第3回 <男らしさ>の鎧を脱ぐために

1.はじめに

 これまでの、男性たちが無自覚に縛られてきた<男らしさ>についてあれこれ述べてきた。となると、当然、次のような質問が寄せられることになる。
 「確かに男性も<男らしさ>に縛られて窮屈な思いをしてきたと思う。それなら、どうやったら、この<男らしさ>から自由になれるのだろうか」。あるいは、「自分の夫を見ていると、ほんとにメンツにこだわって、困る。なんとか、夫の生き方を変える方法はないですか」。
 もちろん、「黙って座ればピタリ」という具合に、誰にでもあてはまる処方箋が準備できるわけではない。というのも、人の性格は多様だし、実際の生活環境も人によって異なるからだ。

2.まず気づくことから開始しよう

 とはいっても、自己変革のために、それなりの筋道はあるように思う。ぼくは、この流れを「気づき」から「認識」へ、そして「体験(実践)」へという三段階で考えている。 まずは「気づき」の段階だ。というのも、男性の多くは、自分のまわりのジェンダー(文化的・社会的につくられた性別のこと。<男らしさ><女らしさ>などは、その現れということになる)問題について、ものすごく鈍感だからだ。
 ひとつ例をあげよう。大学の新入生などに、「女性問題」や「男性問題」についての簡単なレポートなどを書いてもらうことがよくある。そうすると、ラディカルな意見であれ、またときには保守的な意見であれ、どう見ても女子学生の方ができがいいのだ。いずれにしても、女子学生の方に、ジェンダー問題について、自分なりの認識と意志表明がきちんとできている者が多い。
 一方の男子学生はといえば、ほとんどがワンパターンで、しかも、多くのレポートがきわめて保守的なのだ。典型的なものを取りあげてみよう。「ぼくは男女平等には賛成です(と、まずは書く)。でも(と、前言をひるがえし始める)、男と女は生物学的に異なる性です(まあ、それは一般にそうでしょう)。女の人は子どもを産みます(産まない女性もいるし、現実には産めない女性もいるのだが、まあ、目をつぶろう)。だから、子育ては女の人の方が向いていると思います(これは、現在の国際常識に照らしても、おそろしく古い考え方だろう)。というわけで、男が外で働いて、女性が家庭を守るのが自然だと思います(おいおい、こんな考えで女性たちと今後うまくやっていけるのか)。しかし、現在は、女性たちが意識を変え始めているので、今後は、男女平等の方向がますます強まるでしょう(という、嘆きなの希望なのかわからない終わり方までワンパターンのものが目立つ)」。
 あるとき、男子学生の六割ほどが、こうしたパターンで書いているのを見て、唖然としたことがある

3.男性社会と男性の鈍感さ

 なぜ、こんなに男女差があるのだろう。理由ははっきりしている。現代の日本社会が男性中心社会だからだ。男性中心で回っている社会で、男性たちは、ジェンダーの問題と直面することがほとんどない。でも、女性だったら、さまざまな場面で、「自分が女であること」で、不利益を味わっている(小学校の男女別の出席簿で、「アレ、なんで男が先なの」から始まって、さまざまな問題と直面し、それなりの判断を身につけているのだ)。そもそも進学のときに、「女だから浪人するな」とか「あまり偏差値の高い大学に行くと結婚のとき不利だ」などというプレッシャーがかけられている。しかし、男子学生のなかで、「卒業後、結婚したら退職することになるかもしれないから、それも考慮に入れて」などと考えている者は、まずいないだろう。
 つまり、入り口の段階で、男性たちは認識不足なのだ。逆にいうと、気づきのためには、いろいろ工夫が必要なのだ。たとえば、「自分が女性に生まれたらどんな生き方をしたか」などと考えてもらうのもひとつの手かもしれない。女性の立場から、今の社会を見つめ直すのだ。そうすれば、いろいろな問題が少しずつ見えてくるはずだ。
 もちろん、ここまで考える男性は、すでに十分に古いパターンから自由になろうとしているはずだ。問題は、まったく鈍感な男性に、気づいてもらうためにはどうするかということだろう。女性の方から、そうした質問を受けたときには、「(宣伝になりますが)拙著『男性学入門』を、何げなくテーブルの上において置いてみてください」とか、「テレビの男性の生き方についての番組をビデオにとって、タイトルがわかる形で、男性の目につくところに置くのもいいかもしれませんネ」などという返事をすることもある。とにかく、「アレッ」と思わせるための工夫が必要だ。

4.認識から体験(実践)へ

 続いて、自分たちがかかえるジェンダー問題についてきちんと認識してもらう段階が来る。過労死の問題や中高年男性の自殺、老後の濡れ落ち葉生活や、さらには高齢化・少子化といったマクロな問題まで、男性にとってのジェンダー問題について、時間をかけて考えてもらう必要がある。本を読んだり、新聞の生活面を見たりするのもいいだろう。
 もちろん、国際社会が、男女対等に向かって動き始めているのに、日本社会がこれに出遅れているという問題を考えてもらうことも重要だろう。戦後の日本社会は、性別役割の仕組みのなかで成長を維持してきた。だから、「これでいいのだ」という思いを抱いている男性も多い。しかし、右肩上がりの経済が行き詰まり始めている現在、古い男尊女卑のパターンでやってきた日本社会が、国際的にも厳しい視線を浴びていることを、男性たちもきちんと認識するべきだろう。
 その上で、いよいよ体験の段階に入る。この体験に際して、とりあえず、別表に示した、男性の生活自立を目標にするのもいいかもしれない。ちょっとした料理をしてみる、あるいは、日用品の買い物をやってみる、さらには洗濯物を干したり取り入れたりしてみる。そんな体験は、きっと新たな気づきを生み出すはずだ。
 こうして、新たな気づきから、認識、さらには体験(実践)へと進む。こうして、男性のスパイラル(らせん)的な自己変革が始まることになる。
 今、男性たちも少しずつではあるが変化の流れのなかにいる。そして、よりよい男女の関係を確立していくために、男性に求められているのは、この変化を冷静に受け入れ、自分の生き方を変革する「勇気」なのかもしれない、とぼくは思っている。