第3回 トランスジェンダー当事者を取り巻く日本社会の変化

●日本はLGBT当事者に理解のある社会か

 私達の研究室では、各地の公務員を対象に「日本は、そして、あなたの自治体は『LGBTフレンドリーな社会だと思うか』と尋ねる調査」を行いました。驚くべきことに、「そう思う」との回答は1%前後で非常に低いものでした。
 「日本はLGBTQ+当事者に理解のある社会だと思うか」という調査も、以前から何度か実施しています。これらをまとめたグラフ(図3)の中の「理解のある社会と思わない」という方に注目してみると、高校生でも大学生でも増加しているようにも見えます。

図3
(図3)日本社会とLGBTQ

●LGBT理解増進法の成立

 2023年、G7広島サミットの前となり、岸田首相は、公明党の「G7サミット前に成立させるべき」との立場に理解を示し、G7参加国の「共通の価値観」に近づくべく、LGBT理解増進法の成立に向けて舵を切りました。
 法案の中の「差別禁止」の明言を保持するのか、削除するのか、また、「性自認」と「性同一性」のどちらを選択するのかなどの議論が続く中で、何とか、2023年6月には、議員立法で「性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律」(LGBT理解増進法)が成立しました。今後は、法律の本来の主旨に沿って実践される施策ができるかどうかを見ていく必要があります。

●性同一性障害特例法とトランスジェンダー当事者

 岡山大学ジェンダークリニックを開設したのは、1998年でしたが、その当時から「性別違和感」のために、性別適合手術を希望する性同一性障害(性別不合)当事者は多く受診していました。しかし、性別適合手術を実施して、望む性での生活を行っていても、戸籍の性別は変更することはできず、外観や実際の生活状況と身分証明書とが一致せず、生きにくさを感じている当事者は多く見られました。
 2003年に成立し、2004年から施行された「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律(性同一性障害特例法)」は、そのような状況を改善するものでした。ジェンダークリニックの外来診療でも、「戸籍の性別変更が最終目標ではないよ」と説明していますが、早く治療を進め、戸籍の性別を変更し、新たな生活のスタートラインに立つことを望んでいる当事者が多いのは確かです。

●現在の「性同一性障害特例法」の要件

 性同一性障害特例法は2008年、2022年に改正され、現時点での戸籍上の性別変更の要件は以下のようになっています。

  1. 18歳以上であること
  2. 現に婚姻をしていないこと
  3. 現に未成年の子がいないこと
  4. 生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること
  5. その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること

 しかし、トランスジェンダー当事者や性別にとらわれない意識を持つジェンダー・ダイバースな人々(TGD:Transgender and gender diverse individuals)の中には、戸籍上の性別変更を希望しているものの、このような法律の要件を満たすことができない方も多く存在しています。

●「子なし要件」「婚姻要件」に関する議論

 性同一性障害(性別不合)の診療を行う医療スタッフや教育や法律の専門家、各種の分野における支援者、また、性同一性障害(性別不合)当事者を含むトランスジェンダー当事者が会員となっているGID(性同一性障害)学会でも、性同一性障害特例法改正に向けて、理事長声明を出しています。
 例えば、「子なし要件」(現に未成年の子がいないこと)に関しては、「子どもがいなければ」を思う親や、「自分がいるから親が性別を変えられない」と思う子どもを生み出してしまう可能性があります。このため、「子なし要件(未成年の子がいない)」は早急に削除すべきと考える方は多いと思います。結婚したままでは性別変更ができない「婚姻要件」の改正も必要です。

●「手術要件」に関する国連諸機関の見解

 「手術要件」(生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること)は、必ずしも手術を希望しない、あるいは医学的な理由でできない方にとっては、戸籍の性別変更への大きな障壁になっています。また、2014年にWHO(世界保健機関)などの国連諸機関はこのような要件は外すべきであるという見解を示しており、GID学会でも、これを支持する理事長声明を出しています。
 また、性同一性障害特例法改正に向けての理事長声明の中でも、4号要件「生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること」、5号要件「その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること」(両者を合わせて、いわゆる、「手術要件」)の撤廃を求めています。

●「手術要件」をめぐる2019年の最高裁判決

 戸籍上も男性となり、女性と結婚するために、トランス男性が起こした裁判例があります。実質的には男性として暮らしている方ですが、性別適合手術を受けておらず、戸籍上の性別は女性のままでした。このため、性同一性障害特例法の手術要件を満たさないままでの戸籍の性別変更を求めました。
 2019年、いわゆる「手術要件」についての最高裁判所初の判断は、「現時点では合憲(憲法違反ではない)」というものでした。しかし、同時に「規定は個人の自由を制約する面があり、その在り方は社会の変化に伴い変わる」「合憲かどうかは継続的な検討が必要」と指摘しました。さらに、補足意見として、このような要件には「違憲の疑いが生じている。人格と個性の尊重という観点から適切な対応を望む」とも述べています。

●「手術要件」をめぐる2023年10月の最高裁判決

 戸籍上は男性ですが、女性として生活しているトランス女性が、「戸籍の性別変更のために手術を強制することは、重大な人権侵害である」として、手術をせずに性別の変更を認めるように申し立てた裁判があります。家庭裁判所と高等裁判所は認めませんでしたが、2023年10月、最高裁判所の大法廷は、性同一性障害特例法の4号要件(生殖不能要件)について、「当事者の意思に反して体を傷つけられない自由を制約しており、手術を受けるか、戸籍上の性別変更を断念するかという過酷な二者択一を迫っている」として憲法違反と判断しました。この判断は、裁判官15人が全員一致でした。

●残った5号要件

 一方、最高裁は、5号要件(その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること)については、「審理を尽くしていない」として、高等裁判所で審理をやり直すよう命じました。このため、このトランス女性に関しては、現時点での性別変更はかなわず、先延ばしになってしまいました。
 ただし、15人の裁判官のうち3人は、審理をやり直すのではなく、5号要件に関しても違憲とし、ただちに男性から女性への性別変更を認めるべきだとする反対意見を述べています。

●残る5号要件の行方

 5号要件に関しても、手術を受けられない、あるいは、受けたくない性同一性障害(性別不合)当事者にとっては、戸籍上の性別変更への大きな障壁となります。公衆浴場、公衆トイレ、更衣室等の男女別での利用を想定した場合に、他の利用者とのトラブルや社会の混乱を避ける観点から設けられたとされます。しかし、ほとんどのトランスジェンダー当事者は混乱を避けたいと考えており、現実的にこのような状態が起きることは稀と考えられます。実際、現在までも女性ホルモンを使用して望む性での生活をしているものの、手術をしていないトランス女性は多数いたわけですが、特に社会が混乱するような状況は起きていません。また、これらは、施設管理者等による運用により解決できる問題でもあります。このため、5号要件も撤廃され、手術を受けなくても戸籍の性別変更ができることが望まれます。

●手術を希望するトランスジェンダー当事者にも光があたる政策を

 もちろん、多くのトランスジェンダー当事者、特に性同一性障害(性別不合)当事者が、自ら手術療法を求めていることも知っておく必要があります。性同一性障害特例法の手術要件が削除されたとしても、希望している手術が制限されるものではありません。
 GID学会は、手術を希望するトランスジェンダー当事者が、適切な保健医療サービスを受けられるように、ホルモン療法や手術療法などの身体的治療の実質的な保険適用を求めるとともに、診療拠点の拡充を推進しています。