第1回 貧乏ばあさん(BB)の現状と対策

1.現状

 “人は女に生まれるのではない、女になるのだ”  ボーヴォワール著「第二の性」(生島遼一訳)

 女性の社会的存在としての成り立ちを解明しつくしたボーヴォワールの名著は、この一文から始まっている。敬愛する大先輩のひそみにならって、私も言わせていただこう。

 “女は貧乏に生まれない。女の一生を生きて貧乏に落ち込むのだ。” 


BB(貧乏ばあさん)の多い社会は衰退する

 実態はおいおい明らかにするとして、まず高齢女性の貧困(ここではあえて貧乏ばあさん=BBと呼ぶ)がなぜ大きな社会問題であるかを述べておこう。それは何よりも明らかな数の問題である。

 今、世界中の先進国・中進国はいっせいに高齢化の道を進んでいる。寿命の伸長、少子化が同時に進み、先進国は急激に高齢者の比率の高い社会へ向かっていく。中でも日本は他の先進国に大きく水をあけた第1位。高齢化率(全人口中65歳以上比率)27%。高齢者は加齢により心身の健康が低下し、医療・介護・年金などの所得保障などの社会的費用が増大する。どの国でも平均寿命は女性が長く、ひとくちに「高齢者人口」と言っても、出生時(男女ほぼ半々)と違って加齢と共に女性の比率が増え、一般に男女比は6:4。特に医療を含めた社会的支援を必要とする80代以上となると、女性人口は男性のほぼ2倍に達する。平均寿命(先進国で5~7年女性が長い)の差が高齢期の人口性比につながっている。

 つまり、もし男女によって高齢期の経済力に差があるとすれば、そして多数派である女性の側がより貧しいとすれば、社会全体のありようにマイナスの影響を与えざるを得ないだろう。

 経済的貧困は健康に直結するから、BBの数と比率が増えるほど、医療など社会的な支出をますます増大させる。BBの増大はより貧乏な全体社会の遠因になりかねない。日本の場合、2015年で80歳以上女性が全人口の5.1%、2030年にはさらに増加して8.3%と全人口の1割近くを占める。これだけの人口が、より貧しさの中にいるとしたら、「人生100年」がキーワードになりつつある社会全体の豊かさの足を引っ張りかねない。

 これから否応なく突入する超高齢社会の雰囲気を左右するのは、人口で多数派を占める「おばあさん」の動静である。高齢女性が年をとってもそこそこの元気さを保ち、地域社会に参加し、必要な医療や介護を受けるシステムが整い、一定の豊かさを持っているとしたら、その高齢社会は安定と希望に満ちているだろう。おばあさんが経済的、社会的に貧乏であるか、幸福を保障する経済力を持っているHB(ハッピーばあさん、働くばあさん)が多いか、社会の雰囲気の鍵を握るのは重ねて言うが多数派である「おばあさん」の動向、特に経済的な条件である。


2.貧困の実態 その理由

老いて男女の貧乏比べ ―まず命綱は公的年金―

 近未来の日本が、これまでの常識を覆す人口構成、世帯構成の変化に出会うことはすでに述べた。その特徴は、人生80年→100年になる「予測を上回る老年期の長さ」であり、もう1つは予測しきれなかったほど早い少子化をはじめとする家族(親族)の減少・消失である。老いの家計に、家族はほとんど頼りにならないファミレス(family-less)社会がやってきた。

 今すでに高齢期(65歳以上)の収入源は、何といっても年金である。高齢者世帯とは65歳以上の人のみ、またはこれに18歳未満の未婚のものが加わった世帯であるが、まず「収入は年金のみ」の高齢者世帯が過半数の54.2%を占める。これに「全収入の80%以上」を加えると、全高齢者世帯の66.2%と7割に近い。

 その年金の受給額をみると男女格差がはっきりする。最近の厚生年金(共済年金)の最も新しい平成29年度(2018年度)の数字をみてみよう。言うまでもないが、老後の貧富を左右する年金制度の中で、最も高額で頼りになるのは厚生年金に代表される被用者年金である。日本の老後の所得保障は高度経済成長を支える被用者中心に設計された。ということは男性世帯主の終身雇用を前提とし、女性の被用者はごく若い時期を除きほとんど存在しないことを前提としている。その結果、女性が妊娠・出産を経ながら男性と同じ定年まで働き続ける道は、1985年の女性差別撤廃条約批准までは一部の職種を除いては至難の道であった。

 次号で少し詳しく書くつもりだが、現在と近未来の高齢女性は、政府や企業をはじめ当時の「常識」が提唱していた「男は仕事、女は家庭」というテーゼを忠実に守り、家庭と家族につくしてきた人たちである。今になって、この少子高齢社会の経済がそれでは回らないとわかって、急に女性活躍の、一億総活躍の、と言い出しているが、個人として働く道をほとんど奪われ、その結果貧乏になった老女たちの生活保障は「補償」と言ってもおかしくない政府の義務だと思う。

 年金額は、標準報酬月額(現実にその人が稼働して得た賃金)と勤続年数を基本として算定される。「平成29年度 厚生年金保険・国民年金事業の概況」によれば、直近(平成29年度末)の標準報酬月額は31万円とあるが、かっこ書きで「男性は352千円、女性は24万円」とあり、双方とも前年比増とされている。肝心なのは、標準月額の格差であろう。女性の報酬(賃金)が男性に比べて低いことはよく知られているが、年金が基本的に「所得」に「勤続年数」を乗じたものであるからには、老後の命綱である年金収入が貧しくなるのは理の当然である。「月額」でなんと11万円、女性の報酬を基準にすれば50%もの差である。
 言うまでもなく、一口に公的年金と言っても、比較的高額なのは厚生年金に代表される被用者年金(厚生年金のほか公務員の共済年金、船員年金など)であり、出発点は戦前に発し、戦後昭和20年代後半に今の制度の原型がつくられた。働く女性は僅かながら戦前も存在していたが勘定に入らず、女性も仲間入りさせてくれたのはこの戦後の再出発からである。しかし当時は、女性の若年定年制をもつ企業も多く、女性は結婚退職(寿退職)が常識の時代だった。1950年代に2年足らずで第一の職場を退職した私も、恥ずかしながらその1人であった。当時の書類にはきっと私が払い込んだ厚生年金の総額が「脱退手当金」として退職金の中に書き込まれていたに違いない。周知のように、被用者年金は、労働者が毎月の賃金の中から収入に応じた保険料を納めるが、雇用主が同額の保険料をその労働者のために納入することになっている。他の公的年金と比べて、被用者年金が有利なゆえんである。
 老後の生計の中心をなす公的年金をいくらもらっているか。厚労省発表の「年金制度基礎調査(老齢年金受給者実態調査)」(平成28年)によると、本人の公的年金平均額(年額)は男性が185.1万円、女性が105.9万円であった。男性で最も多いのは200~300万円で男性全体の41.3%を占める。これに対して女性は50~100万円が最も多く40.7%で最多となっている。この「年金額」は被用者年金も国民年金も合算されている。年金受給者の「現役時代の職業」をみると、男性は「正社員中心」の69.4%が最も多く、「自営業」14.3%。一方、女性は第1位が男性同様「正社員中心」であるものの21.8%と低く、男性と比べるとほぼ3分の1に過ぎない。女性の「現役時代」の仕事で第2位を占めるのは「常勤パート中心」15.6%、「自営業」が14.7%、「収入を伴う仕事をしていない」が同じく14.7%。このグループは厚生年金第3号被保険者で、無職または低収入の、サラリーマンの妻であろう。要するに年金額が男女で大きく異なることを示す数字である。つまり、年金は安月給イコール安年金。その上、年金を決定するもう一つの要素である勤続年数が短いから、それらが改善しない限り女性の年金は増えるはずがない。そもそも、被用者年金を受給できる女性の数が少ないのだ。被保険者数でいうと男性2,442万人、女性1,470万人で、女性は1千万人少ない。

 だから、この大差、格差の厚生年金であっても、被用者年金のある女性は、現在においては、本人の勤勉の資質もさることながら長年働き続けることが可能という幸運に恵まれた方たちである。今年60歳を迎える女性の就職期は大卒の場合ちょうど男女雇用機会均等法導入の前後で、女性の採用基準もまちまち。すでに制定されていた育児休業制度も「絵に描いた餅」である企業も少なくなかった。だから「年金」までたどり着けた女性は何らかの幸運に恵まれた人たちだ。


なぜおばあさんの貧困は見えにくいのか ―統計にみる女性の埋没―

 その割に「おばあさん」の貧困は見えにくい。日本が猛スピードで高齢社会に突入して以来、老いをめぐる諸問題は個人的にも社会的にも論じられてきたが、性別で言えば、会社一辺倒の生き方が定年によって断ち切られる男の老後のマイナス面がクローズアップされてきた。粗大ゴミやぬれ落ち葉。逆に女性は衣食住の自立、豊かな人間関係、地域との交流などなど。そういう一面もあって、老いた女性の貧困問題はあまりクローズアップされなかった。老女の貧困が見えにくかった理由は他にもあるが、今回ここで政府はじめ公私の統計から、女性の現状、特に高齢期の女性の実態が見えにくくされていることを指摘しておきたい。その年の新規裁定年金額は10年ほど前は男女別に発表されていたが、最近は男女平均額である。可視化、見える化という言葉があるが、「難視化」とでも言うべきか。隠蔽というわけではないだろうが、データがあるにも関わらず男女の違いを分かりやすく見せていない。

 すべて問題の認識は、実態を示す統計の数字から始まる。女性の現状も、平均値の中に埋没させず、女性の置かれた状況を正確に示すべきだ。年金に関する統計は、男女別の数字を明らかにしてほしい。こうしたジェンダーに敏感な統計があって初めて人々は正確な実態を共有できる。私たちが問題を理解し共有する機会を提供するのが公的調査機関の責務ではないだろうか。統計にジェンダーの視点からの検討を、女性の現状の容易な可視化を今ここで指摘しておきたい。