第1回 これからの女性の働き方とライフプランニング 連載第1回

 これから3回にわたって、女性の仕事と生活のあり方について皆さんとご一緒に考えていきましょう。初回は日本の女性労働のターニングポイントとなった法律を中心に述べていきたいと思います。

「均等法」の成り立ちについて

「男女雇用機会均等法」(以下「均等法」と略)をご存じでしょうか? これは職場での男女平等を確保し、女性(2006年改正法では男性も含む)が差別を受けずに、家庭生活と職業の両立が実現することを目的として作られた法律です。

 この法律は1985年に成立し翌年4月から施行されたので、一般的には「1986年が均等法元年」と認識されています。しかし、厳密に言えば、現在の「均等法」のルーツは1972年に制定・施行された「勤労婦人福祉法」という法律で、それを「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等女子労働者の福祉の増進に関する法律」(なんと長い名前!)という名称に変更し、その後1997年と2007年の改正を経たものが、現在知られている「均等法」です。つまり、「均等法」は80年代の半ばに突然誕生したものではなく、その10年以上前からその「原型」があったのです。
 既に「原型」があった法律を改めて手直しすることになった背景には、国連の「女性差別撤廃条約」への批准があります。日本は85年にこの条約に批准したのですが、国際条約を批准するためには、その前提として国内法の整備が求められます。そのため、日本は雇用の分野での男女の均等な機会・待遇の確保、女性の職業能力の開発・向上、再就職の援助、職業生活と家庭生活の調和を図ることなどを法律に盛り込む必要がありました。
 均等法成立にあたっては、産後の休業期間の延長など保護の強化が盛り込まれましたが、一方では労働基準法に規定されていた女性に関する時間外労働や休日労働、深夜労働についての制限が縮小されました。これについて労働者側からは「保護抜き平等」という声も上がりましたが、女性の深夜労働の規制のためにそれまで働く機会を制限されていたタクシー運転手などからは規制撤廃を歓迎する動きもみられ、働く女性もそれぞれの立場によって受けとめ方が異なることも明確になりました。

「性別」から「コース別」へ

 法律の成り立ちはさておき、85年に成立した「均等法」によって女性の働き方はどのように変わったのでしょうか?
 これはひと言でいえば「性別からコース別へ」と言えるのではないかと思います。
 具体的にはそれまで「性別による雇用管理」を行ってきた日本の企業が、職場での「立場」(=将来の幹部候補か、補助的な業務か)によって雇用管理を行うという大転換を求められることになったということです。
 「性別による雇用管理」とは、例えば女性と男性では最初から仕事の内容が異なっていたり、女性の給与は低く抑えられていたりすることを意味します。また、女性は教育や研修を受けらず、その結果として管理職への登用がなかったり、女性は最初から入社試験すら受けられない会社も数多くあったのが「均等法」以前の日本の企業社会でした。特に大手企業の約7割が四年制大卒女子を採用せず、女子の採用は短大もしくは高卒者でした。これは、1970年代~1980年代の女性の平均結婚年齢が24歳~25歳であり、大卒者の場合、就業後3年程度で退職すると考えられていたからです。(当時は、「男は仕事、女は家庭」という男女性別役割分業が浸透しており、結婚や出産後も仕事を続けるというライフスタイルは非常に珍しいものでした)
 そのような社会状況でしたから、女性にも男性と平等の待遇を求める「均等法」は企業側から強い反発を受けました。企業側の論理としては「女性と男性では会社の中での役割が異なるのだから、教育訓練や昇進昇格などの待遇が異なるのは当然」というものでした。そこで法律を成立させるための妥協策として、以下の2つの案が取り入れられました。ちなみに( )内はその具体的な意味を表します。

  1. 募集・採用、配置・昇進については事業主に対する「努力義務」とする(=「努力義務」ということは「禁止」ではないので、最終的には法律を無視しても罰則はない)
  2. 女性に対してのみ「一般職」「総合職」といった「コース別採用」を可能とする(=補助職である「一般職」と、男性と同等の昇進をする「総合職」の2つのコースを設けて、圧倒的多数は「一般職」で採用し、ごくわずかを「総合職」で採用すれば「雇用上の性差別」ということにはならない)

 85年に成立した「均等法」の最大の特徴は「コース別採用」です。これをきっかけに、「男子は全員総合職、女子は圧倒的多数の一般職とごく少数の総合職」という採用スタイルが広がりました。このスタイルを取れば、事実上はこれまでの性別による雇用管理を大幅に変えることなく、対外的には「性別ではなく、仕事に対する役割による区別」ということができたからです。ちなみに、当時総合職として採用された女性は約1%。それでも従来の「女性は最初から昇進昇格からシャットアウト」から「昇進昇格のチャンスが開けた」ととらえる見方もあったことは事実です。しかし、現実に総合職として採用された女性たちの多くは、男性中心の企業社会の働きづらさや一般職の女性との関係などに悩み、なかなか職場に定着することができませんでした。

改正均等法の成立で本格的女性活用スタート

 その後、「均等法」は97年に改正が行われます。改正法では、雇用上の募集・採用、配置・昇進・教育訓練、福利厚生、定年・退職・解雇について、女性を男性と差別的に取り扱うことが禁止されました。85年成立の「均等法」では、募集・採用、配置・昇進については企業側に対する「努力義務」であり、法律を違反しても罰則がありませんでした。しかし、97年の改正法で「禁止規定」となったことで、法律としての実効性が大幅に強化されたのです。また、職場におけるセクシュアル・ハラスメントに関して、事業主に雇用管理上の配慮が義務づけられました。
 97年の改正法は99年4月から施行されました。女性の本格的な活用の動きが見られるようになったのはこの頃からです。それまでは「基本的に女性は一般職で採用しておけばいい。総合職で採用してもどうせ数年で辞めていくだろう」という態度だった企業も、ようやく女性の教育訓練や昇進昇格について真剣に考えるようになってきました。この時期に多くの企業で女性活用を考える部署や委員会が設置されたり、人事部門に専門のスタッフを配置する動きが見られるようになりました。

2006年改正法で「男性差別」も禁止に

 基本的に「均等法」は「女性が男性に追いつくこと」を念頭とした法律でした。そのため男性に対する差別は長らく法律の適用範囲外だったのですが、2006年の改正法には「男性に対する差別の禁止」も盛り込まれた点が従来と大きく異なります。また、差別が禁止される対象も拡大され、新しく、配置における業務の配分・権限の付与、降格、職種・雇用形態の変更、退職勧奨、労働契約の更新についての平等も付け加えられました。
 さらに特徴的なのは「間接差別の禁止」も盛り込まれたことです。これは具体的には以下の3点です。

  1. 募集・採用における身長・体重・体力要件
  2. 募集・採用における転勤要件
  3. 昇進における転勤経験要件

 このような条項が盛り込まれた背景には、女性を昇進昇格の対象外にするために「転勤経験のない者(=女性)は管理職になれない」というような内規を持っていた企業も存在したからです。しかし、その後、男性の中にも育児や介護などの理由で転勤を引き受けられない労働者が出現するなど、男女の働き方は「均等法」が施行された86年当時には考えられないほど多様化してきています。具体的には次回に詳しく触れたいと思いますが、ここで過去約20年の変化の指標のひとつとして女性管理職の増加についてのグラフをご覧いただきましょう。部長、課長、係長、それぞれが約2倍になっています。これを大きな変化と見るか、膠着状態と見るかは立場によって異なると思いますが、私はこのグラフに「均等法」のひとつの成果を感じるのです。