第2回 家族と男女共同参画について その2

1.世話役割と引き換えの生活保障

 介護の主戦力となっている独身女性の中には、年金等の親の収入に依拠しながら生活をしている人がいます。この場合、彼女は親の世話をすることで現在の生活保障を得ていることになります。娘は最高の介護の担い手であるとされているために、仕事をやめてでも介護の主戦力となることが期待されます。そのために親の収入に依拠して生活をしていたとしても、介護の主戦力となっている限り、そのことそのものを否定されることはありません。しかし、独身男性が介護の主戦力となっている場合は、代わりに介護を担ってくれる女性がいないために仕方なく介護を担っている存在として否定的に受け取られます。男性が提供すべきものは、生活保障であり、世話をすることではないからです。男性は生活保障を提供し、その代わりに世話をしてもらう。女性は生活保障を受け取る代わりにその提供者の世話をする。「男は仕事、女は家庭」の性別役割分業ですが、独身で世話役割を担うということは、世話をする対象がなくなったときに、同時に生活保障も失うということを意味します。そのために、彼女たちは自分が世話をしている親から「私が死んだらあなたは一人でどうするんだろうね」などと言われたりします。
 では、誰の世話もしない代わりに自分自身で生活保障を稼いでいる女性はどうでしょう。自分は働いて自分で自分の生活の面倒を見ているから、親の世話なんかしないと言い切れるかというと、これもそんなに簡単にはいきません。専業主婦、あるいはパート主婦の姉妹あるいは義理の姉妹でもいれば、具体的な労力提供からはまぬがれるかもしれませんが、今度はその姉妹に対して申し訳なさを感じたり、恨まれているのではないだろうかという気持ちを持つことになります。この自責感や後ろめたさの辛さから逃れるために、「私は仕事をしているんだから」「私は生活がかかっているから」と居直ることもできますが、これをすると主戦力となっている姉妹の葛藤が深まる恐れがあります。葛藤を対立にしてしまわないためには、本来しなければいけないことをしていないという罪悪感を持ち続け、感謝と申し訳なさを表明し続けなければなりません。先ほど世話をすることで生活保障を得ると書きましたが、世話をしない場合には、罪悪感と世間の非難とを甘受しなければならないわけです。

2.家事の負担

生活保障と引き替えにならない「世話」が子育てです。「男は仕事、女は家庭」という性別役割分業は、ある意味で「生活保障」と「世話」との交換が成り立っているようにみえます。特に子どものいる家庭ではそう見えます。この場合、子育てを担っている女性に、「生活保障」という対価を支払うのは夫ですが、それと交換される「世話」には子どもの世話と夫の世話が込みになっています。夫の世話は一切しないで子どもの世話のみに専心して、そのことで十分とされるには、子どもが病気であるとかの特段の事情が必要です。
子どものいない家庭でも妻の半数は家事に負担感があると答えていますが、子どもがいる家庭では、その割合は6割に増えます。複数の子どもがいる家庭では、7割の妻が家事に負担感があると答えています。男性の3割も家事に負担感があると答えていますが、家事を行っているのは、「主に妻」と「妻のみ」とを合わせると8割以上になりますので、子育てを含む家事、つまりケア労働は実質的にほとんどが女性によって担われていると言ってよいと思います。

3.単身での子育て

 母親一人での子育ての場合、その「世話」には対価としての「生活保障」がありません。それどころか、自分と子どもの分の生活費を稼ぎ出し、かつ子どもの世話も一人で担うというのが単身での子育てです。母子の場合は、子どもにかかる経費が全てまかなえるわけではありませんが、児童扶養手当が支給されます。生活保障をしてくれる男性の代わりに、国が若干の保障をしているというわけです。しかし男性は生活保障の担い手そのものとされているため、父子家庭には児童扶養手当はありません。これを男性の側から見ると、自分が稼ぎ出した生活保障を与える相手が成人女性(妻)であれば自分の世話をしてもらえます。そしていい悪いはさておいて、妻が子どもの世話もしてくれますので、子どもの世話もまかせっぱなしにできるということになります。ところが、保障を与える相手が子どもしかいないとなると、対価としての「世話をしてもらえる」を与えてくれる人がいないだけではなく、子どもの世話をも自分がしなければいけません。男親一人の家庭に児童扶養手当が支給されないことは先ほども書きましたが、この家庭に支給されるのは、もし身近に世話を支給する能力のある親や姉妹がいればの話ですが、家事や子どもの世話などの女手です。

4.男性一人の稼ぎでは生活できない時代

 男性が生活保障を稼ぎ出し、その対価として世話をしてもらえる。女性は誰かの世話をすることでその対価として生活保障を得る。これを別の言い方で言うと、「男は相手の分も稼ぎ出せない限り世話をしてもらえない」となり、「女は誰か世話をする人を見つけない限り生活保障を得られない。(食べていけない)」ということになります。
 この「男は相手の分も稼ぎ出さない限り世話をしてもらえない」というのが、都市部における結婚難の理由の一つです。親と暮らしながら働いていた女性が結婚して生活の質を落とさないためには、かなりの高収入の男性と結婚することが必要です。それまでは親にしてもらっていた家事を自分でやり、かつ夫の世話もしなければいけないわけですから、相手にそのマイナスを埋めてなお余りあるほどの、高収入か魅力でもない限り結婚に踏み切れないのは当然といえます。しかしそんな高収入の、あるいは魅力的な男性が世の中にどれほどいるでしょうか。また、子どもを作らないあるいは実際の子どもの数が理想の子ども数より少ない理由として「経済的負担が大きいから」と答えている人が男女ともに7割いるように、今は子どもを育てることが非常に高くつく時代でもあります。世話をしてもらう代わりに男性が2人分、時には子どもの分を含めた3人分、4人分を稼ぎ出すのは困難な時代です。実態は崩れつつあるのに、生活保障と世話の交換が成り立つかのように、そしてそれが当然であるかのように人々に意識されているのが現状です。この意識が変わらない限り、そしてその意識の変化に見合った生活実態の変化がない限り、若い男女が結婚に踏み出すことはますます難しくなるものと思われます。