第1回 平等幻想:学校教育はジェンダー平等か?

.学校教育とジェンダー

 男女共同参画ゼミでは、さまざまなテーマでジェンダー問題を考えることができるように工夫されていますが、今回のテーマは「学校教育」です。たいていの大人は学校で教育を受けたことがありますから、政治や経済、科学技術等の分野と比べれば教育についてはよく知っているでしょう。また、自分自身の経験を通して、教育や教師のあるべき姿を熱心に語る人を見かけることもあります。その意味で、学校教育は誰もが語ることのできる身近な空間だと言えます。そこに、ジェンダーの問題はあるのでしょうか。
 内閣府が実施した「世論調査」[*1]によれば、「学校教育の場」が男女平等だと認識している人は、61.2%でした。これは、「政治」(14.4%)や「社会通念・慣習・しきたりなど」(22.6%)、「職場」(30.7%)よりはるかに高いだけでなく、法律や家庭、地域活動よりも高い数値で、多くの国民が学校教育は男女平等であると思っていることがわかります。世界経済フォーラムが公表しているジェンダー・ギャップ指数において、日本の総合順位は146か国中の116位と奮わないものの、教育分野は1位でしたから、ジェンダー問題は存在しないと思った人もいるでしょう。
 でも、学校教育の場が本当に男女平等なら、日本社会が依然としてジェンダー不平等なのはなぜでしょうか。家庭やメディアなどが相変わらず性別役割分業観に基づくジェンダーイメージを発信しているからと考える方もいるかもしれません。もちろん、家庭やメディアが人々のジェンダー観の形成に及ぼす影響の大きさも無視できませんが、その送り手たちも学校教育を受けてきたはずです。それは、政治経済や科学技術分野で活躍している人々も同じです。

.学校教育に対する平等幻想

 このように考えれば、ジェンダー不平等な日本社会において、学校教育だけがジェンダー平等ということは奇妙なことに思えます。それにも関わらず、学校教育の場が男女平等とみなされているのは、多くの国民が平等幻想を抱いているからではないでしょうか。平等幻想は、学校は男女平等であるべきだという理念や男女平等であるはずだという思い込みによって生じると思われますが、こうした認識は学校教育における有形無形のジェンダー問題を不問にし、現実を見る視点や機会を喪失させてしまいます。
 たとえば、上述したジェンダー・ギャップ指数の結果についても、平等幻想を抱いていると「教育分野のスコアは1.0(完全平等)だし、1位だから問題ない」と思ってしまいます。ところが、実際はそうではありません。世界経済フォーラムのオリジナルの報告書[*2]をみると、高等教育のデータが提供されていないことに気づくでしょう。この調査が開始された2006年から前回調査まで、教育分野が1位になったことは一度もありません。確かに識字率や初中等教育段階でのジェンダー・ギャップは毎回ほとんどありませんが、大学進学率等の高等教育段階におけるジェンダー・ギャップがあるため、教育分野の総合スコアが1.0になることはなく、必然的に1位になったこともないのです。今回は高等教育の数値が反映されていないので、1位だったと考えられるのですが、学校教育は平等だと思い込んでいると、1位という結果を何の疑いもなく受け止めてしまいがちです。思い込みは、事実を見る目を曇らせてしまうのです。
 このような状況が続けば、学校が変わる必要性に気付くことができず、結果的にジェンダー不平等を再生産してしまうことが懸念されます。ジェンダーは生得的なものではなく、後天的に学習するものですから、その学習に影響を及ぼすものは注視する必要があります。とくに、どのような家庭や地域に生まれても、子どもたちに等しく教育を与える役割をもつ学校教育に注目することは重要です。

.学校教育の現実を捉える

 そこでこのゼミでは、できるだけ客観的な事実を通して、日本の学校教育を見ていきたいと思います。具体的には、どのような点で学校がジェンダー不平等なのかを確認し、幻想ではなく現実を捉えます。学校教育と言ってもその範疇は広いですから、マクロレベル・メゾレベル・ミクロレベルの3つの次元に分けて、それぞれのジェンダー問題の諸相を概観してみましょう[*3]。ここで、マクロとは、、学校教育の存立基盤となっている法律や制度的な側面を、ミクロとは教師と子どもたちが教室内外で織りなす相互作用(有形無形のコミュニケーションなど)を、そしてメゾとはマクロとミクロをつなぐ次元(教科書や教員組織のあり方など)をさします。第1回目はマクロレベルに焦点をあて、主として制度としての学校をみていきましょう。

  

.制度としての学校―戦前―

 日本における近代的な学校教育制度の発足が、1872(明治5)年に発布された「学制」にあることは、ご存じの方も多いでしょう。学制は、もちろん女子にも学校教育機会を開きました。それ以前の女子の教育は家庭内で行われるものでしたから、女子が学校という近代的制度において教育を受けられるようになったことは、歴史上大きな転換点であるといわれています。ただ、女子の義務教育就学率は男子よりはるかに後れて上昇し、高等女学校や女子師範学校などの中等教育機関が全国的に設置されたのは明治も末期のことでした。
 しかも女子対象の中等教育機関の教育年限は男子より短く、教育内容も良妻賢母の育成を重視するものでした。さらに、女性を対象とする高等教育に対して積極的な政策はとられませんでした。このように近代的学校教育制度が整っても、受けられる教育は性別によって大きく異なっていたのです。
 それでも、大正後期から昭和初期になると、女子中等教育機関が女子専門学校を付設するなどして、女子対象の高等教育機関が増加しました。当該年齢人口に占める女子の高等教育進学率も、1935(昭和10)年には0.6%に達します。ただし、高等教育機関のうち、大学に正規入学できる女性は皆無に等しい状況でした。大学入学条件に高等学校の修了資格を求めるのが一般的でしたが(例外はある)、当時の高等学校には男子しか入れなかったからです。
 このように明治から戦前にかけての教育制度は、制度自体が性別を基盤として成立していたのです。とりわけ、中等教育以上の教育機関ではこの傾向が顕著だったため、卒業後のライフコースや社会で活躍する分野が性別によって異なるのも当然のことだったと言えます。

.制度としての学校―戦後―

 上述したような状況は、男女平等を原則とする戦後の教育改革によって刷新されました。大学等の高等教育を受ける機会が男女ともに開かれたことは、女子が男子と同じ年限と内容の学習機会を得ることが制度的に保障されたことを意味します。とはいえ、新制大学発足直後の1953年に在学者数に占める女性割合は11.3%でした。また、男子が専攻する主な分野は経済や工学であるのに対し、女子では学芸や文学などの分野でした。戦後の高等教育は、制度上は男女に教育機会を開きましたが、女子の受ける高等教育は量的にも質的にも男子とは異なる分野でスタートしたのです。
 現在、わたしたちが生きているのは2023年ですが、大学在学者の性比は不均衡なままです。2022年の大学生に占める女性割合は46%で、70年前と比べれば格段に高くなりましたが、欧米諸国や東アジアの国々では女子割合の方が高いことと比べると特異な現象です。そもそも制度上の男女平等が実現してもなお、ジェンダーバランスが改善しないのはなぜなのでしょうか。このことを考えるには、ミクロレベルやメゾレベルに目を向けることが肝要です。次回から、これらについて取り上げたいと思います。


[*1] 内閣府「男女共同参画に関する世論調査」(令和元年度)https://survey.gov-online.go.jp/r01/r01-danjo/2-1.html
[*2] World Economic Forum, “Global Gender Gap Report 2022”, https://www.weforum.org/reports/global-gender-gap-report-2022/
[*3] 河野銀子・藤田由美子編著『新版 教育社会とジェンダー』学文社、2018.