第2回 ジェンダーが女性にあたえる心理的影響

1.ジェンダーが女性にあたえる心理的影響

 従来、男女の性格や特性は違っていて、女性は「素直、優しい、かわいい、受身、よく気がつく、感情的、人をたてる…」などの「女らしさ」を備えるものとされ、男性は「強い、たくましい、積極的、判断力がある、理性的、自分を持っている…」などの「男らしさ」を備えているとされてきました。しかし、男女の法的・社会的差別がなくなり、多くの女性が社会的訓練の機会を得るようになると、これらの傾向がその性に共通して見られる特性ではなく、女性も男性もそれぞれ持っている個性は個人でバラバラであることがあきらかになりました。また科学が発達し遺伝の仕組みや性別の分かれ方など明らかになると、「女らしさ・男らしさ」といったものは、生物学的な性差からくるものではなく、人間が社会生活を営む中で、男性中心の社会構造や性役割分業を維持するために「こうあるべき、こうあって欲しい」と求めてきた「期待される特性」であって、先天的に備わっているものではないこともわかってきました。
 一方で、「女らしさ」を身に付け「女性役割」に適応していくことは、女性が社会で活躍したり経済的自立を果たす妨げになるだけでなく、心理的にも自我の発達や自己イメージの形成に影響を与え、情緒の安定や社会生活・対人関係における問題解決能力に男性にはないハンディを与えることになります。女性は、小さいときから「女の子」として周囲の性役割期待に添うよう育てられ、社会が求める役割に適応するだけでなく自分でもそれに満足をするのが「正常」とされます。与えられた役割になじめなかったり満足できないものは「女らしさ」に欠けるとして、「未熟・変わり者・不適応」などのレッテルを貼られるのです。例えば、「結婚しない」「結婚しても家事をしない」という女性は女として失格とみなされ社会的に制裁を受けてきました。
 さらに、「子どもが嫌い」「夫や子どものために家事をするのを喜びに思わない」となると、心理的に未熟とか異常とみなされたりして、より大きなダメージを受けることもあります。
 なぜなら本人にとっては自然で当然の事を異常と診断されるのは、当人にとって自我の基盤を揺さぶられる体験であり、その動揺の中で押し付けられる“治療”に少しでも抵抗すれば、一層異常のレッテルが貼られるということすらあったのです。今までの心理理論や治療が、往々にしてこのように女性を自己否定と自己崩壊に陥れてきたことも忘れてはならないでしょう。

2.「女らしさ」は女性の自己イメージを低くし、女性を無力化する

 例えば、いわゆる「女らしさ」と「男らしさ」の関係を見ると、「女らしさ」は「男らしさ」に対して従属的・非主張的で、相手を立て世話をしたりするのに適した中身になっています。女性は自分が本来持っている能力や個性を捨てて「女らしさ」を身につけることで、社会に受け入れられやすくなりますが、それは「自我の縮小装置」をくぐりぬけて「自分の縮小コピー」を自分であると信じこまされるようなことになるのです。「女らしさ」に適応した女性の場合は、男性に尽くし世話をするのと引き換えに相手に依存し保護されるという役割を生きることが自分の評価につながると信じ込まされますが、そのような役割をとるためには、自分の欲求や意見を抑えたり、男性を優先するために自分の能力や力を表したりすることを諦める必要があるからです。
 一方男性は、男性を優位とする社会の中で、自分の能力と関係なく「やっぱり男だから…」ともち上げられて「自我の拡大装置」を通ることで、本来の自分より底上げされた自分を見てしまいがちです。「男だから…」という理由で特権を与えられ、女性とは違った基準での活動を許されることで、男性の多くは社会での男女のダブル・スタンダードに気づかないまま自分の力を過信したり、女性を見下したりしてしまいます。

3.女らしさの病い

 人間関係において女性が「人の世話をする者」という役割を担うことが多いのは先に述べましたが、ここにも女性の心の健康への危険が潜んでいます。農林漁業などの家業に追われていた戦前の家族と異なり、殆どが雇用者家族となった戦後の日本では、「家庭」は家族で農作業などに励む場から外で働く人の休息や子育ての場になり、「家庭」に求められる機能が「愛情・温かさ・癒し」などの「情緒的な満足」が中心になりました。それを一手に引き受けるのが家事・育児をする女性の役割とされるようになっただけでなく、以前と違って“1人か2人の子どもを、例外なく親や社会の期待どおりに”育てる責任もすべて女性の性役割とされてしまったのです。衣食住の世話などの家事役割も労力的には大変ですが、夫や子どもなど家族の気持ち・情緒面の責任を負うということは全く複雑な問題をかかえることになります。
 第一に、人の気持ちに責任を負うためには、自分のことは放っておいても相手の精神状態や機嫌を優先したり、相手の立場でものを考えることを求められ、女性が自分の感情や欲求をありのままに把握することを困難にします。また、女性は従来から自分の怒りや不快の感情を表すと「女らしくない」と批判され、人との関係を悪くするということを子どもの頃から学んできているので、成人してからも経済的に依存している夫や愛情を注ぐべき子どもに対する怒りなどの感情は抑圧してしまいがちです。このように与えられた役割に忠実であろうとすることで自分の気持ちに無自覚であったり抑圧したりすることが、神経症や心身症といった症状としてあらわれたりすることもあります。
 それ以上に女性の精神衛生に重大な影響を持つのは、「愛情供給係」としての役割でしょう。家庭における男女の性役割を例にとってみると、

男性 ⇒ 外での仕事 ⇒ 経済的責任(お金を供給)
女性 ⇒ 家事・育児 ⇒ 情緒的責任(愛情を供給)

といった分析ができますが、家族の情緒面での安定や幸せに対しての責任を一人で引き受けるということは、男性が金銭面での責任を引き受けることと比べても、大変複雑で困難な仕事です。金銭というような客観的で誰が見ても同じ価値づけができるものと違って、精神的・情緒的な面での世話やケアは相手の受け取り方によって結果が異なり客観的な評価は不可能です。同じサービスを受けても、「愛されている」「ここちよい」「しあわせ」などと感じるかどうかは、受け取る側の気持ちでその人自身しかコントロールができないことです。人は相手が「喜ぶだろうと思うこと」を行うことはできますが、された側がどう感じるかは人によって違うのです。このような役割を担うと、女性は常に不安定な状況に置かれ、場合によっては自責感にも付きまとわれることになります。
 また、努力してもうまくいかず徒労感や無力感に陥ったり、成功してもそれが当然とされて達成感を感じられなかったり…と、人の気持ちの世話をすることは結果を自分の努力で測ることができません。それなのに女性が相手の不満や不幸の責任までも担わされてしまうことには大きな危険がつきまといます。――「俺を怒らせたのは、おまえだ!」「母さんが~だから、僕が学校に行けなくなった。」――このように、相手の気持ちの責任まで負わされる女性は、いつも自分の言動が身近な人間に与える影響に過敏にならざるをえず、家族だけでなく、親戚や近所などの“人の目”を気にする傾向や、自分が人から嫌われる事を必要以上に気にすることなども、このような女性役割の影響によると考えられるのです。
 女性センターなどでの相談やカウンセリングでは、ジェンダー社会や性役割が女性に与えるこのような心理的な影響をきちんと視野に入れて、相談者女性が本当の意味で自分を大切にし自己実現を目指していけるような援助を心がけることが大切です。そのための具体的な考え方や方法として、フェミニスト・カウンセリングについてのあれこれを次回考えてみます。