三重県総合文化センター ブログ

取材ボランティアレポート みえアカデミックセミナー2018「我が国の西洋音楽が辿った道」

講座の様子

音楽療法という言葉に魅せられて、この講座に参加をしてみました。小さいころに自分の中に刷り込まれた童謡・唱歌は、年を取って来るにつれ懐かしさが増し、曲が流れていたりすると一緒に口ずさみたくなってしまいます。今まで私は、童謡は子どもたちのための歌、唱歌は小学校で習った歌と大雑把に思っていました。この講座では特に唱歌に対して、その定義から変遷について教えていただきました。

講師

文部省唱歌というものは正式には存在しないというものの、共通認識として、明治43年の「尋常小学読本唱歌」から昭和22年の「国定教科書」までのものをいうそうで、作詞者作曲者が一切公表されなかったのだそうです。 

唱歌にもいろいろ変遷があったようです。明治当初に西洋音楽が導入され、讃美歌を訳した「蛍の光」や「あふげば尊し」が作られました。そうして、明治20年代には唱歌教育が本格化し、「君が代」や「一月一日」が作られました。日清・日露戦争がはじまると、国威高揚のために軍歌も唱歌の一種として作られたそうです。やがて、「言文一致唱歌」運動がおこり、「モモタロウ」や「キンタロウ」が作られました。さらに時代が進むと、滝廉太郎や山田耕筰などの芸術性の高い歌の作曲者たちが現れました。大正デモクラシーの時代には、子どもの歌の創出と普及を目指した童謡運動が起こり、北原白秋、野口雨情、西條八十といった詩人があらわれ、童謡運動はクライマックスに達していきました。しかし、昭和に入ると時代の流れにより唱歌・童謡は衰退していきますが、ラジオやレコードが普及することでまた新しい流れがうみだされました。

講師

「歌うことは生きる力をはぐくむ」(堀準一氏)ということで、講座の中では、歌の名前が出てくると、そのたびに皆で声をそろえて歌いました。「故郷の空」などは手拍子足拍子まで入れての大合唱でした。「浜辺の歌」では、ハンドベルを1人、1つから2つずつ持って、歌いながら番号に合わせて振っていったのですが、間違わないかと緊張しながらも、自ら体を動かすことがとても楽しかったです。やはり実習を伴う講座は飽きることがありません。知らない間に時間が過ぎていきます。また来年が楽しみです。

(取材ボランティア:興味津々子)

取材したイベント

みえアカデミックセミナー2018鈴鹿大学短期大学部公開セミナー
我が国の西洋音楽が辿った道〜童謡・唱歌・歌謡曲を歌う音楽療法の現場から振り返る〜

日程 2018年7月21日(土曜日)
場所 三重県文化会館1階 レセプションルーム

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