第3回 (多様な性と性的マイノリティ ~朝ドラ『虎に翼』の考証をして~ 連載第3回)
●性的マイノリティを「いないこと」にしない
寅子の生きた時代から現代にまでつながる女性差別の問題を正面から扱った『虎に翼』は、朝鮮出身者への差別や性的マイノリティに対する差別なども取り上げました。性的マイノリティが抱える課題についてここまで踏み込んだ描写があったのは、朝ドラ110作目にして初めてではないでしょうか。その意味でも、『虎に翼』はたいへん画期的な作品だったと思います。
実際には存在していたにもかかわらず、朝ドラでは「いないこと」にされてきた性的マイノリティの存在に光を当てたのは、「透明化されてきた人たちを描きたい」という吉田恵里香さんの思いがあってのことだと思います。そしてこのテーマを真剣に扱うという姿勢は、俳優の皆さんの演技や、制作陣の皆さんの演出にも貫かれていました。
例えば51話で、終戦後、山田よねが轟に対して「惚れてたんだろ、花岡に」と尋ねるシーンがあります。決して無理に聞き出そうとするのではなく、自分の前では虚勢を張る必要はないと伝えるよね役の土居志央梨さんの演技も素晴らしかったですし、それを受けた轟役・戸塚純貴さんのモノローグには多くの視聴者が釘付けになったことでしょう。BGMなしの二人芝居で、轟を映すカメラはやや上から見下ろす形のハイアングル気味となっており、秘めていた思いを言葉にしようとする轟の苦悩が映し出されています。ほぼ1分間にわたり轟のアップで画面を固定し、途中でカメラを一切切り替えずに独白に耳を傾けさせる演出と戸塚さんの演技には圧倒されました。
100話で事務所を訪れた寅子に対し、轟が遠藤時雄(和田正人さん)の手をしっかり握り、「いま、俺がお付き合いしているお方だ!」と告げるシーンも印象的でした。轟は明るくコミカルなキャラクターとしても描かれているため、ここも一つ間違えるとコメディタッチになりかねない場面だと思うのですが、BGMなしの静寂な空気を作り出し、轟の毅然とした態度を見事に描き出していました。寅子に告げる直前に轟が遠藤にアイコンタクトをしているシーンもあり、たとえ付き合っている同士でも無断で暴露するアウティングは行わないということも表現されています。性的マイノリティのテーマを真面目に扱うという姿勢が脚本・演技・演出の皆さんで共有されていたからこそ、こうした数々の素晴らしいシーンが出来上がったのだと思います。
このシーンに続き、寅子が自身の結婚について轟たちに相談する際に、無自覚に性的マイノリティを「いないこと」にしてしまっている場面もありました。私たちは「差別をしてはいけない」と教わっていますが、実は同時に「誰もがついうっかり、差別をしてしまうものだ」ということをあまり認識していません。差別は悪い人がするのではなく、知識や注意力の不足から、誰もがついうっかりしてしまうことです。ですから重要なのは、それに気付いたり、誰かに指摘されたりした時に、自身が差別をしていたと認め、それを改めていくことです。そうすることではじめて、世の中から少しずつ差別は減っていきます。「私が差別をするはずがない」と逆切れしていては、いつまで経っても差別はなくなりません。『虎に翼』では寅子が自身の過ちに気付き、轟たちに謝罪し、性的マイノリティについて当事者から学ぼうとする場面も描かれていました。改めて、すごい作品だと感じます。
●戦後日本と同性愛
轟が寅子に対し、同じ男性である遠藤と付き合っていることを告げたのは、劇中では昭和30(1955)年の出来事です。日本では大正期に同性愛という概念が輸入され、その直後から、当事者である男性たちが「自分は男性同性愛者だ」と名乗り、様々な苦悩を語る投稿が雑誌に掲載されました。戦時中は検閲などにより同性愛に関する表現が制限されましたが、戦後には再び様々な雑誌で取り上げられるようになりました。昭和20年代後半には、同性愛専門ではないものの男性同性愛の当事者に共感的な呼びかけをする雑誌や、男性同性愛を専門とする会員制の同人誌などのメディアも誕生しています。ただし、こうしたメディアを手に入れたのは男性同性愛者のみで、女性同性愛者が自身のメディアを手にするのはずっと後のことになります。同じ「同性愛者」という性的マイノリティであっても、そこにはジェンダーの非対称が存在していました。
『虎に翼』21週は、「同性婚」と「夫婦別姓」という、現代に繋がる二つのテーマを同時進行で描いていました。星航一(岡田将生さん)との再婚を考えるものの姓の問題で悩む寅子と、愛し合っていても同性同士であるため結婚できない轟と遠藤の姿を同時に描くことで、「そもそも結婚とは何か」を深く掘り下げていく展開です。102話の轟のセリフ、「この先の人生、お互いを支え合える保障が法的にない。俺らが死ねば、俺らの関係は、世の中からなかったものになる」という言葉は、今も多くの同性カップルが抱える苦悩を映し出していました。103話で航一が告げた「寅子さんを妻だと紹介することは、世界中の人に『この人が僕の愛する人だ』と伝えることです」というセリフも印象的です。中には『虎に翼』に対して、「現代の問題をドラマの世界に入れ込み過ぎだ」と批判する声もあったようです。しかし真に批判すべきは、寅子たちの時代の課題が今なお解決されずに残ってしまっていることではないでしょうか。私たちが『虎に翼』を観て、「そうそう、この頃は結婚すると別姓は選択できなかったし、同性婚もまだなかったんだよね」と言えないことこそが問題なのです。
今なお、姓の問題で悩んでいる女性も、同性婚が認められていないため結婚することができない同性カップルも、日本中にたくさんいます。同性婚裁判で違憲判決が相次いでいると先に述べましたが、そもそも愛する人と結婚するために裁判を起こさなければいけないという状態自体がおかしいと、私は考えます。次の世代の人たちが同じ苦しみを抱くことがないよう、少しでも時代を先に進めることが、私たちの世代の使命ではないでしょうか。『虎に翼』からは多くのことを学びましたが、私が最も印象に残っているのは、寅子が恩師である穂高重親(小林薫さん)の退任記念祝賀会で、花束の贈呈を拒否したシーンです。本当は納得していないのに、その場を収めようと「大人の対応」をした結果、差別が温存されてしまう。そうしたケースは多々あります。私自身、そうした「花束」をたくさん渡してきてしまったと思います。
でも寅子は「納得できない花束は渡さない」と言い切る。たとえ相手が自分の恩師であり理解者であったとしても、きちんと伝えるべきことは伝える。そうしないと差別は温存され、次の世代にも同じ目に合わせてしまうからです。寅子の姿勢に学び、肩の上に小さな寅子をいつも置いて、目の前の差別と闘っていく。私は、その重要性をこの作品から学びました。