第3回 女性史研究を自分に引き寄せる

1.歴史上の女性はどこにいるか―史料探し

 近代以後の女性を探すとすれば、まず新聞、とくにローカル新聞を探して手がかりをつかみます。明治期であれば、遊廓、女学校の盛衰が目に付き、やがて生糸、織物、紡績の女子労働者が姿を現します。キリスト教の影響や工場のストライキに目を見張り、東京から愛国婦人会や平塚らいてうたちの『青鞜』、その他同窓会や婦人問題研究会など組織的な活動の波が及ぶのは20世紀に入ってからです。新聞には「家庭欄」が設けられ、大正デモクラシー期には、女性も取材されたり、投書したり、婦人雑誌の読書会をつくったり、活動をしています。また、繰り返される戦争の明暗、遺族や残された家族の生活難も記録されています。
 新聞記事をもとに年表を作り、生きている人を探す出発点が新聞にはあります。男女平等や生活向上の願いは、さまざまな行間に書き込まれています(愛知女性史研究会編『写真でつづるあいちの女性史』郷土出版社、1994参照)。
 学びたい、調べたいことが自分のなかで目覚めてきたら、ためらわずに図書館へ行き、司書に相談してみましょう。郷土室、郷土の棚には、たくさんの回想や研究、調査、記録、自治体史が並んでいます。読み重ねれば、自分が何をしたいかいっそうはっきりしてくるでしょう。

2.史料をつくる―先輩の話を聞く―聞き取り 

 女性の地位が低かったために、教育はまず男の子から、女は新聞や本を読むものではない、生意気になる、まして書くなんてとんでもない、女は裁縫・洗濯・掃除・子育てができ、家業に励んで跡取り(男の子)を産めばよい、男性・年長者・学校の教えに従っていればよいと言われました。ですから女性自身の書いたもの(文献資料)は少ないのです。わかりたいことがはっきりしたら、関係者を探してなぜそう思い、どうやって困難を克服し、失敗をやり直し、やりたいことを貫いたか、話を聞くことができます。その場合も、年表がつくってあれば、芋づる式に話の内容を豊かにしてもらうことができるでしょう。どれだけ準備したか、わかりたい熱意があるか、聞く人の知識や想像力がたっぷりあるかが、聞き取りを成功させる鍵です。テープをとったり、公表する承諾を得るなど、話し手の信頼を得ながら実行することになります。
 けれども生きていなければ話は聞けません。これまでどれほどたくさんの人生が埋もれてしまったことでしょう。民衆男性の人生も消えてしまっているのですが。
 自分の人生を書きとめることから始めてみれば、わかりたいことがどういう風に埋もれているか、あらためて考えることが出来るかもしれません。既にある聞き書きを読んでみると、聞き方を学べることでしょう。ひとつひとつ、どうやれば目の前の壁を越えることができるか考えながら歩くと、継続は力です。

3.女性史のレールを自分で敷く

 私は名古屋に来て暮らしにくさを痛感し、日本国憲法のもとで20年たってもこんなに女性が生きにくいのなら、もっと生きにくかった昔を変えてきた女性の歩みを明らかにしなかったら、私にとっての日本史学はなんだったのかということになると、女性史を学び始めました。自分を解放する女性史学を勉強しようと決めたのです。女性史の研究会に参加し、図書館に通って新聞を書き写し(コピー機などありませんでした)、統計はそろばんで集計し(計算機もありません)、親切な人々に支えられながら、まとめていきました。新聞の投書欄は、私のお気に入りだったのですが、投書者の集まりがあって、女性名の男性が現れたりして、ガクッとしたこともありました。間違いない女性を探して、婦人雑誌の読者会の参加者なら、新聞の座談会なら、と広げていきました。資料を持っている人に出会い、その友人にも話を聞き、その体験からまた資料を探すという風でした(伊藤康子「私自身の解放のために」総合女性史研究会編『女性史と出会う』吉川弘文館、2001参照)。国会図書館や市川房枝記念会図書室に通い、社会教育や母親運動の人脈をたどって、私はたくさんの幸運に恵まれました。
 女性史をやっても多分お金儲けにはつながりませんが、生き甲斐には結ばれます。大学で日本史を学んだわけではないのに、地域女性史にかかわって、はまってしまった人が、全国女性史研究交流のつどいには集まっているのです。

4.あなたも女性史の輪のなかへ

 第4回ユネスコ国際成人教育会議宣言(1985)は、学習の権利を「自分自身の世界を読みとり、歴史をつくる権利であり、教育の機会に接する権利」と指摘し、学習活動は「あらゆる教育活動の中心に位置づけられ、ひとびとを、できごとのなすがままに動かされる客体から、自分の歴史をつくり出す主体にかえていくもの」と述べています(『婦人白書 1986』)。女性史を学ぶことは、大人の教育(生涯教育)の中核に据えていいものと私は考えます。
 女性にかかわることは、建前と本音、宣伝と実態がかけ離れがちです。残念ながら、日本の男性は企業に対して、人間として余裕のある生活を主張できていません。労働時間が長く、自分の子どもを育てる時間さえ失っています。女性より賃金が多いというようなことに優越感を持ちがちです。女性はきんさんぎんさんのようにこういう社会環境の流れのままに動かされる客体から、学習で抜け出す必要があります。
 私たちは、頼んで女性に生まれたわけではありません。自分に責任の無いことで悔しい思いをするなら、悔しい思いをなくしてきた歴史を自分のこととして考えてみましょう。
 そのような仕事を積み重ねてきた各地の女性史集団は、高齢化がすすみ、従って少数になってきましたが、住んでいる地域を愛しているから、地域の先輩に敬意を持っているから、粘り強く、女性史学習・調査・研究を楽しんでいます。
 女性史の仲間がもっと増えることを期待しています。