第3回 「新たな視点」

「男らしい優しさを身につける方法を具体的に教えてください」
私が講師を担当した男性向けセミナーの受講者であるAさんからこのような質問があった。その講座で私は「男の鎧を脱ぐ」ことの意味について説明したのだが、それを聞いていて本人はどうも腑に落ちないという。自分は強く男らしく生きることをモットーに頑張ってきた。だからどんな困難にも耐え、これまで家族を養ってきた。男らしさを捨ててしまったら、自分を支えるものがなくなり崩壊してしまう。でも最近家族から自分の口のききかたは乱暴だといわれる。だから男らしさの価値観を維持したまま、家族に優しくなれるような秘訣を教えて欲しいとのことだった。
私が関わる男性相談やカウンセリングの現場では、このように「解決方法を知りたい」「秘訣についてアドバイスしてもらいたい」「この部分だけ直して欲しい」というような相談が少なからず寄せられる。そこには自分が欲しい情報をピンポイントで求める男たちの姿がある。しかし回答だけ手に入れても、果たしてそれが根本解決になっているかどうかは疑わしい。自分の問題に向き合い、考えてみることが大切であり、「ああ、そういうことか」と自ら気づき、納得することが本人の問題解決に向けた真の力になる。それは今まで見えてこなかった別の景色が目の前に広がるような経験でもある。
この質問を機に、セミナー参加者に彼の言い分についてどう思うか話し合ってもらうことにした。話し合いに際しては「一般論ではなく、自分の言葉で自身の経験や思いを語ること」を条件とした。Aさんには詳しい状況を補足してもらい、みな熱心に耳を傾けた。参加者全員から意見や感想が述べられ、ひととおりのやりとりを終えると、Aさんの緊張した表情が崩れ、涙を流し始めた。そして以下のように語ってくれたのである。
「いろいろな意見が出たことはとても参考になりました。それよりも自分の悩みについてこれだけたくさんの男性たちに親身に聞いてもらえたこと、共感してくれたこと、また真剣に考えてもらえたことに感極まる思いになりました。こんな経験は初めてです」
その言葉を聞いた他の参加者たちの中にも目頭を押さえる者がいた。
涙は目にゴミが入ったときなどの生理的な動きによるものと、感情が揺れ動いたときに流れるものがある。どちらも自然に出てくるもので、それを我慢するのは辛いこと。ただゴミが入ったときに「男らしく我慢」するひとはいるだろうか?むしろ涙で異物を押し流そうと懸命になると思う。ところが男の鎧をまとうと、感情の涙を「男らしく我慢」して自分に抑圧をかけるスイッチが入ることがある。このスイッチを常にオンにしたままだと、弱い自分を示す感情をうまく伝えることができないだけでなく、弱い相手の感情もうまく受け止めることができなくなるようだ。反対に抑圧から生じる苛立ちや鬱憤が怒りの感情となり、自分や相手を激しく責める言葉として口をついて出やすくなる。たとえば次のような夫婦の会話を例としてあげてみる。
妻「ねえ聞いてよ。今日、お客さんを怒らせてしまい上司に叱られたのよ。私の対応が悪かったかもしれないけど、理不尽なクレームをつきつけられ、そのことを上司は少しも理解してくれないのよ。ああ悔しい!」
夫「お客様は神様と言うじゃないか。それはお前が悪いよ。そういうときはグッと我慢だ。今後は気をつけなさい」
みなさんはこのようなやりとりに心当たりはないだろうか。妻の失敗について理路整然と冷静に解説し注意を促す。「適切なアドバイスを妻に提供できる頼もしい夫ではないか!」と思うかもしれない。しかし妻の側からすれば上司と同じようなことを夫にも言われ、さらに落ち込み、傷ついてしまう。自分の悔しい思いを理解せず、責めるばかりの夫の態度に不満をもち、大喧嘩に発展する可能性もある。
妻「あなたはいつも説教ばかりで優しさがまるでないのね。もう話さない!」
夫「なんだよ、ひとが折角アドバイスしているのに、その言いぐさは。もう知らん!」
些細なことではあるものの、こうしたやりとりが毎日のようにくり返されると夫婦仲は深刻な状態に陥っていく。しかし、ここは夫側のちょっとした「モードの切り替え」で円満な関係に変えることができるのである。それは「相手の感情を一旦受け止め、相手の思いに寄り添う」ことである。この事例の場合、夫の対応は次のように切り替わる。
夫「それは悔しい思いをしたんだな。お疲れさま。もっと詳しく聞かせてくれないか」
妻側の「聞いて欲しい」「悔しい」という感情を受け止め、本人を否定せずに寄り添うスタイルに変化するのである。妻は、夫は自分を理解してくれる最も身近な存在として安心し、夫婦の信頼関係は一層高まっていくだろう。もし妻に対してアドバイスが必要であるならば、彼女を受け止め、寄り添ったうえで助言すれば、本人も反感を持たずに聞きやすくなる。
「それぐらいすぐにできる」と考える男性はいるかもしれない。しかし男の鎧をまとい男らしさに縛られている男性たちは、とかくモードの切り替えが不得手である。男が生きるのは勝負の世界。こちらが先制攻撃しなければやられてしまう。寄り添いなどとはもってのほか。このような戦いモードに置かれていると、なかなか新たな視点に切り替えることができない。
また「自分を敵視している強烈な妻にそんなことできるわけない」と頭から決めてかかる男性もいるだろう。しかしそんな妻を強引に変えることはできない。変えることができるのは自分の視点である。相手を受け止め、相手に寄り添うことに目を向けると、夫婦に限らず人間関係は変わっていく。なによりも相手と共感できる関係を築くことができると、自分の気持ちが良くなり元気になる。柔軟なモードの切り替えは自分のためのものなのである。
男らしさにこだわるAさんは、多くの男性たちに自分を受け止めてもらい、気持ちに寄り添ってもらうという、これまでにない経験をしたようだ。腑に落ちないと述べていた彼は、なにかを感じたようであり、なにかが見えたようでもあった。それは、家族との新たな関係を築き、新たな人生を拓くことのヒントになったのではないかと思う。
この出来事は、若干の脚色を加えているが、Aさんとともに男性たちが涙した姿はありのままの光景である。そのとき私は彼等に次の言葉をおくった。
「我慢しないで泣き顔が素敵な大人になりましょう!」