第2回 男性の生活自立に向けて
1.はじめに
まず、男性の読者の方にうかがってみたい。「あなたは自立していますか?」と。
答えはどうだろう。たぶん多くの男性が「自立している」とお答えになるのではないだろうか。では、女性の方に、「身近な男性が自立しているかどうか」と聞いてみたらどうなるだろう。たぶん、「自立できていない」という答えがけっこう出てくるのではないか。もちろん、女性たちが、ここで問題にしているのは、経済的な面での自立ではない。女性たちの多くにとって、男性の自立といえば、しばしば「生活面の自立」が問題になるからだ。
2.男性の生活自立度チェック
それなら、男性たちは、どのくらい生活の面で自立しているだろうか?
ここで役に立つのが、男性自立度チェック表だ。男性の方はご自分のことを、そして女性の方は身近な男性の姿を頭に浮かべて(もちろん、女性の生活自立度としても、ある程度つかえるだろうけれど)、考えてほしい。さて、どうだっただろう。
「3点しかとれなかった、くやしい」という人もいるだろう。他方で、「ほぼ満点だ」という男性もいるだろうと思う。ただし、注意していただきたいのは、この表が、あくまでチェック表だ、ということだ。なぜ、こんな注意をするかというと、点数がつくと、すぐに競争してしまう人が出てくるからだ。特に、男性の集まりで、このチェック表を出すと、ついつい「どっちが自立しているか」合戦になりがちだ。成績を競うのではなくて、あくまでどの程度、生活の自立ができているかという到達度を考えるための材料として使っていただきたいと思う。 また、女性が身近な男性に対して、「あなたの自立度は、こんなレベルでしかない」という、欠点探しのような形で使っていただくのも、ちょっと困る。というのも、男性たちの多くは、頭ではわかっていても、現実を突き付けられると、極度に防衛的になる人もいるからだ。かえって、意固地になって、「くだらん」という反応をされるのでは、意味がない。「こんな表があるけど、ちょっと面白いね」的に、軽い会話の材料として使っていただくのがいいのではないかと思う。
男性の生活自立度チェック
男性は自分のことを、女性は身近な男性のことを、ちょっとチェックしてください
基本テクニック編
1 | 電気掃除機を使うことができる |
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2 | ごはんを炊くことができる |
3 | ボタンつけができる |
4 | 仕事関連以外の親しい(現在もよくつきあう)友人が複数いる |
5 | 役所への諸届はひととおりできる |
6 | 自分の飲むお茶は基本的に自分でいれる |
7 | 一人で夕食の材料をそろえることができる。 |
8 | よく一人でスーパーに買い物に行く |
9 | 収集日にはよくゴミを捨てに行く |
10 | 自分の背広・ネクタイ・靴下・下着がどこにあるかわかる |
11 | テキストなしで作れる料理が8種類以上ある。 |
12 | 週に5度以上、食後の後かたづけをする |
13 | トイレの掃除をすることがよくある |
14 |
外で堂々と洗濯物が干せる |
15 | 自分のワイシャツによく自分でアイロンをかける |
16 | 自分の服は基本的に自分で買う |
17 | 地域で今問題になっていることをひとつ以上あげることができる |
18 | 自治会などの回覧は必ず読む |
19 | 自分なりの趣味をもっている |
20 | 会うとあいさつする地域の知り合いが10人以上いる |
15点以上 | 本格的自立人間 |
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10点以上 | 生き生き人生に向けてもう一歩前進を |
7点以上 | まだまだこれからの発展途上人間 |
5点以上 | 「濡れ落ち葉」予備軍 |
5点未満 | 「粗大生ゴミ」なんて言われてませんか? |
3.「できない男」から「できる男へ」
日本の男性の生活自立ということを考えるとき、いつも、「変だな」と思うことがある。それは、戦後の日本の男性の多くが、「できない」ことを自慢してきたのではないか、と感じることがよくあるからだ。男性たちは、よくこんなことを言う。「料理なんか男ができるか」、「育児は女向きの仕事で、男にはとてもできない」、「買い物なんて格好悪くてできない」、さらには「洗濯物を干している姿を見られるくらいなら死んだ方がましだ」などなど・・・。
言い換えれば、「自分は生活者として無能である」と言って、いばってきたのが戦後の日本の男性の姿だったということだ。しかし、料理・洗濯・買い物・育児は、男性に「できない」仕事だろうか。そんなことはない。実際、ぼくは、毎日、こうした仕事を、日常の作業としてやってきたし、今後もやっていくつもりだ。そもそも、レストランのシェフのほとんどが男性だし(むしろ、ここでは女性の排除の方が問題だとさえいえる)、男性のクリーニング屋さんだってたくさんいる。買い物だって、必要な商品を見つけて、お金の計算をすることぐらいたいていの人ならできるはずだ。育児のほとんどの作業は男性にもできる(確かに、授乳はできないかもしれない。でも、全く不可能ではない。ぼくも、冷凍母乳を解凍して哺乳瓶での授乳をしたものだ)。
4.定年後の男たち
さて、さまざまな危機を乗り越えて、「老後は妻と二人でゆっくりと第二の人生を」などと悠然とかまえている男性たちも、実はそれほどのんびりしていられない。定年離婚の危機が迫っているかもしれないからだ。
定年の日、「ちょっとあなた話があるの。・・・・これまで、あなたの仕事を私は陰で一生懸命支えてきました。でも、これからはあなたは仕事をする必要がなくなるわけです。これを機会に、私も、あなたの世話をするという仕事をやめたいと思います。もちろん、退職金の半分を私はもらう権利があると思います。それではさようなら・・・」というわけだ。
定年離婚まではいたらない場合でも、仕事がなくなった定年後の男たちの生活には、さまざまな問題が控えている。それまで「仕事人間」として頑張ってきた男性たちの生活スタイルは、定年後の男たちの生活に大きな変化をもたらす。なにしろ自分のアイデンティティを支えていた「仕事」「肩書」「名刺」がなくなるのだから、その精神的ショックは大きい。それは、ある種の空虚感をもたらすだろう。実際、定年退職直後、病気になる男性が多いといわれる。とはいっても家庭に自分の居場所があるわけでもない。仕事第一で、家庭でのコミュニケーションも十分でないままに、「妻は黙っていてもわかってくれているはずだ」と思い込み、家事や育児は妻まかせでやってきた男性たちだ。テレビのスポーツ観戦と接待ゴルフ以外の趣味もなく、仕事以外の友達関係もほとんどない。PTA活動や自治会活動などの地域活動は妻まかせ、そのため地域に知り合いもほとんどいない。こうした男性たちが老後を迎えたとき、待っているのは、妻たちに依存し、「掃いても掃いてもまとわりついてくる、濡れ落ち葉」の人生だ。
なかには、定年後、男性が家にいることで妻が病気になってしまうことさえある。いわゆる「夫在宅ストレス症候群」である。それまで、「亭主元気で留守がいい」とばかり、ひりで比較的気ままに生活してきた妻たちにとって、夫の定年は、わがままなだけで家庭のことは何もできない(何もしない)人間が、生活に関与してくるのだからストレスが生じるのも無理はない。家庭に夫が居ることが、妻のストレスを生み、心身症状に現れてしまうのだ。これは女性にとっては大問題だ。でも、夫の立場にも立って考えてほしい。最愛の妻(であるはずの人)が、自分が家にいることで病気になってしまうのだ。これは、男性にとってもショックなはずだ。
5.男性の複顔主義に向けて
それなら、男性はどうしたらいいのか。最近、「男性の複顔主義」という言葉をよく聞く。「男も仕事の顔以外の複数の顔をもとう」という提案だ。男たちの多くは、これまで、仕事の顔ばかりが大きくて、家庭の顔や、地域社会の顔、それ以外のたとえば趣味やボランティアの顔を十分作り出すことができなかった。長い人生においては、いろいろな顔を持つことが、むしろ個性的な自分を作ることにつながるのだ。こうした発想の転換が、現在の男性にも必要なのだ。そのためにも、「男はこう」という「男らしさ」の鎧=固定的な男の思い込みから離れ、もうすこし自由な「自分らしさ」に向かって、男性たちも歩みを開始する必要があるだろうと思うのだ。
男女平等を目指す国連の活動のなかで、今年のテーマは「男性と男の子の役割」の見直しだ。国際的にも、男性問題が今問われようとしているのである。