第3回 障害のある女性に対する複合差別その3

●対話の壁に気づき、分断をのりこえるために

 ここまで障害女性に対する複合差別について記述してきたが、これらは経験していない人にとっては気づきにくいものである。障害のない男性はもちろんのこと、同じ障害者であっても障害男性や、同じ女性であっても障害のない女性が、障害女性への差別を考えることには困難がある。これらの壁について考えたい。
 まずは日本においてジェンダー平等、フェミニズムについて、女性が男性のようになる「男並み平等」として理解されてしまっていることである。女性は男性のようになることを望んではいないため、フェミニズムへの関心が低い。本来のジェンダー平等は、社会でマジョリティである「健常・労働年齢・異性愛・シスジェンダーの男性」に合わせることではなく、性の多様性や妊娠・出産・生殖などを視野に入れた上で、マイノリティを含めた平等を考えることである。
 障害女性はどこまでいっても少数派であり、マイノリティの中のさらなるマイノリティである。
 障害のある男性からみると、自らの身体で妊娠・出産等を経験しないうえに、子どものいる人も少ないため、妊娠・出産・子育てなどのケアについて実感をもって考える機会をえにくい。男性はケア役割を期待されないが、障害のある男性はさらにケア役割を期待されてこなかった。一方で男性らしさ、お金を稼いだり、リーダーになる等のジェンダー規範は変わらずにもっている。男性も優生手術の被害に合っているが、声をあげる人が出てきたのは、2018年の提訴前後からである。ジェンダー規範は、男性が優生手術の被害や性被害について語りにくくしている。
 また社会運動において、障害者のあいだのおかれた状況の違いは、統一的な「障害者」という一体感を阻害するものとみなされがちであった。また障害女性への差別を考えることはそれに気づいてこなかった障害のある男性にとって罪悪感を感じさせる。
 障害のある女性からみると、これまで性のない存在として、女性であることを否定され、子どもを産むべきではない存在として、結婚・出産・子育てから排除されてきた。それゆえ障害女性にとって、結婚・妊娠・出産・子育ては肯定的な意味をもった。だがそれらの女性役割を引き受けることによって生じる性差別については意識しにくい。
 障害のない女性からみると、障害のある女性とは反対に結婚・出産・子育てすることが期待され、自ら(の自己実現)を犠牲にしても、よい妻・母であるべきという規範がある。それらの女性役割を引き受けることによって、女性だけが経済的不利を被ったり自己実現が困難になることを問題視している。
 このように経験している差別は異なるため、みえにくい。だが自身に対する差別の経験からの類縁性をもって、障害女性と連帯することは可能であり、それが差別の交差性を見ていくということである。
 障害のある人の直面する問題は、障害だけに対処すればよいというわけではない。障害のある人も多様であり、障害以外のさまざまな属性やマイノリティ性をもっている。ジェンダー、性自認や性的指向、社会階層、エスニシティ(民族・文化・言語)、学歴、職歴、居住地などもかかわってくる。差別をなくすには、それらに着実に対処していくしかない。

●ジェンダー規範をゆり動かす障害女性

 ここまで障害があり、女性であることの困難について書いてきた。だからといって、障害女性のことを「かわいそうな支援の対象」と一面的にとらえてはほしくない。社会福祉では支援の必要な人のことをヴァルネラブル(脆弱)な人々というが、障害女性が本質的にヴァルネラブル(脆弱)なわけではなく、そのような環境におかれてしまいがちであるからであろう。障害女性は社会変革を先じて行う人ともいえる。
 障害者の権利条約では6条に「障害女性の複合差別」の条文が入った。国際人権規約でははじめて条文の中に複合差別という言葉が使われたが、ここに至るまでには国際的な障害女性たちの働きかけがあったからである。
 また日本の障害女性たちは、既に70年代から介助を受けているからこそ生理を閉じた空間から開いて、語りあったりなど、健常者(マジョリティ)社会のジェンダー規範を揺らすものであった。一方、健常者社会では、生理は隠すべきもの、更年期も「ヒステリー」と揶揄され、あるべきではないものとされてきた。女性がおおっぴらに語ることができるようになったのはつい最近である。

●障害女性のアライ(味方)に

 アメリカのフェミニズム論者で黒人女性のベル・フックスは、「フェミニズムはみんなのもの」で、フェミニストとは性差別をなくし、性差別的な搾取や抑圧をなくす運動に参加する人のことであり、フェミニスト運動の敵は「男性」ではなく「性差別」であり、男性もフェミニストになることができる。また周辺(黒人女性)の問題こそが、実は中心の問題であるといっている。彼女の言葉を借りるなら、周辺とされる障害女性の問題に取り組むことこそが、すべての障害差別、性差別をなくすための中心の問題といえる。
 アライ(Ally=味方)は、性的マイノリティの課題で使われ始めた言葉で、自身がその問題の当事者ではないが、問題に理解を示し、当事者の味方になる人のことをいう。障害女性の課題についてアライが増えていくことを願っている。

付記:JSPS科研費16K04114「障害女性をめぐる差別構造への「交差性」概念を用いたアプローチ」(研究代表者:土屋葉、2016~2022)、立命館大学人間科学研究所「障害女性研究プロジェクト」(代表者:渡辺克典、2017~2018)の成果の一部をもとにしております。また調査にご協力いただいた障害女性のみなさんに感謝いたします。


参考文献:
土屋葉(編著)伊藤葉子、臼井久実子、河口尚子、小森淳子、後藤悠里、瀬山紀子、時岡新、渡辺克典『障害があり女性であることー生活史からみる生きづらさ』2023年(現代書館)

Crenshaw, Kimberle 1989 “Demarginalizing the intersection of Race and Sex: A Black Feminist Critique of Antidiscrimination Doctrine Feminist Theory and American Politics”  University of Chicago Legal Forum:vol. 1989:Issue1. Article 8. pp139-167

パトリシア・ヒル・コリンズ、スルマ・ビルゲ著 小原理乃訳 下地ローレンス吉孝監訳『インターセクショナリティ』2021年(人文書院) Patricia Hill Collins, Sirma Bilge Intersectionality,2nd Edition 2020, (Polity Press)

NHK ハートネットTV 『障害のある女性1 知ってほしい私たちの生きづらさ』2016年7月5日放送。

毎日新聞2019年3月26日付『「お茶くみ」でつまずき…… 発達障害「6カ所以上の職場」3割』
https://mainichi.jp/articles/20190326/k00/00m/040/284000c

DPI女性障害者ネットワーク『障害のある女性の生活の困難―人生の中で出会う複合的な生きづらさとは―複合差別実態調査報告書』2012年 (2023年に『障害のある女性の困難―複合差別実態調査とその後の10年の活動から』として新しい版を発行。2011年に行なった実態調査は再録されている)

ベル フックス (著), Bell Hooks (原名), 堀田 碧 (翻訳)『フェミニズムはみんなのもの (ウィメンズ・ブックス 21) 』(新水社、2003)

勝又幸子・他『障害者の所得保障と自立支援施策に関する調査研究 平成17―19年度調査報告書・平成19年度総括研究報告書』(厚生労働省科学研究費補助金 障害保健福祉総合研究事業H17―障害―003)、2008年