おしゃべり古典サロン【完全版】

おしゃべり古典サロンかわら版

古典のここがアツい!

2021年8月14日に7回目を終えた「おしゃべり古典サロン」。サロン終了後の楽屋で、講師の木ノ下裕一さんと三重大学の田中綾乃先生に、古典を偏愛するお二人の原点についてざっくばらんに語っていただきました。

※このインタビューは、三重県総合文化センター情報誌「Mnews vol.136」(2021年12月発行)に掲載した内容に、未収録部分を追加して再編集しました。

    ―お二人が古典芸能にハマったきっかけを教えてください。

    田中綾乃

    田中 私は、小さい時からよく名古屋の御園座で歌舞伎を観ていました。9歳の頃に『勧進帳』を観て、弁慶の最後の飛び六法がよほど印象的だったのでしょう。その後、家で飛び六法のマネをしていました。その頃、歌舞伎役者になりたかったのです(笑)。そうしたら、それを見ていた母親から真面目な顔で「あのね、歌舞伎役者は男の子しかなれないのよ。しかも普通のおうちの子でなるのは大変なのよ。」と言われて、とてもショックを受けたことを覚えています(笑)。(後から、名古屋にはむすめ歌舞伎があったことに気づきましたが…。)

    その後は、10歳で華やかな宝塚を観て、中学生の時に東宝ミュージカルの「レ・ミゼラブル」にどハマりし、中学3年生の時に北村想さんの「寿歌」に出会いました。その頃、鈴木忠志さんの『演劇とは何か』(岩波新書)を読んで、小劇場というジャンルを知りました。こう考えてみると、私の演劇との出逢いは、歌舞伎→宝塚→ミュージカル→小劇場の順に辿っていったのです。

    木ノ下 面白い!演劇史を古い方から観ていったのですね。

    田中 歌舞伎役者にはなれないとわかっていたから、歌舞伎は舞台芸術の中のひとつのジャンルとして観ていました。ところが、1994年に第1回のコクーン歌舞伎で五代目中村勘九郎さん(十八世中村勘三郎)の『東海道四谷怪談』を観て衝撃を受けます。それまで中村屋の芝居はいわゆる伝統的な歌舞伎公演の中で観ていましたが、渋谷のシアターコクーンで上演されたコクーン歌舞伎は、テンポも演出も古典の垣根を跳び越えていて、「歌舞伎を含めた演劇が変わる!」と思うほどのインパクトがありました。私の中では「古典が現代になりうる」とつくづく実感したエポック・メイキングの作品になりました。。舞台でも新しいことをやっているという気概がありましたが、当時の観客の熱気もすごかった。評判が評判を呼んで、連日、当日券を求める観客が長蛇の列で並んでいました。千穐楽では、ジャズの生演奏の中、役者たちが本水の中で立ち廻りをして。今ではそういう演出もありますが、その頃は前衛すぎて(笑)、その体験が深く身体に刻みこまれました。とにかく「すごいの観ちゃった!」、それが二十歳頃。

    木ノ下裕一

    木ノ下 僕自身は和歌山市出身で、全くそういった環境になく…。偶然町内会のイベントで落語を聞く機会があり、「古典ヤバい!」と思ったのが小学3年生。ただ、その頃はインターネットもなく、近くのCDショップには落語のCDもない。だから落語にハマりたい、沼に浸かりたいと思っても、その沼の水がないんです。テレビ欄をチェックして落語にまるをつけたり、図書館に通ったりして、明治のレコードをCD化した初代の快楽亭ブラックなんかを必死に聞いていました。

    様々な手を使って親を口説いたり、お小遣いの範囲で落語会に行ったり、その1回の落語会にかける意気込みがすごくて。落語に触れたい、常に飢えている状態でした。落語って最後にできた芸能なので、それまでの色んな古典芸能のパロディでもあるんです。だから歌舞伎や文楽もハマるだろうなという予感が小学生の段階でありました。
    でも見に行くにも、お金もないし落語会で手いっぱいだから将来設計を立てようと。中学校に入ったら歌舞伎、高校は文楽、大学は能・狂言を観ようとプランを立てて、概ねそのとおりに来ました。古典芸能を新しいものから遡っていったんです。でも中学校に入っても、なかなか歌舞伎は来ない。そこで歌舞伎鑑賞教室という若者に向けた和歌山県民文化会館の企画があると知って、学校を休んで観に行きました。片岡我當さんが『義経千本桜』のすし屋の段を上演していて、それが初歌舞伎。そのあと歌舞伎を観られたのは高校に入ってからです。だからその間の飢えをどうしのぐかという問題で、古本屋で、当時からあった「演劇界」という歌舞伎雑誌のバックナンバーが一山数百円で売っていたので、それを買い占めて自転車の荷台に括り付けて持ち帰り、何度も見ました。観劇って数より密度が大事な気がします。数を観たからといってハマるわけではないし、予習や準備をしっかり行えば、たった1回の観劇でも十分沼になり得ます。

    田中 求めるからこそハマっていくんですね。

    ―テレビで気軽に触れられる「お笑い」などの芸能もあった中で、落語にビビッときたのは?

    木ノ下 今から思えば、たぶんこれまで見てきたマンガやお笑いとは手触りが全然違ったんだと思います。僕らの時代はスーパーファミコンやゲームボーイが出始めた頃で、ポケモン最盛期。つまりビジュアル優先。でも落語って、ビジュアルだけ見ればオジサンが座布団に座っているだけなんだけど、それがある時ものすごい物語が展開されて、色んな世界に見えてくるんです。声とか語りとか想像力を刺激される。しかも分からない言葉も沢山出てくる。例えば丁稚さんが使っている「たらい」。噺家はマイムでやっていて、文脈から何となく洗面器みたいなものかなとイメージして置き換えて見ているけど、きっと「たらい」が分かっていれば見え方が変わるのではないかと思った。これは自分の蓄積しているもので見え方が変わるぞと、俄然知りたいと思うようになりました。

    田中 やはり話芸の魅力ですよね。話芸は想像力がかきたてられる芸能です。

    木ノ下 作品を観て面白くなかったら、普通自分が悪いとは思わないですよね。わからない=つまらないと思ってします。だけど、落語はそうさせてくれないんです。観る側の解像度(知識があるかどうか)の問題になる、それが良かったのだと思います。

    ―木ノ下さんも田中さんにとってのコクーン歌舞伎のように、古典の見方を強く変えた作品はありますか?

    木ノ下 ある時、桂米朝師匠の全集第1巻をサンタクロースがくれたんです。その巻末に米朝師匠による解説で、「この落語は、もとはこういうオチだけれど、分かりづらいから私がこのように変えた」とありました。リクリエーション(再構築)していたんです。それまで古典落語は一言一句変えずに伝承されていると思っていて、米朝師匠の落語だけなぜかクリアに聞こえて内容がわかるのが不思議でした。それは、単に米朝師匠が上手いからだと思っていたのですが、「違う!米朝師匠が自分で現代に合わせて、ネタをリクリエーションしている」ということを知ったんです。そこから、古典というものは、誰かが多かれ少なかれ時代に合わせてチューニングしているんだということに、まんまと騙された感と、一方でチューニングの面白さに気付きました。それが小学56年生くらいの頃です。

    ―その古典をチューニングするということが木ノ下歌舞伎の活動につながっていったのでしょうか?

    木ノ下 ずっとそれを木ノ下歌舞伎の旗揚げまで握りしめていたわけではないけれど、意識の中にはありました。文楽にしても観劇後に原作を読むと、ここがカットされているんだと気づく。今回はこんな台本になっているけれど、違うチューニングの仕方もある。それは作り手だけでなく、観客や批評家もチューニングしている。

    田中 歌舞伎や文楽は、毎回観ていても常に新たな発見があります。それが古典の豊かさでもあるのですが、力のある作品はいつの時代にも耐え得る。木ノ下歌舞伎が現代の私たちに響くのは古典との向き合い方。テキストの読み込みに時間をかけています。このことは歌舞伎俳優にも共通していて、名優たちがなぜ良いのかというと、何度も何度もテキストを読み作品理解を深めた上で、それを芸として表現しようとするから。正解がないからこそ何度も読みなおして、試行錯誤している。片岡仁左衛門さんも同じ作品をやってもいつも新たな工夫を加えています。それぐらい作品世界と向き合わないと、お客さんの心を動かすことはできないと思います。

    木ノ下 現代的に解釈するというのは、取って付けたように現代にアレンジするということではないんです。例えば、今日の『勧進帳』を木ノ下歌舞伎では現代化する時に「富樫の孤独」に焦点を当てましたが、それは取って付けたわけではなくて、テキストを読むと、実はちゃんと描かれている。それと現代の孤独感や、ボーダーの重層化がフィットするなと思って、拡大している。過去の歴史(原作)に向かって掘り起こしていく作業と、未来に向けて現代に作り替えていくという作業は、実は同じことをやっているのです。

    田中 むしろ掘ったほうが跳ね返しが強い。深く掘れば掘るほどそこに埋もれるのではなくて、それと同じくらい現代に光が照射されます。

    木ノ下 だから現代化する時に安直に空港や難民の話に置き換えてしまうと、似ている設定だけれど違うものになってしまう。ただ、テキスト主義とはいってもテキストと身体が不可分で、俳優の表現も含めてテキスト。歌舞伎であれば俳優が違えば台本も違う。肉体を通して体感する。そこは日本の古典の良いところです。

    ―近年、古典芸能の現場でも様々な新しい取組や発信が生まれていますが、最新事情やお二人の考える古典芸能の未来を教えてください。

    田中 古典芸能の展望が明るいかというと、決してそうではなくて…。例えば、昔の歌舞伎役者の体型といえば、いわゆる胴長短足がちょうどよいとされていたのが、食生活の変化などで今の若い人たちは手足が長くなって、腰を落とすという所作や身体自体も変わってきています。

    木ノ下 観客の問題もあって、これまでは歌舞伎の物語がまだ身近だったと思うんです。それは生活習慣や言葉の端々で古典の所作が入ってくるなど、共有している文化的な財産があったから。それが失われた今、「古典だよね」で終わってしまいます。ガラス1枚隔てた話を観ている感覚なんです。それは危険。古典は現代を跳ね返すわけですから、私たち観客も自分たちの生活と地続きのものとして考えていかなければならないのかもしれません。

    田中 ただ、最近ポジティブな話題もありました。『桜姫東文章』(以下、「桜姫」)をオタク的に観る人たちが出てきたのです。

    木ノ下 「桜姫」を観た若い子たちの間で、漫画やアニメのようにこの作品楽しむ感想がSNSなどで話題になりました。例えば、冒頭の清玄と白菊丸の心中事件。この二人は男性同士なので「BL」で萌えます。ほかにも桜姫が清玄を冷たくあしらう態度は桜姫の「塩対応」、桜姫の想い人・不良の権助が桜姫の頭をポンポンするのは「ポンポン萌え」。

    田中 物語全体ではなく、部分的に萌えを感じる新しい楽しみ方ですね。

    木ノ下 それは彼女たちが古典というフィルターをかけずに、漫画やアニメ、二次創作と並列に観ているからなんです。また一方で「桜姫」がフェミニズムの話だという見方も批評家の間で多く挙がった。女性の宿命を跳ね返すようなフェミニズム的な作品が江戸時代にもあったという新たな発見でした。こういった見方はこれまでの上演では言われてこなかった。

    田中 私も今回すごく感じました。社会的な流れもある中で、坂東玉三郎さんの桜姫の描写にその要素を見出したのですよね。

    木ノ下 これも古典というフィルターを外して、ここで行われていることが現代における何なのかを考えた時にフェミニズムだということに辿り着いたんじゃないでしょうか。

    田中 古典でしばしば登場する「忠義のために自分の子どもを手にかける」といったことは、確かに今のモラルからすると受け入れられないでしょう。けれど、現代でも不条理なことはたくさんあります。生きている限り、この世はままなりません。災害もしかり。設定や価値観は違えど、古典に描かれている悲劇は、いまに共通するものがあります。そういった観点から古典を見ると、人間の業ややるせなさが感じられ、グッと古典が身近になります。

    木ノ下 年齢によっても感じ方が違いますよね。基本的に古典はネタバレしてからが勝負。ネタバレしても面白いと思えるのは、観る側も演じる側も変化しているから。二十歳の時にはわからなかった痛みがわかるようになることも。古典は一生モノの趣味になります。

    ―最後に、次回2022年1月にvol.8で取り上げる作品『助六』についても少しだけお話しいただければ!

    木ノ下 次回は1月ということで、お正月らしい華やかな作品をと『助六』を選びました。『助六』は「曽我物語」を下敷きにしたもの。通例的に江戸歌舞伎でお正月に上演されます。魅力のひとつはキャラクターショー。色々な俳優が出演し、芸のカタログ帖のような作品です。

    田中 役者のデパートと言われることも多い。『助六』を見ると、歌舞伎の主なキャラクターを網羅できます。おそらく歌舞伎十八番の中でも『勧進帳』に次いで有名な演目ですね。

    ―お二人ともありがとうございました。1月の「おしゃべり古典サロン」が読者の皆様にとって古典沼への一歩となることを願いつつ…。会場でお待ちしております。


    注釈

    • 飛び六法 右手と右足、左手と左足を同時に出して飛ぶように歩く様式。
    • むすめ歌舞伎 女性のみで構成される歌舞伎。成田屋の市川宗家が指導にあたった市川少女歌舞伎からの流れを汲み、1968年に発足。
    • 北村想 名古屋の劇作家。代表作に『寿歌』、『想稿 銀河鉄道の夜』などがある。岸田國士戯曲賞、紀伊国屋演劇賞、鶴屋南北戯曲賞など多数受賞歴あり。
    • コクーン歌舞伎 渋谷のBunkamuraにある劇場シアターコクーンにて、演出家・串田和美と十八世中村勘三郎がタッグを組み、1994年に誕生。古典歌舞伎を斬新な演出で上演する。
    • 快楽亭ブラック 明治・大正に活躍した落語家。オーストラリア生まれのイギリス人。
    • 桂米朝 上方落語の復興と発展に力を尽くした落語家。2009年、落語家では初の文化勲章受章。人間国宝。
    • 富樫 『熊谷陣屋』の登場人物。安宅の関で義経一行捕縛の命を受け待ち構えるが、最終的には義経と弁慶の忠義にほだされ、関所を通してやる。
    • 曽我物語 曾我兄弟が父親の仇である工藤祐経を討った事件をもとにした、鎌倉時代後期の軍記物語。

    田中綾乃(三重大学人文学部准教授)
    名古屋市生まれ。東京女子大学文理学部哲学科卒業。同大学院博士課程修了(人間文化科学博士)。専門は哲学、美学、演劇論。カントの哲学研究を行う一方、長年の観劇歴から演劇批評にも携わる。現代演劇の批評を中心に、歌舞伎や文楽の筋書や解説講座も担当中。

    木ノ下裕一(木ノ下歌舞伎主宰)
    1985年和歌山市生まれ。2006年に古典演目上演の補綴・監修を自らが行う木ノ下歌舞伎を旗揚げ。『三人吉三』にて読売演劇大賞2015年上半期作品賞ノミネート。平成28年度文化庁芸術祭新人賞、第38回(令和元年度)京都府文化賞奨励賞受賞。

    おしゃべり古典サロンvol.8「助六」詳細ページへのリンク

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