第3回 母子家庭という生き方―様々な家族のカタチ
母子家庭は一過性のもの?
これまで 2 回にわたり、母子家庭が抱える経済的問題と子育てについて書かせていただきました。最終回は、母子家庭およびシングルマザーの社会における位置づけを考え てみたいと思います。つまり、私たちはどのように見られているのか、どのような存在だとされているのか、どうあるべきだと思われているのか、といったこと を考えてみましょう。もしかしたら、この問題こそが、経済的な厳しさや子育てのたいへんさ以上に、私たちシングルマザーをしんどくさせている元凶かもしれ ないと思います。しかも、それは外側からやってくるだけではなく、私たち自身の中にも根深く浸透している問題なのかもしれません。
かつてひとり 親家庭は、「片親家庭」「欠損家庭」と言われていました。これは、本来二人(両方)いるべき親が片方しかいない、(両方)いるべき一方の親が欠けている、 そういう意味だと思います。さすがに最近では、このような言葉を使う人は少なくなりました。しかし、多くの人々が、今も変わりなく「親は二人いるべきだ」 と思っているのではないでしょうか。それどころか、どうも私たち母子家庭は、一過性のあってはならない状態だと思われているようなのです。どういうことか と言うと、いずれ再婚してまた(あるべき正しい)家庭をなすべきだ、と思われているような気がするのです。もちろん、中には再婚する人もいるでしょう。で も、私のように、もう結婚はこりごりだ、と思っているシングルマザーも少なくありません。そしてもちろん、最初から結婚したくない人もいるし、結婚はどう でもいいやと思っている人もいるし、結婚はしたくないけど子どもだけほしい人もいます。つまり、結婚して夫婦になって子どもを得る、そういう生き方以外の 生き方をしたい人も案外たくさんいると思うのです。そうしたいわけではないけれど、結果としてそうなったという人も、もちろんたくさんいます。そして、上 記のような人たちにとって、結婚して子どもをもつのが普通の家族、という考えは非常に息苦しいものです。
母子家庭へのまなざし
離婚であれ非婚であれ、また死別であっても、シングルマザーに向けられるまなざしは、あわれみや同情など、マイナスイメージのものがほとんどです。寂しい 女性、結婚に失敗した人、わがままな女…そんなイメージがついて回ります。バツイチと言われ、まるでダメな人のように言われ、だからこそどんな扱いをして もいいと思われるのか「夜はどうしてるの?」「慰めてあげようか」などと、セクハラには必ずあいます。そんなことが続くと、それでなくてもしんどい日々 が、さらにつらいものになります。そして、もっと問題なのは、シングルマザー自身もマイナスのイメージを内包してしまうことです。
「やっぱり、 女性一人では老後は寂しいですよね」「子どもには、父親が必要ですよね」そんな相談をちょくちょく受けます。でも、そうでしょうか。夫がいてもいなくて も、人はだれでも基本は一人。むしろ、夫がいるのに寂しい日々のほうが、一人よりもずっと寂しいのではないでしょうか。そんな経験をして、シングルマザー になった人もいるでしょう。子どもに父親がいなくても、たくさん周りに大事に思ってくれるおとながいるならそれで十分。離別ならば、どこかに父親はいるの だから、いないわけじゃないよ。そんなことを伝えます。
さまざまな生き方
家 族には「こうあるべきカタチ」というのはなくて、誰でも基本は自分の好きなように生き方を決められるはずだと思うのです。現実はすでに、必ずしも「父親と 母親と子ども」という家族のカタチが一般的だとは言えなくなっています。(グラフ1)実際は母子家庭や父子家庭も多く存在するし、再婚をしてステップファ ミリーとなるケースも増えています。


さまざまな家族
「家 族」とはなんでしょう。気のあったもの同士が一つ屋根で暮らす、いっしょにご飯を食べたり、語り合ったり、ケンカしたり、そういう日々の営みを紡いでいく のに、決まったカタチなどありません。先日、シングルマザー向けのシェアハウスの見学に行ってきました。数組の母子家庭がいっしょに暮らす、台所や風呂は 共有し、忙しい人に替わって手の空いた者が子どもの面倒を見る、これもひとつの家族のカタチだと思います。あるべき家族などないのだから、私たち母子家庭 の生き方そのものが、新しい家族のカタチとして社会に浸透していくのだと思います。私たちは、胸を張ってシングルマザーという生き方を楽しく生きていきま しょう。