第2回 「ジェンダー」

「いつまでも泣かない!男の子でしょ!」
窓の外に目をやると、幼い子が泣きながら親に叱られている姿があった。どうも走っていて転んだらしい。私の事務所の前には公園があり、ときどきこのような声が聞こえてくる。
今でもこうして叱る親がいることに私は幼少期を思い出し、懐かしい気持ちになる。しかし一方で、まだこのように叱る親がいることに、自分が子どもの頃からときの流れが停滞しているような複雑な気持ちにもなる。
この男の子がいつもこの調子で周囲から責められながら育っていくとしたら彼はどのようになるのだろうか?私はこのような質問をカウンセリングの来談者に投げかけることがある。「叱られることで彼は成長する」「慎重になりすぎてしまう」など様々な答えがかえってくる。自分の経験と照らし合わせながら語ってもらうのだが、特に「男の子でしょ!」の言葉について考えてもらう。
前回お伝えしたように、私は会社を早期退職した直後はうつ状態に陥り何もする気にならなかったのだが、男女共同参画センターで開催される交流会やイベントに参加するようになり徐々に元気を回復していった。そして妻が所属する絵本の読み聞かせに関わる市民活動グループの手伝いをするようになった。
このグループでは約10名のエネルギッシュな女性たちが運営に携わり、そこへ私は唯一の男性会員として加わったのである。
私の担当は雑用係。会場の設営に始まり、会員たちが連れてくる子どもたちの相手をするなど何でもあり。女性たちが議論紛糾している片隅で、男である自分が仕事として赤ちゃんをあやす姿などは、管理職であった会社員の頃にはとても想像できない光景である。当時の私にとっては性別役割の大逆転現象であり、最初は戸惑いの連続であった。でも経験を重ねるうちに、そのような仕事にも慣れて抵抗なくこなせるようになる。そして赤ちゃんを抱きながら、この子はいつぐらいから私のように性別役割を意識するようになるのだろうかなどと考えるようになった。そんな矢先、ある出来事に遭遇した。
小学生を対象にオリジナル絵本づくりの講習会を開催したときのこと。それぞれが考えた物語を4枚の画用紙に描いて絵本にするという内容である。作品は最後に色画用紙を表紙につけて完成する。この色画用紙は何色かを用意し、参加者には自分の好みで選んでもらうようにした。私は画用紙を手渡す係りになった。
最初の女の子は緑色、次の男の子は黄色という具合に、子どもたちは楽しそうに色を選ぶこと

に熱中した。ところが三番目の女の子がピンクを選ぶと、付き添いの保護者が次のような声かけをしたのである。
「~ちゃんはやっぱり女の子だね。女の子らしい色を選べたね。よかったね」
その声かけに呪縛をかけられたように、あとに続く子どもたちには、女の子は赤やピンクの暖色系、男の子は青や青緑の寒色系を神妙な表情で選ぶ流れがつくられてしまったのである。私やスタッフたちは慌てて「自分の気に入った色を選んでいいのですよ」と繰り返し伝えたが、その流れを変えることはできなかった。
子どもたちが本当に自分の好きな色を選んでいたのであれば気にすることはないのだが、当時の状況からは「ジェンダー」を意識した選択を強いる環境を大人がつくってしまったのは明らかであった。
ジェンダーとは生物学的な性に対して社会的・文化的な性のありようのことをいう。たとえば、私が子どもの頃、サッカーは男子がするもので、女子がボールを蹴ると「おてんば」などと非難された。反対に男性が肩まで髪の毛を伸ばしていると「女みたいだ」と眉をひそめられた。それが今では女子サッカーも男性の長髪も当たり前になっている。このように社会的・文化的な性のありようとしてのジェンダーは変化するものであり固定的なものではない。
ところがこの変化を認めず「男とはこうあるべき、女とはこうあるべき」という固定的なジェンダーの観念に縛られていると、それは生きにくさや息苦しさへとつながっていく。特に大人が旧来の固定観念を子どもに押し付けてしまうとその影響力は大きい。「僕は本当は赤い色の画用紙が欲しかったけど、それでは男らしくないので仕方なく青い色を選んだ」。ジェンダーに縛られ、自分の意に反した行動を余儀なくされるのは辛いことである。
「いつまでも泣かない!男の子でしょ!」というのは「男らしさ」というジェンダーの意識から発せられる言葉である。私も子どもの頃から「男は泣くものではない。男が涙を見せるのは情けないことだ」と周囲から叩き込まれた。スポーツ選手が競技に優勝して歓喜の涙を人前で見せる姿でさえ「男としてみっともない」と思い込んでいたのである。泣きたい気持ちをグッと我慢してこそ強い男なのだと。
しかし我慢の限界を超えてまで自分を抑え込んでしまうと、どうなるか?弱音が吐けなくなり、助けを求めるSOSが発信できなくなる。そして心は完全に折れているのに体面を繕うことにエネルギーを費やし、更に消耗していく。これは私自身の実体験である。
男性相談の現場ではこのように疲弊した男性たちからの相談がある一方で「もっと男らしくなりたい」「もっと男として強くなり相手を見返してやりたい」という相談も寄せられる。どちらも「男らしさ」というジェンダーの意識に縛られて苦しむ姿が見て取れる。
このような悩みを抱えている相談者には、自分が傷ついていることや弱いと思い込んでいる部分を語ってもらい、そのような自分に目を向けてもらう。自分の思いや感情を表現することで、自分は本当はどう思っているのだろう、どうありたいのだろうということを考えてもらう。虚勢を張らずにありのままの自分を受けとめてもらう経験を通し、次第に自分がジェンダーにとらわれ、かなり無理をしてきたことへの気づきが促される。そして気持ちは落ち着いていく。ジェンダーについて考えてみることは、自分自身の思い込みを確認し、男らしさの縛りを解きほぐす作業でもある。そしてその多様性を理解することは人間関係の改善にもつながる。
先日、また公園から子どもの泣き声が聞こえてきた。その親と思われる声も聞こえてきて思わず頬がゆるんだ。
「痛いの、痛いの、飛んでけー!」