第2回 (多様な性と性的マイノリティ ~朝ドラ『虎に翼』の考証をして~ 連載第2回)
●日本の現状と課題
日本において、性的マイノリティの存在はようやく広く認識されつつありますが、依然として社会的な課題も多く残っています。
性的マイノリティの人口比については国内外で様々な調査がなされていますが、数%から10%程度であろうと考えられています。つまり学校のどのクラスにも、あるいはどの職場にも、性的マイノリティは何人かいます(もちろん、誰が性的マイノリティなのかを炙り出そうとするような行為はプライバシーの重大な侵害ですので、してはいけません)。
しかし、日常生活の多くの場面において、性的マイノリティは「いないこと」にされているのが現状です。例えば親しい友人に対する「彼氏いるの?」「彼女いるの?」という質問。女性に「彼氏いるの?」と尋ね、男性に「彼女いるの?」と尋ねるというのは、相手を異性愛者であると勝手に決めつけていることになります。学校の授業中に、先生が「将来君たちが結婚して子どもができたら……」と生徒たちに語りかけている時、その「君たち」の中に同性愛者などの性的マイノリティは想定されていません。アンケートに答えようしたら最初の性別欄が「男性・女性」の2択しかなくて、そこで回答するのをやめたという性的マイノリティもいます。マジョリティ側は気づきにくい日常生活の様々な場面で、性的マイノリティは「いないこと」にされているのです。
近年、日本では自治体によるパートナーシップ認定制度が広がっています。ただしパートナーシップ認定制度は結婚とは異なり、法的な効力が存在しません。G7といわれるサミット参加国のうち、同性同士の結婚(同性婚)を認めていないのは日本だけです。新聞の世論調査などでは同性同士の結婚を認めるべきだという意見が多数を占め、また全国で行われている裁判でも同性婚を認めない民法などの規定を「違憲」とする判決が相次いでいます。しかし残念ながら、国会で同性婚を導入するための本格的な議論が行われている状況には至っていません。
性的マイノリティは「新しい権利」を求めていると勘違いされることもありますが、そうではありません。実際には、性的マイノリティは人権の一部を制限されてしまっているのです。人権とは、全ての人が生まれながらにして有する権利を指します。例えば、互いに愛しあっている相手と結婚する権利。あるいは、自身の性自認にあった制服を着て学校に通う権利。そんな基本的な人権を、性的マイノリティは制限されてしまっているのです。性的マイノリティは決して何か新しい権利を要求しているわけではなく、不当に奪われている人権を取り戻そうとしているのだと理解して頂きたいと思います。
●朝ドラ『虎に翼』の考証をして
2024年度上半期のNHK・朝の連続テレビ小説『虎に翼』で、私はジェンダー・セクシュアリティ考証を担当しました。多くの視聴者の記憶に残る、素晴らしいドラマに関わらせていただくことができ、本当に光栄に思っています。
『虎に翼』は朝ドラ110作目になりますが、「ジェンダー・セクシュアリティ考証」というのは、おそらく初めての肩書きだったのではないかと思います。具体的には、毎週送られてくる台本に事前に何度も目を通し、ジェンダーやセクシュアリティの観点から確認するという仕事です。中心となったのは、伊藤沙莉さん演じる主人公・猪爪寅子の友人である轟太一のセクシュアリティについてです。彼が同性愛者であるという設定は、かなり早い段階から決まっていたようで、私にも放送開始のずいぶん前からお声掛けをいただいていました。私は『<男性同性愛者>の社会史』(作品社)という本を著し、大正期から戦後に至るまでの日本の「男性同性愛」の歴史について検証していたため、当時の男性同性愛について詳しいということで声が掛かったのだと思います。『虎に翼』では他にも、日本のトランスジェンダー史の第一人者である三橋順子さんも、トランスジェンダー考証として協力しておられます。
考証の際、私が注目したポイントは大きく分けて二つです。一つ目は、作品が描く時代において不自然な描写がないか。二つ目は、性的マイノリティをはじめ、差別を受けている当事者を傷つけるような表現になっていないかどうか、という点です。この二点を中心に、轟の登場回だけではなく、全ての回の脚本にじっくりと目を通しました。今振り返っても、毎週台本が届くのを心待ちにする、とても楽しいお仕事でした。
実際に台本を読み始めてすぐに気づいたのですが、脚本家の吉田恵里香さんはとても緻密な取材を行ったうえで執筆なさっていて、ジェンダー史の観点から指摘する箇所はほとんどありませんでした。一例をあげると、第一週のエピソードで、寅子の母・はる(石田ゆり子さん)が熱心に見合いを勧めるシーンがあります。なぜ、はるは寅子に見合いをし、結婚して専業主婦になれと言うのか。作品の中では、はるが四国の旅館の娘として育ち、家業の存続のための結婚が準備されていたことが描かれています。はるはそうしたイエ制度に反発し、サラリーマンである直言(岡部たかしさん)と結婚し、専業主婦となります。この「サラリーマンと専業主婦」という組み合わせで、「男性は外で仕事、女性は内で家事・育児」にそれぞれ専念するという近代的な性別役割分業に基づく家族は、当時としては新しい生き方だったのです。
イエ制度を脱し、近代的な性別役割分業に基づく家族を形成したはるは、娘の幸福を願うからこそ、あそこまで寅子に見合いを強く勧めたといえます。一方、寅子はそうした性別役割分業に納得がいかず、見合いを忌避し、法律の道への一歩を踏み出すことになるのです。このように、吉田さんの脚本はジェンダー史の観点からもとても深い洞察に満ちたものでした。