第3回 成長を達成してからでは遅すぎる

 第1回では、ワーク・ライフ・バランス (以下、WLBと略す)に先進諸国が取り組み始めた経緯を述べた。続く第2回では、経済政策の中でWLBはどのような位置づけにあるかを述べた。最終回では、まだ成長政策路線上にある日本では、成長(所得)と生活(時間)のバランスであるWLBは、ホンネと建前のギャップが依然として大きくあるという問題点を指摘して、結びとする。

1.小泉政権の負の遺産

 周知のように小泉首相が政権の座についたのは平成13年(2001)4月である。景気の底は平成14年につき、その後5年後に退任するまでに、失われた10年といわれた長期デフレからゆっくりと回復し、現在もその基調は変わらない。

 確かにGDP(国内総生産)でみた実質経済成長率は回復した。平成13年度の▲0.4%から平成17年度1.9%まで回復した。まず徹底した財政支出削減による政治姿勢を国民に鮮明に植えつけた。一連の構造改革は「改革なくして成長なし」のスローガンに現れている。財政支出の削減は中央、地方両政府の行財政をスリム化させ、小さい政府志向を貫徹した。こうした徹底した政府の強い意思は既に、英国でサッチャー主義、米国ではレーガン改革として、80年代に欧米で実験済みであった。

 国が模範となり大リストラを行う構造改革の号令である。当然、民間企業に対しても徹底したリストラという事業の再編や構造改革が鞭撻された。企業は収益を上げるために人件費削減や他のコスト削減に徹した。こうしたなか新規求人は絞り込まれ、常用雇用者を削減し、非正規雇用の採用が増大した。
 小泉政権が発足した年末にはすでに景気回復は谷を越えていた。その結果、労働者に大きな影響が現れた。正規雇用の削減、非正規雇用の増大の慢性化によって、マクロでみた労働所得は減少し、家計では貯蓄率にも影響が及んだ。

2.働く現場の劣化と生活時間

 この間の成長率と労働分配率と貯蓄率の関係を、小泉政権後の5年間について図1に示した。労働分配率とは1年間の生産に寄与した労働者の取り分を表している。その労働者の雇用所得の割合が74.2%から70.6%に低下するのと反比例して、経済成長率が上昇しているのが見てとれる。勤労所得の割合が低下しても家計の消費水準は減少させるのが困難であるから、当然それは貯蓄率(貯蓄÷可処分所得:%)の低下に現れた(01年の5.2%→05年は3.1%)。成長は回復したが、これは労働者の分配の犠牲の上で達成したことが明かである。

図1 成長と労働分配の関係

図1

 図2はこのことを雄弁に物語る。同様に5年間の雇用者の変化を性別と、働き方別にみた、仕事時間の変化である。女性も男性もこの5年間で正規雇用者が激減し、非正規雇用者が増大した。たとえば正規雇用は男性が▲197万人、女性が▲42万人減少に対し、派遣労働は男性が64万人、女性が57万人増加した。一般には正規雇用の労働が減少し非正規雇用が増加することは、弾力的な仕事が増えて労働時間の減少を意味する。しかしこの図は逆を示している。男女ともにどの雇用形態でも一様に5年間で仕事時間が増大しているのである。その分、生活時間のゆとりは減少したことは明かであろう。

図2 雇用者と仕事時間の5年間の変化

図2

 このことは経済成長を達成して仕事時間も増大し、しかも収入は減少したこと(労働分配率の低下)を示している。まず成長ありき、という小泉改革はまさに労働者の犠牲においての達成であったことを示すものである。しかもこの間、ワーク・ライフ・バランスを政府は高らかに発表していたのであった。

3.まず成長を達してからでは遅すぎる-次世代の青少年の意欲減退

 ではこうした経済界の激変は人々にどのような影響を与えたであろう。もちろん長期デフレという経済不安が払拭したことのプラス要因を軽視するものではない。しかし、この間人々の仕事への価値観は大きく揺らいだ。大企業といえども倒産、合併が起こり常用労働か非正規雇用への雇用不安が日常化した。父や母のこうした姿を見て成長した多感な高校生たちの価値観に大きな変動をもたらしたのではないか、と私は重視する。
 図3は高校生の意欲に関する国際比較調査(2006)である。この姿は私たちに衝撃を与えるものだ。次世代の社会・経済を担う日本の若者たちは、「偉くなりたい」といった野望も、「起業をしたい」という好奇心も、他の4カ国のどこよいも低いのである。

図3 高校生の社会参加意欲は相対的に低下

図3

 これを私は、仕事と生活のバランスを崩した日本の現状をいち早く危機感をもって若者に投影された警告と受けとめた。まず成長をしてから、次に生活時間のバランスをという現在の政策順序では取り返しのつかないことが起こりつつある、という警告である。

 「改革なくして成長なし」という5年間のスローガンによって、いったい私たちは何のための成長目標であって、何を手にしたのか、これを見失ったことを知るべきであろう。WLBはその縦横な手がかりになるはずであるから。