取材ボランティアレポート みえミュージアムセミナー2024芭蕉翁記念館「芭蕉のあこがれ×あこがれの芭蕉」
2024年は、三重県伊賀市出身の俳諧師である松尾芭蕉の生誕380周年です。今回は、三重県生涯学習センターで行われた、「芭蕉のあこがれ×あこがれの芭蕉」の講演会に参加してきました。講師は、伊賀市文化振興課 芭蕉翁記念博物館学芸員の井悠子さんです。芭蕉や彼を取り巻く人物などについて、日本文学作品を取り上げつつお話していただきました。
講演前の私は、芭蕉に対して各地を旅している人という印象を強く持っていました。ですが井さんによると、芭蕉は生まれてからおよそ30年は伊賀で暮らしていたそうです。彼が約50年の生涯のうち、かなり長い時間を伊賀で過ごしていたと知り、驚きました。
ところで、芭蕉の作品は「古池や 蛙飛び込む 水の音」
などに見られるように、比較的分かりやすく、親近感のある印象です。彼の作風は、「かるみ」「蕉風」といった言葉で表されるそうです。しかし、芭蕉は古典の素養を軽視していたのではなく、むしろ古典文学作品を大切に考えていたと井さんはおっしゃっていました。
芭蕉が憧れた文学作品として、『源氏物語』を紹介していただきました。芭蕉の作品である『笈の小文(おいのこぶみ)』や『奥の細道』において、『源氏物語』の「須磨」や「夕顔」の表現が引用されている箇所を教えていただきました。
また、芭蕉は「西行」に憧れていたと考えられています。例えば、『幻住庵記(げんじゅうあんのき)』に「とくとくの雫」という表現があり、ここで芭蕉が「西行」をなぞった行動をとっていると考えられるそうです。
他にも、『源氏物語』や「西行」の聖地巡礼のようなことをしていたようです。西行に関しては、『笈の小文』と『野ざらし紀行』の両方で、西行ゆかりの地である三重の伊勢、奈良の吉野に立ち寄っています。こちらは、芭蕉が西行を慕っていたことがよく分かるエピソードでした。
続いて、与謝蕪村や正岡子規など、芭蕉に憧れた人々のお話をしていただきました。
蕪村の句に「みの虫の ぶらと世にふる 時雨哉」
というものがあります。井さんによると、これは芭蕉を連想させる句のようです。まず「みの虫」という表現ですが、芭蕉の門弟である「土芳」の草庵が「蓑虫庵」と呼ばれています。芭蕉は庵開きの際に、この蓑虫庵に泊まったそうです。さらに、「世にふるも さらに宗祇の やどり哉」
は芭蕉の時雨の句として有名です。また、子規は『はて知らずの記』において、芭蕉の『奥の細道』を辿っています。
今回の講演では、何かに憧れ、その後をなぞる方法として様々なものがあると教えていただきました。中でも芭蕉たちが行っていたような、憧れを自分の作品に落とし込んでいくという方法は、創作活動をする人ならではだと感じました。
(取材ボランティア:高山)
取材したイベント
みえミュージアムセミナー2024 芭蕉翁記念館「芭蕉のあこがれ×あこがれの芭蕉」
2024年9月21日(土曜日)13時30分から15時30分まで
講師:井悠子(伊賀市文化振興課・芭蕉翁記念館 学芸員)