第3回 「私が見たアメリカ・ドイツの子どもの遊び場」

 アメリカには、子どもの遊び場「チルドレンズミュージアム」が200ヶ所いや300ヶ所もあると聞く。  
ビルが建ち、子どもの遊び場がなくなるからと作られたものらしい。1899年から1925年くらいまでの間に次々と整備されたということだ。町の中の子どもの行き場所づくりが100年も前から考えられていたことになる。  
 NPOの仲間と、その草分け的存在であるボストンチルドレンズミュージアムを訪ねた。  
港の近く、レンガ造りの古い倉庫を利用したシンプルな外観。しかし一歩中に入ると、様々な工夫がこらされていて目を見張る エントランスから2階に上がるために、階段やスロープは当然のこと、ジャングルジムと縄ばしごまで用意されていた。子どもたちの目は、早、ギラギラと光る。  
館内に順序を指示した矢印など、どこにも見当たらない。「手をふれないでください」どころか「ハンズオン」(「どうぞさわってみて!」)が売り。  
 館の中には等身大の町が作られている。私はスーパーへ立ち寄ってみた。本物のような品揃え。子どもは買い物やレジ係を体験することが出来る。お金も用意されているので実際に近いごっこ遊びが可能になる。レジ係の少女は、すばらしく板についたしぐさを見せ、私はまるでいつもの夕飯の買い物をしているような錯覚にとらわれてしまった。  
 部屋と部屋の間に子どもがやっと通れるくらいの狭い路地が見える。その両側の面は壁の断面で、配線や配管がむき出しになっている。子どもたちは驚き、遊びながら学ぶのだ。  
砂場の部屋では10歳くらいの少年が大きなスコップを手に砂の城を作っていた。ここは水が使える砂遊びの部屋。  
 私が夢中になったのは「レースウェイ」。踏み台に登り、壁にはめ込まれたレールにポンと落としたボールが疾走する、ただそれだけのことなのに心が弾む。きっと私はボールになって壁を走っていたのだろう。  
 こうしたミュージアムを創っている学芸員がすばらしい。彼らはどうして子どもたちを驚かせようかといつもワクワクしていると言う。「ハンズオン」がチルドレンズミュージアムのキーワード、きっと故障も続出だろうに故障中と書いた貼り紙に一度もお目にかからなかった。すぐその日のうちに徹夜をしてでも修理をするそうだ。  
 何よりも魅力と底力を感じたのは、チルドレンズミュージアムがその地域に根ざしていることである。地域の特徴をいかした展示やワークショップ。地元の高校生や大学生そしていろいろな分野のプロたちの参画。勿論、運営も地域のNPOによるものである。  
そのせいか自分たちの身の丈と地域の生活に見合ったものになっていて私たちが今までに訪問したいくつかのミュージアムはみんな違って、それぞれの特色をあたためていた。  
 地域が子どもと遊んでいる。なによりも主人公は子どもたち。だからいつも賑やか。  
 日本にもいくつかのチルドレンズミュージアムが誕生しているが、観光スポットの如く大きな建物が多い。本当に必要なのは、子どもたちの身近にある親しい空間としての館ではないだろうか。アメリカにあるチルドレンズミュージアムの数の多さがそのことを物語っている。「NPOよっかいち子どものまち」が目指すところは、小さくてもいい、この地らしさを持ったチルドレンズミュージアムを作りたいということだ。  
 もうひとつ、ドイツでは夏休みの1ヶ月間「子どものまち」が作られていると聞き、出かけて行った。「ミニミュンヘン」と名付けられた2年に一度のイベントだ。その年は、かつてのオリンピック競技場が子どものまちになっていた。町には市役所や工場、デパートや図書館、レストランなど私たちの町にある建物が簡単な仕切りで区切られ並んでいて、全てが子どもによって運営されている。  
市長は言うまでもなく子どもたちが投票で選んだ子どもである。  
子どもたちは入口で住民登録をして市民になり、職業安定所へ行き、仕事を探す。600種の仕事があって、1時間働くとこの町の通貨で4ミミューの賃金を得る。大学で1時間学んでも労働と同じ額が支払われるところが興味深い。  
子どもたちは好きな仕事や学習を好きなだけすることが出来る。そして稼いだお金をこの町で消費する。使わずに銀行へ預金することも出来る。  
4時間の労働か学習で市民権を手に入れると、選挙権、参政権、営業許可、結婚、離婚などの権利が子どもたちに与えられる。  
 デパートやレストランは子どもたちでいっぱい。何しろ、売り手も買い手も作り手も子どもなのだから。  
レストランの前に立つと、子どものコックさんがスパゲティを調理中。ユーロが通用しないので大人は利用できないことになる。  
メインストリートを子どもが運転する手押しのタクシーが暴走している。かわいい警察官が取締まりに駆けてくる。ながめているだけで楽しいストリート物語。  
タクシーの製造工場や修理工場もあって、そこでは大人が子どもの工員さんの相談に乗っていた。大人はあくまでも黒子である。  
 環境研究所では白衣にメガネの少年が、私に顕微鏡をのぞかせてくれた。川の水の汚染状況を調べているらしい。少年の後に立ち、微笑んでいた女性は博士号を持つ地元の大学教授だと後から聞いた。大人は子どもの前に立ったりしないで、子どものあるがままを受け入れているのだった。  
 この子どものまちの仕掛人は大人。高校の先生たち。運営資金は市や企業が負担。レストランの食材は市内の食市場からの援助だそうだ。  
 時々本物のミュンヘン市長も遊びにやって来るらしい。今、私の目に浮かぶのは、町を清掃していた、黄色いエプロン姿がよく似合う少年清掃局員さん。  
 子どもが主人公のまち…。そうだ、松田道雄さんの子育ての本に書いてあったではないか。「主人公になった子どもは自立する」と。  
朝、町がはじまる前、会場の入口には5000人近い子どもが群れている。ドアが開いたのだろう、突然、私たちの耳に怒涛のような音が飛び込んできた。  
この音が忘れられないと言う四日市の子どもの本専門店、メリーゴーランド店主である増田喜昭さんは、昨年から行政や地元の商店の人々と協働し、四日市市で「子どものまち」への試みを始めている。  
 チルドレンズミュージアムでも、ミニミュンヘンでも、大人が子どもの幸せを願って行動していることを実感した。  
この精神は博物館や図書館、美術館でも見ることが出来た。ニューヨークの自然史博物館の中で、スーツにネクタイ姿、白髪の高齢者ボランティアらしき人が、子どもたちに囲まれながら楽しそうに誇らしげに出品物の説明をしているシーンを思い出す。そこには一編の児童文学の雰囲気が漂っていた。  
 『子どもの社会力』の著者、門脇厚司さんが、ある講演会の最後に投げかけた「子どもの本当の友だちは大人です」の言葉が、アメリカやドイツの子どもの遊び場を見て、少し私の中でわかったような気がしている。