第2回 ドイツの男性、育児休暇は増えたけれど

 ドイツも基本的には男性社会で、ワークライフバランスや男性の育児参加に関する議論がある。それにしても日本に比べると男性の育児参加の敷居は低いように思う。その背景は社会で共有されている価値観や家族像が日本とは異なること、そしてそもそも日本に比べ、個人の可処分時間が多いという点も見逃せない。

1. 充実しているドイツの制度

 ドイツの育児にかかわる制度は恵まれている。一例をあげると「両親時間」という名称の育児休暇の権利がある。子どもが生まれてから、最長36ヶ月取得でき、元の職場が保証される。そして父親・母親同時にとってもOKだ。また、この育児休暇を取得した場合、12ヶ月の「両親手当」なる育児手当がある。これは月額収入の67%を保証するもので、両親両方が休暇を取得した場合14ヶ月支給される。
 育児環境を良好にするための政策はかなり以前から行われていたが、この15年をみると、第二次シュレーダー政権のころに、共働きを想定した政策に変化。メルケル政権では2007年にさらに男性が育児休暇をとりやすい方向性を模索した。これ以前の育児手当は収入とは無関係で定額制。生後24カ月になるまで月300ユーロが連邦から、その後12ヶ月は州から支給された。しかし、これでは収入の高い男性が育休をとると、かなり家計にひびく。そこで収入額の67%と、各自の所得を基準に収入を保証しようとしたわけだ。

2. 男性育児取得率は伸びたけど・・・

 これで実際、男性の育休取得率は伸びた。連邦政府の発表(2015年3月25日付)によると、2013年7-9月に生まれた子どもに対して、「約80%の父親が2ヶ月の育児休暇をとっている」という趣旨の発表をしているが、他の資料などと付き合わせて考えると、連邦政府が必死で「高く見える数字」を強調したがっている印象を受ける。
 というのも、実はドイツも「男性社会」が意外に残っている。例えば社内で同じポジションでも男性の報酬のほうが高いということが少なくない。男女賃金格差は今でも継続的議論だ。そのため子どもがいる家庭では、フルタイムで働くのは男性で、女性は半日だけというケースが大半だ。育児休暇取得率は確かに伸びたが、今日の制度をもっても、長期にわたって男性が育児に専念するという動機にはつながりにくいのだ。

3. 最大の育児環境は可処分時間の多さ

 一方、外国人としての筆者の実感では、ドイツの突出した育児環境のよさは、個人が自由に使える時間、「可処分時間」が多いことにある。「育児は大変だ」と前回書いたが、妻のその頃の帰宅時間は5時過ぎ。

前回記事へのリンク

マネージャークラスの長時間労働が問題にはなっているものの、全体像としては男性でも帰宅は早い。10時、11時、あるいは午前様の帰宅というのはちょっと考えられない。金曜日の午後のオフィスというとガランとしているところも多い。子どもたちが通っていた幼稚園は、預ける時間が「午前中のみ」「14時まで」「17時まで」の3つがあったが、17時だとお父さんが迎えに来ることも少なくなかった。加えて通勤時間も短い。平均通勤時間は8割弱の人が30分以下。3割弱の人は10分以内だ(2010年)。くっきりと職住近接ということが浮かび上がる。

 可処分時間が多いとこうなるのか、と思わされたのが、末っ子が5歳ぐらいの頃だ。健康のために私は子どもたちと柔道を始めた。ドイツにはスポーツクラブが多く、組織形態は日本でいうところのNPO。老若男女向けの様々なコースがある。子どもたちと通った「ファミリーコース」は金曜日の19時半から始まる。トレーナーは経験のある有給のボランティアで、エンジニアの男性と看護師の女性だった。コースには夫婦と子どもで来ている人もいた。こういう場に定期的に来ることは、子どもにとっては両親以外の大人や、異なる幼稚園・学校の子供たちと接する機会にもなり、社会性を育むことにもつながる。可処分時間が多いと、こういった構造が社会の中でできるわけだ。家族に焦点をあわせると、ひとりで子どもと格闘する「育児」というより、「家族で一緒にすごす」「家の外で親子一緒に何かを楽しむ」という時間がけっこうあるわけだ。

4. 「お母さんは専業主婦が当たり前」のその理由

 それでもドイツの人にとっては、育児環境の向上は常に課題で、例えば2000年代前半、「ワークライフバランス」の議論が盛んだった。私が住むエアランゲン市でも家族に優しい町を目指そうと、ワークショップなども行われ、社会的組織(NPOなど)・行政・企業による育児支援プログラムなども作られた。こういった議論の積み重ねは、育児に関する習慣や考え方を変える力はもっている。先ほども触れたがドイツは男性社会が結構残っていて、1970年代はKKK(子ども、キッチン、教会の独語頭文字を用いた略語)が「お母さん」の領分とされていた。おそらくこの時代、乳母車を押す「お父さん」などはかなり少数派だったにちがいない。
 歴史を振り返ると、今日の家族にまつわる課題は19世紀の工業化・都市化といった近代化初期の社会変化がはじまりだ。農村では「世帯」が家庭であり、同時に経済活動の単位だったが、工業化に伴う都市では核家族化し、経済活動が家庭外に分離する。つまり、お父さんが会社や工場で働き、お母さんが専業主婦になったわけだ。おおざっぱに言えば、この構造がまずあって、戦後の家族関係の政策や議論が展開されてきたといえるだろう。

5. 変わる実態、変わらない幻想

 例えば、男女の社会的役割についてはウーマンリブなどの運動やジェンダー議論が影響しているし、KKKも2000年代に入ると「子ども、キッチン、キャリア」などという言い方も登場し、女性の家庭外で経済活動が表現されてきている。また事実婚の増加や、結婚した際に「山田-鈴木」と両方の苗字がつかえる「ダブルネーム」の制度、それに離婚婚姻を重ねて、生物上の親子と世帯としての親子関係が異なる「パッチワークファミリー」が増えた。こういった変化の中に男性の育児の議論もあるわけだ。家族にまつわる制度設計の展開と並列に実態もかなり変わっている。
 それでも、あまり揺るがないのが「愛し合っている両親と子ども」というドイツの家族幻想だ。たとえば、クリスマスに家族が集まるが、家族幻想を確認する行事にほかならない。また私の子どもの同級生に親が離婚していた子がいたが、幼稚園の行事には元・夫婦で来ることもしばしばあった。当事者たちはどういう取り決めをしていたのかは分からないが、行動を見ていると、離婚しているにも関わらず「愛し合っている両親と子ども」という家族幻想を維持しようとしているように思えてならなかった。また2ヶ月程度の育児休暇を取得する男性が増えたという統計を冒頭で紹介したが、女性が出産してから、しばらく男性がいっしょに家にいるというかたちだろう。これもまた、夫婦間の「愛」がベースになった価値観が意外と影響しているように思えてならないのだ。

6. ワーク、ライフ+ソーシャル バランス

 男性の育児参加のためのよりよい制度づくりは、日本においても継続的に挑戦すべきだ。制度は人の行動をけっこう変える。ただ育児参加という単独課題を考える以前に、個人の可処分時間を増やす方向を検討すべきだ。可処分時間が増えると、現役世代でもNPOなどの社会的領域で活動する人が増えるし、子どもがいる家族は当然、家族の時間を増やせる。また社会的な領域の活動が活発な地域では育児にまつわる課題やその展開方法も各地に応じた社会運動やイニシアティブという形ですすめることもできる。つまり「ワーク、ライフ+ソーシャル バランス」が重要だ。
 そのようなことから考えると、経済活動に関しては生産性をあげて行く工夫もいるだろう。GDPでは日本は世界3位、ドイツは4位。しかし生産性というとかなり日本の順位がおちる。日本は生産性の低さを労働時間でカバーしているという意見があるが、説得力があると思う。