第1回 子育て支援についてまず思うこと

 3月のはじめに、静岡芸術劇場で開催された「異才・天才・奇才・子ども大会」をNPOの仲間と観に行った。   
この催しは、パンフレットによると、生き生きとした個性を持った子どもたちを育て、応援することを目的に2001年から実施されている。うた・おと部門、うごき部門、誰にも負けない部門に分けられていて、学校の授業の枠を越えたさまざまな身体芸を持つ子どもたちにその才能を発揮してもらうと案内されている。
 その日、出場した子どもは70人。観客は400人の満席状態であった。
歌唱、舞踊、演劇、マジック、漫才、縄とび、空手、一輪車、楽器演奏などなど、一組が5分の発表だ。評価はしない。
 環境をテーマに、演劇を自作自演した小学校5年生の女子3人組の才智に驚いたり、小学校6年生の男の子が演じた漫才のネタは、今どきの親たちの姿ではないかと、その鋭い観察力に感心したり、小学校6年生の男の子がソーラン節を唄ったのだが、顔いっぱいの口から聞こえてくる会場に染み入る声に私は理由が分からない涙を流したりした。  
 三度の食事よりもマジックが好きな小学校4年生の男の子は、将来、マジシャンになるんだと司会者の質問に答えた。
 達人を思わせる域の芸を披露する子も、初歩の技術そのままを発表する子もみんな一生懸命。子どもたちは口々に「緊張したけど楽しかった」と話していた。
 客席からも一人ひとりの出演者に惜しみない拍手や手拍子が送られた。私も、時間とともに高まる感動を拍手で伝えながら、主催者が示している子どもに対する「まなざし」をはっきりと見た思いがした。
 何もないシンプルな舞台や、Tシャツにジーンズ姿で、飾り気のない進行をする2人の若い女性の笑顔にも、この催しが持つコンセプトがひそんでいるようだった。
 以前、臨床心理学者の河合隼雄さんが、今子どもたちのために必要な「育む」という行為を「にわとりが卵をあたためるようなもの」と話されていたが、主催者である財団法人静岡舞台芸術センターは、地域の子どもたちを親どりとなって包んでいる。
 子育て支援策を考える時の大前提に、この子どもを「育む」まなざしが必要ではないか。家族にも、地域にも、もちろん行政にも、そして企業にもである。
 先日、訪れた名古屋市内にある介護利用型アパート「ぼちぼち長屋」にも静岡芸術劇場と同じまなざしを見た。介護が必要な高齢者は当然のことだが、そのアパートにはOLさんや、子どもがいるファミリーも住んでいる。木造2階建ての昔なつかしい長屋風の建物に入ると、1階の入居者共有スペースである広い廊下で、幼い子どもたちがオモチャの自動車を走らせて遊んでいた。「休んでいるお年寄りにとって、うるさくはないのでしょうか」と問うと「子どもの声があるのが普通じゃないですか」と理事長から返されて、私は自分の質問を恥ずかしく思ったものだ。
併設されているデイケアセンターにも訪れてみると、近所の小学生が5、6人遊びに来ていた。いつものことだとヘルパーさんが笑って教えてくれる。
通所しているおじいさんやおばあさんと何やら話をしている子どももいるし、勝手に遊んでいる子どもたちもいて、そこには、ほほえましい、つくりものでない光景があった。
この居場所は、高齢者にとっても、子どもにとっても心地よいにちがいない。
ゆったりとした時間が流れるこの空間が、子どもたちの表情を真から子どもらしくしているように私には映った。  
静岡県の芸術劇場も、ぼちぼち長屋も、ごく普通に、そして自然に、子どもを育む視点をその運営に取り入れている。そのことが、施設が持っている機能に魅力と奥行きをつけているように私は思う。
フレンテみえの主催事業でデンマークに出かけた時(平成14年度調査研究事業)、ホテルの窓から見下ろした道路の整然とした美しさに私は目を見張った。そこには車の道、人の道、自転車の道が、ほとんど同じ幅で並んでいた。その中の自転車の道だけが、とてもキレイな空色だった。
子どもたちは、この道で安心して気持ちよく自転車を走らせ、町の放課後クラブや図書館に通うことだろう。道までもが子どもたちを育んでいるのだった。
 「子育て支援センター」の看板も必要であることは言うまでもないが、地域にあるいろいろな機関や人々に、子どもを「育む」まなざしがあれば、子どもたちは幸せを感じることだろう。
子育て支援は当事者である子どもにも焦点を当てた総合的な計画であってほしい。
ところで、まだまだ子育ては個人的な営み、とりわけ母親の役目と考える社会意識が強い。この意識が、子どもを「育む」土壌を創るひとつの壁になっていないだろうか。
四日市市の女性相談室へ電話をかけてきた働く女性は「保育園から、子どもの熱が高いので迎えにきてほしいと会社へ連絡があった。上司に早退を申し出ると『これだから女は困るんだよな』と言われ、あまり悲しかったので電話をしました。聴いていただいてありがとうございました」と言うのだった。
  また、先日、四日市市の女性センターで行われた、子育て真最中の女性4人を迎えた「私も働きたいけど・・・」がテーマのワークショップでのこと。 子どもが生まれるまでは、みんな働いていたそうだ。「私が仕事を辞めるなんて考えてもいなかった」と語る。
子どもが重い病気になって仕事を辞めざるを得なかった人、自分自身ががんばりすぎて心を病むまでになり退職した人、次の子が生まれて辞めた人が語る、その時の心模様は、働き続けてはきたものの、まさしく私のものでもあった。私は彼女たちに深く共感した。
「子どもが出来たから会社を辞めますというセリフは男性にはありませんねぇ」と、コーディネーターの先生の言葉が会場に残る。
夫の帰りは4人とも10時、11時ですと口を揃えて話すのを聞きながら、労働時間の短縮が、男性にとっても、女性にとっても、最大の子育て支援策かもしれないと考えた。
悪戦苦闘の子育ての中で、彼女たちは一歩外に出て、それぞれのやり方で仲間づくりを続けている。 
出来る範囲で仕事を始め出した人もいる。この社会とのつながりが彼女たちにとって、心の支えになっているようだ。
人が「私はこれから、近隣で子どもを預かってあげるよという関係を作っていこうと思う」と話した。彼女が欲しかったことだそうだ。
彼女たちの話の中に、子育て支援メニューの材料がぎっしりと詰まっている。
私は平成10年に発行された、読み物のような「厚生白書」を思い出した。白書のテーマは「子どもを産み育てることに夢をもてる社会を」。
その目指す社会は、好むと好まざるにかかわらず「男女共同参画社会」だろう。