第2回 日本女性史研究のあゆみ

1.女性史研究の出発

 女性史研究の先駆者高群逸枝によれば、明治・大正期には女学生や家庭への教訓・読み物として女性の伝記が書かれていました。その後も女性は男性より劣り、本来の仕事は家庭にあるけれども、必要な時、つまり非常時・戦時には、女性の自覚と力の発揮が必要と、天皇制国家に献身する良妻賢母主義を強化する女性史が支配的でした。しかし、なかには民衆女性の生活や勤労を掘り起こし、健全な人間関係を育てていることをみつめたり、あたりまえの暮らしに衣食住への心遣いを見た民俗学からの仕事、唯物史観から跡づけようとした仕事も始まりました。女性活動家は、女性解放運動をふりかえってまとめ始めました。女性に深い感慨を持って受け止められたのは、高群逸枝『母系制の研究』(1938年)ですが、高群自身はこれについて、それまで女性についての歴史であった女性史を、女性の立場による歴史研究の学問に変え、女性史の解明で、女性解放への歴史的根拠を明らかにし、男性中心の歴史観をただし、人類進歩の正常化に役立たせたいと切望したと言っています。

2.通史、啓蒙の意味が強い女性史―1960年代まで

 第二次世界大戦に敗北して、世界の民主主義が日本に流れ込み、男女平等は考え方としては当然になり、日本国憲法を初めとして、法律・制度は個人の尊厳・男女平等を基本とするようになりました。女性解放の知識を求める期待にこたえて、1947年10月以降本格的女性史があらわれ、高群逸枝、玉城肇に続き、「すべての日本女性の実生活、その苦しみとよろこび、そのしいたげられたすがたとその解放のたたかい」を明らかにしようとした井上清『日本女性史』(三一書房、1949)が爆発的に売れました。1950年代は「母の歴史」を書こうと呼びかけられ、戦前の婦人運動家の自伝・聞き書き、年表・資料も出版され、女性が主な書き手になって、近代女性史が積み重ねられました。1960年代初めには現代(戦後)女性史も出版されます。多くの女性がさまざまな活動に参加するようになって、団体・集会の運動史が、10年、20年の節目に出てきます。日本女性史は多様な姿を持つようになりました。

3.女性史論争と女性史ブーム

 1970年前後、村上信彦が体制に順応するしかなかった大多数の女性の体験の結集を追跡する女性生活史が必要と問題提起したのに対し、女性解放運動を軸とする女性史を主張する若い女性研究者との間で熱気ある女性史論争が起きました(古庄ゆき子編『資料 女性史論争』ドメス出版、1987参照)。生活史か解放史かの論争は、女性解放を願っている一致点と生活史・解放史を統一した女性史の確認で収束し、文化史も柱にすべきなどの提案もありました。

 他方、1965年から1981年にかけて、女性の人物像を作家が描く10巻前後の大手出版社によるノンフィクション女性史が出され、第2期女性史ブームといわれました。取り上げられる女性は文化・芸能・社会面中心で、社会活動家は少数でした。高度経済成長の中で育った若い女性たちは、男女平等の考え方は定着しても、恋愛結婚が正面から反対されなくなっても、選択の幅は広くなっても、一生自立した生き方ができるかと迷えば、困難は山のようです。どのように生きるか模索する時、過去の女性の生き方を尋ねてみたくなることでしょう。それが第2期女性史ブームの基盤にあると思われます。

 ちょうど、1975年国際婦人年、つづく国連婦人の十年、「平等・開発・平和」の旗のもとに、地球規模で女性の社会的地位向上へ向かって行動する時代が来ました。

4.歴史研究者による実証的研究

 戦後、大学で学び育った女性たちが中心になって、女性史研究に意識的な努力を開始したのは1970年代です。1973年、早稲田大学出身者による近代女性史研究会が発足、『歴史評論』は年一度、女性史研究の特集号を編集すると宣言しました。1975年、ドメス出版は『日本婦人問題資料集成』全10巻刊行に踏み切り、近代婦人雑誌の復刻も本格化しました。1976年、関西で研究者主体の女性史総合研究会が設立され、間もなく首都圏に波及しました。こうして女性史研究の文献目録、研究史、論文、組織が育てられ、歴史学界もその成果を認め励ますようになりました。
 女性史研究は長い間、在野の、民間の学問・研究でした。だからこそ女性解放への深い関心、強い自主性が培われました。1980年代、日本女性史は学界で市民権を得たのですが、そこからどう研究を支えあい、発展させるのか、新しい課題が出てきました。

5.地域女性史研究と女性史のつどい

 最も早く組織された地域の女性史集団は、愛媛県松山市に1956年誕生した女性史サークルです。でも1970年代まで、どこにどのような女性史集団や成果があるかわかりませんでした。当時、それぞれの研究成果は、自費出版のパンフレットにまとめるか、良くて地方の出版社から出され、地域の友人に買ってもらい、地方紙に紹介される程度でした。世界の、東京初め大都会の、政治の動向が生活圏にもたらされた時、普通の女性の生活と想いはどう変わり、逆に世界に影響を与えるか、その交流が解明されてこそ、女性の歴史の全体像が明らかになります。自主的な交流の場を自分たちで設定して、深い女性史研究を進めようとされました。
 1977年8月、名古屋で初めて女性史の集いが開かれ、以後2~4年おきに、北海道旭川、首都圏、松山、沖縄、山形、神奈川、岐阜、新潟、奈良(第10回、2005年)で開催されています。最初集まったのは29集団159人、奈良には430人が参加しました。女性史を勉強したい人、研究している人、情報を求める人、行政関係者・女性団体や教育者たちが、研究の手がかりを得たい、交流したい、元気をもらえるか、本を売ろう、励ましを得ようと集まって、熱気むんむんの集会です。研究職にいる人は少ないのですが、40年勉強している人もこれから始める人も、対等に交流しています(伊藤康子『女性史入門』ドメス出版、1992参照)。
 あえて付け加えれば、三重県は女性史研究の発展途上地域です。

6.多様化した女性の生活を歴史的にみつめなおす

 この間、封建的しがらみは弱まり、女性も進学・就職・結婚等生活選択の幅が広がって、敗戦直後のような解放要求は変化しました。経済大国日本としては、女性差別解消に向かわなければ、世界から孤立します。能力ある女性の登用もすすみ、法制では雇用機会均等法や男女共同参画社会基本法の成立など進展がありますが、不安定雇用は女性にしわ寄せされるなど、女性の間にも二極分解がすすんで、生活上の民主主義徹底には程遠い現実です。歴史学研究も、欧米の社会学・社会史の影響が強まり、国際的交流は日常的になり、多様になりました。
 私たちは、現在、本当に生き生きした人生を持っているでしょうか。本当にどう生きたいかの問い直しをしながら、歴史からあらためてヒントを得る時期にきてはいないでしょうか。