三重県総合文化センター ブログ

取材ボランティアレポート(みえミュージアムセミナー)

そうぶんの主催イベントを取材ボランティアがお伝えします。

セミナーの様子

 11月23日(日曜日)13時30分から15時まで、石水博物館の学芸員蔵前克也さんから、川喜田半泥子の生涯と作品についてお話を伺いました。
 半泥子は「15代続く豪商の家に生まれ育ち、本職の百五銀行では頭取を26年間も勤めて、百五銀行を三重県トップクラスの金融機関に成長させた上、県議にもなり、趣味の陶芸もプロ級で、俳句や絵もこなす大の文化人だった」ということでした。何というすごい人物が三重県にいたことかと、改めて驚かされました。

 半泥子は、祖父と父を生後まもなく亡くし、母も当時まだ18歳の若さだった故に実家に返されて、祖母の政によって育てられました。
 政はしっかりとした人であり、遺訓として、「われをほむものハあくまとおもうべし 我をそしるものハ善智識とおもうべし」という言葉を残しています。半泥子の人間としての礎は政によってしっかりと築かれたのです。

半泥子の名の由来については、以前から不思議に思っていましたが、「半ば泥(なず)みて、半ば泥(なず)まず」ということに由来するそうです。その意味は、「何にでも没頭し泥んこになりながら、それでも冷静に己を見つめることができないといけない」ということだそうです。
半泥子が、後世に残るような優れた作品を作りながらもユーモアの精神に富んでいたということは、まさに半泥子が半泥子の名に恥じない人物であったということではないかと思います。
それを表すユニークな作品として『ねこなんちゅ』と銘をつけた茶碗を紹介していただきました。その茶碗の不思議な形体に『珍碗』→『珍ワン』だと人が言ったのを、半泥子は、猫なら何というかということで『ねこなんちゅ』という銘にしたというのです。

 半泥子は、また、荒川豊蔵、金重陶陽、十代三輪休雪(のちの休和)たちと知り合い、64歳の時彼らとともに千歳山で、作陶連盟「からひね会」を立ち上げました。後にこの3人は人間国宝になった人たちであり、半泥子の人と物を見る目の確かさが伺われます。

 「百つくれば百のさとり千つくれば千のさとり」と言った半泥子は、まさに何事に対しても熱心で誠を尽くし、多くの仕事と作品を残していかれました。禅の門をくぐり内観法で強靭な心身を会得したという半泥子の精神は、大きな業績を残しながらも、とらわれることがなくあるがままで自由でした。
 彼こそ誇るべき三重県人として、いつまでも後世に語り継がれていくべき人物だと強く感じました。石水博物館から紹介のあった展示にはぜひ行かせていただきたいと思っております。興味深いお話を本当にありがとうございました。

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セミナーの様子
展示の様子

レポートした講座情報

みえミュージアムセミナー
「川喜田半泥子物語 その芸術的生涯」

日時  平成26年11月23日(日曜日)
時間  13時30分から15時まで
会場  三重県生涯学習センター 視聴覚室
講師  蔵前 克也さん(石水博物館 事務局次長)

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