカしい事を書いた作品です。公演を観る時にもし話の筋を忘れていても、そもそも物語自体がないような筋ですし、構造もシンプルなので問題ありません(笑)。「不思議の国のアリス」はアリスがウサギを追いかけて不思議の国に行って、最後はなぜか裁判に出て、不条理なやりとりに怒ってトランプたちを一蹴したら夢から覚めたというお話。「鏡の国のアリス」は鏡を通り抜けて鏡の国に行き、最後は女王になったアリスの晩餐パーティーがしっちゃかめっちゃかになったことにアリスが怒ったところで現実に帰ってくるという話。世界の構造としては同じですね。

この作品は当時の英国でどう受け止められたのですか?

150年前は日本はまさに幕末の時期で、英国はヴィクトリア朝時代です。子どもへの躾が大変厳しい時代で、女性のスカートの丈が年齢によって決められたりもしていました。児童文学は教訓めいた話ばかりだったんですね。その中でこういったバカバカしい作品はとっても受けました。当時の流行歌や、日本でいえば桃太郎や浦島太郎のように誰もが知っているキャラクターのパロディも登場させて、今でいえばベストセラーでした。またナンセンス文学の発展に大きな影響を与えた作品として大人の関心も集め続けてきました。今でも児童文学やナンセンス文学だけではなく、哲学や数学、論理学においても研究の対象となったり、2つの「アリス」の言葉がさまざまな場所で引用されたりしています。

アリスが大きくなったり小さくなったり猫が消えたりと非現実的な事がたくさん起こりますね。当時としては画期的な表現だったのでしょうか?

とっても突飛な表現だったと思います。ほかにもライオンとユニコーンにケーキを切り分けるシーンがあるのですが、「まず配る。切り分けるのはその後だよ。」という具合に物事の順序が逆になっています。白の女王の指から血が出るシーンでは、先に叫んでから指を刺して血が出ます。こういう時間の流れを逆にした表現があって当時は画期的だったようです。例えば、私たちが映画「マトリックス」で見た、タイムスライスという技術を使ったあの有名なシーン、銃の弾丸をよけるあのシーンを画期的に感じたことに近いと思います。また「不思議の国のアリス」が出版される6年前にはダーウィンの進化論「種の起源」が世に出て宗教界と大論争になっています。価値観が激動する時代だったわけです。2つの「アリス」はジョン・テニエルという画家が挿絵を描いているんですが、物語の中には登場しない猿が描かれている挿絵があるんです。キャロルがアリス・リデルにせがまれて手書きでつくった「地下の国のアリス」(不思議の国のアリスの原作)にも猿が描かれています。これは進化論の論争の影響のようです。

アリス挿絵
「不思議の国のアリス」挿絵(絵 ジョン・テニエル)

いままでたくさん映像化されていますね。ディズニーの映画が有名ですが。

チェコの映像作家の奇才ヤン・シュヴァンクマイエルはア リスに関連する映像作品も絵本の挿絵も描いていますし、最近ではティム・バートン監督の映画「アリス・イン・ワンダーランド」が記憶に新しいですね。ジョニー・デップやアン・ハサウェイが出ている作品です。これは「アリス」の後日談になっていて、19歳になったアリスが再び不思議の国に行くという構成に なっていて、二つの「アリス」がミックスされていて、両方の登場人物たちが登場します。「アリス」のミュージカルや、映画、漫画はたくさんありますし、ほかにも「アリス」を原作した小説やアニメ、イラストも多くつくられていて、いろいろな分野に影響を与えていますね。そしてキャラクターとしてのアリスは 「少女」を示すひとつの象徴にまでなっていると思います。

鳴海さんの一番好きな場面は?

「不思議の国のアリス」の第10章「ロブスターのカドリール」でロブスターを何度も海に放り投げる踊りを説明するシーンがあるのですが、その光景を想像するとまったく意味がわからなくて笑えます。残念ながら今回の舞台作品では使っていないんですけど(笑)。舞台作品ではキャロルとアリスが過去を思い返すシーンを挟みながら進行しますが、そこで引用している彼らの手紙の内容も、2人のアンバランスな関係が読み取れてとても興味深いです。

キャロルとアリス、実際の2人の関係はどのようでしたか?

1865年「不思議の国のアリス」が出版されたとき、アリス・リデルは13歳、キャロルは33歳でした。出版される前年に、リデルの母親から娘たちとの交遊関係において拒絶されたようです。キャロルは多少変わっている部分があって、アリスを喜ばす為にお話しや手紙をたくさん書いていたようですが、それらの接し方がアリスの母親から怪しまれてしまい、アリスや家族とのつきあいを遠ざけられたとも言われています。キャロルの日記が部分的に親族によって切り取られてしまい、真実はわかっていません。当時の英国は階級意識が強かったですから、それも影響していたかもしれませんし、当時女性は14歳から結婚が認められていましたので、婚期が近づいたこともリデル家が気にしたのかもしれません。そして、キャロルは写真技術の創世記の時代を生きたアマチュア写真家でもあったのですが、仲の良い少女の、今で言うところのコスプレ写真をたくさん撮っていました。リデル家と疎遠になった少し後からは、少女のヌード写真も撮影するようになります。当時は少女のヌード写真を撮影することはそれほど珍しいことではなかったようですが、キャロルは親の許可を得て撮影していたそうです。この辺りのことが独り歩きして、キャロルのイメージに対する誤解が生まれたようですが、今日の研究では彼は少女を性的対象ではなく穢れのない神々しくも愛らしい存在として考えていたというのが有力です。ただ、牧師の家に生れ、長く聖職であったことから生涯独身で、大人の女性との私的な付き合いは少女の友達に比べたら圧倒的に少なく限られたものだったようです。アリスの母親に距離を置かれて以後、アリスとの交流はほとんどなかったようですね。13歳になったアリスを見かけたキャロルの日記には「とても変わってしまった。つまらなくなってしまった。おそらく女の子が娘に変わっていく、あの厄介な時期なのだろう。」と書いています。児童から思春期を迎えて女性に変わっていく少女の変化はキャロルの関心を大きく左右していたようです。今回の作品では原作「アリス」に物語としては描かれていないキャロルとアリスの関係もテーマのひとつとして描いています。

(後編に続く)


公演情報

第七劇場 新作国内ツアー2015「Alice in Wonderland」

日時
2015年11月22日(日曜日)14時開演
2015年11月23日(月曜祝日)14時開演
場所
三重県文化会館小ホール
チケット料金
整理番号付自由席 一般2,000円(当日2,500円)25歳以下1,000円 高校生以下500円
※未就学児無料(無料券を発行、座席確保のためご予約お願いします)

公演詳細ページ

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