第2回 障害のある女性に対する複合差別その2

●恋愛・結婚、妊娠・出産をめぐる生きづらさ


<恋愛>

 障害女性は、美しさの身体規範が外れており、恋愛対象とみなされない、という思い、を内面化している。恋愛欲求、性的欲求というのを周りから否定される経験があって、そういう気持ちは押し殺して生きてきた、という声があった。
 ケアする性ということで、自分が相手をケアする、という女性規範。逆にケアされる立場になって、相手の男性にケア役割を担ってもらうというふうにはなりにくい。そういうケア役割と恋愛というものが関係している。
 また介助と愛情とプライバシーの関係をどうするか、という事が壁になっている。自分の恋愛相手には、絶対介助はしてほしくない、でも一方でデートのときは介助のことは忘れていたい。相手に介助してもらうと対等な関係といえるか、お付き合いが成り立つか。
 介助イコール愛情と考えるのはやっぱりおかしい、そんなふうに考えるとすごく疲れちゃうと。介助してもらうことが相手の愛情だって考えたら、喧嘩もできない、と。介助はヘルパーさんに、仕事としてやってもらいたい。ただ介助者が入ると、プライバシーをどう確保すればいいのか、プライベートな空間、親密性のある空間に介助者が入ることがすごく嫌。恋愛の手前のところで、介助の問題をどうクリアするか壁がある。

<結婚>

 結婚は、家事・ケア役割や嫁役割と結びついている。結婚を相手の家族から「障害者と結婚したら苦労する」ということで反対されたり、結婚後も、実家に帰省しての出産を許されないなど、より強く嫁役割、家事・ケア役割を押しつけられる。
 親を同伴した障害者同士のお見合いが開催されていて結婚の機会となっている。しかし、障害者同士であっても、男性に対しては障害が家事・ケア役割から免除される理由になるが、女性に対しては障害があっても出産して後継ぎを産んだり、家事・ケア役割が期待され、障害女性にとって否定的な経験となることも生じた。

<妊娠、出産>

 妊娠における困難としては、性、生殖に関わることを お医者さんに相談できない。また妊娠中に減薬・断薬することで、自分の体の状況が悪化することについての恐れということも。
 出産に向けての困難としては、近所のマタニティ・クリニックで出産しようと思ったら受け入れてもらえなくて、大学病院で出産する事になったり、医師から当然のように出生前検査を提案されたり、中絶を勧められたなどの経験もあった。
 一方で、精神障害の女性が、妊娠中から病院の精神科と産科が連携して薬のコントロールなどのサポートを受け、出産後にホルモン変化で本人が体調不良になることを見越し、前もって家族(夫や親など)に出産後の母子のサポート方法を伝えるなどの家族支援を行い、出産やその後の大変な時期を乗り切れた、といういい事例もあった。

<生殖>

 生殖に関する性教育の機会もなく、生理のことは誰も教えてくれなかったので突然、生理が来てびっくりしたという語りもあった。その時、生理について説明を受けたが、それ以外の性行為や妊娠のしくみなどは全く教えられなかったという。また生理時の介助者の対応が、当てればいいでしょって、いっぱい重ねたら漏れないだろう、と何枚もつけられたりして居心地が悪くて大変だったり、看護師から「子宮摘出して生理のこない体にしたらどうですか?」という提案がなされたり(断ったが)、異性による介助を受けたりなど、生きづらさを感じる機会となってしまっていた。
 さらに性的欲求を肯定されず、性行為に当たっての自らの障害・疾患からの不安を医師には相談することができなかったり、生殖機能にかかわる病気に罹患しても、その後のホルモン治療などのケアやメンタル・ケアが全くなかったという語りもあった。施設に入所している時に、知的障害のある女性がマスタベーションをしているところを職員にみられ、全員に知れわたり「みだら」「いやらしい」という言葉が飛び交った、なぜそっとしておいてあげなかったのかと悔しい、という語りもあった。

<子育て>

 子育てを通じて、母親同士として障害のない女性とネットワークができ、つながる機会となった。子育てのサポートをもとめて、地域のいろんな人たちとつながる中で、豊かな子育てが、障害があったからこそできた。子どもの成長が生きがい、などポジティブな声も。
 一方で、「親が障害者で子どもがかわいそう」などといった周囲からの心ない声に子どもが影響されてしまうことや、子どもを抱っこして移動しなければならないのに電動車いすが給付されないなど、障害者が子育てをする事自体を全く考えていない制度の問題もあった。

<産まない・産めないことで女性として受け入れてもらえない>

 障害女性が、産みたいのに産むことを肯定されない、という問題だけではなく、女性は妊娠・出産に自身の身体に負荷がかかる点で男性とは全く違う立ち位置にある。無理して自分の体を犠牲にして子どもを産みたくない、身体的に子どもを産むのは無理、ただその事を表立っていうのは非常に困難だと。実際にそういうことを相手に伝えたら、結婚相手として受け入れてはもらえなかった、という経験も語られた。

<就労>

 ケア労働的な女性規範は家庭という場面のみならず、職場にも及んでいる。
 いわゆる「お茶くみ」のような雑務は女性に回ってきやすい。採用する際に、本来業務のスキルとは別に、女性に対しては、いわゆる「お茶くみ」ができることを期待し、その結果、脳性まひなどの身体障害の女性が、お茶くみができない事を理由に採用されないなどの差別が起きている。
 また発達障害の女性にとっても、「お茶くみ」のような雑務は、マニュアル化が困難な業務でもあり、「気くばり」「臨機応変」が要求され、マルチタスクや非言語的なメッセージを受け取るのに体力・気力をつかってしまい非常に負担が大きい。職場でのメイクやストッキングなども、感覚過敏から非常に負担になる女性もいる。

●性暴力被害

 今回の調査でも、予想以上に性暴力被害についての語りをきくこととなった。
 障害女性が性的存在として認識されず、被害を防ぐ対策がとられていない。加害者と上下関係があり、障害女性が下位におかれ、視覚障害で加害者の顔を証言できない、電動車椅子なしでは自由に移動できない、発声に困難があるので被害を訴えないだろう、就労の場が限られているので簡単に次の職場に行けないだろう、といった「障害ゆえの可動性の低さ」がある。そこに加害者が乗じる構造がある。性暴力以外のハラスメントが存在している場合が多く、周囲が傍観者になってしまっていることもある。職場などでは加害者ではなく被害者の方が職場を去ることで被害が終わっており、加害者ではなく被害者の方に不利益が生じている。
 被害を申告しづらいうえに、情報保障やバリアフリーなどが整備されていないので相談窓口やシェルターへのアクセスが困難であること、加害者が福祉の関係者だと被害を信じてもらいにくい、などがある。
 さらに教育過程を通して、障害女性は性のある存在と認識されてこなかったがために、性教育を受ける機会がほとんどなかった。そのことが性被害へのリスクをより高めている。
 前述の調査の障害女性の多くは、自ら相談できる先やつながる場所を見つけ、自分を回復させており、まさにサバイバーである。

●旧優生保護法の下での強制不妊手術等の被害

 このように障害女性はいまだに特に性と生殖にかかわる場面で、根深いスティグマ(ある特定の特徴を持つ人々に対する社会的なレッテル)や偏見にさらされている。これは、戦後の日本で1948年に成立した「優生保護法」の下で強制不妊手術の合法化といった優生政策が1996年に改正されるまで約50年の長きにわたって行われたこととの影響が大きい。国に届けられた報告件数だけでも優生手術、人工妊娠中絶で合わせると約8万4000件。4条(遺伝性)、12条(非遺伝性)による優生手術は合わせて約1万6500件で、そのうち69%が女性であった。
 実際には、法が認めた方法(精管や卵管を切ったり縛ったりする)以外の方法で、子宮・卵巣・睾丸の摘出や、安全性から既に違法となっていた放射線照射をされた被害者の人たちもいた。また、ずさんな手術による後遺症をかかえる人も多かった。
 さらには法を認める範囲をこえて“不良な子孫”とみなされた人たちにも広く適用され、被害が拡大した。肢体不自由者は法の対象ではなかったが、生理をなくして介助者の手間をへらすことを目的に子宮摘出が行われた。