第1回 こころのケガってなんだろう?

こころがケガをするとき

 トラウマというと、大きな災害や事故、犯罪に巻き込まれるといった突然の恐怖を伴う体験が思い浮かぶかもしれません。あるいは、幼児が死に至るような虐待やネグレクト、身の危険を感じるほどのドメスティックバイオレンス(DV)や性暴力なども、トラウマになりうる体験として知られるようになりました。「心的外傷」と訳されるトラウマは、身体的なケガではなく、恐怖による衝撃から精神的な傷つきを負うもので、「こころのケガ」とも表現されます。
 トラウマという概念が知られるようになるまでは、どれほどおそろしく過酷な体験をしても、被害者は「命が無事でよかった」とみなされていました。建物や街が復興すれば、被災者は元の暮らしができる。身体的なケガさえ治療すれば、被害者は回復すると思われていたのです。ところが実際には、地域が復興し、身体的なケガが治っても、被害者の苦しみは続きます。こころのケガは、時間が経てば癒えるものではありません。むしろ、世間で事件が風化していくことに理不尽さを覚えたり、加害者から逃れたあとで心身の不調が生じたりすることは少なくありません。
 こうしたトラウマの影響の深刻さが社会に知られつつあるものの、交通事故や自殺未遂等で救急搬送された患者に提供されるケアは、身体面の治療に限られているのが現状です。「まだ気にしているの?」「昔のことは忘れて、前向きにならなくちゃ」という周囲の言葉に傷つけられる人もいます。まだまだ、トラウマに関する社会の理解は十分とはいえません。

逆境という傷つき

 さらに、こころのケガになりうるのは、必ずしも命に関わるような体験ばかりではないことも知っておく必要があるでしょう。安心して暮らせるはずの家庭が緊張や不安に満ちていることは、子どもの成長に大きな影響を与えます。例えば、子ども自身が殴られなくても、両親のDVを目撃したり、家族にアルコールや薬物などの依存症があったり、精神疾患や貧困などの困難さを抱えながら必要な支援が受けられていなければ、子どもは息をひそめて暴力をやりすごすか、親の代わりに家族をケアするしかありません。また、親の過剰な期待や支配によって、子どもが自分らしく生きられないこともあります。親の望むようにしなければ愛されないという恐怖は、子どもに「ありのままの自分には価値がない」という考えを植えつけます。どれだけがんばっても、つねに「自分なんて」と自己卑下してしまうのです。
 安全・安心に暮らせない環境は「逆境」と呼ばれ、こころのケガになりうるものです。命の危険はなくても、真綿で首を締められるような息苦しさ(生き苦しさ)があるからです。子どもは親の顔色や周囲の様子をうかがいながら、一生懸命生きようとします。ときに自傷行為や向こう見ずな行動をとったりしながら、苦しさや寂しさをまぎらわせようとしています。ですが、こうした家庭の様子は外からはわかりません。教育熱心な親と真面目な子ども、もしくは問題児と思われたりしています。
 見えにくいトラウマは、実は、身近にたくさんあるのです。

恐怖と裏切り

 トラウマには、2つの特徴があります。ひとつは、命の危険を感じるほどの恐怖体験であることです。人間にとって、危険を察知することは動物として最優先される反応です。恐怖を感じると、安全の感覚が失われ、周囲を警戒して落ち着かなくなります。睡眠や食事、外出、学習、家事や仕事といった日常の営みを送ることが困難になり、精神的に不安定になるだけでなく、さまざまな生活上の問題が生じてきます。危機的な場面で警戒モードになるのは、生き延びるうえでは大切で役立つものですが、危機が去ったあとも「世界は危険で、誰も信用できない」と思っていると、生活できなくなってしまいます。できごとを境に、世界は一変したように感じられます。
 もうひとつは、だれもが求める愛情が得られなかったり、信頼が損なわれたりすることです。これは裏切りと呼ばれ、とくに子ども時代の虐待やネグレクト、DVやハラスメントといった関係性のなかで起こる暴力があてはまります。これらのできごとは恐怖を伴うものでもありますが、災害や事故、見知らぬ人からの暴力とは異なり、大切な人からの暴力は、身体的な衝撃や苦痛以上に「信じていたのに」というショックや絶望をもたらします。子どもにとって、親の愛情や世話を求めるのはあたりまえのニーズ(欲求)です。親を求め、親にすがり、親に甘えたいと思う子どもが殴られたり、無視されたりするのは、子どもにとって裏切りの体験にほかなりません。
 子どもへの性暴力も、子どもの信用や純真さ、好奇心などを悪用した行為といえます。加害者は、子どもと一緒に遊んだり、親切を装って世話や指導をしたりしながら、子どもに接近します。幼い子どもは、大人や年長児を信じており、自分の身に起きたことの意味がわかりません。被害の時点で、苦痛や恐怖を感じるとは限りません。違和感を覚えながらも、ふだん大人に教えられているように「言うことを聞こう」とします。手なずけ(グルーミング)と呼ばれる加害者の巧妙な手口は、まさに子どもの信用を裏切るものにほかなりません。成長に伴い性被害であったと気づいた子どもは、自分自身にも裏切られたかのように感じるのです。 

見えにくいこころのケガ

 恐怖による衝撃がどれほど大きくても、裏切りによる絶望がどれだけ深くても、その傷つきは外からはわかりません。傷口や血が見えたり、骨折やウイルスを検査で確認できる身体的なケガと異なり、こころのケガであるトラウマは見えにくいものです。さらに、「筆舌に尽くしがたい」という表現通り、言葉にできないような体験でもあります。圧倒されるできごとをまえに、人はしばしば言葉を失います。言葉にならない思いもあります。
 本人にしかわからない苦痛があるのと同時に、あまりに大きな苦痛は本人にも感じられなくなります。大変な目にあいながら、本人は平然としているように見えることはめずらしくありません。「何も感じない」と感情が麻痺したり、ときには「覚えていない」と記憶を失ったりすることもあります。本人にとっても、自分がどうなってしまったのかわからなくなるのです。

本人にも見えない傷つき

 もちろん、「何も感じない」から大丈夫というわけではありません。むしろ、こうした感情の混乱こそがトラウマによる影響です。怒りや痛みを感じるのは、心身の安全が脅かされていると気づく大切なサインです。身を守るための「非常ベル」のようなものです。ですが、こころがケガをすると、非常ベルが鳴りっぱなしで落ち着けなくなったり、逆に、危険なときでも非常ベルが機能せずに、危険な目にあいやすくなったりしてしまいます。すぐにキレたり、パニックになったり、「No」と言えずに相手に応じてしまったり。こんなふうに、こころがケガをしたままだと対人関係がうまくいかなくなります。自分自身にふりまわされているように感じるかもしれません。
 外から見えにくいこころのケガは、本人にもよく見えないものなのです。「どうして、こうなっちゃうんだろう」と悩みながら、自分を責めてしまいます。生活や対人関係の問題が重なり、周囲からも「あなたが悪い」と言われると、こころのケガは癒えるどころか悪化していきます。

トラウマインフォームドケア

 「私に何が起きているんだろう?」という視点で、こころのケガの影響を理解していくこと。そして、周囲も「あなたに何が起きているの?」というまなざしで、相手の行動を理解していくこと。このように、トラウマの知識をもって「何が起きているのか」を理解していくアプローチをトラウマインフォームドケア(Trauma Informed CareTIC)といいます。
 こころのケガは見えにくいので、「トラウマのメガネ」をかけるように、TICの視点で考えていくことが求められます。こころのケガを誤解したり、被害者を責めたりしないために、TICはきっと役に立つはずです。

 次回は、トラウマのメガネについてご紹介します。