第1回 障害のある女性に対する複合差別

●はじめに

 2006年に採択された国連の「障害者の権利に関する条約」では、社会のあらゆる領域にわたって、障害のある人の人権について規定しているが、第6条として「障害のある女性」についての独立した条文が設けられている。 
 障害のある女性(少女を含む)が、障害があることに加え、女性であることで「複合的な差別」を受けていることを認識すること、そうした女性たちの人権の確保を行わなければならないこと、また条約に書かれたすべての権利を行使するために、障害のある女性たちのエンパワーメントが重要であることが明記されている。

 障害のある女性(以下:障害女性)の生きづらさや困難は、障害者政策からも女性政策からも、どちらからもみえづらく、取り残されがちである。「障害」と「女性」という二つの社会的マイノリティの立場におかれている障害女性に対する差別は、それが単に足し算されるのではなく重層化・複合化し、深刻化する。そのような差別が「複合差別」という言葉で認識されるようになってきた。
 2012年には障害女性の当事者ネットワークであるDPI女性障害者ネットワークは、障害女性当事者自身の手によって実態調査を行い、報告書『障害のある女性の生活の困難』を出している。87人を対象に調査を行っているが、「生きにくさ」として挙げられた項目では「性的被害」が最も多く、また介助場面での「異性介助」を受けざるをえないなど深刻な状況が明らかになった。
 その背景として、障害者政策の審議会や、女性政策・男女共同参画の会議など、政策立案にかかわる重要な会議に、国レベルでも地方レベルでも障害女性の参画がほとんど実現していない現状も示された。また公的データについて2008年に研究者の協力により、収入について障害とジェンダーのクロス統計を出した(厚労科研)。それによると男性全体を100とすると女性全体は66、障害男性は44、障害女性は22であった。障害女性の不平等を可視化し、政策を評価するためにはこのような障害とジェンダーのクロス統計が、収入に限らず様々な分野で不可欠であるが、公的なデータがそのような形で集計されていない問題が指摘された。
 また近年、日本においても、このような複合的な差別を理解するうえでの重要な概念として、交差性=インターセクショナリティが着目されている。
 インターセクショナリティという言葉は、アメリカの黒人女性で法律家であるクレンショー(Crenshaw,1989)によって、黒人女性の差別・不平等について、具体的には企業が黒人女性を雇用していないにもかかわらず、黒人男性を雇用しているため人種差別とは認められず、白人女性を雇用しているため女性差別とも認められず、どちらからも対応されないでいる状況をさす言葉として提唱された。黒人女性が受ける差別は、単に人種差別と女性差別との「合計」ではなく、別々に切り離して考えていては、とらえられない経験の差異に着目する概念として提起された。 
 この交差性=インターセクショナリティについて、障害女性、障害とジェンダーを切り口に考えてみたらどのようなことがいえるか、ということも念頭に、愛知大学の土屋葉さんを研究代表者として、48人の障害女性の生活史を聞きとる調査を2016年から2022年の間に共同研究で行い、筆者もかかわった。(科研費研究『障害女性をめぐる差別構造への「交差性」概念を用いたアプローチ』)。この調査をまとめたものとしては2023年に『障害があり女性であること―生活史からみる生きづらさ』(現代書館)を出版している。そちらも参照されたい。
 この文章では、前述の調査を中心に、障害女性の複合差別について述べていきたい。調査自体は、日常生活だけではなく、職業、学校、地域、家族関係と幅広く聞き取りを行ったが、今回は、恋愛・結婚、妊娠・出産をめぐる生きづらさ、性暴力被害、優生保護法下の強制不妊手術など、障害のある女性の性と生殖についての健康の権利(SRHR)への侵害、を中心に述べていく。