第2回 子どもと遊ぶNPOを作った―その活動

 市の教育委員会事務局で働いていた1990年代のこと。
 市内の小・中学校から送られてくる「いじめ」「学級崩壊」などの報告や、毎年数字が大きくなっていく「登校拒否」の統計を見ていると、子どもたちの「生きにくいよぉ」と叫ぶ声が聞こえてくる気がした。
子どもたちは、学校での規則を厳しくしたり、管理したりする「対策」では解決できない何か根にある問題提起を大人に向かって投げかけているように思った。
 親が悪い、学校が悪い、地域の教育力が低下しているからなんて悪者探しをしていないで、大人がそれぞれの位置で子どもたちの声に耳をすませ、子どもたちの本当の幸せを深く考える必要があるのではないか。
児童文学『長くつ下のピッピ』の作者リンドグレーンがスウェーデンの少子化対策のための政府会議の席上で「子どもが生まれてきたくなるような社会をつくらねばなりません」と語ったそうだ。
子どもが生まれてきたくなるような社会ってどんな社会なのだろう。それは大人自身の内なる子どもに問うてみるしかないだろうと、まずは私の子ども時代を振り返ってみた。路地や原っぱ、あるいは小川や寺社の境内で友だちと日が暮れるまで遊びに遊んだ光景がその時の体のエネルギーを伴って蘇る。
 私にとって、この遊びこそが子ども時代を生きぬいた時間だった。
 リンドグレーンの評伝によれば、世界中の子どもたちから支持を得ているリンドグレーンの作品のルーツは「遊び死に」しそうなくらい遊ぶことが出来た幸福な子ども時代にあると書かれている。
 そうだ、教育家のニイルが言っているように、子ども時代は遊びの時代なのだ。
 子どもが生まれてきたくなるような社会のキーワードは「遊び」にちがいない。
 今、子どもたちは遊び切っているだろうか。
 ある女性グループが、町にある、いくつかの児童公園で、日曜日にどれだけ子どもが遊んでいるかを調べて廻ったところ、一人も遊んでいなかったと聞いた。
 その日、子どもたちは家でTVゲームをしていたのか、ディズニーランドへ出かけていたのか公園にいない理由はわからないが、町の児童公園で子どもの遊ぶ姿が見られなかった事実を知り、私は反射的に寒さを感じた。
児童公園に魅力がないのが原因かもしれないと気付き、いつも子どもたちで賑わっていると聞く東京の児童公園『羽根木プレイパーク』を観に行った。
 そこには遊具などは見当らず、大きな木以外何もない公園だった。ところが、木登りしてもいい、土を掘ってもいい、火を使ってもいい、廃材で小屋を作ってもいい、などなどしてもよいことが並んでいる。
 公園の入口には「自分の責任で自由に遊ぶ」と書いた看板があった。
 ここに子どもたちが集まってくる秘密があるのだろう。
 子どもが主人公になって自由に遊ぶ。これが遊びなのだ。誰かが言っていた「自分がやりたいことは全て遊びなのだ」と。
 大人が前に立って指導したり、お膳立てをした遊びは、遊んでいながら子どもたちにとっては遊びではないということだ。
 羽根木プレイパークでの大人の存在は、クギを抜いた廃材を運んできてくれる町の人とプレイリーダー(遊びの相談役)のお兄さんだけ。
 このような公園がわが町にあれば、きっと子どもたちは家から飛び出してくるにちがいない。ともあれ子どもが主体として遊ぶ場所や機会が必要だと強く思った。
 そこで1998年に本当の遊びの楽しさを知っている仲間と共に、NPO「四日市こどものまち」と呼ぶシステムを作って、子どもが遊ぶ活動を開始した。
 将来の目標はアメリカの大きな町には必ずある子どもの遊び場『チルドレンズミュージアム』を作ることだが、当面は「まちが子どもを育む」「まちが子どもと遊ぶ」をテーマにいくつかの催しを続けている。
 「まち」それは、そこに住む人々であり、山や川などの自然であり、商店街や港などの社会であり、町の歴史や文化、文化財の総称だと考える。
 まちと遊んでいる子どもたちは生き生きしていて、寄り添う大人にもその活力が伝わってくる。
 ある年の初夏、市の真ん中を流れる川を登った。5歳以上の子どもが100人、大人20人。十二分な下見はした上でのことだが、ケガは自分もちだよとだけ伝え、グループ分けもしないで子どもたちに自由に登らせた。私たちスタッフもそれぞれに川の中を歩く。子どもたちの親もスタッフ組だ。
 子どもたちは喜々とし、歓声をあげる。魚を追う子、川底の石に興味を示す子、どんどん登っていく子、ゆっくりと水と遊びながら進む子などいろんな子どもの姿がある。
 年かさの子が幼い子にそっと手を貸している風景を立ち止まって見ていたら、「おばさん、ここ深いよ」と、いつの間にか先に来た男の子が教えてくれた。
 「アメンボ捕ったよ」とわざわざ戻って見せてくれる子もいる。川岸に群生しているクレソンの葉を食べていると、子どもたちが集まってきて一緒に試食。
 川はごく自然に人と人をつなげてくれる。
 川の中に捨てられた空き缶を見つけた子どもが「何で川へほるんや(※)」とひとり言。この子は缶を川へ捨てたりはしないだろう。(※ 方言。「捨てるの」の意。)
 どこからかウグイスの声も聞こえてきた。
 子どもたちと一緒に川を歩いていると、川は生き物たちの宝庫だということに気づく。子どもたちが見つけてきた魚や鳥の卵と死骸はきっと子どもたちに「いのち」という目に見えないものを具体的にイメージさせてくれただろう。
私の子ども時代、普段の遊び場だったこの川は今、子どもから遠い存在になっている。イベントとして川で遊ぶことがふとさみしく思われた。

 恒例の年行事としてもうひとつ「本を持って旅に出よう」がある。一泊のバス旅行だ。
 今森光彦の写真集『里山物語』の舞台である滋賀県の棚田を散歩したり、廃校になった中学校がチルドレンズミュージアムに改築されたと聞いては丹波篠山まで出かけ、町の探検もしたり、昨年は清見村の深い森の中でお猿さんになって遊んできた。
 毎回、子どもも大人も一冊の本を持っていき、夜のサロンでこの本をなぜ選んできたかを語り合うのも楽しみなこと。
 丹波篠山で古老からのお話を、自ら正座して聴いている子どもたちの後姿が目に残る。
 まだまだ日常的に遊ぶ機会を用意することは出来ないが、最近借りた古い民家でカルタをしたり「ウソつき大会」をしたり、また月一回子どもと大人が遊ぶ「こどもお茶会」を始めている。
 子どもは遊びの天才だと思う。
 子どもたちはいつも帰り際に「今度はいつ?」とか「また来たい」「また遊びたい」と言ってくれる。
この「今度」とか「また」とかの言葉が希望につながるのではないだろうか。