第3回 トラウマからの回復のために

傷つきに気づく

 こころのケガとなるトラウマの影響は、外からは見えにくく、本人ですら自覚しにくいものです。ときには、できごと自体を忘れてしまうこともあります。たいしたことではないから覚えていないのではなく、逆に、圧倒されるほどのできごとを受けとめることはそれほど難しいのです。
 被害を否認することで、本人も周囲も「何もなかったかのように」過ごせるかもしれません。ですが、こころにふたをしたような状況でいると、こころのケガは悪化していきます。なぜなら、できごとのつらさだけでなく、「だれもわかってくれない」という理不尽さや怒り、「だれにも言えない」といった恥や孤立感が強まっていくからです。「昔のこと」と感じる周囲との溝も深まり、本人のかかえる傷つきがますます理解されなくなるという悪循環が生じます。
 生きづらさに対して、人は「自分のせいだ」と思い込みやすいものです。「年齢に伴う不調だろう」「こんな性格だから」「生まれつき」など考えて、あきらめているかもしれません。周囲から「あなたが悪い」と責められた言葉を信じてしまった人もいるでしょう。
 現在の不調は、さまざまな原因が重なって生じたものです。その一つがこころのケガかもしれないと気づくことから、回復のプロセスが始まります。トラウマによって傷ついたのは、あなたが悪いからでも、弱いからでもありません。何度でも思い出してください。

生き方のクセを考える

 トラウマの影響を否認する人がいる一方、今ある苦難はすべてトラウマが原因だと考える人もいます。「あんなことさえなければ」という無念をはらせず、恨みの気持ちでいっぱいかもしれません。トラウマになるできごとは、人生を一転させます。当然、納得のいかないできごとです。加害者だけでなく、助けてくれなかった周囲への怒りや不信感もあるはずです。まずは、そうした怒りや苦痛はもっともなことだと受けとめましょう。
 あまりに強い怒りや悲しみがあると、自分の状態について考えられなくなります。ひどい場面ばかり頭に浮かび、堂々巡りで、ほかのことに目を向けられなくなるからです。その結果、こころのケガをかかえながら生き延びてきた自分自身のよい面も見られなくなってしまいます。
 こころのケガとは、心身の一部が傷つくようなものではなく、自分の考え方や感じ方、行動や人とのつきあい方を変えてしまうものです。「だれも信じられない」と思うと、怒りと孤独を感じて、他者との関わりを避けるようになるでしょう。それが生き方のクセになっていきます。本当に相手が信じられないかどうかを考えずに「信じない」選択をしてしまうと、疑心暗鬼のまま、ますます孤立してしまいます。
 生き方のクセを見直し、別の選択にチャレンジするには、大きな勇気が必要です。あなたのことをよく理解してくれて、新たなチャレンジを応援してくれる人が欠かせません。身近な人を支える立場の方は、相手の行動を「よくない」と批判するのではなく、どうして生き方のクセが生まれたのかを考えてみましょう。そうなるのももっともだと思える事情があるかもしれません。

自分をねぎらい、いたわる

 自分や相手の生き方のクセが見えてきたら、そうやって生き延びてきたことを認めましょう。怒ることで、不当な扱いをされないように身を守っていたのかもしれません。裏切られたり、見捨てられたりするのがこわくて、自分から親しい関係性を断ってしまう人もいます。人との交流や社会活動から引きこもることで、なんとか安全に暮らそうとしたかもしれません。
 なかには、健康的ではない、自他を傷つける方法をとってきた人もいるでしょう。苦痛をまぎらわすための飲酒や過食、セックスや薬物使用。言葉にできない思いを自傷行為や自暴自棄な行動でしか表せなかったのかもしれません。そのたびに後悔しながら、自分を責めることでかえってエスカレートして、次第に周囲から(しばしば支援者からも)非難されたかもしれません。
 まずは、どんな方法であれ、それで生き延びてきた自分を認めることが大切です。だれの助けも得られないとき、一人で対処できるすべは限られています。よい方法ではなくても、そのときには最善の方法だったはずです。自分をねぎらい、いたわりましょう。あなたの痛みを理解できるのは、あなたしかいないのですから。
 これは、自己憐憫や甘えではありません。傷つきを認めることは、勇気ある姿勢です。おそらく、あなたはすでにさんざん自分に厳しい目を向けてきたことでしょう。「こんな自分はダメだ」と。今では、あなたを傷つけているのは、ほかでもない自分自身の言葉やまなざしかもしれません。自分をいたわることで、このトラウマの連鎖から抜け出すのです。

自分の人生を選択しよう

 つらい体験を生き抜いてきた自分を認めたら、次は、自分の人生を選択していくときです。「回復」とは、支援者から与えられるものではなく、自分で選択していくものです。
 どんなによいサポートがあっても、それに手を伸ばせるのは本人だけです。トラウマを体験した人にとって、それは被害を受けたこと以上に困難なことかもしれません。「自分は変われるのか」といった不安や、「どうせうまくいかない」というあきらめ。あるいは、「自分が回復したら、被害にあった事実や傷つきがなかったことにされてしまうのではないか」という葛藤を覚えることもあります。回復の過程で「どうして、わたしがこんな苦労をしなければならないのか」と理不尽さを覚えることもあるでしょう。そのつど「わたしは悪くない」と思い出す必要があります。
 回復は、決して楽な道のりではありません。一人で取り組めるものではなく、社会のサポートが不可欠です。
 過去のトラウマは、どうしようもなかったことです。被害者に非はありません。でも、未来を決めるのは、あなた自身です。自分自身を傷つける生き方をやめられるのは、あなただけです。自分を虐待したり、自分のニーズをネグレクト(無視)したりしていませんか? もう一度、トラウマのメガネで見てみましょう。そして、生き延びてきた自分の強さを見つけてください。

周囲ができること

 身近な人の傷つきを見聞きするだけでも、その壮絶さや残忍さに打ちのめされそうになったり、いたたまれなさや怒りを感じたりするものです。取り返しのつかないできごとに対して、なすすべがないと感じて、「何もしてあげられない」と無力感をいだくこともあります。話を聴くどころか、想像するだけでもつらくなり、逃げたくなる場合もあるでしょう。また、本人から怒りや不信感が向けられたり、暴言や暴力にさらされたりすることもあります。トラウマをかかえた人との関わりはとても難しいものです。いくら事情があるとはいえ、「それはないんじゃないの」と腹が立ったり、際限のない要求にうんざりしたりすることもあるでしょう。自分自身のトラウマ体験を思い出して、感情移入しすぎたり、関わりを避けたりしてしまうこともあります。
 このように身近な人や支援者も、間接的にトラウマの影響を受けます。トラウマインフォームドケア(TIC)のトラウマのメガネをぜひ使ってください。だれもが「わたしに何が起きているの?」と自分に向き合い、セルフケアに努めることが大切です。緊張や不安を感じるときは、ゆっくりと長い呼吸を吐き、からだをほぐしましょう。こうしたリラクセーションを本人と一緒に練習しながら、みんなで「安全」の感覚を取り戻していくステップが大切です。トラウマのメガネを共有して、「何が起きているのか」を考えていきましょう。こころのケガに関する情報提供は心理教育と呼ばれ、自分の状態を理解していくのに役立ちます。
 当事者が一人で回復できないように、身近な人や支援者も、一人ではサポートできません。チームや組織全体でTICに取り組んでいくことが望まれます。社会全体がトラウマの理解を深め、その予防に努めるとともに、だれもが回復しやすいコミュニティを作っていきたいものです。