第2回 「不機嫌」が暴力になる境界線とは?

◆不機嫌=暴力なのか?

 モラルハラスメント(以下、モラハラ)の典型例として受動的攻撃を挙げましたが、ハラスメントの加害者だけでなく、一般的に意識的にも無意識的にも頻繁に使われているアプローチです。「KY」という言葉が流行ったり、「ツーカー」や「1言えば10わかる」などと表現されるように、私たちは察することを美徳とする日本文化を背景に成長するため、受動的攻撃を「攻撃」と理解しづらい傾向があります。そういった「察する文化」が、モラハラの温床になっているといっても過言ではありません。
 「不機嫌さ」を前面に出して、相手に察することを強要し、心的に操作することもモラハラの言動の一つとして挙げられますが、「不機嫌」=「暴力」なのでしょうか?小さな子どもを含め不機嫌になったことがない人はいるのでしょうか?「不機嫌」が日常的に存在し、ある程度許容されているのであれば、不機嫌が暴力になるか・ならないか、もしくはハラスメントになるか・ならないかの境界は何になるのかを考えてみましょう。モラハラの加害者の特徴を基準に考えてみると、その境界は、例えば、

不機嫌な態度をとる自分(加害性)に葛藤がありますか?
 葛藤がなければ、かなり加害者寄りになるかもしれません。多くの人は不機嫌な態度をとって気持ちがいいわけではなく、それが「ありたい自分」でもないため、本当だったらこんな態度を取りたくないと思っています。「不機嫌」という表現やアプローチに抵抗感があり、罪悪感や自責の念を抱くような葛藤があるかどうか自分に問いかけてみてください。

●自分の言動が、「支配」や「攻撃」が目的になっていませんか?
 目的が「意思の疎通」ではなく、嫌味を言ったり、相手を自分の思い通りにしようとしているときは、ハラスメントのリスクが高くなるので、一度自分の言動を省みる必要があります。

●相手とわかり合えない、または相手と考えが違うという事実と向き合えていますか?
 
相手に理解を求めるだけでなく、相手の考えを変えようとしている時は要注意です。相手を変えることに執着していないかに意識を向ける必要があります。

●本当に伝えたいことを自分が言語化できていますか?
 
言わないことで、自分が優位に立とうとしていませんか?全部言わなくても察してくれることを期待している時は、相手を心的に操作している可能性があります。言わなくてもわかってくれる、わかってほしいと思うのではなく、まずは相手が理解できるように自ら言語化するように努め、言葉で伝えることを心掛けましょう。

●「~のつもりだった」を言い訳にしていませんか?
 
「~のつもりだった」は、コミュニケーションとして成立しておらず、相手への意思確認を怠っ た一方通行のやりとりに過ぎません。「自分が~のつもりだったら問題はない」という考えは、加害者意識の低さの表れでもあり、加害を繰り返す要因の一つになります。

●家庭内では「言わなくても」わかる、わかってもらえると当たり前に思っていませんか?
 ツーカーであることが評価されますが、家族であってもしっかりと相手の意思を確認することが大切です。「積極的なYESでなければ、NOと理解する」ことも含め、相手の意思を確認する上では、相手が「NO」を表明できる安心感・安全感を提供できているかという点にも留意する必要があります。

相手をコントロールしたり操作している自身の言動について自覚的ですか?
 人との関わりの中で、全く相手をコントロールしないということは現実的ではないですし、相手をコントロールしたり操作してしまうことはあります。しかし、そうした時に、自身の言動について自覚的であるかどうかが重要です。加害者にはその自覚がないことを考えると、自覚がなければないほど加害者に近づくことになります。

 上記が、「不機嫌」が暴力になるかどうかの境界線になるかもしれません。

 察することを求められている被害者は、加害者の言動を「攻撃」と認識するよりも、十分に察することができなかった自分を責める材料にする傾向があります。しかしながら、言葉がなくても相手が何を考え、感じ、思っているかが100%わかるという特別な能力がない以上、私たちは日々言葉を頼りにコミュニケーションをし、相手を理解しています。したがって、親しい間柄であっても、察してもらうことを期待したり、察することよりも、伝えたいことを言葉にして、言葉のままに理解するという意味で、言葉でコミュニケーションを取ることが、本来のコミュニケーションであり、モラハラのリスクを下げるために重要です。

◆ハラスメント被害からの回復とは?  

 モラハラを定義づけたフランスの精神科医マリー=フランス・イルゴイエンヌは、モラハラを「魂の殺人」または「精神的な殺人」と称し、警鐘を鳴らしています[*1]。彼女は著書『モラル・ハラスメントが人も会社もダメにする』の中で「モラル・ハラスメントを受けると、被害者は慢性的な抑うつ状態に陥り、自分を傷つけたその出来事のことばかり、考えることがある。(中略)まるで時が止まってしまったかのように、過去から一歩も抜け出せなくなるのだ。時には、この状態が一生続くこともある。モラル・ハラスメントが精神的な殺人であるというのは、まさにこのことである。」と述べています。
 多くの被害者に、「あの人(加害者)さえ変わってくれれば問題が解消する」と考え、加害者を変えることに執着する傾向が見られます。しかしながら、加害者が変わることに執着してしまうと、被害を受け続けることになります。被害者の症状の重さは、被害の程度と被害が続いた期間の長さに密接に結びついていると考えられていることからも、相手を変えようとする意識から、まず自分を守る意識への転換が必要になります。
 ハラスメントを受けた人たちは、自己尊重心が低下していることが多いです。自分を「守る」という意識はもとより、実際には守れなかったとしても「守ろうとする」意識を持つことで自己尊重心の低下をある程度抑えることができます。その「守り方」は人それぞれでよく、自分を守る意識を持つことが、安心感・安全感を取り戻すきっかけになります。
 被害者に加害者を変えることが難しい以上、自分ではコントロールできないことで、自分を責める心のクセに気づくことが回復の第一歩になります。加害者と物理的に離れた後も何かの拍子に「やっぱり私が悪かったのではないか」という考えが過ぎった時は、そういう考えが浮かばなくなるようにするのは難しくても、「自分が悪かったかも」と思った後に「自分を責めない」ということを同時に思い出することはできるかもしれません。「私が悪かった」といった言動を意識的に減らすだけでも、被害からの回復を助けます。実際に、私がハラスメント被害者のカウンセリングをする時は、被害者の方にカウンセリングの間だけでも「自分を責める」言動に気づいてもらい、できる限りそうした言動を発しないことを意識してもらうようにしています。
 被害者が「自分が悪かった」との考えに至る大きな理由の一つに、被害者は、被害を受けて初めて自分ではコントロールできないことが多いという現実とぶつかり、責めを負う対象が自分だけであるかのような心理に陥ることが考えられます。私たちは普段、法律や社会システムに十分に守られていると思って生活していることが多いですが、被害に遭って初めて、被害者自身にコントロールできるものがいかに少ないかという現実と向き合わされます。そして、実際、被害者の目の前にいくつもの壁が立ちはだかります。
 一つ目の壁は、加害者を変えたいと思う気持ちがあったとしても、変えることは難しいという壁(現実)にぶつかります。そして、変わることを期待できない加害者から自分が傷つけられ続けることで、被害者の「他者(人)を信じる力」が小さくなります。
 二つ目の壁は、組織や警察、支援機関などが、必ずしも自分の期待や要望通りに動いてはくれないという壁(現実)です。特にモラハラ被害はわかりづらいため、なかなか被害を理解してもらえず、自分が思うように対応してもらえないことも多く、結果、被害者の「組織や社会を信じる力」が小さくなります。
 三つ目の壁は、法律です。DV防止法(配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律)は、少しずつ改正されてはいますが、100%被害者の味方になるとは限りません。グレーゾーンになりやすいモラハラ等のケースでは、まだ法的に充分整備されておらず、被害者の「社会システムを信じる力」が小さくなります。
 被害者は、被害と向き合うプロセスの中で、他者も組織も社会も社会システムも自身ではコントロールできない現実を目の当たりにして、空中で足を空回りさせていて前に進めないような心境に陥ります。そのため、なんとか地に足をつけようとしますが、自分ではコントロールできないことばかりの状況下で唯一コントロールできるのは、被害者自身の考え方や感じ方のみであり、被害者は「自分が悪かった」と考えることで地に足をつけようとします。しかしながら、自分が悪いわけではないのに自分が悪いと思っていては、なんとか地に足がついても前に進むことはできません。
 このように社会的に不完全な部分を被害者が背負わされていることも、被害者が自分を責める思考のスパイラルに陥る要因になっています。
 被害者は、被害を受けて初めて自分ではコントロールできないことの多さに気づかされます。その現実と向き合うことで、誰にも助けてもらえないような孤独感や孤立感が大きくなり、被害者の多くは、人も社会も社会システムも法律も信じることが難しくなっていきます。さらには、「私が悪かった」と思い込んでいるため、自分自身を信じることも難しくなります。そのような心理状態から被害者が回復する上で一番必要なことは、「信じる力」の回復です。
 被害について相談して、他者から理解を得られると、「人を信じる力」が回復します。被害者を支援する活動団体で必要なケアを得られると「組織や社会を信じる力」が回復します。そして、ハラスメントは、被害者の努力では改善することが難しい問題であることを理解し、自分を責める思考のスパイラルから脱することができると「自分自身を信じる力」が回復していきます。
 ハラスメント被害からの回復とは、「信じる力」の回復です。おかしいと感じたり、モヤモヤした時は、その気持ちを打ち消すのではなく、自分の勘(感)を信じ、ハラスメントに理解がある人に早めに相談することが、被害からの回復を早めることにもつながります。
 被害者が被害によって起こっているモヤモヤした気持ちを言語化できるようになると、被害をより明確に認識できるようになります。被害について理解できるようになると、自分を守る意識が芽生え、自分を守るために安心感・安全感を取り戻そうとします。安心感・安全感を取り戻せると、自己尊重心を維持しやすくなり、むやみやたらに自分自身を責めなくなります。したがって、加害者から一旦物理的に離れること、自分を責める思考のクセに気づくこと、加害者を変える意識から自分を守る意識への転換を図ることで、より安心・安全な時間と場所を増やしていくことが、ハラスメント被害からの回復には必要です。

被害者対応のポイント

 被害者に対して、「気にしすぎ」「うまくやればいい」「忘れたほうがいい」という言葉かけは、被害者側に変わることを求めることになり、被害者の自責の念を誘発するためNGワードといえるでしょう。また、ハラスメント被害者が、「なぜ『NO』を言わなかったの?」と問われることは未だに多いようですが、この問いに対して、被害者は、「NO」を言うことが正解で、「NO」を言えなかった自分が悪いと解釈する傾向があります。しかしながら、「NO」を突き付けたら加害は止まったのでしょうか?「ハラスメントの構造」が示すように、「攻撃」や「支配」が目的の加害者は、はっきりと「NO」を言われるとエスカレートする可能性があります。被害者が「NO」を表明することはどのくらい現実的に可能なのでしょうか?職場や人が集まる場所等で、躊躇なく「NO」といえる環境はなかなかありません。「NO」と言ったことで加害行為がエスカレートするかもしれないし、「NO」と言ったがために恨みを買うかもしれません。そうなると、さらに自分が危険に追い込まれることになります。自分だけならまだしも、自分以外の人にまで害が及ぶかもしれないと思ったら、さらに「NO」を言うことが難しくなります。もしかしたら、「NO」と言うこと自体が禁句のようになっている環境もあるかもしれません。
 被害者にとって、「NO」を表明することは、「NO」と言って自分らしく生きるか、「NO」と言わないでその場をサバイブするか、究極の選択といえます。究極の選択である以上、「NO」と言っても言わなくても、当事者自身で判断したのであればどちらでもいいのです。究極の選択である以上、「NO」と言わなかったとしても、周りがとやかく言うことでもなければ、被害者が自分を責める材料にする必要もありません。
 DVやハラスメント被害者が、周りから「なんで『NO』と言わなかったの?」と質問されると、「『NO』を言わなかった私がいけない」という思考に囚われてしまうため、私は、「あなたが『NO』と言えなかった理由を教えてもらってもいいですか?」「何が理由で『NO』と言えなかったと思いますか?」と被害者に問いかけるようにしています。同じことを質問するにしても、「なんで?」「どうして?」(英語でいうWHYを使う)と質問するよりも、「何が理由で?」「何がそうさせたのか?」(英語でいうWHATを使う)と問いかけた方が、被害者はその「理由」を考えることに意識を向けやすくなります。「なんで?」「どうして?」という問いかけは、時に批判されていると捉えられてしまうことがあるので注意が必要です。
 被害者にとって、安全地帯になる人や場所が一か所あれば、被害の渦中にいても乗り切れる可能性が高くなります。いつあなたが被害者の安全地帯になるかわかりません。なかなか加害者から離れない被害者もいるでしょう。そういう被害者に対しては、いざという時に、被害者があなたに助けを求めようと思えるような関係を今築いておくことが、あなたに今唯一できることかもしれません。そのためには、「解決」よりも「この人に話してよかった」と被害者が思えて、他者(人)に対する安心感・安全感を取り戻し、小さくなってしまっている「人を信じる力」をほんの少しでも大きくできれば十分なのかもしれません。


[*1]:マリー=フランス・イルゴイエンヌ『モラル・ハラスメントが人も会社もダメにする』、『人を傷つけずにはいられない』紀伊國屋書店