第1回 「男の鎧」

「吉岡先生、どうぞよろしくお願いいたします」
私が部屋に入ると来談者は席を立ち上がり深々と頭を下げる。
私が開設しているカウンセリング・ルームに来る男性たちは総じて礼儀正しい。ビジネス街の中心に立地していることもあり、仕事帰りや仕事の合間に来る背広姿のビジネス・パーソンも多い。私が席につくまで直立不動で待機しているひともいて、中には名刺を差し出し、これから商談が始まるような雰囲気を醸し出している場合もある。
『ああ、このひとも男の鎧をしっかりと身に着けているのだな』
かつての自分の姿を来談者に重ね合わせつつ、私はカウンセリングを始める。
今から十数年前、私は二十四年間勤めていた会社を辞めた。当時はリストラの嵐が吹き荒れ、それが自分に襲いかかる気配を察知し、さっさと早期退職の道を選んだのである。それまで組織の中で順風満帆の道を歩んでいるかに見えた私が、他の同僚に先駆けて辞表を提出したことに周りは驚いた。そのときの私の心境は「辞めさせられる前に辞めてしまえ」「打ちひしがれた思いで会社を去るよりも、男らしく潔く散る」という思いにとりつかれていたのである。弱音を吐かずに最後まで男の美学にこだわり続けたことを「お前らしい辞め方だ」と評してくれる者もいた。しかし実は心身ともにボロボロだったのである。
最終出社日は胸を張って会社をあとにした。でも帰宅すると全身から力が抜けてしまった。そして家族の前で涙がとまらなくなったのである。男が泣くのは女々しいと思い込み、人前で泣いた記憶がなかった自分なのに、涙を抑えることができない。そんな私を妻も子どもも優しく受け止めてくれた。私がまとっていた「男の鎧」が少しはがれ落ちた瞬間であった。
退職直後は落ち込みが激しく何もする気にならなかった。それまで自分を支えていた仕事中心の価値観が崩壊し、うつ状態に陥っていたのである。そんなある日、妻が新聞で男性市民グループの集いの開催案内を見つけて私に知らせてくれた。長年、市民活動に取り組んできた妻は、男性市民グループの情報にも詳しく、その分野で活躍している著名な人たちにもその場で会えるかもしれないと言う。見ず知らずの男たちの中に入ることにやや抵抗感を抱きながらも、男性社会の中で生きにくさを感じている男たちが話し合う場というものに私は興味をもち、少しだけ覗いてみる気持ちになった。
会合はある市の男女共同参画センターで開催されたのだが、私はうかつにも電車を乗り間違え、30分ほど遅れて会議室に入った。十数人ほどがロの字型に組まれたテーブルの前に座り、当日のテーマ報告者が発表をしている最中であった。

会社員であった頃、会議は常に時間厳守であった。遅れてきた場合は、出席者からの射るような視線をあびながら、肩身の狭くなる思いで席につかねばならない。そんな経験を思い出し私は恐縮の体で席を捜していると、参加者全員がにこやかに空いている席を示してくれた。
しばらくして報告者の話が終わると、司会の男性が「初めてのかたもおられるので、みなさん自己紹介をしましょう」と、わざわざ私のために出席者の紹介の場を設けてくれたのである。
参加者の中には妻から聞いていた著名人の姿もあった。その他、男女共同参画社会実現に向けて男性側からの視点で精力的に活動を推進している面々が顔をそろえていた。退職後、まだ数ヶ月しか経っていなかった私の感覚としては、その顔ぶれは民間企業であれば部長や支店長もしくは役員クラスに匹敵するようなひとたちに見えた。そしてこういう場には初参加で、活動についてまったくの初心者である私は新入社員同様に小さくなりながら控えめに自己紹介をした。
ところが、私の自己紹介が終わるとみなからいっせいに「あとで吉岡さんの話をもっと詳しく聞きたいなあ!」という声があがったのである。
そこの男性たちは私を温かく迎え入れてくれた。それまでに私が知る男社会とは上下関係が全てであったが、ここには全く違う世界があった。上下の序列はなく、互いを尊重し、互いの気持ちに寄り添い、あるがままの自分を出していけるひとときがあった。肩書も看板も関係ない。このような場が世の中に存在することに大変な驚きを覚えるとともに、私はこれまでに経験したことのない居心地のよさを抱いたのである。
当日のテーマについての意見交換が一段落すると、今度は私の番になった。つい最近まで企業戦士であった自分について語ろうとしたが、思うように言葉が出てこない。会社ではあれほど流暢に商品説明ができたのに、自身のことを飾ることなく、自分の言葉で話すのは難しかった。考えてみれば、これまでに自分のことを本音で語る機会は全くなかったのである。自分の思いや感情をどう表現したらよいのか迷った。「ああ、自分はなんてしゃべるのがへたくそなんだろう」と身の縮む思いであったが、たどたどしい語りにみな熱心に耳を傾けてくれた。次第に私の緊張は和らぎ、私が身に着けていた「男の鎧」も解きほぐされていった。そして彼等との出会いは私を元気にしていった。この経験は今の私の活動の原点になっている。
上下関係のある競争社会の中では、弱音を吐くことは戦線から離脱する落伍者の烙印を押されることのように、かつての私は感じていた。本心では弱音を吐きたくても、そのような姿を見せるわけにはいかない。だから男の鎧をしっかりとまとい、建て前の言葉を選んで自分を優位に見せようとする。しかし本音に蓋をしてしまい、常に建て前を優先していると息苦しくなっていく。そのストレスを抱え込みすぎるとうつ状態になり、他者に向けると暴力につながることもある。だからこそ男の鎧を少しでも脱ぐことが心身の健康を保つ上でも、気持ちの良い人間関係を築く上でも大切であることを実感する。その第一歩が上下の序列に関係なく、看板や肩書とは無縁の場において、自分の言葉で自分の本音を語ることである。
カウンセリング・ルームの来談者は、カウンセリングの回を重ねるごとに男の鎧を少しずつはがしていく。そして私が部屋に入ると挨拶は次のように変化している。
「吉岡さん、今日もよろしくお願いします!」