第2回 ヒロイン像の変遷

 映画が発明されてから110余年。始めは写真が動くことだけで大事件でしたが、すぐにそれに物語性を持たせることで映画の面白さは無限のものとなりました。劇映画の男女の登場人物は、好奇心の対象であり、憧れの存在であり、夢の代行者でもありました。とりわけ、ヒロインの魅力は絶大でした。その時代と社会の欲望と夢を象徴する女性の理想像であったともいえるでしょう。
  時代とともに映画のヒロイン像は変化します。最初はどうだったのか。そしてその後は―その歩みを振りかえり、時代意識の反映である理想の女性イメージの変遷をたどってみましょう。

ヒロイン3条件

 ハリウッドの最初のスター女優は、まだ10代のメアリー・ピックフォード。アメリカ映画の父、D・W・グリフィスに見出され、“アメリカの恋人”と呼ばれて一斉を風靡しました。演じる役は「シンデレラ」「小公女」といった清純で優しく明るい役柄ばかりで、おかげで20代で映画会社経営に乗り出すなど女性実業家として辣腕を振るうようになってからも、女優としては30歳を超えても12歳の貧民街の少女役を演じなければならなかったのです。大人の役では大衆が承知せず、後に敢えて女の一生ものの映画などに挑戦しましたがヒットせず、40歳で女優を引退してしまいました。
 メアリーに続くリリアン・ギッシュはほっそりとした美少女で、逆境の中でもけな気でいじらしい。初期の代表作「散り行く花」(1919年)では、実の父親に虐待されて死んでいく時までけな気で、観客の涙を誘ったのです。「かわいそう、何とかしてあげたい」「俺(私)がいなければ」といった保護者的な気持ちを観客に抱かせる。そういうヒロイン(=女性像)が、最初の求められる女性イメージだったのです。
 このようにハリウッド映画の初期のヒロイン像は、「若い(=幼い)」「美しい(かわいい)」「性格がよい(自己主張しない)」の3条件を備えていました。この“ヒロイン3条件”は、その後現在に至るまで、ある種の女性像の中に時代に沿って形を変えながら引き継がれているのです。

2.男性から学んだ“女らしさ”

 では、日本の場合はどうでしょうか? 日本では劇映画は明治40年(1907年)ごろから作られ始めました。日本映画が欧米と違う点の一つは、初期にはヒロインは男性が演じていたこと。すなわち、歌舞伎や芝居の女形が映画でもヒロイン役を演じていたのです。例えば、後に世界的な監督になった元女形役者の衣笠貞之助は、監督の初期の頃には出演も兼ねており、撮影の途中で日本髪に振り袖姿のままカメラの後側に立ち、「そこで回ってちょうだいな」と俳優を演出したと伝えられています。
 男性が女性を演ずるわけですから、演技としての“女性らしさ”をいかに作り出すか。演技によっていかにも女性らしいと感じさせなければならない。これは、歌舞伎女形役者の芸談などでも語られることですが、女性のありのままではなく、“あらまほしい女性像”(美しくやさしく賢く我慢強く、しかも従順で思いやりがある・・・そんな女性はいませ~ん!)をいかに魅力的にスクリーン上に描き出すか。当時の映画の場面写真を見ると、時代劇のみならず「カチューシャ」などの洋物にもお下げ髪姿の“男性ヒロイン”が出演しているのが分かります。“女性美”や“女らしさ”は作られるのです。
 日本映画に女優が初めて登場するのは、1919年(大正8年)に公開された帰山教正監督「生の輝き」「深山の乙女」などの3部作。舞台女優だった花柳はるみがヒロインを演じました。しかし、花柳はこの3本だけで映画出演はやめ、舞台に戻ってしまいました。映画業界では、1920年(大正9年)松竹キネマが創立されて映画に女優を使うようになってから、女性は女優が演じるのが当たり前になりました。
 当初、その女優たちは“女らしさ”の所作などの演技を、女形から学んだといいます。現実の女性の姿や生き方ではなく、男性俳優(女形)が演じ、男性監督が描く男の理想の女性像を手本にして生まれる女性イメージ。これは映画のほんの初期のことですが、その残滓は現在までも尾を引いているように思えてなりません。

3.新女性映画のヒロインたち

 映画が誕生してから110余年。日米の最初のヒロイン像は前述のとおりですが、もちろんいつまでもそのままではありません。特にハリウッド映画の場合、セックス・シンボルといった時代に応じた性的魅力の表出の流れがあります。しかし、ここでは、そのテーマはひとまず置いておきましょう。ジェンダーの視点から見て、ヒロイン像の大きな転換期は1970年代にやってきます。皮切りは1本の映画から。1974年に米アカデミー賞主演女優賞を受賞した「アリスの恋」(マーチン・スコセッシ監督)のヒロイン・アリス(エレン・バースティン)は、中年主婦。夫の突然の事故死をきっかけに歌手になる夢を目指し息子とふたりで西海岸にある故郷に向けて車で出発。途中でさまざまな人物や、出来事に遭遇しながら懸命に前進する姿は、何か人生に似ている。目的地に到着する前にアルバイト先でいい男(理想の男性)にめぐり合い、ハッピーエンド、というところが、多少中途半端というか、自立し切れてないうらみはあります。が、画期的なのは前述の伝統的「ヒロイン3条件」からの脱却です。アリスは若くない、美人かどうかが話の要件ではない、自己主張は大いにする普通の主婦。つまり、これまで映画のヒロインとして登場してきた女性像とは全く違う、はっきり言えば、ドラマのヒロインとして歯牙にもかけられなかったタイプの女性像なのです。
 ヒロイン・アリスの登場は、言うまでもなく、1963年に出版された“女性解放のバイブル”「新しい女性の創造」(ベティー・フリーダン著)をきっかけに燎原の野火のように広がっていった女性解放意識の高まりの反映です。ちなみに、同じ年のアカデミー賞主演男優賞は「ハリーとトント」のアート・カーニーが獲得したのですが、愛猫とともにニューヨークから娘の住むシカゴ、さらに息子の住む西海岸まで大陸横断ヒッチハイクする72歳の老人の旅の話です。毅然として若い世代を励まし、ユーモアを解するすてきな老人像は、女性運動と相前後して盛り上がったシルバーパワーと無関係ではありえません。
 こうした「自立」や「女性の友情」や「仕事と家庭」といった問題と果敢に向き合う女性を主人公にした映画は、旧来の3条件ヒロイン映画に対して「新女性映画」と呼ばれます。1977年には、アカデミー賞作品賞ノミネート5作品中、なんと4本までが「新女性映画」(残り1本は「スター・ウォーズ」)で、そのうちの1本「アニー・ホール」が受賞したのです。
 現在では、こうした女性の意識や生き方を映画で描くこと自体は、もう珍しいことではない。いかに描くか、の段階に入っています。

4.アニメのヒロイン

 1937年、ディズニーは世界で初めてカラーの長編アニメーション「白雪姫」を完成させました。その後に続く「シンデレラ」や「人魚姫」「眠りの森の美女」など、まさにヒロイン3条件ブランドの“お姫様”イメージは、ディズニーのキャラクター・グッズとともに世界中に行き渡っています。一方、日本の宮崎駿監督の「魔女の宅急便」「風の谷のナウシカ」「千と千尋の神隠し」などのヒロインは、まだ少女ではありますが、王子様を待つ女であるディズニーのお姫様とは違い、短いスカートを翻し(時には白いパンツをちらつかせながら)、自由意志で空を飛んだり敵と闘ったりの行動する少女たちです。
 最新作「崖の上のポニョ」も、元は海の魚の子どもですが、好きな人間の少年宗助と一緒に暮らしたい、と自分の意思で手足を生やし人間に変身して陸に上がります。宗助の愛だけを頼りに生きるのではなくて、自分の愛(意思)で宗助を助けたり励ましたり、と大活躍。同じ「人魚姫」でも王子の愛を失って、海の泡となってしまうディズニーのヒロインとは大違いです。

5.結び

 まさに矢のような速さで、映画史の中をヒロイン像というキーワードで走り抜けました。一口に“ヒロイン”といっても、誰が女性のどの面をどのように描き、誰がそのヒロイン像の表象するものをどのように受け止めるかで、意味するものは大きく違ってきます。映像のヒロイン像の与える影響は心が純粋である子どもたち、特に女の子には大きいのです。生きる糧となるよりよき女性像を期待したいものです。

[参考資料]

  • 高野悦子著「私のシネマ宣言 *映像が女性で輝くとき」
  • 佐藤忠男・吉田智恵男著「日本映画女優史」
  • 井上一馬著「アメリカ映画の大教科書(上)」
  • 共同通信社編「保存版アカデミー賞」
  • 映像作品「崖の上のポニョ」(宮崎駿監督)
  • 映像作品「アリスの恋」(マーチン・スコセッシ監督)
  • 映像作品「魔女の宅急便」(宮崎駿監督)
  • 映像作品「千と千尋の神隠し」(宮崎駿監督)
  • 映像作品「散り行く花」(D・W・グリフィス監督)

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