第2回 これからの女性の働き方とライフプランニング 連載第2回

「男女共同参画ゼミ」第2回目は、社会制度の変化と働く人々の生活について述べていきたいと思います。前回は女性の働き方に大きな影響を与えた男女雇用機会均等法(以下「均等法」と略)について説明しました。この法律が1986年に施行されてから今年で25年。「均等法」元年に就職した人達は、現在40代に差し掛かっています。この25年の間にどのようなことが変わり、どのようなことが変わらなかったのでしょうか?

「第一子の出産で仕事を辞める女性が約7割」はこの25年間変わっていない

 労働人口(15歳~65歳)を5歳ごとに区切って、その年代の人がどのくらい賃労働をしているかを表したものを「年齢階級別労働力率」と呼びます。日本の場合、20代半ばまでは多くの女性が仕事をしていますが、20代後半から30代にかけて仕事をする人の比率が減り、その後40代以降に再び労働力率が増加するという特徴があります。これは、結婚や出産で一時期離職し、子育てが一段落した頃に再び仕事をするという「中断再就職」タイプの働き方をする人が多いことが理由です。このような働き方をグラフに表すとアルファベットの「M」の字に似ているので「M字型就業」と呼ばれています。

(図1)年齢階級別労働力率

図1年齢階級別労働力率

 1985年のグラフと2005年のグラフを比較してみると、いずれも20~24歳では70%以上の労働力率なのに対し、「M」の谷底は「30~34」歳となっています。しかし、85年で25~29歳ですでに労働力率は50%代半ばに落ち込んでいるのに対し、2005年では同じ年代は約75%に増えています。それでも、30~34歳、35~39歳では60%台に減少し、その後40代以降は再び70%台となっています。つまり、1985年(=均等法施行の前年にあたります)と2005年(=均等法施行から19年後)を比較すると、「M」字の谷底の位置が右よりになった(=労働力率が下がる時期が5年遅れになった)ということであり、「出産などで一旦離職して後に再就職」という女性の働き方は基本的に変わっていないということが分かります。

昔は「仕事に未練がないから退職」今は「仕事の負担が大きいから退職」

 私は、均等法以前に出産退職した女性と均等法施行以降に出産退職した女性それぞれ10人にヒアリングを実施したことがありますが、同じ「出産退職」という選択をしたにも関わらず、その理由は正反対でした。

【均等法以前に退職した女性の場合】(退職時期はいずれも80年代前半)

Aさん:仕事は総務的な仕事で庶務一般。何年やっても同じ仕事で、昇進昇格の見込みもない。職場には出産後も勤めている人はいない。退職は当然という暗黙の了解があり、自分も仕事に未練はなかった。
Bさん:金融機関に勤務。結婚退職が不文律で、それを押し切って勤続しても出産したら退職するきまりだった。自分も「仕事から解放される」という感覚で「追い出された」という感じはしなかった。
Cさん:職場結婚だったので、出産以前に結婚退職を暗に強要された。夫の職業人生を考えると自分が我を張ることは賢明ではないと考え、退職した。

均等法以降に退職した女性の場合

Dさん:メーカー総合職。均等法施行からそれほど時間が経っていないこともあり、社内で女性の総合職をどう扱っていいのか分からないという状態だった。自分としてもこのまま会社勤めをしても余計なストレスを抱えるだけだと考え、出産を機に退職した。(退職時期:90年代前半)
Eさん:金融機関一般職。出産後も建前上は勤められることになっていたが、実際には産休後職場に復帰した人はほとんどいない環境。上司も暗に退職を希望しているような雰囲気だったので、意を汲んで辞めた。(退職時期:90年代前半)
Fさん:メーカー営業職。国内出張も多く、日曜夜に出発して月曜に客先でプレゼンというスケジュールも多かった。このような働き方は出産後はとても無理と思い異動を希望したが、上司が積極的に後押しをしてくれず、これは退職勧奨ではないかと理解した。仕事はそれなりに面白かったが、目の前の子どもの世話を投げ出してまですることではないと思った。(退職時期:90年代後半)