第3回 相互作用:教室内での教師と生徒のコミュニケーション

1.ジェンダー・ギャップの背景~ミクロレベルから考える~

 この参画ゼミでは、学校教育におけるジェンダーを考えてきましたが、最終回となる今回はミクロレベルに焦点化して検討します。前回は、メゾレベルに着目し、子どもたちが日々目にする教科書や教員構成が、「隠れたカリキュラム」として機能し、ジェンダー・ステレオタイプを伝えてしまう可能性があることがわかりました。
 今回は、ミクロレベルとして、教室内での教師と生徒のコミュニケーションを取り上げます。たいていの教室空間では、一人の教師が多数の子どもたちを統制して学級を経営しています。また、個々の教師にとって各教科の授業は手腕の見せ所でもあります。こうして繰り広げられる教師と子どもたちのやりとりを、教育社会学では「相互作用」と言い、量的な側面と質的な側面に分けて捉えます。相互作用をジェンダー視点でみてみると、何が見えてくるでしょうか。

2.教室内の相互作用~量的差異~

 教室内で起こっていることを研究するには、実際の教室空間での教師と生徒の相互作用を観察して分析する必要があります。そのため、学校現場の協力が欠かせませんが、日本では学校の協力が得にくく、研究があまり蓄積されていません。そこで、欧米の研究を紹介します。まず、量的に分析した研究を通して考えましょう。
 小学校4年生の算数の授業風景を思い浮かべてください。60分の授業時間中、教師は子どもたちと309回のやりとりを行いました。単純に計算すると、1分あたり5回以上になりますから、結構、頻繁なコミュニケーションがとられたと推測されます。では、309回のやりとりは男女均等に行われたと思いますか。仮にそうでないとしたら、男女でどの程度の違いがあると思いますか。
 これは実際にフランスで行われた研究なのですが、女子104回、男子205回だったそうです。クラスの生徒の性比を勘案しても、男子との相互作用は60%、女子とは40%となり、男子とのコミュニケーションが圧倒的に多かったことが明らかになりました。また、相互作用に教師が割いた時間は、男子は4930秒だったのに、女子は2330秒でした[*1]。同種の授業観察はドイツやアメリカ、オーストラリアなどでも行われ、いずれも、授業時間内に教師が男子との相互作用に割く時間は、女子より長いという結果になりました。相互作用の3分の2程度を男子に費やすことが多いため、「3分の2法則」として知られるようになっています。
 こうした相互作用の差異は、教師があえて男子とのコミュニケーションを取ろうとして生じるわけではなく、授業から逸脱したり、大声で質問攻めにする男子の言動を統制し、教室の平穏を取り戻すために行われます。その意味で職務を確実に遂行しようとした結果といえますが、その間、女子は教師に構ってもらえないまま過ごすことになる点も見落としてはなりません。女子にとっては、教室が冷淡な空間となりかねないのです。 

3.教室内の相互作用~質的差異~

 教室内の相互作用における差異は、質的な面でも生じます。アメリカで行われた授業観察では、教師は男子に対しては深く考えるような発展的な会話や、次のステップにつながるような会話をしていたのに、女子とはそのような会話を交わしていないことがわかりました。教師による期待や励ましは、子どもの学習意欲や自尊心を高めることが知られていますが、そうした機会を得られる女子は少ないのです。
 また、フランスでも、教師は男子には「説明しなさい」「よく考えなさい」といった複雑な指示をするのに、女子には単純な指示(「それをやりなさい」「言ってみなさい」等)が行われることが観察されています。さらに、性別によって異なる評価がなされるという報告もあります。元気な子どもに対し、教師は、男子であれば「活発」と評価するのに、女子だと「トラブルメーカー」と評価したというのです[*1]
 毎時毎時の授業でこうしたことが繰り返されれば、女子は学習意欲が低くても構わないとか、活発でない方が良いというメッセージが伝わってしまうかもしれません。教師はけっしてそのような意図をもっていないはずですから、これこそまさに「隠れたカリキュラム」なのです。 

4.授業方法

 ここまで、教師と生徒の相互作用には、量的にも質的にも生徒の性別による差異が生じていることを見てきましたが、授業そのものを通して女子が周辺に置かれてしまうこともあります。
 ドイツの研究[*2]では、競争的な相互作用を用いた授業は、男子の好みには合うが、女子には合わないので、結果として女子の学習機会を狭めることになっていると指摘されています。また、問いかけながら展開する授業では、女子は最初から正答できることが多いので、個々の部分的な答えを導きだそうとする教師と男子との「共演」には乗らなかったそうです。教師は子どもたちの興味に則して楽しい授業を行うために工夫したに違いないのですが、「興味」や「楽しさ」の基準が男子生徒の志向に合うものになってしまったと考えられます。

5.「隠れたカリキュラム」を超える

 前回は、教科書や教員構成が「隠れたカリキュラム」として、性別にかかるステレオタイプを子どもたちに伝達しかねないことを捉えましたが、今回の検討を通して、教師と子どもたちの間の相互作用や授業のやり方なども、「隠れたカリキュラム」となりうることが見えてきました。メゾレベルにもミクロレベルにもジェンダー・ステレオタイプが埋め込まれていれば、ジェンダー平等の達成は困難でしょう。しかも、それらは通常の教育行為と認識されているため、ジェンダー不平等に気づくことも困難になります。教師たちが性差別的でないにもかかわらず、学校教育がなかなかジェンダー平等な場とならないのは、こうしたカラクリがあるからなのです。
 では、どうすれば変えられるのでしょうか。実は、この参画ゼミでご紹介した欧米の事例は1970年代から行われていました。研究者と教員が協力し、教室空間で起こっていることを記録し分析するという回路を積み重ねて、時間をかけて改善してきたのです。一方、日本ではこうした実践が組織的に行われることはありません。そもそも教員になるまでも、なってからもジェンダーに関する正しい知識を学ぶ機会が乏しいため、改善に向けた取り組みに至らないのです。
 幸いなことに、近年、学校で使えそうな研修ツールが制作されるようになりました。文部科学省では、小学校の家庭科や中学校の理科、卒業式や体育祭などの場面で起こりやすいジェンダーの問題を取り上げた動画を、解説も含め配信しています[*3]。内閣府でも、『男女共同参画の視点を取り込んだ理数系の授業づくり』という教師向けの冊子や[*4]、研修動画[*5]を公開しています。こうした素材を手掛かりにすれば、学校教育のミクロなレベルから変化を生むことができるのではないでしょうか。
 SDG’sの影響もあり、世界中でジェンダー平等に向けた教育が加速度的に進んでいます。立ち止まったままでは、日本の子どもたちが世界の流れから取り残されてしまいます。小さな一歩でも構わないので、未来に向けて踏み出しましょう。 


[*1] ニコル・モスコニ(田川千尋監訳)「教師の実践はどのようにして性別間不平等を作り出すか?」園山大祐監修『教師の社会学:フランスに見る教職の現在とジェンダー』(勁草書房2022)。
[*2] ハンネローレ ファウルシュティッヒ=ヴィーラント (池谷壽夫訳)『ジェンダーと教育―男女別学・共学論争を超えて』(青木書店 2004)。
[*3] https://www.youtube.com/playlist?list=PLGpGsGZ3lmbB9JFI-zqqpWmrZ7j29L9W0

[*4]  https://www.gender.go.jp/c-challenge/pdf/keihatsu.pdf
[*5] https://www.youtube.com/watch?v=j97LxeLB-TQ