第1回 女性史を学ぶ意味

1.きんさんぎんさんの歴史から考える

 1990年代、日本で最も有名だった女性、きんさんぎんさんは、1892(明治25)年愛知県鳴海村(現在の名古屋市緑区)の小作農家に生まれました。きんさんぎんさん誕生の3年前には大日本帝国憲法が発布され、東海道線が全線開通し、生まれた翌年には、ニュージーランドで、世界初の国政での婦人参政権が実現しています。近代日本の政治・経済が急速に整備され、世界に視野を広げれば、男女平等を含む民主主義が展開される時期でした。
 きんさんぎんさんは矢野家の最初の子どもでしたから、5、6歳から草取り、そして子守りや家事の働き手になります。小学校に行くのもふたごだから1日おき、かわりばんこに学校へ行き、家で働きます。12歳ごろには夜なべに糸紡ぎ、さらに機織、針仕事、「人間は遊んでいるのが一番いけない」を生活信条とするように育ちました。
 初月経が訪れて1、2年、見合いをして、親が決めた話にはハイというしかありません。母親は「よそさんの御飯をもろうて暮らしを立てるだから、おなごはな、辛抱の上に辛抱だでね」といい、つらいことがあっても、出戻り(離婚)は生きていられないほどのことと思っていたので、我慢するしかありません。きんさんは38歳までの19年間に11人の子を産み、5人は早世しました。生むその日まで働き、産後は3日ほど休んで田畑に出ます。嫁は子どもにかまう暇があったら働け、子どもの死に泣く暇があったら働け、と言われます。痛風になっても働き、跡継ぎの男の子を産むのを期待されます。こういう人生を振り返って二人は、「いまは恋愛とかちゅうて、そりゃあええ世の中、なんでも自分で決められるもん。」「いまはええわなあ。性格が合わんとかで、いややったら、すぐ離婚だもん」「戦争は絶対反対」と、昔は言えなかった意見を述べています(綾野まさる編『きんさんぎんさんの百歳まで生きんしゃい』小学館、1992)。
 従い耐えたきんさんぎんさんは、本当は自分で自分の人生を決めたかったのです。働くのはいとわないけれど、空襲で逃げ回り、弟が戦死した戦争に異議申し立てをしているのです。無名の女性が100年生きた本音は、民主主義社会でこそ主張できるのでした。日本の普通の女性は、自分の本音に気がつかないように従わされ働かされていたのでした。

2.女性も男性も自分が納得できる人生を

 きんさんぎんさんは、ふたごで100歳になったために有名人になり、それまで埋もれていたごく普通の女性の生活や想いを話して、「歴史」として残しました。「親も地域の人たちもみんなそうしていたから」我慢する、「学校や親が教えたから」従う、そして女性は泣き、あきらめるきんさんぎんさんのような人生を、今納得できますか。男性は家の中では女性の上に立つけれど、姑は嫁の上に立つけれど、家族の上には天皇・国家があって、男性も親も従わせ、耐えさせます。そして、そういう現実を霧の中に隠して、日本社会を支配していたのではないでしょうか。
 明治維新以来1945年第二次世界大戦に敗北するまで、日本は16回海外出兵をしているのですが、組織的な暴力、組織的な人殺しが不思議とされなかったことを、普通の生活者の目であらためて考えるべきでしょう。人間を大切にする社会なら、恋愛も離婚も、自分の運命は自分で選びたいし決めたいのです。
 きんさんぎんさんは、あの笑顔で、ユーモアあふれる言葉で、背中が丸くなってもしゃんとした受け答えで、日本中のアイドルになり、「元気を貰った」と普通の人たちから評価されました。決して楽しいだけの人生ではなかったのに。でも百年生きて、「いまは幸せ」と思える事実が、二人を元気にさせ、民衆の歴史を考えさせることになりました。私たちも私たちの歴史的な生活の事実と、本当はどう生きたかったのか、生きようとしたのか、生きてどうだったのか、失敗したらやり直しはどうするか、そういった体験や想いを社会の中で考えるとき、もっと楽しい、生きる力がわいてくる、そういう人生を選び取ることが出来るではないでしょうか。
 日本女性史には、私たちの人生を、社会の中で検討させるきっかけがたくさんあります。女性史を読む人、調べる人、書く人が増えると、歴史は私たちのもっと身近な存在になると思います。

3.十分評価されていない女性

 1990年ごろ、私の子どもの教科書を調べてみました。『中学歴史』(大阪書籍)に収録されていた男性127人に対し女性は8人(5.9%)、『高校日本史』(山川出版)では男性783人に対し女性は32人(3.9%)でした。歴史上の人物として記録される女性はごく少数、それは歴史が支配する人々を中心に描かれることが多いからではないでしょうか。
 歴史教科書だけではありません。国連は「国連婦人の十年後半期行動プログラム」(1980年7月31日採択)で、「歴史学においても、男性が女性を隷属させ、搾取し、抑圧し、支配していることを十分に説明していない」「現在、婦人は世界の成人人口の50%、公式な労働力の3分の1を占めるのに対して、全労働時間の3分の2を働き、世界の所得の10分の1しか受けとっておらず、世界の資産の1%以下しか所有していない」と記しています(『婦人白書 1981』草土文化)。
 人類の半数は女性です。よく働き、人を愛し、子どもを生み育ててきました。それなのに、なぜ女性はそれにふさわしい評価をされてこなかった、また今もされていないのでしょうか。歴史学はそこを十分に説明しなければなりません。それに、今生きているこの地域が、女の子を人間として男の子と平等に扱わなければ、もっと居心地の良い場所を求めて、女性はこの地域を捨てるかもしれません。
 私たちの住む社会は、この60年、100年を見ても大きく変わりました。誰が、どのようにして変えたのでしょうか。きんさんぎんさんが、つらくて泣いた陰にあった願いが、やがては社会を動かす原点になったのではないでしょうか。普通に生活する人が歴史の変化とどうかかわるのか、女性の側からみるとよく見えるかもしれません。
 女性史を学ぶことは、私たち自身を社会の中にみつめなおすことにきっとつながります。