第1回 男性問題の時代

1.はじめに

 15年前の1989年の暮れ、新聞紙上で、ぼくは、次のような「予言」をした。「国際的な女性の運動の動きに対応して、1970年代から80年代にかけて,他の国々と同様、日本社会においても、女性問題についての多くの議論や運動があった。性差別という人権にかかわるこの女性問題は、今後、さらに重要な課題となるだろう。そして、こうした動きに対応するかたちで、1990年代以後の日本社会では、男性問題の時代が開始されるだろう」。
 この「予言」はどうも的中したようだ。当時、「現代日本社会で男性もまた多くの問題をかかえている」という声は、ほとんど語られることはなかった。それが、90年代に入ると、予想通り、さまざまなメディアが、「男性もまたこの男性社会でさまざまな矛盾や問題をかかえている」という意味での「男性問題」について語り始めたからである。

2.いじめ自殺の八割以上が男の子

 男性問題は世代を越えて広がりつつある。日本においては、そのひとつの例として、いじめ自殺をあげることができるだろう。というのも、自殺した子どもたちを、ジェンダー・センシティーヴな(社会的に作られた性別という問題に敏感な)視点から見ていくと、はっきりわかることがあるからだ。1980年から2000年にかけて、いじめによる自殺と報道されたケースを見て行くと、すぐに見えてくることがある。いじめによって自死に追い込まれた子どもの八割以上が男の子なのだ。
 このことを別の角度だから考えてみよう。「いじめ電話相談」を開設している保阪展人さんたちの書いた本などを読むと、「いじめ」で電話をかけてくるのは圧倒的に女の子だという。つまり、いじめ自殺という点では多数を占める男の子たちは、いじめ電話相談とコンタクトをとりたがらないのだ。
 そこに、「男はこうあるべき」という強い思い込みは影響していないのだろうか。男の子たちは、幼児段階から「男は泣くな」という縛りがかかる。こうした「男は弱みをみせてはならない」「男は自分の感情を表に出してはならない」「男はがまんできなければならない」といった〈男らしさ〉の縛りが、男の子たちを電話相談から遠ざけているということはないのだろうか。

3.日本の中高年男性がかかえる問題

 中高年世代の男性にとって問題はより深刻かもしれない。過労死はその代表例だろう。過労死で亡くなっているのはほとんどが男性だ。その数、推定で年間数万人という。産業構造の変化やそれにともなう労働形態の変貌、さらにリストラの波もまた男たちを苦しめている。その現れとして、ここ数年、広がりつつある40代・50代男性の自殺率の上昇がある。こうした男性の自殺の急増の背景には、リストラの動きや産業の「高度化」にともなう労働の変化、価値観の変容、複雑化・多様化する労働形態、女性の社会参加の拡大などなど、多くの複合的な原因がある。いずれにしても、40代から50代の、それも男性の自殺率が急上昇しているということは、背後に明らかに男性受難の時代が控えているということだろう。 そして、ここにも、<男らしさ>の縛りが存在しているように思う。弱みを見せまいと感情を抑圧し、「自分のことは自分一人で解決すべきだ」と家族にも悩みを語らない男性たちの姿がそこにはあるように思うからだ。ひとりでつらい思いをかかえこんだまま我慢に我慢を重ねて、ときには過労死や自殺という悲劇にまで至る男性たち。男性問題は深刻だ。

4.定年後の男たち

 さて、さまざまな危機を乗り越えて、「老後は妻と二人でゆっくりと第二の人生を」などと悠然とかまえている男性たちも、実はそれほどのんびりしていられない。定年離婚の危機が迫っているかもしれないからだ。
 定年の日、「ちょっとあなた話があるの。・・・・これまで、あなたの仕事を私は陰で一生懸命支えてきました。でも、これからはあなたは仕事をする必要がなくなるわけです。これを機会に、私も、あなたの世話をするという仕事をやめたいと思います。もちろん、退職金の半分を私はもらう権利があると思います。それではさようなら・・・」というわけだ。
 定年離婚まではいたらない場合でも、仕事がなくなった定年後の男たちの生活には、さまざまな問題が控えている。それまで「仕事人間」として頑張ってきた男性たちの生活スタイルは、定年後の男たちの生活に大きな変化をもたらす。なにしろ自分のアイデンティティを支えていた「仕事」「肩書」「名刺」がなくなるのだから、その精神的ショックは大きい。それは、ある種の空虚感をもたらすだろう。実際、定年退職直後、病気になる男性が多いといわれる。とはいっても家庭に自分の居場所があるわけでもない。仕事第一で、家庭でのコミュニケーションも十分でないままに、「妻は黙っていてもわかってくれているはずだ」と思い込み、家事や育児は妻まかせでやってきた男性たちだ。テレビのスポーツ観戦と接待ゴルフ以外の趣味もなく、仕事以外の友達関係もほとんどない。PTA活動や自治会活動などの地域活動は妻まかせ、そのため地域に知り合いもほとんどいない。こうした男性たちが老後を迎えたとき、待っているのは、妻たちに依存し、「掃いても掃いてもまとわりついてくる、濡れ落ち葉」の人生だ。
 なかには、定年後、男性が家にいることで妻が病気になってしまうことさえある。いわゆる「夫在宅ストレス症候群」である。それまで、「亭主元気で留守がいい」とばかり、ひりで比較的気ままに生活してきた妻たちにとって、夫の定年は、わがままなだけで家庭のことは何もできない(何もしない)人間が、生活に関与してくるのだからストレスが生じるのも無理はない。家庭に夫が居ることが、妻のストレスを生み、心身症状に現れてしまうのだ。これは女性にとっては大問題だ。でも、夫の立場にも立って考えてほしい。最愛の妻(であるはずの人)が、自分が家にいることで病気になってしまうのだ。これは、男性にとってもショックなはずだ。

5.男性の複顔主義に向けて

 それなら、男性はどうしたらいいのか。最近、「男性の複顔主義」という言葉をよく聞く。「男も仕事の顔以外の複数の顔をもとう」という提案だ。男たちの多くは、これまで、仕事の顔ばかりが大きくて、家庭の顔や、地域社会の顔、それ以外のたとえば趣味やボランティアの顔を十分作り出すことができなかった。長い人生においては、いろいろな顔を持つことが、むしろ個性的な自分を作ることにつながるのだ。こうした発想の転換が、現在の男性にも必要なのだ。そのためにも、「男はこう」という「男らしさ」の鎧=固定的な男の思い込みから離れ、もうすこし自由な「自分らしさ」に向かって、男性たちも歩みを開始する必要があるだろうと思うのだ。
 男女平等を目指す国連の活動のなかで、今年のテーマは「男性と男の子の役割」の見直しだ。国際的にも、男性問題が今問われようとしているのである。