第2回 本人が良ければいいんじゃない?

前回はデートDV(恋愛関係でのDV)の基本のお話をしましたが、今回はよくある質問に答える形でDVの理解を深めたいと思います。


◆ どこまでならOKで、どこからDVなのかというような質問がよくあります。たとえば、被害者のほうが嫌がっていなければ、破われ鍋なべに綴とじ蓋ぶた、似 た者カップルで、ほうっておけばいいのではないか?という意見があります。また、束縛するのはDVだということに対して、俺についてこいとか束縛するぐら いの人が好きで、束縛しないような優しい人に魅力を感じない人もいるので
は?という質問もあります。


 それに対しては、 私 も、まずは誰を好きになるかはもちろん個人の自由だし、好みも多様でいいと思っているよといいたいと思います。自分の正義や考えを押し付けるのは傲慢で す。しかし、本当に被害者が嫌がっていないのか、DVではないのか、についてはよく考えないといけません。


 デートDVを学んでい ないから何がDVかを知らないとか、ゆがんだ考えを持っていたりして、恋愛関係ってこんなもんだと諦めていたり、「いや」という意識を持てない場合があり ます。加害者は、被害者の方が悪いとよく言いくるめますから、その考えにマインドコントロールされている場合もあります。


 自由 が 奪われたり成長が妨害されるのはよくないことは当然なのに、成長が妨害されるような恋愛をしていることを「よくない」と思えないのはなぜなのか、そこを丁 寧に見ていく必要があります。恋愛以外の場所で、自分の活動があり自立して成長していくということが大事だということを知らず、恋愛がすべてだと思い込ん でいるのかもしれません。そんな場合、自分にとっての成長とか自立ということ自体を豊かにとらえること、自分というもののエンパワメントの水準を高めるよ うなことが必要ですね。


 似た者同士だとみて周りがかかわらないことで、被害者が孤立してしまっていることがあるかもしれませ ん。 DVっぽい状況にいる被害者を見捨ててしまい、孤立した被害者があきらめて、加害者の下から逃げられないようになっていないでしょうか。ですから、周りの 人は、押し付けではなく、心配しているよというスタンスで、被害にあっているように見える人に息長くかかわることが大事と思います。DVの情報を出したう えで、待ち続けることも大事かとおもいます。恋愛にとらわれないシングル単位の考え方や自尊心を育てる
ということが大事なんですね。でもそれは簡単なことではありません。


(注)シングル単位の考えとは、カップル2人でワンセット、1単位、2コイチととらえない、個人個人が基本だよという考えです。相手の自己決定を尊重して、相手に干渉するのを当然と思わない自律・自立の考え方です。


◆自分にはデートDVなど関係ない、もし被害にあったら逃げられるし、加害などしない、と思っている人も多いようです。


  しかし、例えば、相手の顔色をうかがって、いつも相手が怒らないように気を使っているようなことはよくあるんじゃないでしょうか? また、通常の人間関係では気が強かったり、はっきりものが言える人でも、いざ恋愛となると性格が変わる人っていませんか?相手から好かれたい(嫌われたく ない)と思って従順な性格になる人は多いんじゃないでしょうか?


 恋愛には性愛のことも絡んできます。デートDVにおける性的暴 力 は、同意のない性行為(セックス)とかポルノを無理に見せられることだけではありません。性行為をしないと不機嫌になられる、だからもめるよりも相手に合 わせようと思って自分が積極的に望まないのに性行為に応じているのはDV関係です。セックスに応じるのは恋人なら当然だろとか言われて、セックスを事実上 拒否できないというのもDVです。セックスがうまくないといわれる、体について自信を失わせるようなことを言われる、嫌な服装をさせられる、したくないと ころでの行為やプライバシーがない場でのセックスをさせられる、というのもDVですが、一部には押し切られてしまう人がいます。


  いやだと思っているが性的な写真を撮られてしまう、性的な写真を流される、流すと脅される、というのも性的なDVです。セックスについていつも自己中心的 になられる、セックス中に望まないことをされるのもDVです。性関係になったら、所有物扱いされる、セックスのことを他人に話される、というのもDVで す。ひどい場合には、恋人にほかの人との性的な関係をもたれ(浮気され)それを知らされる、コンドームの使用を拒否される、ピルの強要、中絶の強要、など もあり、これらはもちろん性的なDVです。


 このように考えていくと、実は私たちの周りには性的なDVがかなりあるのではないで しょうか。しかし性的なことなどは密室で行われるため、誰にも知られず、本人たちも誰にも言えず、言わず、二人だけの世界に秘密として閉じ込められている のです。性的な関係があると特別な関係になったことだから別れにくいということもあるので、性的DVを受けても簡単に別れられるということはないんじゃな いでしょうか。


 なお、上記と類似のことでも、自由や拒否がちゃんとできるような状況で双方が喜んでしていることならならば性的暴力ではありません。


  話を戻せば、性的DVに限らず、いろいろなレベルや種類でDVはあり、しかも相手がすごく魅力的だとか、支配がうまければ、なかなか逃げられるものではあ りません。四六時中DVをしているようなことは稀まれで、むしろ、優しい時もあるとか、魅力的な時もある人が加害行為をするので、被害者は混乱し、私が相 手を怒らせないようにすればいいんだと思ってしまうのです。加害の方も、意識的に意地悪をしたいというより、愛していると思って知らぬ間に加害行為を行っ ている人はたくさんいます。


 人権意識が高まり、暴力への理解が深まり、シングル単位感覚を理解し、自分への自尊心が豊かになる ほ ど、DVに気付いて、するのもされるのも嫌になります。しかし、学ばないと、知らぬ間に被害や加害にあいやすいのです。実際にDVは蔓延しています。DV は決して他人事ではないのです。

◆「浮気はだめなのは当然なので、浮気するなという束縛は問題ないはずだ、だから束縛をDVというのはお か しいのではないか」という疑問を持つ人もいます。実際、「浮気は絶対ダメ」と言えないなら、浮気をされても文句を言えないのではないか?という質問をも らったこともあります。 

 それに対する私の答えは、次のようになります。まず、だれもが、少なくとも多くの人は、自分の希望としては、浮 気――恋人がほかの人と性的関係を含めて仲良くすること――をされたくないだろうとおもいます。しかし、だからと言って、相手の友人関係などを制限しては いけないというのが「DVはだめだ」という考えの基本です。そもそも、もしフラれたとしても、それに対して怒ったり、裏切りだと言ったりはできないと思い ます。というのはそれは相手が決めることであり、フラれる方はつらいけれど受け入れるしか仕方のないことだからです。それを無理矢理、絶対に別れないと か、絶対にほかの人を好きになってはだめだと強制することは、相手の自己決定を尊重していないのでそれこそDV的な感覚です。

 じゃあど う すればいいかということですが、命令的に浮気はだめというのではなく、二人が会っているときの関係を楽しくすることが、あなたにできることなのではないで すか。友人がいるのはいいことで、相手の成長になるじゃないですか。邪魔するなんて、ケツの穴が小さすぎるわけです。ですからルールを決めて押し付けた り、それを守るように監視するのはDV的といえます。

 信頼し合い、相手を傷つけたくないと思うまともな人なら、浮気を禁じられるまでも な く、恋人を傷つけるような行為を自己抑制するでしょう。ルールで縛られたり、監視されないと浮気をしちゃうような人と付き合うこと自体が問題です。浮気は だめと言っておいたから文句を言えるというのは、言っていないと何をしてもいいというおかしな考えです。浮気はだめといっても、ひどい人ほど隠れて浮気し ます。大事なことは、人はルールで生きているのでなく、自分の倫理で生きていくということです。ルール(命令)がないと生きていけない人はロボットです。 DVでない対等で健康的な関係は、ルールで縛るものではなく、相手を大事に思い、感謝し、一緒にいて楽しいと思う気持ちで作られていくのです。ところが 「愛された経験を根底にした、人を根本で信じられる感覚」がない人は、いくら頭でDVはだめだ、束縛しないで信頼すればいいといわれてもできないのです。 不信感を持つからこそ、DVするのです。DVの問題は、実は、そうした深いところにかかわる問題だと思います。